伯爵様とエルフリーデのお茶会








「――〈守護の短剣マンゴーシュ〉。それが近年、バナヴィアで暗躍している反ベガニシュ勢力の指揮官のコードネームだ」




 午後の昼下がりだった。

 会合が終わったあと、ミリアムは報告書を書くために自室に引っ込んでいった。

 お屋敷の中での執務が終わったクロガネ・シヴ・シノムラと、彼と机を並べて騎士としてのデスクワーク――と言っても簡単な書類仕事でそう難しくはなかった――を終えたエルフリーデ・イルーシャはおやつの時間に入っていた。

 いわゆるティータイムである。

 時計を見れば時刻は午後四時、おおむね本日の主要な仕事は終わったと考えていい時間帯である。なので少々、長めの休憩時間を取ることにしていた。


 本日のお茶請けは使用人が買い出しに行って仕入れてきたシュークリーム、ヴガレムル伯爵御用達の名店である。

 さくさくの生地にたっぷり詰め込まれたカスタードクリームの濃厚さがたまらない一品だった。もちろん紅茶にもバッチリ合う。

 ヴガレムル伯爵ことクロガネは、酒については控えめにたしなむ程度なのだが、その反面、甘党のようで甘いものについては守備範囲が恐ろしく広い。


 つまり健啖家のエルフリーデも大満足する、美味しいおやつを用意する

 テーブルに向かい合って座り、ティーポットから注がれた熱いお茶と共に、よく冷やされたシュークリームを味わう。

 エルフリーデはご機嫌だったのだけれど――そんな和やかな時間に、いきなり物騒な話題を投げてくるのもまた、クロガネ・シヴ・シノムラという男なのだ。

 左目に戦傷を負っている少女は、目をぱちくりさせたあと、小首をかしげて一言。


「詳しいですね?」


「ヴガレムル伯爵は常備軍こそ小規模だが、諜報網に関しては優秀なつもりだ。〈守護の短剣〉はこれまで西ベガニシュ総督府の直轄地を中心に活動しており、我々に確認できるだけでも一〇〇件以上の反ベガニシュ活動やテロ攻撃への関与が疑われている」


「えっ、ちょっと待って。なんでそんな、ヤバそうな人が野放しになってるんです?」


 エルフリーデはびっくりした。

 ベガニシュ帝国は数々の差別的な政策――その多くはバナヴィア人から様々な権利を取り上げ、重税を課すという単純明快な圧政だ――を実行している連中だ。

 故郷ロシュバレアにいた頃の生活を思い出しても、彼らに対していい印象など一欠片もない。

 だが、それにしたってそんな危険人物を放っておくのは、単純にどうかしていると思った。


「エルフリーデ、バナヴィア独立派は優秀だ。そして総督府が我々――旧バナヴィア王国に領地を持つ貴族に情報を共有することはない。今頃は〈守護の短剣〉の身元を洗うのに血眼ちまなこになっているかもしれんが、我々がそういった捜査情報を知る手段はない」


「でも諜報網が優秀なんですよね?」


「言わぬが花だ」


 どうやらクロガネは総督府内部にも協力者を確保しているらしい。改めてこの黒髪の伯爵、黄金瞳の不死者、クロガネ・シヴ・シノムラの優秀さには舌を巻く。

 大方、外行きの仮面で距離を詰めてから、いつの間にか相手の側に深入りさせているのだろう。

 間違いなく情報管理の観点から見ればバリバリの黒なのだが、エルフリーデはそれを咎める気はまったくなかった。

 ベガニシュ帝国の内部で危うい立場にいるこの伯爵にとって、情報に対する感度は命綱に等しいのだから。

 クロガネは皮肉な笑みを浮かべて、総督府に対する酷評を述べた。


「総督府は隠蔽いんぺい体質が染みついている。ヴガレムル伯領がある、このバナヴィア東部はまだ落ち着いているが、バナヴィア西部はひどいものだ。反乱分子の制圧もできていなければ、人心の慰撫もできていない。強硬的手段も懐柔策もできていない無能者の集まり――そのようにベガニシュ帝国側にすら認識されている」


「…………バナヴィア人としてはすごーく複雑なんですが。そこまでひどいってわかってるなら、普通は改善しませんか? こう、人事異動するとかあるじゃないですか?」


 侵略戦争を仕掛けてきた征服者の側が、戦後統治に失敗しているという笑えない話だ。エルフリーデは政治的関心が薄いノンポリ方だと自覚しているが、これはどっちの立場でもコメントに困る話題だろう。

