2章:救国騎士エルフリーデ卿の伝説

プロローグ(2)






――新大陸ガルテグ連邦、某所にて。




 あれは少女が幼い頃、幼い弟たちがもっともっと幼かった頃――祖国でクーデターが起きた。

 首謀者は当時の国王の甥だった。国を五十年もの間、統治した偉大なる英雄王は打ち倒され、若き王族が玉座を簒奪した。

 老いた王が権力の座を追われ、若き野心家が新たな王となる。

 古今東西、よくある話である。

 しかしそれがよくある話で済まされないのは、やはり古今東西の歴史でも明らかである。

 特に権力の座に就くものの首が丸ごとすげ替えられた場合、その取り巻きをしていた上流階級ほど露骨に影響を受けるものだ。


 少女の育った国もそうだった。

 ありとあらゆる善悪がたった一晩で逆転した。

 若き王は容赦なく政治的粛清を進めて、前国王の下で国富をむさぼっていた貴族の多くが捕らえられ、略式裁判のあとに処刑された。

 少女の父母もそんな前国王の派閥に属しており、辛くも粛清を逃れ、国外逃亡することに成功した幸運な貴族だった。

 クーデター当時の明暗を分けたのは、三十分、行動が早いかどうかだ――近隣諸国に逃れた貴族の多くは、追っ手に捕まって祖国に連れ戻されたという。

 少女の父母はやはり幸運にも、海外へ高飛びする伝手を持っており、旧大陸から新大陸に亡命を希望する行動力があった。


 だが、今の少女と幼い弟たちの境遇は決していいものではない。

 父母を事故で失った何の庇護もない子供が生きていけるほど、この世界は優しくなどなかったから、少女と幼い弟たちはここにいる。

 新大陸の広大な無人地帯に設けられた秘密工場、同じ国の人民にすら伏せられた機密施設の奥深く――ぴったりと肌に張り付くようなパイロットスーツを着込んで、すぅっと深呼吸。

 バカに真新しい照明で照らし出された清潔な空気、あちこちから伸ばされた太いケーブルが蛇のように地面を這い回り、祭壇のごとく施設の中央に収束している。

 父譲りの褐色の肌と黒い髪を持った少女は、これから自分が乗り込む機材を見上げた。



――それは見上げるような大きさの巨像だった。



 目測でも十階建てビルほどはあろうかという巨体、身体のあちこちが張り出しているせいで身を横たえることもできない不格好なシルエット。装甲が装着されていない駆動フレームだけの状態でもわかるほど、歪に肥大化した鈍色の機械。

 高層建築と見まごうそれ――長大な二対四本の手足と胸と腹からなる胴体、そして人を人たらしめる頭部を持っていたが、その体型はむしろ類人猿を思わせる。


 絶大な重量を支えるためだろうか、身体のあちこちに支持台が取り付けられており、その巨体はこの秘密工場全体と一体化しているかのようだ。

 最早、存在そのものが摂理に反しているのでは、と少女に感じさせる何か――それはまるで神話の時代、神々によって捕らえられ、鎖で繋がれた巨大な悪鬼のよう。

 少女の緑色の瞳が、不安に揺れる。

 果たして自分の選択は正しかったのだろうか、と十代前半の彼女が自問自答したときだった。



――コツン、コツン、コツン。



 小さく控えめな足音がした。

 振り返る。

 二人の弟がそこにいた。

 姉である少女よりもずっと小さくて、やせっぽちの男の子が二人。


「ミロ、シリル」


「準備できたよ、姉さん」


「うわー……おっきいね。これからこれに乗るんだよね?」


 利発な双子の弟は、共に深緑色のパイロットスーツに着替えていた。

 まだ十歳にもならない男の子二人のためにあつらえられたそれは、これから行う実験のために調達された特別製だった。

 大丈夫、と少女は自分に言い聞かせる。


「姉ちゃん?」


「姉さん、緊張してる?」


 自分たちは使い捨ての実験動物などではない。難民から適性を理由に見いだされたとはいえ、相応のコストをかけて訓練されている。

 これから行う機材の起動実験だって、自分たちが優れているから回ってきた仕事なのだ。並みの才覚しか持たない大人たちよりずっと上手くやるから、少女と弟たちが必要とされたのである。

 ここには何だってある。

 栄養たっぷりの温かい食事も、ふかふかのベッドも、熱いシャワーも、裾のすり切れていない清潔な衣類も、暇つぶしのヒーローコミックも、視聴覚室で見放題の映画まである。

 そして何より、銃を持って人間狩りにやってくる憲兵はいない。

 新大陸は彼女たちの安住の地であり、父母の判断も、少女の選んだ道も間違っていないのだ。

 だからきっと大丈夫だ。少女はそう自分に言い聞かせて、ヒーローコミックに出てきたお気に入りの台詞を口ずさんだ。


「大丈夫、お姉ちゃんはどこにも行かないよ。もう二度とネバーモアもう二度とネバーモア


「またその台詞? 好きだよね、姉さんも」


「姉ちゃんはトゥモローマン好きだよね、ダークケープマンの方がイカしてるのに」


 弟二人は背伸びしたい時期なのか、連邦製ヒーローコミックにはまっている姉に対して辛辣だった。いや、正確には二人も所詮は年頃の男子なのでヒーローコミックを読みふけっているのだが、姉とは気色の違うダークヒーローものにはまっている。

 まったく可愛げがない弟たちである。

 腕を前に突き出してぴゅーっと空を飛ぶマント姿のスーパーヒーローよりも、闇夜に紛れて戦うクライムファイターの方が格好いいだなんて。

 ナンセンスである。

 やはり正義の味方は、愛と勇気を胸に戦ってこそだろう、と少女は思うのだけれど。

 まあそれはともかく、そんな生意気な弟たちも愛おしいので、腕を伸ばして二人まとめてぎゅっと抱きしめる。


「わぷ!?」


「姉ちゃんくすぐったいって!」


 抗議の声を上げる弟たちを抱きしめて。

 目を閉じる。





――この世界の半分、光とぬくもりにあふれた時間があなたたちにありますように。




――この世界のもう半分、闇と冷たさに満ちた時間から逃れられますように。





 少女は祈る。

 決して叶うことがない願いを、いつまでも、いつまでも。













 すべては過ぎ去った記憶の彼方、希望が裏切られる前の前日譚。

 ガルテグ連邦とベガニシュ帝国の大陸間戦争が終結する二年前のことである。








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