第1章
「昨日の小鳥遊さんの放送に感銘を受けたので、オレも放送部に入部することにしました。仕事があるので当番には入れませんが、練習に参加してアドバイスとかはできますので。皆さん、よろしくお願いします」
放課後。
放送部員たちの集まる教室であいさつをした皇先輩は、まばらな拍手で受け入れられた。
そして、わたしに向けて痛いほど刺さる多数の視線。
うう、皇先輩、なんであんなこと。
普通に入部します、って言えばいいのに。
中学校だから、すごく真剣に参加している人たちばかりじゃない。
特に響明中学校では、部活動への参加が必須だ。
だから仲のいい友達同士で入部している、という子たちも普通にいる。
だれだれがいるから、というのはおかしい理由じゃないし、そんな不真面目な理由で、と怒る人はそんなにいないだろう。
でも、みんなの前で言うようなことじゃない。
皇先輩は、お仕事があるから特別に部活動への参加を免除されている。
それが、わざわざ。
2年生になってから。
そこに今のあいさつ。
もう、完全にわたしのために入部した、と言っているようなものだ。
恥ずかしくてたまらない。
皇先輩自身も口にしたように、急なお仕事で休む可能性も高いから、当番には入れない。
プロである皇先輩は、アマチュアの大会や制作物には出演できないし、本当に練習にいることしかできない。
つまり、学年の違うわたしと、なるべくいっしょにいるためだけに放送部に入ったのだ。
ざわつく教室内の空気を払うように、部長の相良透先輩がぱんぱん、と手を叩いた。
「プロの声優が入部してくれるなんて、すごく心強いじゃないか! 歓迎するよ。部長の相良だ。学年は気にせず、俺にも色々教えてくれ」
「ありがとうございます、相良先輩。オレの方こそ、部活動は初めてなので。色々頼らせてもらいます」
2人が笑顔で握手を交わす。
すごい、あそこだけなんか、別の空間みたい。
同じことを思ったのか、女子生徒たちが、ほうっと溜息を吐いて2人を見つめている。
相良先輩は爽やかイケメン、って言葉が似合う3年生の男子生徒だ。
成績も良くて、スポーツも得意。
だけどそれを全然鼻にかけなくて、だれに対しても『頼れるお兄ちゃん』のように接してくれる。
だから男女問わず人気がある。
「さ、じゃぁ今日の活動を始めよう。今日は、ラジオドラマの脚本を配るぞー」
相良先輩の合図で、全員に脚本のプリントが配られる。
わたしはプリントの束を見て驚いた。
まだ4月なのに、いきなりラジオドラマ?
「行き渡ったな。これから3班に分かれて、ラジオドラマの収録をしてもらう。1年生は、いきなりラジオドラマなんてとまどってるかもしれないな。まぁ、これはお遊びみたいなもんだから。気楽に楽しんでやってもらえれば、出来は気にしなくていい」
「お遊び?」
だれかが疑問を口にすると、相良先輩が笑顔で答えた。
「ああ。放送部の伝統行事なんだ。最初は真面目に基礎練習からやってたらしいんだけどなー、それじゃ演劇部と変わらない、って辞めちゃうやつが多かったみたいで。放送部に来るのは、機材に興味があるやつとか、とにかくいっぱいしゃべりたいやつだからさ。まずは一通り機材を使って、自分たちで形に残る作品を作って、放送部って楽しい! と思ってもらうためのイベントなんだ。要は新入部員を逃さないためのおもてなし」
冗談めかして肩をすくめた相良先輩に、部員たちからくすくすと笑いがこぼれた。
「最後に部内で発表のために全員で聞くけど、校内放送で流したりしないし、何かのコンクールに出したりとかも一切ないから。2、3年生も作り方のアドバイスは積極的にして、技術に関しては口を出さないように。じゃ、班分けはこっちでしてあるから、それぞれ分かれて作業に入ってくれ」
相良先輩の合図で、全員がざわざわと動く。
わたしも班分けのプリントを見ながら、同じ班の先輩のところへ行こうとすると、先輩の方から来てくれた。
「小鳥遊さん、よろしくね!」
「よ、よろしくお願いします」
当番がいっしょの先輩に声をかけられて、ほっとした。