 親ベガニシュ的な立場からしてみればド直球の罵倒だし、独立派のような反ベガニシュの立場では他人事のような評に腹が立つだろう。

 そういう外行きの仮面抜きで、素のクロガネらしい実直な言葉を重ねているのは――たぶんエルフリーデへの信頼の証なのだ。


「バナヴィアの統治問題は、現在進行形で荒れている事件の真っ只中にある。これを引き継ぎたいものがいないのが一つ、さらに総督府が管轄するバナヴィアの利権問題まで絡んでくる。併合後に皇帝が代替わりした影響で、現在では過激な弾圧は通りづらくなっている。だが、かといってベガニシュ帝国の差別的政策がなくなったわけではない……それはお前も知っての通りだ。つまるところ今さら懐柔策に転換するには遺恨が多すぎる。どっちつかずであるがゆえに、総督府は事なかれ主義に染まっているわけだな」


「それって結局、問題を見て見ぬふりしてるだけじゃないかなあ」


「本国は異なる思想、異なる利害の派閥間の対立が解消されていない。そして総督府の行政に携わる役人とて人間だ。彼らはことさらに邪悪な悪魔ではないが、組織の体質に染まって見て見ぬ振りをする程度の保身は行う。その結果として、無数の凄惨な結果が起きているとしてもな」


 これまた苛烈な評価である。例によってベガニシュ帝国側にとっては耳が痛く、バナヴィア人にとって圧制者の肩を持っていると思われかねない発言だ。

 それをあえて自分に話している意図をわかりかねて、エルフリーデは赤い瞳に疑念の色を浮かべた。


「エルフリーデ、バナヴィア戦争後にこの地の領土はベガニシュ帝国に併合されたが――その行政上の区分は三つある。わかるか?」


 問いかけは単純だった。

 故郷にいた頃は遠くに出かけたことなどなかったが、ヴガレムル伯領に移り住んでからはそこそこ勉強したのである。

 栗毛の少女は得意げな顔で、ティーカップをソーサーにおいて話し始めた。


「伯爵様みたいな貴族の領地、ヴガレムル伯領のお隣にあるようなバナヴィア人の自治区、それで総督府の管轄区でしたっけ?」


「そうだ。そしてこの三つの区分が、そのまま今日の情勢に関係してくる――」


「クロガネ、お話が長くなってきてません?」


「ティータイムは延長する。いや、むしろ今日の仕事は終わりでいい。少し付き合え」


 クロガネがそう言うと、従者のロイ・ファルカ――金髪の青年がにこやかな笑みを浮かべて、新しい茶葉を使ったティーポットを持ってきた。

 熱いお茶が再び、ティーカップに注がれる。

 ありがとう、とお礼を言う。無言で微笑みと会釈だけが返された。ロイはプロの従者なので、こういうとき存在感を出さないことに長けていた。

 エルフリーデは砂糖壺からスプーンで砂糖を入れると、仕方ないなあとため息一つ。

 クロガネはそういう男なのである。誰かにものを教えたり、誰かとものを作りあげたりするのが何よりも楽しい――そういう人柄なので、俄然、興が乗ってくると話も長くなる。


「まず俺のような貴族の領地だが……ベガニシュ帝国に本領がある貴族は、バナヴィアに代官を派遣して統治している。この代官の質によって統治も天と地の差があるわけだな。貴族領は総督府からの注意勧告を受けはするが、基本的に独立した権限を持っている。バナヴィア独立派の拠点があるのは、こういった代官に統治される土地だと考えられる。彼らは見て見ぬふりをしたり、単純に能力不足で統治しきれていなかったりで、反乱分子の存在を見過ごしている」


 人差し指と中指と薬指の三本を立てて、クロガネがぺらぺらと語り始める。

 そしてもちろんエルフリーデは、いきなり突きつけられたぐだぐだの統治の実態に戦慄した。


「……貴族って何がしたいの? ものすごく治安を悪化させてない?」


「お前の経歴では、帝国が強大で無慈悲な圧制者に思えるのも無理はない。しかし実際のところ、帝国は複雑な派閥と利権によって分かたれ、無数の首が別個に動いている多頭竜のようなものだ。頭の一つ一つが恐ろしい怪物だが、別の頭と睨み合いになっていることも珍しくない」


