第24話 るびすやに集まれ

 ヤスノリの部屋を出ると、一階の居間の電話口に向かって、四人の少年たちは階段をどだどたと下りて行った。

 どういうことなんだよ、これ。

 ヤスノリは、まだラジオにゾッピが生出演したということが信じられずにいた。

「ああ、これこれ」

 失くさないように電話帳の最初のページにはさんでおいたプリントをミツアキに見せる。

「取りあえずは、るびすやの先生の所に全員集合と行くか」

 ミツアキの言葉にヤスノリはうなずいた。

「このネットワークは何かあった時、まず、お前から僕のところに電話があることに

なっているけど、要するに、僕がダスマとハナ、おっと、ハナはもういないからカーチーか。

カーチーに電話すればクラス全員に伝わる、ってことだ。じゃあ、まずは男子からだな。ダスマからか」

 

 水床島では休日は、子供は家の手伝いをするのは当たり前で、お使いや電話番などが、どこの家でも当然のように行われていた。電話番、といっても、掛かってくる相手は大人からのもので、子供同士の会話で電話を使うことはためにならない、と、どこの家でも禁じていた。学校からの緊急時のメッセージの伝達以外は……。つまりは、用があるなら、電話じゃなくて、直接相手に会いに行って話しなさい、ということだった。

 それが今、子供同士、こうしてリレー形式で、伝言が伝えられようとしている。

 どれだけ非常事態なんだよ。

 ヤスノリは今でも現役の黒電話のダイヤルを回した。

 本人が出るかな。

 そう思っていると、電話にはダスマ本人が出た。

「もしもし」

「おう、ダスマ」

「なんだ、ヤスか」

「お前、今、ラジオ聞いてた?」

「いや」

「あの、『全国子供質問室』に、さっき、ゾッピが出てたんだぜ」

「嘘だろ!」

 受話器から漏れたダスマの声は、ミツアキやヒロシ、それにマサルにまで聞こえていたようで、三人ともダスマのあきれたような感じの声に吹き出しそうになっていたが、やっぱり、誰だってこんなことを聞いたら、唖然となるよな、といった思いからだった。

「しかも河上先生の名前を使って」

「何だってぇっ!」

 ダスマの声の音程が跳ね上がる。言葉の語尾は調子外れな感じで、まるで塀に飛び上がろうとした猫がジャンプに失敗して、飛び上がった先の塀の上から落ちかかろうとしたような感じのふらつき感が、事の驚天動地さを物語っていた。

「それって犯罪じゃないのか?」

「まあ、人の名を語ったんだからな……。だからさ、ほら、去年の一学期の終業式に、先生が緊急時の電話連絡ネットワーク表をくれただろ? 夏休み中に何かあった時のために、って……。お前、あれ、今でもまだ捨てずに持ってるか?」

「ああ、あるぜ」

「あのネットワーク使って男子全員にこの事件を伝えようぜ。それで、皆で、るびすやの先生の所へ行くんだ。この緊急事態を知らせにさ」

「ああ、そうだな」

 ダスマの共感した声は受話器から漏れて宙に消えてゆく。

「じゃあ、お前、次の相手のクマの所へ電話してくれるか? るびすやに集まれ、って。僕は女子にも連絡するからさ。これからカーチーの所へ掛ける」

「ああ、そうしてくれ。じゃあな」

 ガチャリ、と音がして電話は切れた。

 ヤスノリは、ちらりとミツアキたちを見ると、さあ、次はカーチーか、と少しこわばった指でダイヤルを回した。女の子の家に電話するのは、これが初めてのことだったからだ。

 ひょっとしてお母さんが出るかな……。男の子からの電話だなんて、母親が出たら、後であれこれ聞かれてしまうかもしれないな、カーチーのやつ……。

「はい、もしもし」

 運のいいことに本人の声がした。

「あっ、カーチー?」

 ヤスノリは自分の声が緊張した響きになっていないように、気持ちを落ち着かせながら言った。

「ああ、ヤスノリ君」

 少し緊張した声になっていたのはカーチーの方だった。小学校を卒業したばかりだし、男の子からの電話だったので、何の用? コクるつもり? と言いたげなのは雰囲気でわかった。