面識のある先輩と組ませてくれているみたいだ。
別の1年生も、同じ当番の先輩に連れられて、C班全員が集まった。
C班は10人。
題材はシンデレラ。
放送部は女子部員の方が多いから、女性の登場人物が多い話にしたんだろう。
男子部員は、機材に興味がある人の方が多い。
配役は、シンデレラ、王子様、いじわるな継母、いじわるな義姉A、いじわるな義姉B、魔法使い、シンデレラのお付きA、シンデレラのお付きB、王子様のお付きA、王子様のお付きB。
全員が1役は回るようになっているようだ。
「ちょっといいか?」
相良先輩が、わたしの班に声をかけてきた。
いっしょに皇先輩を連れている。
「間宮は今日から入ったばかりだから、班分けに間に合わなくてさ。この班に入ってもらってもいいか?」
「えっコウくんが!?」
きゃぁ、と小さく悲鳴を上げて、1年生の女子が顔を赤くした。
「いいけど、うちの班配役人数とぴったりだから、人余っちゃうよ?」
「それなら心配いりません。オレ、こういう形に残る物には出られないので。サポートで入ります」
皇先輩の言葉に、対応した3年生の先輩がなるほど、と頷いた。
「A班は俺がいるし、B班は副部長の三宅が入ってるからさ。C班で間宮にしゃべりの指導してもらえたら、坂上は機材の説明に専念できるだろ」
「あー、そっか。そうだね、じゃそれでいこっか」
話はまとまったようだ。
返事をした3年生の坂上先輩は、どうやら機材をメインで担当しているらしかった。
女の先輩だけど、眼鏡をかけていて、理系っぽい。
あんまり違和感はなかった。
そのまま、皇先輩は空いた席に座る……のかと思いきや。
「そこ、いい?」
「えっ!?」
わたしの隣に座っていた1年生女子――たしか、三森さん、の前に立って、有無を言わせぬ笑顔で席を譲らせた。
「どどど、どうぞ!」
「ありがと」
(……恥ずかしい!!)
顔を赤くして俯くわたしに、皇先輩は微笑みかけた。
「いっしょの班だな。よろしく、美緒」
「皇先輩……部活では、普通にしてください」
蚊の鳴くような声で進言したわたしに、皇先輩はいじわるく笑った。
「してるよ? これがオレの普通」
嘘ばっかり!
思うけど、言えない。
ますます縮こまってしまう。
「あ、あの、コウくん」
席を譲った三森さんが、少し離れたところから声をかける。
「コウくん、小鳥遊さんと、知り合いなの? っていうか、仲いい?」
その視線を受け止めて、皇先輩はすっと空気の温度を下げた。
表情だけは笑顔のままで、皇先輩が答える。
「うん。オレ、美緒と付き合ってるから」
「えっ!?」
「まだお試しだけどね」
皇先輩の言葉に、問いかけた三森さん以外もざわついた。
「こ、皇先輩っ! みんなの前で言わなくてもっ」
「えー? だって牽制しておきたいし。それに、ちょっと勘違いされてるみたいだから」
皇先輩が視線を向けると、三森さんの肩がびくっと跳ねた。
なんだろう、この感じ。
わたしに向けられてるわけじゃないのに、なんか……怖い。
「オレの芸名は『コウ』だし、校内でも陰でそう呼ばれてるの知ってるけどさ。学校では、あくまでオレは『間宮皇』なんだよね。新入生ってことは、後輩だよな? 初対面だし。それで馴れ馴れしく『コウくん』とか呼ばれる覚えないんだけど。オレが皇、って呼ぶのを許したの、美緒だけだから」
皇先輩の冷たい視線に、三森さんが泣きそうな顔をした。
まずい、やりすぎだ。
「はいはい、そこまで」
一触即発な空気の中、坂上先輩が割って入った。
「間宮くん。きみ、迫力あるんだから。まだ小学校出たばっかりの女の子に、本気で凄まないの。きみは大人の中で仕事をしてるかもしれないけど、ここにいるのは同年代ばっかりなんだからね。部活動をする気があるなら、部内の調和を気にしてもらえるかな」
「……すみません、つい。以降気をつけます」
にこ、と笑った皇先輩に、坂上先輩は息を吐いた。
「三森さんも」
「は、はい」
