D-Day

師走 先負

D-Day

1944年6月6日


 荒れ狂う波と船を煽る強風、憂鬱な程の曇天であった昨日に比べて驚くほどに穏やかな上陸作戦日和。俺は上陸用舟艇ヒギンズボート上でこれからの戦闘ではなく受賞式を心待ちにしていた。

なわけなかった。

風は少ないが空は変わらずの曇天で簡単に英雄になれると言われウキウキしてた俺達の心は荒んでいく。しかも

「オエッ、ゲボッ」

時々迫る高波は俺達に吐き気と頭痛の最低のプレゼントをくれる。今も俺の周りでは数人吐いている。ありがた迷惑、いや迷惑なことこの上ない。

最悪な欧州旅行だ。

俺は年甲斐も無く吐いている連中に目もくれずカタカタと震える手で十字架のネックレスを手に取る。

「主よ。我らに力を。我らに勝利を導き給え。」

小さな偶像に崇拝を行う。俺は別に敬虔なキリスト教徒ではないため都合の良い時だけ祈りを捧げる。宗教は大衆のアヘンとはよく言ったものだ。小刻みに震えていた手は落ち着きを取り戻し、いつにも増して宗教にのめり込みそうになる。

「神に縋るな。縋るなら自分の実力に縋れ。神は私達が殺したんだ。頼れるのは自分だけだ。」

あぁ今回もこいつのせいで台無しだ。いつもこのニヒリストに寸前で現実を見せつけられ宗教なんぞと思想を歪められる。既に十字架は手から離れていた。

「はいはい。ご鞭撻どうもアメリカのニーチェ、ジャクソン様。あなたのような思想があそこには蔓延してますよ。良かったですね。」

適当に相槌を打ってやる。ジャクソンとは入隊当初からの仲だが俺にはどうもニヒリズムは合わない。人生を虚無と決めつけるなど死んだも同然ではないか。

「神がいたとしたらナチはとっくに崩壊しているだろう?欧州奪還をしてる時点で神の存在は否定されてるんだよ。」

確かにそうだと思ってしまう自分も敬虔では無いのだなと再確認させられる。特に反論もないしする気も無いので話題を変えた。

「まあすぐ終わるさ。さっさとフランス解放してホームパーティでもしようぜ。」

正直すぐ終わるなんて思えなかった。眼前は他の米軍であまり外は見えないがちらりと見える陸地はどこか薄気味悪い。

「そうだな。私は」

「おい!もうすぐ上陸だ!いいか、集団行動は自殺行為だ!指揮官から離れて単独行動を心がけよ!」

小隊長だか中隊長のご高説を頂いた。もう既に上陸間近、ついに戦闘が始まってしまうのか。どうしてもこの時だけは手が震える。

「タラップが降りるぞ!」

ガコンッという無骨な音が耳に届く。それが最後の音でそこからしばらく音は何も聞こえなかった。何かが俺達を薙ぎ払った。


「機関銃そう」

誰かの声が途中で途切れる。それは声だけじゃない。そいつの命まで途切れたのだろう。俺は呆然とした。つい先日までワイワイやってた同じ小隊の仲間がばたばたと倒れていく。この時点で36人いた俺の仲間小隊は半分近く死んだ。俺も何かの作用で倒れる。しかし撃たれた感触はなかった。勢いよく視線が90度上に移動する。一面を覆う曇天。死が間近に迫っていることが俺でもわかる。心は曇天で押し潰され、実体は何かに押し潰された。人の温もりを感じる。

「おいっジャクソン!いつまで寝てる、起きろ!」

ジャクソンが俺の上にかぶさり一向に動かない。力を振り絞り上体を起こして脱力しきったジャクソンを見やる。

「俺はお前と違ってゲイじゃねえ!ほら早く...ああクソッ!お前が深淵見てどうする!」

見なきゃ良かった。旧知の仲の人間が頭ぶち抜かれる光景なんざ誰も見たかねえ。

「生きてる奴ら、早く海へ飛び込め!ここじゃ的だ!」

があっクソ。ちくしょう!

