第16話 獅子の孤独と愛しさ

 大事に抱えていた箱をリトが手渡すと、ロヴェは本当に嬉しそうに瞳を輝かせた。

 訳を聞けば、私的に誕生日の贈りものをもらった経験がないのだという。


 国の大切な後継者として、国王として多くのものを貢がれてきても、その中に真心が込められた品はどれほどあったのだろうか。

 貴族の世界や王族をあまりまだ理解していないリトだが、ロヴェの環境はやはり特殊なのではと思わずにいられない。


「そんな悲しそうな顔はしないでくれ。そういえば幼い頃、ベルイがこっそりと本を贈ってくれたな。表向きの名目は勉強に使う資料だったが、いま思えばそうではなかったのかもしれない」


「ロヴェに個人的な贈りものをしてはいけないんですか?」


「禁止されているわけではないのだが、恐れ多い真似をするなと咎められるようだ。良くも悪くも獅子という姿は獣人の中で神聖視されやすくてな」


「始祖さまと同じだから、ですね」


 授業で王家について話を聞いた。

 ロザハールでは通常は長子が二十歳を迎えると王太子に任命され、そののち王位を継ぐのが習わしなのだけれど、ロヴェは五番目の子だ。


 獅子の姿で生まれてきた彼は、生まれた瞬間に王位継承順位が繰り上がり、王太子となった。

 獣種が獅子であると言うだけで、王となるのは決定事項。ゆえに二十歳を迎えるのと同時に前王から譲位されたのだ。


 ロザハールでは大陸に広がる宗教と同様に、始祖を神としても崇めている。

 人語を操る獅子というだけでも特別で、獣人という存在を多く誕生させたのも彼なので余計だろう。


 始祖ロザハールが始まりの村に呼び寄せた、青年たちと番った者は皆、獣人を誕生させた。

 そうして小さな村が町となり、領土を開拓する頃には、獣人族はスキルを駆使して近隣を掌握したのである。


 獅子はこの国にとって象徴でもあり、成人前のロヴェが執拗に命を狙われたのもそれゆえだった。

 神の現し身を葬ることができれば、人族は神にも優るとでも思っていたのだろう。


「周囲、身内を含めベルイだけが、まだマシな対応をしてくれるな」


「宰相さまとは昔から親しいんですか? 同じ王族のようですけど」


「ああ、従兄弟なんだ。彼の父親はかつて王弟だったが、侯爵家に婿入りしたんだ。番の家を護りたいからと。ベルイは三つほど上だが歳が近いから、物心つく頃からの付き合いだ」


「なるほど。立場だけでなく、ロヴェにとても心を砕いているなって思っていたので」


「あの男は一部性格に難はあるが良いやつだ。それよりも箱を開けさせてくれないのか?」


「すみません。立ちっぱなしで」


 うっかり入り口で立ち止まった状態であると気づき、リトはパッと後ろへ飛び退いた。

 ちらりと背後に視線を向けると、扉はすでにしっかり閉じられていて、室内にいるのが二人だけでほっとする。


「あまり時間はないが、リトからの贈りものはゆっくりと手に取って見たい。こちらへおいで」


 離れた分、手を差し出し引き寄せてくれるロヴェの仕草に、リトの頬がほんのり赤く染まる。

 誘われるまま、部屋の片隅に置かれた応接用ではないソファに並んで腰を下ろせば、隣のロヴェはじっとリトを見つめて愛おしそうに瞳を和らげた。


「ロ、ロヴェ、僕を見ていないでそっちを」


「そうだな」


 初めて一緒に食事をした日から、椅子に座る並びが変わった。

 これまでは温室で向かい合わせだったのに、翌日からは二人掛けのソファとテーブルのセットに変わっていたのだ。


 食事の際はさすがに向かい合うものの、食後のお茶も必ず隣り合う。

 急に接近し出したロヴェの対応が嬉しいリトだけれど、まだ高鳴る胸の対応が追いついていない。いまも化粧箱にかけたリボンを解く横顔に、心音が速まるばかりだった。


「これは、魔力石か。俺のために作ってくれたんだな。とても綺麗な色だ」


「水晶で見ると結構綺麗に見えます」


 小さな箱に並ぶ石は周りが言うにはペパーミント色。リト的にはくすんだペパーミントで草色だと思っている。

 水晶の煌めきでつやつやしており、それなりに美しく見えるのが幸いだ。


「リトは自分の髪色が好きではないようだな。君がひどく嘆いていたとベルイに聞いた。この色は優しく爽やかなハーブの色みたいで、俺はとても好きだ。見ているだけで心が落ち着く」