「あのさ、さっきのラジオ、聞いてた?」

「ああ、そのこと? ええ、聞いてたわ。ゾッピが出てたやつでしょ?」

 カーチーの声が、なあんだ、と言わんばかりに、急に安心感を取り戻す。

 カーチーのやつ、やっぱり僕がコクると勘違いしてたんだ……。

 そう思いながら、ヤスノリは言葉を続ける。

「それそれ。それでさ、あいつ、事もあろうに河上先生の名前で出てたんだぜ」

「ええ、そうだったわね。何よ、あれ。あんなの、あり?」

「ダメに決まってるじゃないか。それでさ、ほら、去年、夏休みに入る前に、緊急時の連絡ネットワークを学校でもらっただろ?」

「ええ。今でもちゃんとここにあるわ」

「よかった。じゃあ、カーチーは、それを使って女子に、この事件を報告してもらえないかな? 僕は今、ダスマに連絡したから、これでもう男子全員には伝わるはずだ。こっちはさ、今、この件で河上先生のところへ集まろう、って呼びかけてるんだ。直接、このことを先生に言おうと思ってさ」

「そう、そうね。わかったわ。私は残りの女子に連絡するわ。るびすやに

集まって、って」

「ああ、頼むな」

 ヤスノリは、あのネットワークが、まさかこんな風に活躍するとは、と思いながら受話器を置いた。


 電話が済むと、ヤスノリはミツアキ、それにええい、ついでだ、とヒロシとマサルも一緒に誘って、自転車に跨り、ゑびすやに向かった。

 店の前には、もうすでにゾッピを除く、電話で要件を伝えたすべてのメンバーが

集まっていた。

「おう、ヤスにミツアキ、何だ、お前たちも来たのか」

 ダスマがヤスノリとミツアキ、それに「ついで」に連れて来た二人の弟を見て言った。

「ああ、どういうことなんだよ、これ?」

 つぶやくようにタルケが言う。

「知るか! とにかく先生、呼ぼうぜ」

 クマの言葉に全員がうなずく。 

 昔ながらの木の枠のガラス戸を引くと、ヤスノリたちはゑびすやの中へ入った。ガラス戸を開ける時のきしむ音が来客を知らせるチャイム代わりだ。

 ごめんください、と改まったような調子でヤスノリが言うよりも先に、奥からゑびすやの女主人が出てきた。

「あら、ヤスノリ君。何だ、それに他の皆も……。一体どうしたの? 水床島小学校旧六年生がそろって……」

「あの、河上先生、いますか?」

「ええ、いるわよ」

 そう言ったゑびすやの女店主が、今度は少し大きめの声で奥に向かって、先生、先生と呼びかけると、やがて階段を下りる足音が聞こえてきた。階段を下り切った足音はこちらへ近づいてくる。

 のれんの向こうに紺のトレーナーをはいた長い足が土間でサンダルに突っ込まれるのが見え、背の高い足音の主がのれんを分けると、なつかしい顔が現れた。

「やあ、皆。どうしたの?」

 河上先生の声が終わらぬうちに、ワックが叫ぶようにして言った。

「どうしたも、こうしたもありません! 先生、ゾッピのやつ、さっき、ラジオの『全国子供質問室』に出てたんですよ、先生の名前を使って……。これって犯罪ですよね」

 ワックは隣にいた、島の駐在の息子、ミツアキにも、ね、そうでしょ、と強く同意を求めるように、顔を見上げるようにして言うと、また先生を見た。

「まあまあ。あのラジオなら僕も、今まで聞いていましたよ。ゾッピ君、なかなか落ち着いて話してましたね」

 先生の言葉にヤスノリは、えっ、と叫びそうになったが、同時に他の皆も、同じように叫び声を上げそうになっていたのは雰囲気でわかった。

「ゾッピ君、下りてきて」

 先生が奥に向かって見上げるようにして言うと、やがて階段を下りてくる足音が聞こえた。面白いもので、足音というものは似ているようで、人によってすべて異なる。ちょうど指紋のように。

