第15話 初めて知った悪意

 魔力石作りに没頭しているあいだに、ロヴェの誕生日はやって来た。

 前の晩に最後の一つが完成し、結局リトは五つとも魔力石にしてしまったのだ。


 最初の三個は不慣れで魔力のこもり具合にムラがあるものの、残り二つはミリィもダイトも手放しで褒めてくれた。

 二人は主人に対し言葉を選びはしても、嘘だけは絶対に口にしないため信用ができる。


「陛下は午後、びっしりと予定が詰まっていますから、いまのうちに渡しに行きましょう」


 完成度の高い二つだけを丁寧に化粧箱に収め、大事に抱えたリトは扉を開いて待っていたダイトのあとへ続き、部屋を出た。

 普段であれば外出の際に必ずミリィも同行するところなのだが、これから向かう執務室には専任のメイドか、侍従しか入れないよう制限されている。


 重要な書類などがあるので適切な処置であり、執務室に入らず応接室などで対応してもらえば側仕えの帯同が可能だ。

 ダイトの本来の身分は従者ではなく白の騎士なので、問題なく執務室に出入りができる。白なら彼以外の騎士であっても問題ない。


「ロヴェは相変わらず朝が早いんですね」


 現在時刻は朝の八刻を過ぎたばかりで、王宮内もそろそろ官吏たちが出仕してくる頃だ。

 だというのにロヴェはすでに執務中らしく、今日はこれより遅くなるとゆっくり話せないだろうと、昨夜ダイトから助言を受けた。


「いえ、最近はリト殿の言いつけを守って、わりと緩やかな予定をこなされています。今日はさすがに当日ですので、色々と処理や準備が多いのでしょう」


「そうですか。早くもう少しのんびりできるといいのに」


「この忙しさのあとにあるご褒美、約束した遠乗りを楽しみに励んでいるようです」


「僕もとても楽しみです。それにしても王宮内部はいまだに覚えきらないですね」


 王族の居住区である獅子の宮殿――特別な庭園を挟んだ先にある離宮――から王宮までは専用通路があって、移動が思いのほか楽なのだが。

 いま向かっている国王陛下の執務室は王宮の二階なのは明確であるものの、そもそも王宮自体が非常に広い。


「廊下が全部同じように見えてしまって、部屋もどこがどこだかさっぱり。一人だったら一瞬で迷子になりそうです」


 いまは後ろからダイトが道案内してくれているおかげで、それらしく歩けている。しかしはぐれたら間違いなくオロオロ、キョロキョロして途方に暮れる自分が想像できた。

 リトは方向音痴ではないとはいえ、現在地を認識できなければ道を覚えるのは難しい。


「いずれお伝えしようと思っていましたが、王宮内を歩くときに注視する目印があるのです。部屋に戻りましたらお教えします」


「はい! ぜひお願いします」


(なるほど、目印か。城に従事する人たちは役職とかで必要な目印も違うんだろうなぁ)


 しばらく歩くとようやく国王専用区間にたどり着き、執務室へ続く廊下の手前で見張りの騎士たちと挨拶を交わしてから、そわそわとした気持ちでリトは先へ進んだ。


 前の日に先触れを出しておいたので、朝にリトが訪れることをロヴェは知っているはず。


 彼の仕事場に足を踏み入れるのが初めてな上に、その場で贈りものをする。

 少しでも気に入ってもらえたらいい、そんな思いでいっぱいだった。


「リト殿、申し訳ありませんがこちらへ」


「え?」


 執務室まであとわずかという場所まで来て、急にダイトがリトを引き寄せたまま近くの部屋に身を滑り込ませた。

 なぜ隠れる必要があるのだろうか、と疑問が浮かんだが、すぐに人の声が聞こえてきてリトは口を閉ざす。


 おそらく執務室から出てきた臣下たちだろう。

 二人ほどいるのか、周囲にひと気がないのをいいことに、わりと大きな声で会話をしている。


「獣のくせに偉そうに。神の子孫だと言うが結局は獣畜生ではないか」


「本当に最近現れた番としか婚姻を結ばないつもりでしょうかね。ヘリューンに続いてほかの国の王女も娶らせる計画を進める予定だったのに」


「まったく、王族だからと勝手なものだ。……まあでもその番は平民だというじゃないか。婚約もまだだし、上手いことこちらへ取り込めば妃の一人や二人」


 そこで二人の言葉は止まった。

 リトたちが来た方向から別の人がやって来たようで、相手を確認したのか何事もないそぶりで彼らは立ち去っていく。


 執務室前の廊下に絨毯が敷かれない理由を、なんとなくリトは理解した。

 足音を消さないためもあるけれど、石造りの廊下は声がとても響く。彼らは部屋を出たのだから聞かれていないと思っているだろうが、普段から執務室に少なからず雑音が届いている。


 だからこそ、このタイミングが成立するのだ。


「災難でしたね。もう心配はありませんので出てきてください」


 新たに現れた人物はリトたちのいる部屋の前でぴたりと立ち止まり、声をかけてきた。

 ほんのわずか扉に隙間が空いていたとはいえ、驚くべき洞察力である。


「宰相さま、ありがとうございます」


「いえ、私はただ執務室に向かう途中だっただけです」


「……そういうことにしておきます」


(多分きっと仕事前の休憩をしてたはずだ。だって、彼がいるし)