「わたし、てっきりバナヴィア人の自治区に拠点があるのかと思ってたけど」


 普通に考えれば、ベガニシュ帝国に対して思うところがあるのはバナヴィア人だ。諸々の権利の剥奪を逃れ、自治区として存続を許された土地と言えど、侵略者に対して好感情を持っているものは少なかろう。

 そういう風にバナヴィア人であるエルフリーデ自身すら思っていたのだが、クロガネは「それは違うな」と首を横に振った。

 そして三本の指のうち、人差し指を折って二つ目の話題に入った。


「バナヴィア人の自治区は、併合された新領土において最も立場が危うい。ただでさえ帝国へ献上する自治区としての税金がある上、何かしらの不備があれば総督府の管轄に落とされる。密かな協力者や資金源になっているネットワークはあるだろうが、表だって庇うものはいないはずだ」


「なるほど……一見すると優遇されてるようで、それを維持するためのコストがかかってるわけだね」


「そういうことだ。自治区であるがゆえに、住民の危機感も強い。バナヴィア独立派のような武力闘争路線と密接な関係を持つには、立場が弱すぎるとも言える」


 つまりエルフリーデの理解するところでは、貴族領にされた土地は本国の貴族という後ろ盾があるので、いい加減な統治でも粛清を恐れる必要がない。

 そこをバナヴィア独立派のような反乱分子に利用されている。

 逆にバナヴィア人の自治区のように、一見すると拠点を持つのに適しているように見える土地は、政治的な後ろ盾がないのでそういう機微に敏感なのだという。

 ふむふむ、と少女が頷くのを眺めながら、クロガネが二本目の指を折った。


「そして最後に総督府の管理下にある直轄領だが……その実態は、お前の方がよく知っているだろう」


 エルフリーデは無言だった。彼女の育った故郷ロシュバレアもまた、総督府の管理下にある地域であり、その日々の暮らしは不条理に満ちていた。

 幼い頃、自分に優しくしてくれた祖父母は医者にかかることも許されずに亡くなった。

 歴史の教師だった父は、表だっては子供たちに教えられないことが増えていくカリキュラムに苦悩していた。


 彼女と親しくしていた友人の一人は、明らかにベガニシュ人の入植者たちとトラブルになっており、その直後に変死体で発見されたが――警察の捜査はおざなりなものだった。

 思い出すだけで嫌気が差し、怒りが湧いてくるような抑圧が、ベガニシュ帝国の行政官によってもたらされていたのだ。

 こうしてみると確かにバナヴィア人の住まう土地は、多種多様な環境に置かれていた。


 おそらくクロガネ・シヴ・シノムラと彼が率いる企業連合体ミトラス・グループが本拠地を構えるヴガレムル伯領は、奇跡的な存在なのである。

 高い工業力に支えられた豊かな経済力、独自に第三世代試作バレットナイト〈アシュラベール〉のような兵器を開発できる技術力――この一五年間、ろくでもない政治的思惑たっぷりのベガニシュ帝国の中で、これらを育ててきたクロガネはすこぶる優秀だった。

 あと美男子である。

 とても腹が立つことにこの男、顔立ちも優れている。

 これについては口に出してやらないとエルフリーデは決めている。ともあれ、こうしてクロガネの立場の特異性を確認してみると――看過しがたい違和感がある。



「…………今気づいたんですけど。ひょっとしてミリアムは、あなたがバナヴィア独立派と繋がっているのを疑ってるんですか?」



 クロガネが満足そうに頷いた。どうやら少女が自発的にこの事実に気づくことを促していたようである。

 こういう教師面してくるところが、どうにもエルフリーデの反感を買うのだけれど。

 同時に可愛げでもあるので難しいものだ、と少女は思う。


「鋭いな。ああ、彼女と俺の会話は、そういう含みもあってのものだった――デッドコピーについての見立てで、不自然な回答をしていればミリアム嬢は俺への疑いを深めていただろう」