 ためらう気持ちもあったのだろうか、呼ばれて下りてくる足音は、さっきの河上先生の足音よりも、ゆっくりとした小さい足音だった。

 階段を下り切ると足音は、今度は土間でそれまでは気付かなかった小さな靴に履き替えるのが見えた。

 間もなく、頭がのれんに触れることもなく、クラスで一番小柄なゾッピが現れた。

「何でお前がここにいるんだよ!」

 クマが叫ぶ。

「それは家にいたら多分、皆が押し掛けてくると思って、ここに避難して来たんですよ」

 笑いながら先生が代わりに答えた。

「実を言うとね、この前、彼が小学校卒業の思い出に、ラジオの『全国子供質問室』に出たい、って、相談に来て、それで、する質問が思いつかないから、僕に考えてくれ、って言ったんです。いつもだったら、それくらい、自分で考えて、って突き放すところなんだけど、今回は卒業の思い出づくりだから、まあ、いいかな、と思って、さっき君たちがラジオで聞いた通りの質問内容を思いついて提供したんです」

「なーんだ」

 ヤスノリも含め、(ゾッピ以外の)水床島小学校の卒業生一同の声が漏れた。

「そうよね。あたし、変だと思ったわ。だってゾッピにしては、あの質問、レベルが

高いんだもん」

 ワックの言葉に、ゾッピが、なんだよ、と目を剥く。

「でも、ラジオに出た時、先生の名前を使った、っていうはどうなの?」

 カーチーは少し不満そうに食い下がる。

「それはね、僕がそうして、って言ったから」

「えーっ」

 水床島小学校卒業生一同のあきれた声が沸騰した泡のように沸き上がる。

「当然でしょう。だって、あのアイデアを提供したのは僕なんですから……」 

 その声に、辺りが、一瞬、静まった。

「じゃあ、勝手に先生の名前を語ったんじゃないんだ」

 思わず出たヤスノリの一言に、先生は、そうですよ、とうなずいた。

 ゾッピは、てへへっ、と手を頭の後ろのくぼみ、「盆の窪」に当てる。

 そうか、先生の考えた質問内容をゾッピが代わりに質問した、ということか。だけど、あのラジオで、落ち着きのある、考え深い性分なんだろうね、なんて言われて、わざとらしく返事していた、あれはいったい何なんだよ……。

 急にヤスノリは、ひらめくものがあって、こう言った。

「ゾッピ、どうせだったらさ、来月の一日に出ればよかったんだよ、あの番組」

 ヤスノリの一言にゾッピが、なんで? と聞く。

「エイプリルフールさ。そしたら、ラジオの先生にほめられてた『君は考え深い性分なんでしょうね』というのは、あれは冗談です、って、決められただろ?」

 ヤスノリが、ほら、去年の運動会の時のお返しだ、と続けると、ゾッピは、一本取られたふうに、ああっ、と小さく叫んで目を剥いた。

 少年たちのやりとりを聞いていた河上先生は、この場の空気を変えようとパンパンと手を叩いた。

「まあまあ、喧嘩しないの! せっかく皆がこうしてそろったんだから……。じゃあ、ここで同窓会、といきましょうか」

 皆がこうしてそろった、って、そうは言ってもハナはもういない……。

 ヤスノリがきゅっと唇を結ぶと、先生の声がした。

「そうだ、皆でラムネでも飲もうか。大家さん、ラムネを、ひー、ふー、みー、

よー、……、とお。あと、僕も入れて十一本もらえますか」

 はいはい、と河上先生に答えて、ゑびすやの女主人は、四面が透明の冷蔵温蔵

ショーケースに近づいて行く。ショーケースの上の段は赤で「あったか~い のみもの」、下の段は青で「つめた~い のみもの」と書かれていたが、ゑびすやさんは下の段の「つめた~い のみもの」のドアを開けた。