泣きじゃくりながらジャクソンのドッグタグを見つけ紐を引きちぎる。ドッグタグしか回収出来ないのを心底恨んだ。恨みつらみを抱えつつ半ば落ちるように海へ入る。


 海は薄く濁っていて血液も散見される酷い有様だったものの陸の地獄に比べればリゾート地の透き通ったエメラルドグリーンの海にも思えた。あの海上棺桶を抜け出したのはせいぜい10人いるかいないか。しかも俺たちだけでなく他の第一波の小隊も例外なく。海に入ること、それこそが安全だと誰もが思っただろう。しかしまあ神に見放されたかそもそも神がいないのか殺したか現実はそう甘くない。水中でも勢いを殺しながら凶弾は突き進む。まあ勢いは失い死傷する程では無い。恐ろしいのは海底まで引きずり込まれることだ。

(まずい。このままじゃ溺れるぞ。)

水が服の隙間に入り込み荷物やら武器の重さも重なりどんどんと落ちていく。

(武器をどうにか捨てないと。)

スリングをガチャガチャとやけくそになって外し始めるが、そうこうしてる間にも息は続かなくなる。周囲は既に溺死体が増え始め、海さえも地獄になりつつあった。

(よし、外れた。まずは陸に上がらなければ。)

頭は酷く冷静であったが体は滑稽な程パニックに陥っていた。スリングも奇跡的に金具は壊れ、海上でも途中までは犬かきのような見るに堪えない泳ぎ方をして、途中から他の小隊の一等兵に拾われ肩を担がれながら陸に上がった。ここでも機関銃に撃たれ死ぬ事はなかった。ここまで来たら神の守護の類、いや自分の運が異常に良いということにしておこう。

 しかし上陸したここからが本番であり、人だったものの山を作る一種の処刑場のような地である事を思い知らされた。というか上陸作戦なのだから当たり前なのだろう。新たに来る上陸用舟艇と海中から上がった米軍などドイツ軍にとっては七面鳥ターキーを撃つようなものだった。タラップが開いた瞬間に撃つ、海中からもそもそとゆっくり歩く米軍を撃つ。上層部は俺たちを騙しやがった。簡単に英雄になれるのはドイツ軍の方じゃないか。俺もその七面鳥の一人だ。だが俺はまだ運がよかった。すぐそばにチェコの針鼠がある。本来は戦車の足止めをする忌々しい障害物だが、今の状況でその粗末な鋼は我々を守る要塞に変化した。早く針鼠に行かないと。そう焦った俺は年甲斐もなく死に物狂いで走る。だがその行動は二歩三歩足を動かして終了した。ただでさえ歩きにくい砂浜に色々な物が散乱している。

銃、弾薬、魚、腕、死体。

 そんな環境下で走れば誰だって転ぶ。俺も何か(考えたくもない)に躓いて砂に顔から突っ込んだ。転んでる場合ではないと顔を上げると目に映ったのは砂浜に点在する針鼠と百数十m離れた位置にある鉄条網陣地と多数のトーチカ、そこから繰り出される機銃掃射と迫撃だった。砲火のぼやっとした光がいたるところから絶え間なく放たれ続けている。

「ハアッハアッこれじゃ匍匐ほふくか。立ち上がったら死ぬ。」

機銃掃射が頭上を通り後ろで海中から上がった七面鳥の胸やら腕を薙ぎる。ある者は腕がちぎれ、ある者は欠損した内臓が露出し、ある者は頭を撃ち抜かれ即死した。いま立ち上がれば同じ穴の狢だと直感で感じた。匍匐でゆっくりと進む。散乱した物、者を丁寧に除けドイツ軍に悟られぬよう動く。ようやく針鼠に到着した頃には他の米軍がすでに別の針鼠に集結していた。


「ふぅ、ここまで来れればいったん安心か。」

現実逃避も兼ねて前方の敵ではなく後方の味方の状況を確認する。さっきまで歩いていた道がうそのように悲惨な光景だった。欠損した死傷者はさらに数を増やし、砂浜に横たわる。しかもそれは常に増え続け、野戦砲により死体もろとも米軍を木端微塵に吹き飛ばす。迫撃で残ったのは衝撃でできたクレーターのみ。この時点で米軍の鮮血が海を紅に染め上げていた。