「そう、なんですね」


 指先でリトの髪に触れたロヴェは、愛でるように撫で梳きながら、髪をつまみ時折指先でもてあそぶ。

 お世辞ではなく、本当に好ましく思っているとなぜだか感じたリトは、ふっと視線を上げた途端にその理由に気づいた。


 ロヴェのオレンジブラウンに混ざる異色なペパーミント。ずっと彼はこの色を鏡などで目にしてきたのだろう。

 番の色が表れている限り、己の伴侶は世界のどこかにいるのだと、失っていないと安心感を得ていたのかもしれない。


 番紋はお互いに同じ場所にあるので、鏡で背中を映さなければ自分で確認が難しい。

 一番ロヴェの目に留まる番の証しはリトの色だったのだ。


「これを加工しても良いだろうか?」


「もちろんです! 本当はそこまでできたら良かったんですけど」


「構わない。どんな形にしようか楽しみもある。リト、君へ贈る石は耳飾りと首飾りどちらが良い?」


「新しく作ってくれるって言っていた装飾品ですね。うーん、あっ! 耳飾りがいいです。できたらいま流行の、耳たぶに通してつける形で。落としたりなくしたりしにくそうだから」


「では出来上がるまでに準備が必要だな。あとで侍女に頼んでおこう」


「ありがとうございます! 楽しみです」


 喜ばせるつもりが自分のほうが何倍も嬉しくなってしまい、恥ずかしさを覚えてリトは緩む顔を笑って誤魔化した。

 きっと不細工ではと想像できるのに、そんな自分の笑顔にロヴェも穏やかに微笑んでくれて、心の底が温かくて――熱くてたまらなくなる。


「リト」


「はい、なんですか?」


「口づけても良いだろうか」


「……っ、はっ、はい」


 普段通りに額や頬ならば、こんな問いかけはしてこない。となればロヴェが望んでいる場所はいままで触れていない部分だ。

 無意識なのだろうけれど、黄金色の瞳には懇願の色が浮かんでいて拒めるはずがない。


 だがすぐさまリトは心で言葉を言い換える。


(拒みたくない。もっとロヴェに触れたいし、触れて欲しい)


 震えた返事にロヴェが少しだけ困った顔をしたので、勘違いをされないようにリトから手を伸ばした。

 ぎゅっと袖を掴めば、驚きを見せたあと彼はやんわりと目を細め、喜びをあらわにする。


 化粧箱を丁寧にテーブルに置いたのち、手のひらで何度もリトの髪を撫でる様子は存在を確かめているみたいにも見えた。リトは上から自分の手を重ね、ロヴェの手を頬に引き寄せる。


「この子猫は本当に愛らしいな」


 熱を持つ頬を優しく撫でた手は輪郭を辿り、最後にリトの細い顎を恭しく持ち上げる。

 ゆっくりとロヴェが近づき始めたのを感じて、リトは自然と目を閉じ、初めての感触と熱を受け入れた。


 自分より薄いけれど、柔らかい唇は触れ合うほど心地良さが増す。

 何度も口先をついばまれると、もっと深くロヴェが欲しくなってしまい、リトは意図せず掴んでいた袖をさらに強く握っていた。


「そのように良さげな顔をするな。行事など忘れてしまいたくなるではないか」


「ご、ごめんなさい! 初めての口づけが、あんまりに気持ち良くて、僕……」


「リト、君は俺の忍耐を試しているのか?」


「滅相もありません!」


 感情がするっと口に直結していた状況に気づき、リトは恥ずかしさが極まり、地中深く埋もれたくなった。

 両手で顔を覆い、体を縮こめて完熟してしまった頬を隠すが、おかしそうに笑ったロヴェが、リトの頭を抱き寄せて髪に口づけを降らしてくる。


 おかげで頬の熱が上昇するばかりだ。


「可愛い俺のリト。贈りものをありがとう。俺は今日という日をずっと忘れないだろう」


「こ、光栄です」


(俺の、俺のって言った! ロヴェが僕のことを俺のって!)


 辛うじて返事ができたけれど、リトの頭の中は大混乱の真っ最中で、感情がまた口から飛び出しそうな気分だった。

 嬉しさがすぎていつ叫び出してしまうかわからない。この気持ちを伝えるべくリトは腕を伸ばしてぎゅっとロヴェを抱きしめる。


「ロヴェ、僕は貴方が大好きです。ロヴェインという人が大好きなんです」


 自身の胸にあるのはただの独占欲ではなかった。

 孤独に慣れて我慢ばかりの傷ついた獅子が、同情だけではない想いでリトは愛おしくて仕方がない。いま心にあるのは、ただただ彼を幸せにしてあげたいという溢れんばかりの気持ち。


 たとえロヴェの感情が自分に追いついていなくとも、まっすぐと自分に向き合ってくれる唯一の人を大切にしたいと思える。

 これが一般的な恋や愛か、リトは答えを知らない。


 だとしても人を愛するのに、普通という枠組みは存在しないはずだ。


「ロヴェ、僕の愛しい獅子さま。貴方を笑顔にできるなら、僕はなんだってします」


 リトの目標に一つ項目が増える。

 ロヴェイン・ディル・ロザハールを世界で一番幸せな王様にすることだ。

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