「バレットナイトの部品製造に関わっていて、独自開発もしてるミトラス・グループが協力しているなら、そりゃ〈アイゼンリッター〉の複製ぐらい作れるでしょうけど……」


「言っておくが――俺はミトラス・グループにそのような行為は許可していない。社内にそういった協力者が出ないように見張るのもまた、伯爵家の仕事だ」


 なるほど、とエルフリーデは頷き一つ。クロガネの言葉に疑うべき点はない。この男は自分に対して、こういうことで虚偽を述べてくるタイプではない。

 そういう実直さと誠実さに関して、エルフリーデ・イルーシャは全面的に不死者を信用していた。

 そして彼の管理能力もまた優秀なので、少なくともミトラス・グループが協力していないというのは本当なのだろう。


「一応、聞いておきたいんですが――伯爵の見立てでは、あの独立派の〈アイゼンリッター〉っぽい機体はどういう存在なんですか?」


「そうだな……可能性は大きく分けて三つある」


 クロガネはティーカップの中の赤褐色の液体を眺めたあと、それを口に含んでから頷いた。

 やはり三本の指を立てる伯爵の背後では、ロイがどこからかホワイトボードを取り出してきている。

 この主従、変なところで息がぴったりである。


「まず第一に、あの機体がデッドコピーではない可能性。これが一つめだ」


「えっ、いきなり前提が覆ってません?」


「あれは確かに〈アイゼンリッター〉型そのものだったが、そもそもあのタイプは大陸間戦争で大量に投入された。戦場で撃破された機体も、修理工場に持ち帰られたあと廃棄処分になった機体も多い。ジャンク品の修理品、書類上は廃棄された機体……そういったものがバナヴィア独立派に流れた可能性は大いにある。不良貴族なら小遣い稼ぎにそういった悪徳に手を染めていても不思議はないからな」


「…………うわぁ」


 エルフリーデはげんなりした顔になった。ベガニシュ帝国は案外、いい加減かつ利害対立が激しいというさっきの話の続きなのだ。

 確かにそのパターンならまとまった数、テロリストの手にバレットナイトが渡っている理由も説明がつく。

 いくら何でも雑過ぎるでしょ、と傷ありスカーフェイスの少女が眉をひそめていると、クロガネは黄金色の瞳に茶目っ気を浮かべた。


「とはいえ、これは最も楽観的な推測だ。次の可能性は、独立派が十数年かけて〈アイゼンリッター〉の複製にようやく成功したという可能性だ」


「んっ?」


 それって普通のことでは、とエルフリーデが顔に疑問符を浮かべる。するとクロガネは一本目の指を折りながら、続けてこう語り始めた。


「ベガニシュ帝国との紛争を抱えていた諸外国では、〈アイゼンリッター〉の解析結果から自国産バレットナイトが開発された。しかしこれは、経済力や技術力の差があれど、彼らが国家のバックアップを受けていたからだ。あくまで王国の残党に過ぎない独立派は、解析に時間がかかってしまった……これが二つめのシナリオだ。この場合、彼らに作れるバレットナイトの性能の上限が、〈アイゼンリッター〉のデッドコピーということになる」


「それって十分すごいんじゃない?」


「ああ。だが、同時に〈アイゼンリッター〉の近代化改修アップデートを続け、上位互換機である〈ブリッツリッター〉型も配備している帝国の敵ではない」


 だからこれも二番目に楽観的なシナリオだな、とクロガネは言う。

 段々とエルフリーデにも飲み込めてきた。要するにバナヴィア独立派が有能であればあるほど、事態は深刻になっていくという仕組みらしい。

 そして案の定、伯爵が二本目の指を折って話し始めた三つめのシナリオは質が悪かった。



「そして最後の可能性として――バナヴィア独立派がすでに、可能性。これがデッドコピー騒ぎの中で最も危機的状況と言えるだろう」



 クロガネは本当に危機的と思っているのか疑わしいくらい、面白いと思っていそうな口調でそう告げた。

 流石に神経が図太すぎるので、エルフリーデは半眼でじっとりと男を睨んだ。

 呆れた調子で苦言を呈する。


「クロガネ、すっごい楽しそうですよ今。もうちょっとベガニシュ貴族の立場を考えた方がよくないですか?」


「ふむ? いや、実際問題、我々にとって最も厄介な可能性は最後の事例と言える。バナヴィア王国残党のテロ組織が、短期間で帝国に技術的に追い付いていた場合、最初に疑われるのはミトラス・グループだからな」