「芸能人が同じ学校で、浮かれるのわかるけどね。彼はここに仕事をしに来てるんじゃなくて、あなたと同じように勉強や部活をしに来ている、ただの生徒なんだから。他の先輩に、いきなりタメ口きいたり、名前で呼んだりしないでしょう。間宮くんだけは許される理由なんてある?」
「……ない、です」
「わかってるなら、謝ろっか」
おずおずと、三森さんが皇先輩に頭を下げた。
「ごめんなさい、間宮先輩」
「いや、オレも怖がらせてごめんな。せっかくいっしょの班なんだし、これからよろしく」
皇先輩は笑顔で答えていたけれど、やっぱりその瞳には温度がない気がして、わたしはまだちょっと怖かった。
それにしても、すごいな、坂上先輩。
3年生って、あんな先生みたいなことが言えるんだ。
大人っぽい。
「それじゃ、改めて配役決めよっか。基本的にメインは1年生ね。もちろん、強制じゃないから。機材やりたい子は、端役でいいよ」
「あ、なら俺端役がいいです。機材やりたいんで」
「おっけー。なら綾瀬くんはお付きのどれかだね。お、となると自動的に王子は杉本か」
「えっ俺ぇ!?」
「だって1年の男子、綾瀬くんしかいないし。3年はサポート主体だから、2年男子の杉本しかいない。まぁ女子でやりたい子いたら王子やってもいいんだけど」
坂上先輩がそう言って見回すと、1年生女子の蒔田さんが手を上げた。
「あの、女子でもいいなら、私やりたいです」
「マジで! やった! ありがとう蒔田さん!」
ガッツポーツを取った杉本先輩は、王子様がやりたくないみたいだった。
機材希望なのかもしれない。
そっか。役をやりたくない、って人もいるんだな。
蒔田さんは同じクラスだけど、あんまり話したことはない。
背がすらっと高くて、ショートカットの似合う女の子だから、王子様は似合いそうだな、と思った。
C班の内訳は、1年生女子3人、1年生男子1人、2年生女子2人、2年生男子1人、3年生女子3人。プラス、皇先輩。
となると、シンデレラは。
「なら小鳥遊さんか三森さんのどっちかがシンデレラだね。どっちがやりたい?」
わたしと三森さんが顔を見合わせる。
シンデレラ、やりたいな。
でも、どっちかだけ、ってなると、三森さんはどうなんだろう。
「オレ、美緒がいいと思うな。透明感のある声だから、お姫様似合うよ」
「えっ!?」
皇先輩が推薦してくれて、わたしは思わず声を上げた。
「うん、いいんじゃない? 私も小鳥遊さん、シンデレラ似合うと思う」
「間宮くんが入ってくれたの、小鳥遊さんのおかげだしね。間宮くんにしっかり指導してもらえたら、いい出来になるんじゃないかな」
2年生の先輩も賛同してくれて、わたしは照れて顔を赤くした。
「なら、シンデレラは小鳥遊さんかな。2人とも、それでいい?」
「は、はい。やりたいです。ありがとうございます」
「……はい。私も、それでいいです」
決定の拍手をもらって、ちらりと三森さんを見ると。
小さく、睨まれた気がした。
メインの2役が決まると、次に台詞の多い魔法使いに三森さんが決まって。
王子様のお付きは男子2人がそれぞれ、残りは女子で割り振ってすんなり決まった。
「さて。じゃ、もうちょっとしたら使う機材を見に行こうか。今はまだB班が見に行ってるから」
言われて教室内を見回すと、B班のメンバーが教室内にいなかった。
機材は放送室にしかないけれど、放送部員全員が入るにはちょっと狭い。
班ごとに説明しているんだろう。
時間が空いたので、放送部の活動や学校の授業のことなどを先輩たちと雑談して。
B班が戻ってきた後で、わたしたちも放送室に行って、機材を確認した。
「わっ! マイク、これ使うんですか?」
「そ。普段の校内放送はダイナミックマイクだけど、ラジオドラマの収録とかはコンデンサー使っていいことになってるから。ただ、めちゃくちゃ高いから、触るのは2年になってからね」
わたしはそのマイクに視線が釘付けになった。
このマイクが、使えるんだ。
そう思うだけで、胸がどきどきした。
頬が緩むのを悟られないように、と手で押さえていると、皇先輩が微笑ましいものを見る顔でわたしを見ていた。
「こ、皇先輩っ! 黙って眺めてないでくださいよ!」