 あれって、不思議だよな……。いったいどういうしくみで、あんなふうに上下別々に温めたり冷やしたりできるんだろう……。

 ヤスノリの目の前で、ゑびすやさんは中にあったラムネのびんを全部トレーに載せたが、数はどうみても十一本よりも少なかった。

「足りない分は、今、奥の冷蔵庫から出すわ」

 と言って、パタンとショーケースの戸を閉めると、今度は奥にある大きな業務用冷蔵庫に向かい、金属製のドアを開けた。

「はい。ひー、ふー、みー、よー、……、とお、十一。全部で十一本」

 まとめたラムネをトレーに載せて持って来ると、ゑびすやさんの周りを皆が取り囲む。

「大家さん、おいくらですか」

 河上先生がズボンのポケットから財布を取り出そうとするのを、「大家さん」は小声で止めた。

「そんなの後でいいわよ。後で」

 せっかく想定外の同窓会に発展したのに、野暮なこと言わないの、と言いたげに、ゑびすやの女店主は軽く叩く真似をして、順番に回していってね、とラムネの玉押しを河上先生に渡した。

 女子は玉押しが回ってくるのを待っていたが、ヤスノリたち男子はもう待ち切れなかった。それぞれ、指を突っ込んでビー玉を下に押し込んでゆく。指を突っ込むたびにラムネの泡が噴水のように噴き出して、うわっ、という声があちこちで漏れて、あふれそうなラムネが下に落ちないよう、皆それぞれ、びんを急いで口に運ぶのだった。

 河上先生は玉押しで開けたラムネのびんを口に当てたが、すぐにビー玉が、ころん、と飲み口をふさいでしまい、仕方なく、斜め上に上げたびんを垂直方向に戻した。

「なんだ、先生、ラムネの飲み方も知らないの?」

 あきれたようにゾッピが言う。

「これっ! 失礼でしょ」

 まるで犬でも叱るみたいに、ゑびすやの女主人は手でゾッピを叩く真似をした。

 ひぃえっ、とゾッピは首をすくめる。

「だって先生って、何だって知ってるのに、なんでラムネの飲み方くらい知らないのかな、って思ってさ……」

 ゾッピの言葉に先生は笑う。

「先生、ほら、ここ。ここさ、ガラスが内側に出っ張ってるだろ?」

 ミツアキは、飲んでいたびんの飲み口のすぐ下の、内側に盛り上がっている二つの出っ張りを指さした。

「このラクダのこぶみたいな二つの出っ張りに、ビー玉を引っ掛けて飲むんだ」

 河上先生は、そうだったのか、と言いたげな驚きの表情になり、ミツアキが言った通りに試してみた。今度はビー玉は出っ張りに引っ掛かって、うまく飲むことができた。先生は満足そうにびんを垂直に戻し、一息ついては、また傾けてビー玉を出っ張りに引っ掛けながらラムネを飲むのだった。

 昔ながらの暮らしが息づいている水床島では、どの家庭でも食事前に甘いものを摂るのは禁じられていた。甘いものを摂ると食事が食べられなくなるというのがその理由で、この島で昔から受け継がれてきた子供のしつけの一環だった。

 だが、今日、その禁は犯された。ラムネを飲んだどの子も、その禁は知っていたが、それでも、もうすぐに迫った昼食を食べる自信くらいはあった。

 ゑびすやに集まった水床島小学校の卒業生らがラムネを飲み干して一息つくと、

カーチーが言った。

「ああ、もうそろそろお昼じゃない。家に帰らなきゃ……」

「そうですね。今日は皆に会えて楽しかった。また、いつでも遊びに来てください」

 先生のこの言葉をもって想定外の同窓会はお開きとなった。


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