 もう主神じゃなくてもいい、アルデュイナでもゼウスでも誰でもいいから俺たちを助けて欲しかった。


 俺のいる針鼠には結果的に3人が集結した。全員が違う部隊で初顔合わせで名前も知らないが、幼馴染のような絆を勝手ながら抱いた。

「そういえば水陸両用戦車は何処だ?そいつに張り付けば楽に動ける。」

辺りを見渡しながら他の二人に問う。その間も機関銃は轟音を立てて俺達を襲う。だが針鼠は優秀なもので死ぬのは針鼠に到達できなかった奴らばかりだ。

「そんなもん何処にある、どうせあの波にのまれたんだよ。じゃなきゃ今頃あのトーチカを占領して祝杯をあげてる。」

じゃあこの区画の全ては俺達歩兵が何とかしなければいけない。死の恐ろしさと上層部への怒りが混在し訳が分からなくなる。だがとりあえずはあの鉄条網陣地に行かなければならない。それだけは半分パニックの俺でも分かった。じゃあどうやって行く?中隊長に言われたのは戦車を盾に電撃的に進む。だが戦車もなければ人すらいない現状どうすればいい?俺だけじゃない。指揮を待つ兵は全員がどうすればいいか分からず立ち往生した。その間も野戦砲が針鼠に集まる兵達を吹き飛ばし、続々と上陸する兵を機関銃が薙ぎ倒す。

「誰か指揮官はいるか!誰でもいい、ご命令を!俺たちはどうやってこの百数十Mの道を突破すればいい?」

そう声を張り上げて伝えた。奥の針鼠に集結していた十数人も口々に言う。

「軍曹か下士官はいないのか!」

「こっちの小隊は既に指揮官が死んだ!」

「このままじゃ犬死するぞ。」

阿鼻叫喚とはこの事だと思った。作戦開始からすぐに指揮系統が崩壊し、ドイツ軍の的になる。この上陸作戦は失敗だ、そのような弱気な考えが頭の片隅によぎる。

「おい、お前ら!今から俺が指揮をする!俺の合図で鉄条網陣地まで突撃だ!分かったか!」

無策での突撃など一般兵卒でも分かる単純明快な戦術かつ最も無謀な作戦だ。しかしこれしかないのも誰もが分かっていた。人が壁となり他の人が道を切り開く。今の俺達にはこれしかない。

「機関銃がリロードしてる隙に突破だ...今だ!次の針鼠まで突撃だ!着いてこい!」

指揮官が真っ先に動き、生き残り達も続々と前進する。俺も砂浜に慣れてきたか砂上を走り次の針鼠、次の針鼠とゆっくりと、だが着実に進んでいく。この場面だけ見れば俺達は中世の戦争をしているようなものだった。後方を見やると数十分前に俺達が体験したことを後続の米軍が体験している。海は死体に埋もれ、薄く濁っていた青い海やベージュの砂浜は血まみれのビーチBloodyOmahaになっていた。第一波を生き残った米軍達も人数を減らしながら前進している。だがこの状況は肉体だけでなく精神までも蝕む。

「ママ、ママは何処?」

といいフラフラと彷徨う腕が欠損した兵や、棒立ちでずっと笑い続ける兵もいた。

「シェルショックか、クソ。嫌なもん見ちまった。」

戦闘のトラウマで理性が欠如する。噂には聞いていたが当事者じゃなくてもなかなか酷なものだった。訳も分からないまま体を蜂の巣にされる、考えただけでも恐ろしい。

「助けてくれ...頼む、足を撃たれたんだ。」

俺よりも後方に俺を海中から引きあげた恩人が倒れていた。そんなものほっとけば良かったのに俺は助けるための後退をした。自らを危険に晒して恩人を助ける、お人好しがここまで憎いことも初めてだ。

「大丈夫か?片足は動けるよな。手を貸せ。」

恩人の腕を握りしめ、半ば引っ張るように連れていく。ずりずりと負傷した足が砂浜で擦られ、血が蛇のように這う。引っ張り始めて十秒だったかが経った時またもや聞きたくもない分間レート1200発の轟音が聞こえ始めた。忌々しい機関銃ヒトラーの鋸が!絶対にぶち壊してやる!怒りすらも湧いてきた。