「ありえるんですか? ミトラス・グループは技術提供なんかしてない、そうなると独立派がガルテグ連邦やフィルニカ王国並みの技術力を持ってることになるんですが……」


 たぶん技術屋とか科学者とか、そういう視点ではとても面白い事例なのだろう。しかしクロガネはエルフリーデの問いかけに何を思ったのか、顔を引き締めるとこう呟いた。


「……何者かが技術協力をしていた場合は、十分にあり得る事態だ」


「それってどういう……」


「わからん。現時点では言及に値するほどの確証がない」


 口ぶりからして、何らかの断片的な情報は掴んでいるようだった。とはいえ、それをわざわざエルフリーデに話さないということは、本当に真偽が疑わしい段階なのだろう。

 エルフリーデは冷めた紅茶を飲み干すと、ティーカップをソーサーの上に置いて黙り込んだ。

 話題を切り替えることにした。


「ところでクロガネ。わたしやあなたがテロの対象かもしれないって話ですけど――」


「ティアナ・イルーシャの送迎時の警護は強化してある。安心しろ」


「流石です。わたしの最優先事項をよく心得ている」


 心からの賞賛だった。エルフリーデの目は澄み切っており、妹へと注がれる無限の愛情に満ちている。

 クロガネは肩をすくめた。黒髪の伯爵は、その美男子然とした顔立ちに皮肉な笑みを浮かべた。


「俺の知る限り、妹の記念館を作れと圧力をかけてきた人物はお前ぐらいだからな……ああいや、身内びいきの激しい独裁者ならばいたかもしれんが……」


「わたしの反感買わないと死ぬんですか?」


 エルフリーデが半眼で睨み付けると、クロガネは喉を鳴らして笑った。どうやら彼なりのジョークらしい。

 まったく妹を想う姉の真心を笑うとはとんでもない悪漢もいたものである。



――かなりド許せない。



 少女は実のところ、自分がテロ攻撃の標的になっているという事実そのものには大して衝撃を受けていなかった。

 あまり実感がないとも言えるし、自分自身の命よりも妹ティアナが巻き込まれることの方が何億倍も恐ろしかったとも言えるだろう。

 そんなエルフリーデのどこかズレた反応を、黄金色の瞳に収めたあと――クロガネは静かにこう告げた。


「俺やお前が有名人であり、良くも悪くも毀誉褒貶きよほうへんの激しい立場なのは今さらではある。しばらくの間、自由に街をぶらつくような自由行動は許可できない。買い物はハイペリオンに頼め、あいつならば雑誌でも文庫本でも仕入れてくるだろう」


 うげげっ、とエルフリーデは率直な気持ちを漏らした。

 機械卿ハイペリオンはクロガネの家臣の一人である。やつは読んで字のごとく機械人形の家令であり、クロガネから様々な権限を任せられている。

 ベガニシュ帝国でもバナヴィア王国でも、完全自律型の機械人形なんて存在は一般的ではない。具体的には空想科学小説のネタになるぐらいに立ち位置である。

 そしてハイペリオンは大変癖が強い性格がしており、エルフリーデとは犬猿の仲だった。


「いえ、わたしは大丈夫ですよ? 読書と筋トレで過ごす休日っていうのも楽しいものですし」


「そうか。だが、無理はするなよ。お前はどうにも……


「驚いた。あなたって面白い冗談も言えたんですね」


 こいつにだけは言われたくない台詞である。春先に起きた古代兵器〈ケラウノス〉を巡る戦いでは、エルフリーデが問い詰めなければクロガネはかなり自己犠牲に近しい行いをしていただろう。

 実際問題、自分の命をチップにした博打をする悪癖は、間違いなくエルフリーデにもあったのだが――自分のことになると鈍感になるという点で、少女と不死者は似たもの同士だった。

 壁掛け時計を見る。

 時刻はすでに四時半近くになっていた。

 ずいぶんと長いこと話し込んでしまったな、とエルフリーデは思う。


 クロガネがゆっくりと席を立つ。どこか少女とのおしゃべりを名残惜しむように、男は一瞬、目を閉じて。

 そして不意打ち気味にこう言ってきた。



「宿題だ。エルフリーデ、あえて俺はこう言おう」



 どうしたんだろう、とエルフリーデが伯爵の顔を見上げると、黄金色の瞳がそこにあった。

 傷ありの少女の赤色と不死者の黄金色、二人の瞳が互いを見つめ合って。

 ぽつり、と告げられた言葉は――







「――。お前の刃を、お前自身の意思で振るうために」












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