3 超越的魔術師・ヒクセルキルプス
深い闇の中。
ここがどこかは分からない。
物理的な力も、魔術的なものも寄せ付けない。
幾重にも張り巡らせた結界の中であることだけは確かだ。
□
「その規模の『積乱雲を発生させる』それ自体は容易い。ただなあ、時刻と座標軸の指定があると高くつくぜ」
男の声は低く苦い。
男の冷徹な目は鋭くもあり、しかし灰色の淀んだ雰囲気も湛えている。
「我が聖堂騎士団……所有のクリスタル光跡を魔力探査すれば、貴男には容易であるかと思われますが」
女の声は澄んでいる。
女は一途なまでの鋭さをもった目で睨み返す。
男と違い、この女の目はどこまでも直情的なように思える。
―――― 魔術による積乱雲の発生は容易い
そう言った男は【ヒクセルキルプス】
長く伸びた白髪は首の後ろで束ねられてある。
白髪とはいえその年齢は不詳であり、老練さも幼い者がもつ無邪気な狂気もあわせ含めた存在感を放っている。
その力強い体躯を黒に近い紫色のローブが覆う。そこには複雑な魔術の符号が刺繍されている。
痩せ身であるが肩幅も広く、両腕の筋肉は鍛え上げられていた。
―――― 我が聖堂騎士団……所有の
そう答えた女は【マシロ・レグナード】
グランディア王国教会組織の司祭長であり、帯刀を許された組織『聖堂騎士団』の指揮官でもある。
エルフを超越するがごとき美貌を持っており、白銀の長髪は背中まで美しいラインを描いている。
白を基調とした司祭長の法衣には、青い刺繍が豪奢にほどこされ彼女の身体の美しさを幾重にも増し引き立てている。
「まあ、嬢ちゃんが言うように、クリスタルの光跡を逆探査すれば、俺には可能だろうよ。ただ、わかっちゃいると思うが『俺だから可能で、容易い』んだぜ」
圧倒をするような男の自信だった。いや、そのような意志は無いのかもしれないが彼の体から発せられるものの圧は桁が違っている。
「わ、わかっているわ」
マシロはヒクセルキルプスの放つ魔力に押されるも、悟られぬように平静を装う。
「で、報酬は? 俺は忙しい上に頭が悪いし気も短い、腹も減ってる。早くしろよ」
がさつで横柄な態度はマシロの表情をわずかに歪ませる。
「これで、いかがかと」
マシロは懐から呪符にくるまれた拳大の宝石を取り出す。
差し出された呪符のすきまから、その宝石は朱赤の鈍い輝きを放っている。
「ほう、高くかってくれてんじゃんか嬢ちゃん、俺んこと。かっはっはっはっ」
ヒクセルキルプスは上機嫌そうな態度とは裏腹にマシロとの距離をつめると、彼女の顎を片手で掴む。
「いただいとくぜ」
もう一方の手で宝石を彼女の手から奪う。そのまま放り投げると、宝石は空中で虚空へと消えてゆく。
「なあ、嬢ちゃん。俺は依頼者のやることにゃあ口をはさまねえ、報酬さえくれればそれでいいのよ」
ヒクセルキルプスの表情はマシロを見下したものとなり、柔らかな顎を掴む力が強くなる。
「報酬さえくれればな……だが調子に乗んなよ、やりすぎはいけねえぞ」
さらに力を加えられたマシロの口は半開きとなり唾液が糸を引く。甘く開いた唇は喘ぎに似た声を漏らすと、艶やかな光を反射した。
光の線で描かれた魔法陣に覆われた闇の空間。そこに赤く淫靡な気配が満ちると、ヒクセルキルプスの口が吸い寄せられていく。
しかし、彼の動きは止まる。マシロの湿り気を帯びた唇との距離を紙一重を隔てて。
この状況においてマシロは視線のみを下に落すが、微塵にも表情を変えていない。
「かっ~傑作じゃねえか、あの一瞬で『篭絡』の魔術をかけてくるとはな、いやあ、嬢ちゃんも使えるようになってきたねぇ、こりゃマジで危なかったぜ、かっはっはっ」
現在の紙一枚の距離を保ち、ヒクセルキルプスは大笑していた。
マシロは宝石を手渡す僅かな時間を用い、ヒクセルキルプスに魔術をかけるべく試みていた。
『篭絡』……相手の色欲を引きずり出し、精神を支配する魔術だ。
通常、教会組織に属する者にとって魔術は禁忌の対象であり、それを口に出す事すらはばかられる。
そのなかの司祭長の地位にあるマシロであるが、彼女は極秘裏に魔術の研究を重ねてきた。
あろうことかヒクセルキルプスに多額の謝礼を払い、弟子として師事し魔術を習得してきたのだ。
今でも魔導技術庁の実力者たちに賄賂を渡し、最新鋭の技術や知識をわが身に吸収している。
さらに、マシロは自身の女の色香までも手練手管として利用する。
それは教会組織の構成員としては絶対にあり得ぬ組織への、いや神の聖名に対する冒涜行為である。
しかしだ。
魔術に手を染め、自らの女を武器に取引をしようと
マシロのもつ神秘的な能力は、何ら損なわれることはなかった。
「貴男こそ、私の魔術にかかったフリをされるとは……すこし悔しいですね」
マシロはその目を開いたままで、ヒクセルキルプスの唇を強く吸った。
「くちづけは追加報酬ってわけか。嬢ちゃんが……娼婦みたいな真似をするんじゃねえよ」
「出過ぎたことをいたしましたわ」
唇を手の甲で何度もぬぐうヒクセルキルプスに対し、マシロはいっさい唇をぬぐわない。
もとより温度のない空間であるが、この空間でマシロには一切の湿り気も熱もなかった。
「ところで」
マシロはその美しい銀髪をかき上げると、何事も無かったのように言葉をつなぐ
「預けた配下ですが、どうですか?」
彼女は魔導技術庁から引き抜いた女をヒクセルキルプスに預けていたのだ。
「ああ、あれか? 蛇人族の生き残りの女の子……名前は」
ヒクセルキルプスは目を見開く。彼は女の子と称したが、実際の所は妙齢の女性であった。
「【ベイガン】です……ベイガン・レ・ゼントォアルレ」
「嬢ちゃんほどじゃねえが、良い筋してやがんぜ。持っている魔力量は並みじゃねえ。いい副官になるんじゃねえか? 『裏の』副官にな、かっはっはっは」
「それは、良かったです」
口元をわざとらしく隠しマシロもとりつくろうように、目元でのみ笑った。
「金はたんまりもらっているんだ。使える黒魔術師にきたえてやるさ。
魔物の操作から、遠隔操作での魔術攻撃くらいは出来るようにしている。
たしかに魔導技術庁に置いておくには惜しい逸材だな」
いつになく喋るヒクセルキルプスは無邪気な笑みをうかべる。対照的に、マシロの表情は冷徹なものへと戻っている。
冷徹とはいえ無表情ではない。
心の動きを悟られぬようにしているだけだ。
時間と空間を魔法陣によって隔てた空間。
白き司祭長の法衣をまとった女。
透きとおるような肌に超越的な美しさのある顔、それがそこにあるだけだった。
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