「うお!どうした!」

腕を引っ張っていた恩人がふっと軽くなった気がした。嫌な予感がした。とりあえずここにいれば死は確実だだったために確認することも無く針鼠まで走り続ける。

「おいっ、だいじょうb...ああまたかよ畜生!神なんて二度と信じるかクソ!」

振り向いた時には既に息絶えていた。下半身がちぎれ、内臓溢れ出て、蛇のように這っていた血は洪水を起こした川のように砂を赤く濡らしていた。確実に1Lは漏れていた。この惨状はオマハ全域で行われており、欠損死体がごろごろと転がっている。

「衛生兵!衛生兵はいるか!助けてくれ!」

無論衛生兵は蘇生術など持っていない。ただ俺が仲間の死を認めたくなかった。ただそれだけだ。少し落ち着けば認められる。

「すまない!もう息絶えたからこっちに来なくていい!他のやつを手当してくれ!」

止血を止め駆け寄ろうとした衛生兵に告げる。もう死体を増やしたくない。俺は彼のドッグタグを回収し、再度前進した。衛生兵も既にパンクしており、残酷な生命の選別が始まっていた。

「こいつはもうじき死ぬ。次だ。」

「とりあえずモルヒネを打っておく。」

針鼠間を移動し続け、応急処置を繰り返す。衛生兵は俺を遥かに上回るお人好しなんだろう。針鼠の無い場所で止血だって行う。

「もう少しだ。もう少しで止まる!お前は生きれる!」

そう自分と相手に言い聞かせ、...寸前で死傷者とともに衛生兵が機関銃で薙られるか、野戦砲で塵になる。しかも恐ろしいのは衛生兵だってただの人間だということ。普通の人が平気でシェルショックになる中で衛生兵は人の死に立ち会って、人の生死を決める。そんなのを常人がやっている。目の前で患者が死んだ時は砂浜に慢心を込めた握り拳を何度も叩きつけているがすぐさま別の患者に移る。俺は正直心配よりも恐ろしさが勝った。


 衛生兵に兵の手助けは今後一切任せる(任せないと精神がおかしくなる)ことにして、走り続ける。最初に比べて銃も無い、弾薬も途中で捨てた、持ち物は正直口の中のガムとポケットに入っている二つのドッグタグと物凄い軽装になった。その分身軽になったためか最後は針鼠を経由せず、いの一番に鉄条網陣地に潜り込んだ。その入り方はさながらホームベースにヘッドスライディングで戻る野球の神様のようで、自分でも賛美したい程。そして冗談が思いつくほどに安心もした。機関銃の下に位置し、野戦砲も鉄条網を破壊しないよう迂闊には撃てない。死ぬ要素がここには無かったのだ。ただ立ち上がれば機関銃の餌食になるし、鉄条網を破壊する手立てもないのが痛い。とりあえずは後続を待つことにした。だが待つということはその分余計な考えが思考を巡る。さっきまで死に物狂いで分からなかった死体だらけの砂浜、海上で燃え盛る上陸用舟艇、硝煙の臭いと何かが焼けた臭いが鼻をねじ曲げる。今でも後続の兵に向かって機関銃のけたたましい音と鼓膜を破るような野戦砲の轟音はなり続け、あちこちで悲鳴と悲痛の声が聞こえ無惨にも途切れていく。手の皮は剥け血が吹き、汚れまみれの体は恐怖でぶるぶると震え始める。

「オエッゲボッ」

水ばかりの吐瀉物を地面に吐き出す。砂浜と違い固い土の上では染みることなく溜まり続けた。

現実とは思えなかった。痛い、寒い、辛い、逃げ出したい。ああそうだ。大衆のアヘンを、苦しみから解放されるための懺悔を。そう思い首元を血と吐瀉物にまみれた手で探すがどこにもない。転んだに拍子にでも落としたか、ポケットを探ると二つの物体。ああ最初からこっちを使えばよかった。

