RE:レヴァント・ソードブレイカー ～大陸最強の剣の使い手は暗殺者と化した幼馴染と聖女に命を狙われる

5 飛空艇ダマスカスの飛翔２

　私　——マシロ・レグナード――　の視界は一気に広がってゆく。

　白を基調とした青の刺繍が施された司祭長の法衣。爽やかな風を受け音を立てて舞い、張り付いていた氷が太陽光を受け煌めきながら剥がれ落ちる。

　飛空艇が力強く船首を上げると気流の流れに乗る。

　飛空艇ダマスカスは、嵐の再檄部を抜けたのだ。

　Deus, gratias ago tibi pro magnā tuā potentiā operante

：神よ、偉大なるあなたの御力のはたらきに感謝します

　Gloria sit sancto nomini eius.

：栄光がその生命にあらんことを

　積乱雲の嵐のなかから、一面の澄み切った青空へと世界はかわっていた。眼下にて白い雲が海のように広がっている。

「積乱雲を抜けました。高度は千五百、気温六度、計画通り遺跡都市カフカへ進路をとります」

　ふりかえり赤茶髪に風防ゴーグルを上げたアリシア＝ノヴァの顔がはっきりと見える、しかしその表情はまだ崩していない。

　私は口元だけで笑うと、手を上げ労をねぎらう。

　聖堂騎士団員が、各々の持ち場から甲板にあつまってくる。

「マシロ司祭長！総員無事です！」

「マシロ様、船体すべて損傷ありません」

「マシロ様、お怪我はございませんか」

　報告の声が甲板を吹き抜けてゆく風とともに飛ぶ。

　皆が積乱雲の嵐を抜け命を得た安堵と、今までとは打って変わり広がりをみせる青空に歓声をあげている。

　そのなかでセリーナ・レイノアはやや機嫌の悪そうな顔をみせる。

「団員よ、報告が済んだら、持ち場に戻れ。気を緩めるでない。このカフカへの試験飛行、何が起こるかはわからんのだ！」

　私は、手を水平にかかげセリーナを制すると、柔らかい表情を作って見せる。

「良いではないかセリーナ。今は得た命を共に喜び、この崇高なる空の青さを讃えようぞ」

　トロティが何かに気づいたのだろうか、その首が右舷を向き、一部の者も同じ方向を見る。

　右舷よりやや距離を置いた前方に、上空はるか天よりひとすじの光が射している。その光は一気に広がると飛空艇ダマスカスの周囲をつつんだ。

　その光の中から顕現せしもの。

　その美しい光景に誰もが言葉を失う。

　あの気丈なアリシア＝ノヴァも動きを止めている。

「竜だ……竜です、マシロ様」

　最初にトロティが口をひらくと、団員達も次々に叫び声をあげる。

「白銀の竜だ」

「なんという……神々しいことよ」

「……まさに神の使い」

　光の中から現れた巨大な白銀の竜は船と同じ方角へ視線をむけている。

　飛空艇ダマスカスの倍ほどの大きさで、壮麗な翼をゆったりと羽ばたかせてゆく。その体から発せられる光は、ひとつひとつの鱗であり、輝く陽光を反射している。

　セリーナ・レイノアはシルバーブラウンの髪をその風になびかせる。上気し紅潮させた頬で振り返ると上目遣いで私をみる。

「司祭長！　竜です……私は竜の御姿をこの目で、この目で初めて見ることが出来ました」

　やや興奮気味の彼女に私はわずかに白けてしまう。

　確かに竜は未だに神聖かつ不可知の存在である。それでも、＜全ての竜が神の使いで聖なる使者ではない＞それくらいは知っているであろうに。

（おっと、いかんな。本来の目的を忘れるところだった）

　トロティが団員にも聞こえるように叫ぶ。

「マシロ様、聖堂騎士団の皆様方。白銀の竜です！　これぞまさに神の恩寵かと思えます」

（トロティ、狙い通りの呼びかけ感謝するぞ）

　時折だが、彼はこのように打合せなしでも良い役割を演じてくれる。

「そうだトロティ秘書官。そして我が聖堂の騎士団員よ。この竜こそが、積乱雲の嵐という試練を乗り越えし我々の旅路を祝福しているのだ。

　白銀の竜の示す方向こそ、まさに『遺跡都市カフカ』

　我々、教会組織こそがカフカに眠るダーククリスタル……『超古代兵器』の守護を、世界の守護を神より託されたのだ」

　団員の間で大きな歓声がわき上がる。

　セリーナ・レイノアはますます陶酔したような視線を私に向け、トロティは団員達を更に鼓舞している。

　白銀の竜は飛空艇とともに、悠然と風を切り飛翔する。

　翼をはためかせ首を振るい、優雅に舞うような姿をみせた。

　見る者にあらたな力をさずけるように。

　私は右腕で前方をさすと、力強く宣言する。

「飛行艇ダマスカスにグランデリア国旗と、我が聖堂騎士団の旗をかかげよ。

　皆の者よろこべ、我々は竜の祝福を得たのだ。