「いや、かわいいなーと思って見てた」
「も、もうっ!」
拗ねたように顔を背けると、部屋の隅にいる三森さんと目が合った。
またちょっと、睨まれた気がした。
*~*~*
皇先輩との帰り道。
落ち込んだ様子のわたしを、皇先輩が心配そうに覗き込んだ。
「どうした? あんなに楽しそうだったのに。放送室出てから、元気ないな」
「皇先輩……。わたし、シンデレラで、良かったんでしょうか」
「ん? どういうこと?」
「三森さん……本当は、シンデレラ、やりたかったのかなって」
暗い声で言ったわたしに、皇先輩はあっけらかんと返した。
「ああ、そうじゃない?」
「えっ!?」
「でもあの場でやりたいって言わなかっただろ。美緒が気にすることじゃないよ」
「で、でも。わたしだって、皇先輩が推薦してくれたから、決まったんだし」
「2年の先輩も推薦してくれたじゃん」
「それは、皇先輩が言い出してくれたからで。なんか、わたしだけ……」
「ずるしたみたい、って思ってる?」
言い当てられて、どきりとした。
皇先輩は、からかう様子は全然なくて、真剣な目をしていた。
「なら美緒はどうなれば良かったと思ってる?」
「それは……えと、じゃんけん、とか?」
「それも結局運じゃん」
「でも、ひいき……みたいになるよりは、公平性があったかなって」
その言葉に、皇先輩は眉をひそめた。
「ひいきってなんだよ。オレは、美緒がいいと思ったから美緒を推薦したんだぜ。だれかにいいって思ってもらえたのは、美緒の力だよ。それがずるいこと?」
「それは……」
「本当の公平なんてないよ。勉強だってそうだろ。テストで1番取れるやつって、1番勉強したやつ? 違うよな。全然勉強しなくても、頭いいやつっているじゃん。それって、ずるい? みんな学校で同じことを習ってるけどさ、中には塾に行ってるやつもいるじゃん。それは、ずるなの?」
「……違うと思います」
「だろ。人が持ってるものって、それぞれ違うじゃん。自分が持ってないものを持ってるってだけで、ずる扱いするやつ、たまにいるけど。オレは嫌いだな。ずるいと思うなら、それに代わるなにかを自分で手に入れればいいんだ」
怒った風にも見える皇先輩は、わたしを見ていなかった。
だれかに、そう言われたことがあるのかもしれない。
ずる扱いされたことが、あるのかもしれない。
せっかく推薦してくれたのに。
わたし、皇先輩を傷つけちゃったのかも。
しゅんとしたわたしを見て、慌てたように皇先輩は続けた。
「だ、だからさ! ひいきなんて言われないように、収録までにうんとうまくなればいいんだって。そしたら、だれも文句ないだろ。できる限り、オレが教えるから!」
「……ありがとう、ございます。わたし、がんばります」
がんばろう。
ずるって思われないように。
だれかに認めてもらえるだけのものが、わたしにあったんだって、わたしが思えるように。
*~*~*
脚本をもらってからの部活動は、読み合わせが中心になった。
本番はマイクの本数が少ないこともあって1人ずつ収録するけど、練習は全員でいっしょに読む。
相良先輩が「お遊び」って言っていた通り、みんな楽しげにわいわいやっている。
その空気に安心もしたけど、プレッシャーもあった。
三森さんが、魔法使いをやるたびに、ちょっと不満そうだったから。
「さぁ、シンデレラ。このドレスで、舞踏会に行ってらっしゃい」
「ま、まぁ。なんて素敵なドレス」
しまった、つっかえちゃった。
三森さんの声がとげとげしい気がして、つい緊張してしまった。
なんて、言いわけだけど。
台詞の途中で止まってしまったわたしに、三森さんが小さく鼻を鳴らした。
「声ちっさ」
ぼそりと言われた言葉に、かぁっと顔が赤くなった。
読み合わせの時に、マイクなんて使わないから。
わたしの声は、素のままだ。
小さいことなんてわかってる。
わかってるのに、そんなこと言わないでほしかった。
「はい、1回止めようか」
ぱん、と坂上先輩が手を叩く。