「友よ俺に力を、俺達に勝利を。」

そうドッグタグを力強く握り締め祈る。とても長い時間祈っている気がした。

「おい!大丈夫か?何処の小隊だ、仲間は?」

目を開けるとそこには鉄条網陣地に張り付いた数十人の仲間。その内の三分の一が負傷兵で、衛生兵がここでも駆け回り止血やモルヒネ投与を懸命に行っている。そして俺の目の前には心配そうに見つめる一人の男。確かさっき指揮を委任した男だ。まだ生きていたのか。体は特に震えている様子はなく体は痛いものの先程とは随分と気が楽になっていた。俺はポケットに二つのドッグタグを突っ込み問いかけに答える。

「G小隊のブラッドリー・マクレランです。G小隊は壊滅状態生き残りも今のところ俺しか確認出来てないです。」

「そうか。俺はB小隊長のウィリアムだ。一人でも生きていればいい。まずは銃を持ってこい。鉄条網を破壊したら本格的に銃撃戦が始まるぞ。」

「分かりました。」

そういい後方を見る。未だに死体は量産されてはいるが陣地の付近は比較的安全のようだ。俺は用心深く機関銃のリロードの隙をつき後方へ走り出す。死体まみれでまたも吐きそうになるのを堪え、半身を失った死体の下に銃が落ちているのを確認した。

グチャ、ああクソ。内蔵触っちまった。気持ちの悪い感触が生理的に腕を離しそうになる。しかしここで離してしまえば最悪この死体と同じ運命を歩むことになる。グチャグチャと死体の下から銃を引き抜き、零れ落ちていた弾丸を無造作に掴み取りポケットに入れる。そして無事に陣地まで戻ることが出来た。同じ事をやって数人が機関銃の餌食となっている。ここでも俺は幸運のようだ。手に入れたのはM1ガーランド。俺が捨てた軽機関銃より扱いやすい。正直銃なぞ扱いの違い以外そこまで差異はない、俺はそう思っている。

「戻りました。」

ウィリアムは俺の声を耳だけで聞いて頷き通信を続けていた。

「本隊!こちらオマハ区画、未だ突破できず!只今よりトーチカに突撃をかける!早く戦車を寄越せ!繰り返す。早く戦車を寄越せ!」

通信機を叩きつけるように切り、叫ぶ。

「誰か、爆薬筒は無いか!鉄条網を爆破する!持っている奴はこっちに来い!ここを起点に突撃を行う!」

そういうと、奥の方から二人の兵が1Mを超える長い筒を二つ持って走って来る。指揮官の近くにいれば安心だと思っていたがやはり現実は甘くない。このままでは俺は最前線になってしまう。死の恐怖から多少解放された瞬間に邪な考えが生まれてしまった。二人の兵はどんどんと俺とウィリアムに近づいてくる。しかしそのうちの一人が機関銃にやられた。一つの爆薬筒が地面に落ちてしまう。

「おい、ブラッド。お前が爆薬筒を使え。いいか二つを結合して鉄条網の奥に投げ込むんだ。」

俺は幸運なのか不運なのか分からなくなる。俺自身がこの手でこの安全地帯を放棄し戦闘する、考えたくもない。しかしやらざるを得ない。落ちた爆薬筒を拾い上げ、生き残った兵から爆薬筒を貰う。訓練は行っていたが訓練通りに出来る人間は稀有だ。俺の血や汗で濡れた手では滑ってしまい上手く結合しない。

「大丈夫か?支えてやる。」

ウィリアムが爆薬筒の一つを支えて両手で訓練通りに結合する。良し、上手くいった。後は火をつけ投げ込むだけ。そのだけのハードルがとてつもなく高い。やるしかない、友よどうか我を守り給え。そう心で唱えながら点火した。