　正義の証たる白銀の竜の加護が我が国家、我が教会、そして、この大地に永劫にあらんことを

　レグナ・ゲーテン・グランデリア！　

（：偉大なるグランデリア王国に繁栄を）」

　隣には感極まるセリーナ・レイノアの姿がある。

「マシロ様に歓呼三声」

　甲板に立つトロティ秘書官は手のひらを高くかかげる。彼の先導で、飛行艇は聖堂騎士団員の歓声に包まれてゆく。

　□

　興奮と歓声につつまれた中で、作り上げた表情を崩さない。

　しかし、心の中で悪魔の笑みを浮かべる。

　皆が見た白銀の竜、それは私が禁忌の魔術と魔導具を用いて生み出した幻術だ。

　さすがに私一人の魔力で幻術を生み出すのは至難の業であった。それでも、魔導具の組み合わせを用い入念な準備のすえ、事は首尾よく運んだ。

　――――　そう、あの積乱雲の嵐さえも

　私が超越的魔術師に依頼し、巻き起こしたもの……

　すべては、私のカリスマ性を高めるための演出にすぎない。

　□

「マ、マシロ様、見事な演説でした」

　聖堂騎士団員の興奮をおさめ持ち場に戻らせたトロティが戻って来る。

　セリーナ・レイノアは私の傍らから離れずにいた。

「トロティ、よい働きであった。しばらく休むがいい」

「はっ、マシロ様もご無理をなさらぬよう」

　トロティは一礼し、船室へおりてゆく。

「セリーナ、お前もよく試練を耐えた。体が冷えたであろう、体を拭き着替えをすませてくるがいい」

「わ、私はかまいません。司祭長の傍におります」

　私はちいさく息を吐くと、彼女の首筋を四指の腹で触れる。

「ならば、共に着替えようか、先に私の部屋で待つが良い」

　頬を赤らめセリーナは頷く。

　普段は実に頼りないものの、ここ一番では私の心を読むかのごとき機転をみせる秘書官トロティ・ホークウインド。

　戦場では鬼神の働きをみせ、副官としての指揮能力はもうしぶんない。それでも私から見ると、自身の弱さを克服しえないでいる小娘セリーナ・レイノア。

　――――　ふと、ミハエルの率る王国第二騎士団を思い浮かべる。

『大陸一の剣の使い手』ミハエルに率いられた一枚岩の実戦的戦闘集団。

　あのような集団を率いることが出来たら。

　――――　ミハエルは無事カフカに着いただろうか？　まさか、ベイガンの仕掛けに命を落とすようなヤワな男ではあるまい。

　少しうつむき甲板を眺めると、竜の消えた青い空を見上げた。

「アリシア＝ノヴァ！」

　セリーナ・レイノアの待つ部屋にゆく前に、操舵輪を握り続けるアリシア＝ノヴァに声をかける。

　彼女は、ポケットが沢山ついたつなぎ服のうえに茶色い防寒のジャケットを羽織っている。

　赤茶髪のポニーテールには風防ゴーグルが依然として上がっており、青く好奇心に富む目をしている。

　彼女は私が見い出し、金で雇った飛空艇技師である。

　若干十六歳という若さで、小さな造船会社の社長でもある。

　親から譲り受けた町工場という恵まれない設備環境の中で、この飛空艇ダマスカスを分解製造し、王都グランデリアに設けた造船施設で組み上げ完成させた。

　魔術そのものは使えないものの魔力魔術と科学技術の双方に深い知識を持っており、『ただ船を浮かべるに等しい』ものだった飛空艇製造技術を一気に押し進めた天才だ。

「よい操縦であった。これで貴様の操船の腕は認めざるを得んようだな」

　しかし、アリシア＝ノヴァは賛辞を得たにも表情を尖らせる。

「わたしを、試したんですか？」

　予想に反する答えが返って来る。飴玉を含んだような声だが胸中には隠しきれない怒気をはらんでいる。

　「殿下……マシロ殿下。わたしはね、亡くなったエンジニアの父と、それこそ物心つく前から空を飛んでいたんですよ。

　風は友達で、空は庭みたいなものなの」

　そういうと前を向き、操縦を続ける。

　彼女の背中にあるのは、あからさまな拒絶の気配だった。

「貴様、何を言いたい？」

　アリシア＝ノヴァは、はるか前方を見据え背を向けたままで答えた。

「あなたに利用された……と。大空が怒っているんです。これ以上出過ぎたことはなさらぬほうが良いかと」

　その言葉で、私は全てを理解した。

　――――　この娘、全てを見抜いていたか

　背筋に冷たいものが走ったが、平静を装う。

　かと言って……

　今、操舵輪を握っている彼女の首を刎ねるわけにはいかない。

「貴様には関係のないことだ、小娘が……。命が惜しかったらよけいな詮索はするな。金の分だけの働いておけばよい」

　わずかに高揚した気分も一気に冷めると、氷雪が沁み濡れこんだ肌着の不快感を強く感じてしまう。

（さて、あちらの小娘にも餌を与えておかねばな）

　面倒な足どりで、セリーナ・レイノアの待つ私室へと向かった。