第14話  元亀の争乱はじまる

元亀元年五月九日。信長は岐阜にかえることを決断した。

上洛後五度目の岐阜である。


すでに静かにしていた近江の六角承禎が動き出していること。

浅井長政がこの動きに呼応していることなどの知らせを受けた。


岐阜に向かうには、近江を通らなければならない。


(湖西路を朝倉が南下してくること、湖東路を浅井、六角が南下してくること。湖上も含めて、近江が南北に分断された状況で波のように京に向って敵が押し寄せてくれば、本願寺や三好、摂津河内や阿波まで立ち上がらないとも限らない。さすれば、天下はすり鉢の底と化す)と、信長は考えていた。


それには近江の真ん中で壁を作るしかない。そう思った信長。


まず、森可成に命じて、志賀の宇佐山に城を築かせ、京に朝倉の兵がなだれ込むことを防ぐために近江坂本から京東山に抜ける山中越えを抑えさせた。


十一日、朝倉義景が動く。浅井長政のもとへ兵を送る。


十二日、それを聞き、信長は坂本から、甲賀衆で栗太武士である山岡景隆の居城、勢多城に移る。


翌十三日、勢多城からさらに、佐久間信盛が守る野洲郡の永原城へと移った。

そこで十八日まで逗留する。信長に遅れて京を発した家康も、この日、伊勢を抜け岡崎へ帰城した。


近江の路地警護を強化するためにさらに線を引く。


永原城から野洲川を挟んだ南の中山道守山宿に稲葉伊予守良鉄父子、斎藤内蔵人佐、北の中山道沿いの安土宿に中川八郎右衛門清秀、長光寺山に柴田修理亮勝家を入れて防御を固めた。


すでにこの辺りでは一揆が起こり、綣村や守山では焼き討ちがあった。これらは稲葉父子が働き平定している。


十九日、浅井長政軍は、愛知郡鯰江城まで下り兵を入れた。さらに神崎郡永源寺市原郷で一揆を誘い、信長軍の路次を遮断する動きを見せた。これには蒲生郡日野城の蒲生右兵衛大輔賢秀、布施藤九郎、永源寺神津畑の菅六郎左衛門が助力し対応した。


東山道を北上して関ケ原から岐阜に出ることが不可能となった信長は、東近江千草越えで美濃に出ることにした。


その夜。千草峠を馬で越えようとしていた信長が、六角承禎に雇われた杉谷善治坊に狙撃される。


杉谷は甲賀衆で甲賀杉谷の者である。甲賀衆の多くは、古くは鎌倉御家人の出であり、今は室町幕府の奉公衆でもある。


杉谷が放った二つ玉の鉄砲は、「ばん」という大きな音を立てて十二、三間離れていた信長の肩口へと向かい当たった。


馬上で大きく肩をうねらせた信長は、馬手を引き絞り右足で大きく馬の腹を蹴り出し走らせる。


部隊は騒然となり、煙発つ筒口と射角から杉谷はすぐに取り押さえられた。

間一髪の間合いに、家臣たちは「天道照覧」と唱える。


「義昭め」と、吐き捨て信長は肩口を抑えながら、急ぎ岐阜へと向かった。


そして、二十一日、無事に岐阜へ到着する。


元亀争乱のはじまりである。

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