「fire in the hole !」

そう叫び爆薬筒を投げ込む。その数秒後、目の前で鉄条網と地面が爆発音と共に抉れた。近すぎたか俺は横に倒れ込み、空に舞い上がった土や石が体中に降り注ぐ。結構痛い。


「行くぞ!突撃!」

俺の横をほぼ全員が突き進む。もちろんウィリアムが先頭で、それに続く形で突撃した。ここでも機関銃が火を吹き、多数の同胞が殺されたがすぐにトーチカがあることが分かり、そのトーチカの裏で射線を切る形で進軍した。その時俺はというと爆薬筒で手一杯で肝心のM1ガーランドに装填するのを忘れていた。その装填に手間取り最初の突撃に間に合わず立ち往生してしまう。結局俺と更に集結兵達は機関銃のリロードの隙を付くといういつものありきたりな戦術をとった。しかし今までのとは違い、慣れてきたのもあってかトーチカの裏ではなくそのまま機関銃陣地の下に存在した、クレーターにも似た砲撃跡にもぐりこむ。結果的にこれは成功で、俺含め数人が機関銃陣地を安全な位置で撃つことが出来たのだ。まあそれは、ウィリアム達がこの間に行っていた突撃と支援射撃があっての成功なため、死と隣り合わせだったことには変わりない。これで機関銃の射撃を黙らせる。俺は小刻みに震える手を必死に抑え、ガーランドを構えてトリガーに指をかける。まだ機関銃共はリロード途中、頭が上がった瞬間に撃つ、撃滅する。スコープはない標準装備だが機関銃陣地はくっきり見える。ウィリアム達の支援射撃もあるはずだ。必ず仕留める。ドイツ軍がリロードを終え頭を上げた。

「友の仇だこの野郎。」

エイムは完全にドイツ軍の頭を狙っている。ウィリアム達の射撃と砲撃跡からの射撃に機関銃三門は先程の同胞達の様になすすべもなくやられていった。

キーンという弾が無くなった合図の心地よいクリップ音がいたるところで聞こえ、砲火は止んだ。

「良し!お前たちこれであとはトーチカ内部だけだ!このまま制圧を続けるぞ!」

ウィリアムがトーチカ裏から出てきて、機関銃陣地に向かっていく。ついにやったのだ。俺達がドイツ軍を倒し勝利をつかみ取った。気づいた時にはポケットの中のドッグタグを強く握りしめていた。お前らの仇はとったぞ。そう心の中で唱える。だが安心もしてられない、あくまで制圧したのは機関銃陣地だ。まだこの先のトーチカも塹壕も制圧しなければ、ドイツ軍だって未だ数人しか倒していないのだ。

「こいつら正規軍のやつらだ。てっきり少年兵と老兵しかいないと思っていたんだが。」

数分前とは比べ物にならないほど俺達は楽観的になっていた。俺も何故かテンションが上がり装填をしながらウィリアムと共にトーチカに向かう。


 ここからは二手に分かれてトーチカ攻略と塹壕戦の二つを同時並行で行っていった。トーチカの入口まではうそのように静かで所々坂がある以外には大して苦労もせずに来ることが出来た。

「手榴弾投下!」

俺がそう言い、ウィリアムと共に入口に投げ入れる。手榴弾は轟音と共にトーチカ入口をこじ開け、そこに火炎放射兵が無慈悲にも攻勢をかけた。反射する炎はトーチカ内を這いまわり、内部のドイツ軍が火だるまとなり倒れていく。体に火炎が付着した瞬間に死よりも苦痛に苛まれることも想像に難くなかった。しかしドイツ軍も敗残兵ではない。いまだに恐怖の対象だ。俺達はトーチカ内を警戒しながらいつでも撃てるようにしていたが、火炎放射兵は明らかになめ腐っていた。

「さっきの攻撃を見ただろ。もうこのトーチカにドイツ軍はいないんだよ。」

そういった矢先に彼は潜んでいたドイツ軍から肉薄され火炎と共に散って行ってしまった。トーチカ内が焼けた肉と焦げた臭いが充満する。嫌な臭いだ、すぐに出たくなるほどに。幸いにもトーチカ内のドイツ軍は故人の彼の言った通り、数人しかおらず、M1ガーランドでの銃撃ではなくM1911での制圧を行っていった。

「これでトーチカの上部は制圧できた。ブラッドはトーチカの深部を一応確認しておいてくれ。」

「分かりました。ですが一度外に出ても良いですか?少々臭いがきつく。」

ウィリアムは快く了承し、俺は外へと出た。見てみたかった。塹壕ではドイツ軍はどうなっているか、どんな負け方をしてるか、見てやりたかった。

友と共に。

 

