19 待っていた時

 馬乗りで跨ったレヴァントの拳は、憎しみに満ちた重みが乗っていた。


 ミハエルは顎の骨が砕けんばかりの打撃を連撃で食らう。

 その打撃は全身の骨を砕かのように強烈なダメージをミハエルに与えてゆく。

 

 脳が揺れると一瞬だが意識が飛ぶ。レヴァントはミハエルの懐に手を伸ばし、手探りでまさぐるとダーククリスタルの欠片を聖布の包みのまま奪い取った。


 そして彼に跨ったまま、包みを捨てガリガリと硬質な音をたてて数回噛み、ゴクリと飲み込んだのだ。


 空間にめまいを感じるようなひずみが生じ、闇のなかで赤子が笑うような不気味な声が聞こえた。


 ミハエルにはその瞬間、押しかかる体重が数倍にも増したように感じられた。本能的に危機を察知する。

 魚が陸の上で跳ねるように、全身の筋力をもちいてレヴァントを弾き飛ばした。その反動で彼のいくつかの骨は砕けてしまう。


 宙でなんども回転したレヴァントは膝を曲げた姿勢で、列車の鉄の床に着地した。しかその直後、激しく揺らめいた。

「ぐっ! ぎゃあぁぁっ!」

 歯をガチガチと打ち鳴らし、開いたままの口からヨダレを垂れる。

 頭を両手で押さえると派手に倒れ込み、絶叫とともにのたうち回った。

 

「うっぐぁっ、なんだよ、いったい」

 ダーククリスタルを背にミハエルは痛みをこらえながらも膝を立て、上体を起こす。全身にダメージが残っており、いま攻撃を食らうのは非常にまずい。しかし、襲撃者レヴァントは眼前で苦しみのたうち回っている。


 彼女を押さえつけるべくミハエルは立ち上がろうとするが、脚の骨も折れているのか体が思うように動かない。全身の神経がふたたび通りきるまでに時間がかかりそうだ。


 隣の車両に救援に来たであろう第一騎士団員の気配を感じ「来るんじゃねえ! 死にたいのか!」と叫ぶ。今のレヴァントは第一騎士団の精鋭複数名でも手が付けられないだろう。


 レヴァントの動きが静かになる。手を床に着き、膝を着き、獣のごとき四つ足の姿勢を取る。そこから絞り出すような唸り声をあげ、顔を持ち上げた。

 剥かれた白目がもとの赤眼にもどっている。

 その赤には怨嗟ともいえる、憎しみの輝きが乗っていた。



 ―――― もはや、レヴァントではない。魔術による精神支配ではない、それ以上の何かがレヴァントに乗り移り、なり変わっている。

 ミハエルはそう認識せざるを得なかった。


 ひとしきり唸り声をあげたレヴァントは、赤と黒の粒子をまとうと陽炎のごとくユラリと立ち上がる。

 

 声はレヴァントのものであった。

 しかし、ミハエルが知るレヴァントとはもはや何もかもが違い果てていた。

 


「弱きもの、人間よ。我こそは、墜落せし天使ルシルフェルの思念なり」


 

 レヴァントの一言目は、それだった。


 □

 □

 □


 深い闇の中。

 ここがどこかは分からない。


 物理的な力も、魔術的な力も跳ね返す。

 幾重にも張り巡らせた結界の中であることだけは確かだ。

 

 目の前の魔法陣の描かれた黒い床、倒れ込むのはボロ布をまとう蛇人の女 ————ベイガン・レ・ゼントォアルレ を魔術師ヒクセルキルプスは無表情に見つめる。


 彼の紫のローブもあちらこちらが破れ、爬虫類を思わせる力強い筋肉が垣間見えている。

 指を二度打ち鳴らすと、宙にあらわれた黒い触手状の鞭が彼女を数度にわたり打ち据えた。

 もはや声をあげる事すらできず、喘ぎの混じった呼吸だけを吐き出すベイガンのもとに腰を下ろす。そのまま、愛おしむように深い漆黒の髪に手を置くと乱れを整える。指導はここまでだ。


 ベイガンに魔術の指導を終えた時、ヒクセルキルプスの魔力は、遠き地で起こったそれ ―― 堕天使ルシルフィルの顕現 —— を感知していた。

 彼は、数百年の時を超え待ち続けていたのだ。暗き虚空を見上げると、決意とも悲しみともとれる表情を浮かべた。


「ベイガン……ベイガン・レ・ゼントォアルレよ……俺は行かねばならん。願わくば、テメエとまた魔術の鍛錬をしたいものだ」


 ヒクセルキルプスが床に赤い宝石を投げつけると、バラバラに砕け散りまぶしい光を放った。その光は一時期空間を明るく照らした後、一呼吸おいてベイガンの身体へ吸い込まれていく。一言、彼が詠唱をかけるとベイガンの精神と肉体が回復してゆく。


 ―――― いつまでも寝てんじゃねえ、さらばだ…… 俺の可愛い弟子よ


 想念を蛇人の女ベイガンに送ると、超越的魔術師は空間を飛び消え去った。

 

 ベイガンは身体に戻る力強いエネルギーを感じる。しかし、すぐには起き上がれず苦痛のなかに満ちてくる力を味わいながら、師を思うのみであった。


 □

 □

 □


 ここは遺跡都市カフカの地下と思われる。

 賑わうは、広大な賭博場。

 夜の賭博場は、光と影が錯綜する異世界だった。



 煙草の煙がゆらゆらと漂い、雑多な音が立ち上がる。

 笑い声、怒号、コインがテーブルに叩きつけられる音が混ざり合い、一歩踏み込むごとにその濃密な空気が身体にまとわりつく。


 似合わない紺色のドレスを着せられテーブルに着くアリシア=ノヴァは、この空気に戸惑っている。十六の若さで世界を動かす取引に身を置かんとする彼女も、賭博場という場所には全く不慣れだ。


『こういう場所には早いうちに慣れておくんだ』そう言って彼女を連れだしたのはダークスーツの武器商人マルセリウス・グラントである。

 そして、このアリシア=ノヴァの背後に立つは、深紅のチャイナドレスを纏った白身黒髪の美女セメイオチケ(=マルセリウスのボディガード)だった。

 

 「さて、どうする?」

 アリシアの隣に座るマルセリウス。

 対面の男に低く問いかける。

 男はチップをすべてテーブルに投げ出した。

「コールだ」


 場は静まり返った。

 カードがゆっくりと公開され、結果がテーブルに広がる。マルセリウスのカードは見事なフルハウス。男はカードを睨みつけるように見つめた後、無言で立ち上がり、負けを認めた。


「やれやれ、これで終わりかよ……どうだ!?  これが本当の勝負ってやつだ!」

 マルセリウスは満足そうな、しかしどこか寂しい笑みを浮かべる。

 その言葉は自分に向けられたものではない、セメイオチケへの言葉だとアリシア=ノヴァはすぐに気づいた。


 マルセリウス・グラントは察知していた。セメイオチケの待っていたその時が訪れたのだと。


 マルセリウスとアリシア=ノヴァの心に、鈴が鳴るような麗しい声が流れ込んだ。


 :マルセリウスグラント、良いものを見せてもらいました。冥土の土産という言葉が私の故郷にあるのを思い出しましたわ。お嬢さんもお元気で、この世界をよろしくお願いしますね



「出来ればでいい……『堕天使ルシルフィルとやらを斬って』また俺のボディガードに帰ってきてくれよ」

 武器商人マルセリウス・グラントの言葉がセメイオチケの耳に届いたかは分からない。

 彼女の体はすでに消えていたからだ。



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