「今回は、あんまりお芝居についてどうこう言わないんだけどさ。それにしても、三森さんの魔法使いは、ちょっと攻撃的かな。シンデレラをかわいそうに思って、魔法をかけてくれる親切な人だからさ。もっと優しい気持ちでやろっか」
「……わかりました」
「小鳥遊さんも、緊張しなくて大丈夫だからね。これそんな真剣な企画じゃないから。みんなでいっしょに楽しんでやろうね」
「……はい」
暗い返事をする1年生に、坂上先輩は苦笑していた。
うう、変な空気にしちゃって、ごめんなさい。
内心気まずいまま、シーンは進んでいく。
「なんて美しい人なんだ」
わ。蒔田さん、かっこいい。
王子様役を自分からやりたいって言った蒔田さんは、元々声が低めなんだけど、王子様をやる時はさらに男の子っぽいしゃべり方をしていて、かっこよかった。
なんだか声優みたい。
「小鳥遊さん?」
「え?」
「次、小鳥遊さんの台詞」
「あっ! ご、ごめんなさい!」
蒔田さんはくすくすと笑っていた。
いい人だなぁ。
三森さんとのことは気がかりだったけど、他の人たちはみんないい人ばっかりで。
わたしは、部活動を楽しいと思っていた。
「でも、楽しいのと、できなくていいのとは別!」
家に帰ってから、机に脚本を広げる。
せっかく主役に選んでもらったんだもん。
ちゃんとしたい。
わからないところがないように。
スムーズに読めるように。
何度も、何度も脚本を読み込む。
「皇先輩は、どうやって練習してるんだろ……」
配役を決めたあの日から、皇先輩は部活に来ていない。
元々そんなに参加できない、って言ってたから、そのことに文句を言う人はいないけど。
「会いたいな……」
ぽつりと口から出た言葉に、はっとして顔を覆った。
(会いたいって!)
そんな考えが自然に浮かんだことに、自分でびっくりした。
(れ、練習見てほしいだけ、それだけ!)
邪念を振り払って、わたしは脚本に集中した。
翌日。
今日も空き教室で、ラジオドラマの練習。
C班のほとんどが揃ったので、始めようか、となった時。
「遅くなりました」
教室中に通る声。
聞き間違えるはずがない。
「皇先輩!」
驚いて声をあげると、皇先輩は笑顔で手を振りながら隣に来た。
珍しい参加者に、坂上先輩が声をかける。
「間宮くん。今日参加できるの?」
「はい。あまり来れなくてすみません」
「いやいや、忙しいのに、来てくれるだけありがたいよ」
坂上先輩は皇先輩と普通に話すから、皇先輩も話しやすいみたいだった。
1年生女子は、まだちょっと皇先輩と話す時、ふわふわしちゃうもんね。
かっこいいし、わかるけど。
……このかっこいい人が、恋人、なんだよなぁ。
お試しだけど。
ちらっと視線を向けると、ばちっと目が合った。
なんだか恥ずかしくなって、思わず下を向く。
「せっかく間宮くん来てくれたし、ラジオドラマのコツとかあったら聞いてみよっか」
「それいいですね。私たちだけの読み合わせは、いつもやってるし」
2年生の先輩も同意して、すっかりみんな皇先輩から話を聞く体勢になった。
「うーん……。ご期待に添えるかはわからないですけど、そういうことなら、簡単に」
苦笑して、皇先輩はなにから話そうか考えてるみたいだった。
「あんまり細かいこと言うと楽しめなくなっちゃうんで、機材志望の人もいるし、まずは全員向けにテクニカルなことだけ伝えましょうか」
そう言って黒板の前まで行くと、チョークを手に取って、マイクの絵を描いた。
「この前スタジオで機材を見学したと思いますが、収録の時に使うコンデンサーマイクは単一指向性なので、音を拾う範囲が決まってます。だいたい、このへん」
マイクの手前側に、下向きの扇のような形を描き足す。
「基本前からしか拾わないので、横からとか、上からとかしゃべると、声をちゃんと拾いません。なので、できるだけマイクの真正面でしゃべるようにすると、声がしっかり入ると思います」
「なるほど……」
ぽそりと聞こえた声に視線を向けると、蒔田さんが熱心にノートをとっていた。
すごい、真剣だ。
蒔田さんって、もしかして声優志望だったりするのかな、なんて思いながら、わたしもメモをとる。