 外に出た瞬間日が差して俺を照らす。いつの間にやら曇天は姿を消し、日が俺の心おも清々しくさせてくれた気がした。まあ銃声はそこかしこでなり、爆発音、悲鳴、ドイツ語、フランス語、様々な音が入り乱れる清々しいとは程遠い現状だった。

「ドイツ軍は全員殺せ!蹴散らせ!」

立場は数十分前から完全に逆転したようで敗走しているドイツ軍を的にする七面鳥狩りが行われている。敵とはいえあまり許容できるものでもない。少しばかりもやもやした。トーチカから塹壕の上を進み本隊と合流する。そこでは信じられないような光景があった。

「私たちはフランス人だ。どうか故郷の××××お願いだ。助けてくれ。」

投降したドイツ軍の中にはフランス人も交じっている。俺は多少フランス語が分かるためこの事実に気が付いた。ドイツ軍も切羽詰まっている事実に。投降したドイツ軍に近づこうとしたその時

「なんて言っているか分からん。お前らはここで死ぬ運命なんだよ。」

一人がそう言って本隊が一斉に投降兵に銃弾を浴びせた。こんなもの非戦闘員の虐殺ではないか。これではドイツ軍と同じ、米軍がここまで落ちぶれてしまっていることを俺は信じられなかった。

「何やってんだお前ら!投降兵を殺すなどあり得ないぞ!立派な国際法違反じゃないか。」

叫びながら抗議をする。しかし彼らは何が悪いのかわかっていない様子だった。

「なぜダメなんだ?こいつらは俺達の仲間を散々殺したんだぞ!俺達だってこいつらを殺す権利ぐらいある!大体、戦争しといて負けそうになったら投降して助かるなんて都合がよすぎるだろ!お前だって友を失っているだろ?」

 クソッそりゃそうだ。俺達は殺されてドイツ軍は殺せない、そんなの不公平が過ぎる。でも、それでも誇り高き米軍がドイツ軍と同じレベルに落ちてしまうのが嫌だった。

「ほら、これやるよ。少年兵のナイフだ。それで手打ちでいいか。」

めんどくさくなったのか本隊はナイフを俺に寄こして、そのまま前進していった。ナイフを手にして俺は手が震える。

 ドイツ軍だって他国の人間や若者が多くいた。そんな未来の宝を俺達は平気で投げ捨てている。そんな自分が許せなくなる。俺はナイフを静かに塹壕の下に置き、手で十字を切ってトーチカへと戻った。


 あまり気分がよくないがそれで命令を蔑ろにしてはいけない。俺はウィリアムの命令の通りトーチカの奥へと進む。ドイツ軍がいないことの確認だけだったため俺だけの単独行動。先程のトーチカ制圧でトーチカ内の全てのドイツ軍は殲滅した。奥にだっているはずがない。そう高を括っていた。

 当たり前だが接敵することもなく最後の指令室らしき部屋に着く。M1ガーランドは片手で持っていて撃つ気もない。警戒することなく扉を開けて中へと入る。完全に油断していた。側面から硬い何かで頭を殴られたのはそのすぐ後。ガーランドが宙を浮き遠くへ飛んでいき、俺はというとゆっくりと倒れている。実体は見てないがドイツ軍で確定だろう。俺は殴られたのにも関わらずひどく冷静に対応する。何故か、俺は拳銃を持っていて相手は何かで殴る接近戦、有利なのは確定なのだ。

「があっクソ、これで」

拳銃を抜き出しドイツ軍に向けてトリガーを引く。


カチャカチャと軽い音が響いた。

排莢不良かクソ野郎こういう時に限って!そう怒りがわいた瞬間。頭を殴られた。血が顔に滴る、視線は暗転して耳鳴りが続く。ぼやけていく視界の中で俺が最後に見たのは、ヘルメットを振りかぶるドイツ軍だった。



ジャクソン、恩人よ今から向かう。



Bradley McClellan 1901~1944

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

D-Day 師走 先負 @Shiwasu-sembu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画