 ベルイはいつもと変わらぬ鉄壁の仮面。なのだが、彼の背後にちらりと視線を向ければ、目の合った騎士がにっこりと茶色い瞳を細め無邪気な笑みを浮かべた。

 大きな三角の耳にふわふわとした尻尾を持つ、灰色狼の青年も白の騎士団所属で、たまに顔を合わせるのだが。


「ナァディ」


「え? ベーさん、もしかしていま番さまに嫉妬してるの? それとも陛下に休憩を邪魔されて怒ってるの?」


 ニコニコと笑みを振りまく青年――ナディアル・ファルメイ・エディードは、ベルイに棘のある呼びかけをされて目を丸くする。

 ついとベルイが視線をそらせば、ナディアルはゆらゆらと不安げに尻尾を揺らして彼の腕にしがみついた。


 些か情けない印象のあるナディアルこそが、宰相ベルイの噂の伴侶。癖のある灰色に混じった、青銀髪がキラキラと存在を主張している。

 ミリィに聞いた時はまさかと疑り深い気持ちでいたものの、目の当たりにすると言葉で聞く以上に、ベルイの執着心は半端ではなかった。


「ダーさんどうしよう! ベーさんを怒らせちゃった。いまの俺、なにが悪かったと思う?」


「やめろ、私に話を振るな! 二次被害が出る」


 ご機嫌斜めな番の態度に、ナディアルが助けを求める目でダイトを見る。だが即座に彼は言葉を遮り、こちらへ足を向けそうになった灰色狼を手で制した。

 なぜだか彼にひどく懐かれているらしく、ダイトはいつもこの二人と鉢合わせると、ベルイに絶対零度な視線を向けられるらしい。


 ミリィ曰く、笑顔の可愛い番は愛らしいと思っているが、周りに振りまく場面を見ると腹が立って仕方ないのだという。

 肝心のナディアルは仕事以外では、非常にマイペースかつ天然じみているため、いつも無意識に他人に甘え、笑顔を振りまき番の機嫌を損ねているようだ。


 既婚者であるダイトにも牽制するほどなので確かに相当だと、いまではリトも納得した。


「いい迷惑だ」


(うわ、ダイトさん、ほんとに嫌そう)


 珍しく表情を崩して引きつった顔をするダイトを見て、リトは思わず吹き出してしまった。

 先ほど感じた嫌な雰囲気がかき消えて、ようやく肩の力も抜ける。


 話では聞いていた獣人嫌い、獣人否定派の存在を初めて目の当たりにした。

 想像以上に辛辣で、国内ではほんの一部の人族だとはいえ、敵対国では当たり前に交わされている言葉なのではと思えば、胸が引き絞られそうになる。


 現状、ロヴェが怪我をした事件以降、表立った出来事は起きていなかった。獣人統治反対派の人物がいるからと、古くからある家門ごと容易く排除するわけにもいかない。

 彼らの対処は国内でも王宮内でも難しい問題だというのは頷けた。


(今回は僕という存在に焦って、ついこんな場所で態度が出てしまったって感じかな。まあ、でも彼らの計画が宰相さまの監視下でバレていないはずがないし、心配はないだろうけど)


「此度の件はこちらで処理しますので、早く陛下のところへ行ってください。おそらく待ちくたびれています」


「あ、はい。えっと、ご面倒をおかけしました」


 リトへ向けられたベルイの表情は通常通りではあるものの、泣きべそをかきながら腰にしがみつく番の頭を満足げに撫でているので、どうやら機嫌は上昇したようだ。

 とても真面目な会話をしている反面、目にしている光景とのちぐはぐ感が面白い。


 やはりここへ来たのは執務室側からなんらかの指示があったのだろう。

 ベルイとナディアルは来た道を戻っていったので、リトは改めて執務室に足を向けた。


「リト!」


「えっ? ロヴェ?」


 執務室内にある前室からロヴェの部屋へ通された瞬間、目の前に現れた人に抱きしめられてリトは目を見開いた。

 体を抱き寄せられる前に覚えのある香りを感じたので、まったく危機感は覚えなかったものの、突然の抱擁はさすがに驚く。


「ロヴェ、大丈夫でしたよ。なにもありませんでした」


 大きな体で小さな自分を包み込むみたいに、周囲から覆い隠すかのように抱きしめてくるロヴェの気持ちに気づき、リトは寄り添い胸元へ頬をすり寄せた。


「ふふ、ロヴェの匂いは落ち着くな」


 例えるならお日様の香り。たっぷりと日の光を浴びた獅子のたてがみは、こんな優しい匂いがするのではないだろうか。

 もし目の前にあれば、柔らかな毛並みに顔を埋めてしまいたい衝動に駆られるはずだ。


「鉢合わせていないのなら良かった。俺やベルイの前では殊勝にしているが、騎士や従者たちには横暴ではないが時折強く出ると聞いていたんだ。城で働く者は貴族であったり、国に与えられた役職を持っていたりするのでその程度だが、リトにはきつく当たるのではと」


「だからあの方たちがここへ来た時点で、宰相さまを呼んだんですね」


 平民に対して遠慮がない性格を思えば、当然警戒してしかるべきだ。

 迅速なロヴェの対応をありがたく感じる。そもそもいまはリトのために空けた時間だったはずなので、彼らは確実に予定外の来訪に違いない。


 どこまで国王陛下を、ロヴェを馬鹿にするのかとリトは腹立たしく思った。


「それでリト、今日はどうしたんだ?」


「あっ、そうだった。ロヴェ、お誕生日おめでとうございます。僕から贈りものです」


「贈りもの?」


 リトの答えがまったくの予想外だったと、よくわかる表情。

 いつもは沈着さを見せる黄金色の瞳が、まん丸くなって驚きをあらわする。滅多に見られないだろう、ロヴェの可愛らしい反応がリトは嬉しくて、思わず声を上げて笑ってしまった。

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