「とはいえ、コンデンサーは感度がいいので、マイクの近くで雑音を立てるとノイズが入っちゃいます。今回の脚本は何ページもあるので、台詞の多い人は、ページをめくることになりますよね。この紙のカサカサいう音、マイクに入っちゃうんです」
皇先輩が、脚本の紙をすり合わせるようにする。
紙同士がこすれるカサカサという音がして、これか、と納得した。
「この音が台詞と重なってしまうと、あとからノイズだけ除去しようとしても難しいんですね。だからページをめくる時は、台詞をしゃべっていない時にめくるようにするといいと思います。そうしたら、あとからノイズの箇所だけ削除すればいいので」
「そんなことできるんですか?」
驚いた1年生に、坂上先輩が笑って声をかけた。
「できるよ。そこは機材担当の腕の見せどころだね。全体的に音がきれいに聞こえるように、ノイズをとったり、音の大きさを合わせたりするんだよ」
「すごーい!」
きらきらした目で見る1年生に、坂上先輩は嬉しそうだった。
きっと坂上先輩は、そういう作業が得意なんだろう。
出来上がりが楽しみだな。
「こんな感じでいいですかね?」
「うん、間宮くんありがとう」
チョークを置いた皇先輩に、坂上先輩がお礼を言う。
手を払って、皇先輩はわたしの隣に戻ってきた。
「美緒、わかった?」
「はい、ちゃんとメモ取りました!」
「えらいえらい」
ちゃかした言い方にちょっとだけむくれて、でもすぐに笑顔になった。
皇先輩と部活、嬉しいな。
ほんわかしていると、坂上先輩が切り替えるように手を叩いた。
「じゃ、読み合わせ始めようか。今日は間宮くんが聞いてくれるし、気合入るね」
「ええ、オレそんな監督みたいな役割なんですか」
「気分だよ」
2人の会話に、他のみんなも笑う。
皇先輩がいるからか、今日は三森さんもつっかかってこない。
みんなそれぞれ、皇先輩からちょっとしたアドバイスをもらったりなんかして。
いい日だな、なんて思いながら、和やかに練習は進んだ。
部活の時間が終わって、みんなが帰り出す。
まだ帰りたくない、と思ったわたしは、皇先輩に声をかけた。
「あの、皇先輩」
「ん?」
「もし、時間があったら……で、いいんですけど。練習、見てもらえませんか?」
皇先輩はみんなが楽しくできるように、部活中はあんまり細かいことを言わなかった。
でも、わたしは。
ただのお遊びじゃなくて、ちゃんとできるようになりたい。
「もちろん。いいよ」
快く受けてくれた皇先輩に、ぱっと顔を明るくする。
下校時刻があるから、空き教室に長居はできない。
なにから聞こう、とわくわくして脚本を広げる。
「今日、読み合わせ聞いて、どうでした?」
「良かったと思うよ。脚本ちゃんと読んできてるなってわかったし」
練習してきたことが伝わって、嬉しくなった。
でも、それだけじゃ足りない。
「あの、この前三森さんに、声が小さい、って言われて。やっぱりもう少し、大きな声でしゃべるようにした方がいいんでしょうか」
「いやぁ、張ったら不自然になるから、声量は今のままで良いと思うよ」
前にも、皇先輩は声が小さいのは問題ない、みたいに言っていた。
ずっとそれが気にかかっていたわたしは、思い切って聞いてみた。
「声が小さくても、声優ってなれるんでしょうか?」
「なれるよ。今活躍してる人の中にも、素の声は小さくてびっくりする人いるぜ」
意外なほどにあっさり返ってきて、わたしは拍子抜けした。
「で、でも、声優って、お芝居がメインなんですよね? 演劇部だと、まずは発声練習で大きな声が出せるようにすると思うんですけど」
「あー……。そのへんを誤解のないように伝えるの結構難しいんだけど」
頭をかいて、皇先輩は困ったように唸った。
「あくまで、オレ個人の考え、として聞いてな」
「はい」
わたしが姿勢を正すと、考えながら皇先輩が話し出す。
「大きな声が出るのと出ないのとどっちの方がいいか、って聞かれたら、まず出た方がいい。それは間違いない」
「はい……」
「ただ、出ないと声優に向いてないかと言えば、そんなこともない。声優は必ずマイクを通してしゃべるから、声の大小より、マイクを通した声がどんな声なのか、の方が大事だ。その点美緒は、マイク乗りが抜群にいい」
急に褒められて、わたしは思わず照れた。
それを微笑ましそうに眺めて、皇先輩が続ける。
「元々は声優って、舞台役者が多かったんだよ。だから今でも、外画畑の人は『声が小さいなんて言語道断!』みたいに言う人もいるけど。アニメ声優は、声が小さいとか普通にいるかな。舞台で求められる発声とマイクに乗せる発声って、全然違うんだ。それはわかる?」
「なんとなく……」
「舞台は、客席の端から端まで、手前から奥まで全ての人に台詞がクリアに聞こえる必要がある。だから広い空間に響かせる必要があるし、声量も必要だ。けどその分、感情表現は大味になる。逆にマイクは、声を絞って、マイクの芯にピンポイントで声を当てる必要がある。だから声があっちこっちに拡散したら大きくてもだめなんだ。きちんと当てればどんな小さな声も、息遣いのニュアンスすら拾う。繊細な感情表現ができる」
初めて聞く説明に、わたしは息をもらすしかできなかった。
知らなかった。
同じ役者でも、そんなに違うんだ。
「機材の性能がどんどん良くなってる、ってのもあるな。昔は収録方法も今と違ったし、声優の技術がすごく求められたけど。今はちょっとしたことは編集でなんとかなるから。だから余計に、元々の声質とか……あとはまぁ、見た目とか。他の要素が重要視されるようになった」
ちょっとだけ苦いような顔をした皇先輩に、目を瞬かせた。
けどそれは一瞬だけで、皇先輩はぱっと笑顔を作った。
「だから、声の小ささを指摘する人がいないわけじゃないけど。声が小さくても声優にはなれる、ってのが結論かな」
「なるほど……! ありがとうございます!」
「将来的に大きな声が出せるようになりたいなら、訓練積んでいくのもいいけどね。今急に大きな声でやろうとすると美緒の良さが潰れるから、今回の収録に限って言えば、よりマイクにしっかり当てる練習をする、とかでいいんじゃないかな」
そう言って、皇先輩はペンを取り出した。
そのペンを、わたしの口から少し離れたところに掲げる。
「このペンをマイクに見立てて、ペンに声を当てるようにするんだ。最初の台詞やってみて?」
脚本を確認して、小さく息を吸う。
えっと、声を、当てる。
「おはよう、小鳥さん。いい朝ね」
ど、どうだろう。
合ってるのかな?
「うん、いい感じ。ちょっと意識するだけでも違うよな。それをよりシャープに、ぎゅっと絞って、声が一直線に伸びるイメージ」
一直線。
そのイメージを、頭の中に浮かべる。
「おはよう、小鳥さん。いい朝ね」
「そうそう」
皇先輩が嬉しそうに笑う。
「みんなで読み合わせしてると、演劇部みたいに、みんなに聞かせる声の出し方になるんだよな。けど本番はマイクに向かってしゃべるから。お客さんに聞かせてる、って意識は大事だけど、声は一方向に芯を持たせるように練習してみて」
「はいっ!」
すごい。
プロの声優に、こんな風に見てアドバイスもらえるなんて。
なんかわたし、すごい贅沢。
他にもなにか、と思っていると、教室のドアが勢いよく開いた。
どきっとして視線を向けると、見回りの先生だった。
「なんだ、まだ残ってたのか。もう下校時刻過ぎてるぞ。早く帰れー」
「すみません、すぐ帰ります」
慌てて時計を見ると、とっくに下校時刻を過ぎていた。
全然気づかなかった。
先生には皇先輩が返答してくれたので、わたしも小さく頭を下げる。
「帰ろっか」
「は、はい!」
わたわたと荷物をまとめて、鞄を持つ。
もっと教わりたかったな、としょんぼりしたわたしに気づいて、皇先輩が軽く笑った。
「またなにか聞きたいことあったら、電話してよ」
「えっいいんですか!?」
だって皇先輩、お仕事でいつも忙しいのに。
「もちろん。美緒の役に立てるなら、オレも嬉しいし」
甘い顔で微笑む皇先輩は、なんだかきらきら輝いて見えた。
ま、まぶしい……っ!
「ありがとうございます……」
わたしは絞り出すようにそう言うのが精いっぱいだった。
*~*~*
皇先輩からアドバイスをもらって、ますますやる気になったわたしは、一生けん命練習した。
もらった脚本を、感情まで考えながらさらにしっかり読み込んで。
どんな風にしたら、聞いている人に届くかを考えて。
皇先輩に教わった、声を当てる練習もばっちりした。
時間がある時には、また皇先輩に見てもらった。
皇先輩は本当に電話での相談にも乗ってくれて、わたしのために時間を使ってくれてるんだって思うと、その分ちゃんと結果を出したいと思った。
皇先輩だけじゃない。
他の人にも、やっぱりちゃんと結果を見せたい。
放送部の先輩は、お楽しみ企画だから、気楽にやればいいんだよって言ってくれたけど。
それでも、わたしがもらった初めての役だから。
だれかがやりたい、と思っていたものを、とった役だから。
とれるだけの理由があったんだって、思ってほしかった。
そして迎えた、収録当日。
初めて触る本格的な機材に1年生は興奮して、わいわい言いながらセッティングした。
みんな楽しそうで、本当に『お楽しみ企画』なんだと思った。
だけど、わたしは。
マイクの前に座る。
軽く、息を吸う。
そして。
『おはよう、小鳥さん。いい朝ね』
シンデレラの、最初の台詞。
朝起きて、1日の始まりに、まずは窓の外の小鳥に明るくあいさつをする。
最初の一言で、シンデレラがどんな人物なのかをイメージさせる、大事な台詞だ。
マイクを通した音が聞こえているのは、ディレクター室の方だけ。
スタジオ内には、聞こえない。
まだ途中だから、後ろを振り返って反応を確認することもできない。
孤独な作業だ。
それでも、わたしは自分のやってきたことを信じて、最後までやりきった。
スタジオの外に出ると、みんなが拍手で迎えてくれた。
「小鳥遊さん、良かったよ~!」
「うんうん、ヒロインって感じだった! マイク通すと、あんなにきれいに聞こえるんだね」
「びっくりした。普段と全然違うね」
口々に褒めてもらえて、わたしは照れ笑いした。
もちろんお世辞もあるだろうけど、概ね受け入れてもらえたのだと、嬉しかった。
「それじゃ次、三森さんね」
「……はい」
スタジオに入る三森さんと、すれ違う。
「あ……」
なにか声をかけようと思ったけど、なんて言えばいいのかわからなくて、言葉を詰まらせてしまった。
そうしたら、三森さんの方から、声をかけてくれて。
「……シンデレラ、良かったと思う。今度、コツ教えて」
「……っうん!」
自分でもわかるくらい、弾んだ声が出た。
良かった。
三森さんにも、認めてもらえた。
嬉しくて嬉しくて、わたしは皇先輩の方を見た。
皇先輩は、良かったな、と言うように親指を立ててくれた。
無事全員の収録が終わって、機材メインの人たちが整音をする。
全部終わったら、音声データが共有サーバーにアップロードされる。
それを各自でダウンロードして、自由に聞くことができるのだ。
今日は収録だけで、部内での発表はまた別日になる。
部活動の時間が終わって解散したわたしは、皇先輩といっしょに下校していた。
「皇先輩、ありがとうございました。先輩のおかげで、わたしやり遂げることができました!」
「オレは手を貸しただけだよ。やり遂げたのは、美緒の努力」
えらいえらい、と皇先輩が頭を撫でてくれた。
恥ずかしいけれど、皇先輩からのスキンシップも、ちょっとは慣れた。
照れ笑いで受け入れる。
「あ、でも、せっかくならご褒美が欲しいな」
「ご褒美?」
「美緒から、ぎゅってしてほしい」
「ひええっ!?」
手を広げた皇先輩に、わたしは変な声を上げてしまった。
「え、で、でも」
「オレがんばったと思うなー。感謝の気持ちがほしいなー」
「うう……」
にやにやする皇先輩を見上げながら、わたしは手を上げたり下げたりして、ついにえいっと飛び込んだ。
ぎゅう、と思い切り抱きしめて、そのままぱっと離す。
「は、はい! おしまいです!」
「んー……」
にやっと笑った皇先輩は、わたしの手を引いて。
「もうちょっと」
ぎゅう、と腕の中に閉じ込めた。
(わああああああ!?)
内心で悲鳴を上げながらも、口からは音が出なかった。
やっぱりわたしの心臓、もちそうにないです!
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