来栖さんちの生贄様〜未完全ヴァンパイアの僕に過保護すぎる双子の愛は重すぎます〜

中里了

第1話 期待せずとも春は始まる

人には言えない癖がある。

誰だって少しは思い当たる節があるのでは?

冗談めかして暴露出来る程度のものから、口にするのが憚られるようなものまで。

誰しも心の深い部分に己の異常さを垣間見ることがあるんじゃないだろうか。


でも、それは大した問題じゃない。

心の中で、頭の中で、妄想を繰り広げるだけなら何の問題にもならない。

そうやって、大抵の人間は社会的なモラルからギリギリのところをはみ出さずに生きてきた。


考えるだけ。何も問題ない。異常はない。

それが出来る人間だったら。

問題は、それが出来なくなったら?

身のうちに巣食う欲求が、抑えられなくなったら?

しかもその欲求が、人の尊厳や、生死さえ奪うものだったら?

その時は。その時は、むしろこの命を差し出すべきなのではないだろうか。


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確かに春を感じる風が、頬を軽く撫でていく。

その心地よい風に目を擦られ、

うっすらと瞼を開く。

どうやら自分は歩きながら寝ていたらしい。


そんなはずはないと失った意識を求めて目を瞬いたけれど、通り過ぎた記憶の影はこの一瞬で薄れてしまっていた。

最近、時々こういうことがある。


熱があるときのように頭の中がはっきりせず、体の中の何かが枯渇するような焦燥感に喉が乾くような感覚。


貧血とか栄養失調の類かもしれないと思いながら今まで放置していたけれど、流石に道端で突然倒れるのは危険すぎる。気をつけないと。


さて、気をつけよう。

と思った矢先に何かが肩先にぶつかり、バランスを崩してさっそく転けそうになった。


「すみませーん!」という声が遠ざかっていく。

ぼんやりしていた間に既に学校前の通学に近づいて

いたらしく、朝の通学路は学生で溢れかえっていた。


桜。

学生。

晴天。


まさしく「春」といった光景。


ほとんどが自分の自宅から学校までの時間をまだ把握しきれていない新入生で、

通学路を歩く学生の足取りは軽い。

みんな浮き立つ心が抑えられず期待が表情に滲み出ている。


一年生は新しい学校生活に対して、

二年生は先輩として、

三年生は自分の将来と向き合うために。


街路樹の桜の木から、学生たちの前途を祝福するかのように薄ピンク色の花弁が舞い落ちる。

目の中に映り込むその桜の色が、ゆっくりと視界を遮っていく。

その様子がとても綺麗で、足を止めて魅入ってしまうには十分だった。


「ブブブー!!」


派手なクラクションの音が、夢のような瞬間を一瞬で切り裂く。

夢が覚めたその先では桜の幕はとっくに散りゆき、先まで主役然としていた人たちが、今度は観客のように揃ってこちらを見つめていた。


「え?」


体に重い衝撃。


首が右側に思い切り振り倒され、経験したことがない痛みが首筋から右腕へ走り抜ける。


痛い。


痛いけど、でも、それだけだった。

トラックに轢かれたにしては痛みがあまりにも軽すぎる。

首以外に、痛みを感じる場所が無い。

もしかして、即死したんだろうか。


そう思った瞬間、女子生徒の悲鳴や男子学生の困惑の声、人が忙しく動き回るような音が微かに聞こえてきた。けれど、音はくぐもっていて鮮明には聞こえず、視界は真っ暗で何も見えない。


手足を動かそうにも体全体を拘束されているようで身動きを取るのが難しい。

けれど決して苦しい訳ではなく、体は何か柔らかい、落ち着くものに触れているような不思議な感覚に包まれている。


目を瞑って、このまま身を任せてしまいたいような……。騒がしい音さえなければ、死ぬ瞬間というのは思っていたより心地いい。


「大丈夫?!怪我は?!ねぇ、どこか痛くない!?」


耳の真上からはっきりと聞こえてきた声に思わず体が跳ね上がる。

声量が大きすぎて、はっきりどころか鼓膜が破けそうな勢いだ。


若い女性の声。

ひどく焦っている。

でも、彼女が声を発すれば発するほど頭が柔らかいものに抑え込まれて息が苦しくなってくる。


即死、したんじゃなかったのか?


「あ、息してない!!嫌だよ、お願いだから死なないで!!」


彼女が映画のヒロインのように絶叫する声が鼓膜を突き破ってきた瞬間、いよいよ気を失うかと思ったら、いきなり解放されて目の前に光がパッと差し込んだ。


「落ち着け。苦しそうだ。」


思わず咳き込むと、背中をゆっくりさすられた。


「ゆっくり、息をしてください。どこか痛いところは?」

「あ……」


光の方向に顔をあげると、キラキラ光る薄い空色の球体の中に見知った顔が映っていた。


「あ!ああああ、あの!!!」


ぼんやりしていた頭が一気に覚醒する。

僕は女性の腕に抱かれて、半分意識を失いかけていたようだった。

あまりに近い距離に女性の顔があり、無礼にも覗き込むような形になってしまったことに今更ながら慌てふためく。


突然の大声に驚いたのか、女性が僕を支えていた手を離した。

そのままころんと道端に転がり落ちた僕を先ほど背中をさすってくれていた手が受け止める。


「あ、兎於菟(とおと)!」

「輝月(きづき)、お前な……」


金色の何かと赤い何かがゆらゆらと頭の上を揺れていて、褐色の何かも同じように揺れている。

人だろうけど、正直あまりよく見えない。

目の淵にぐっと力を入れても差して視力は変わらなかった。


ああ、そうか、眼鏡がどこかにいったのか。


「あの、君は怪我は……」

「おい、君たち!怪我は?!痛いところはないか?!」


その声を皮切りに、静止画のように停止していた周囲が一気に動き始めた。

周りにいろんな大人たちが集まり、僕達にあれやこれやと質問したり、どこかに連絡しはじめた。


その大人たちに、先ほど僕の背中をさすってくれた彼が詳細を説明したり、何か指示を出したりしている。


僕はというとぼやついた視界のせいでその場から動くことも出来ず、何かしようとあたふたしている間にあれよあれよと準備された簡易担架に乗せられて、病院まで連れていかれてしまった。


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せめて助けてくれた彼女にお礼が言いたかった。


病院の白い天井を見上げながらそう思う。新設されたばかりの病院なのか、消毒液や何かわからない薬品の匂いよりも塩化ビニルの匂いの方が鼻につく。


先から見上げるしかない天井にも、滲みらしき影は見えない。

彼女たちのことを探したいけれど、問題なのは二人の顔がわからないことだ。


メガネがなくて、よく見えなかった。

ただ、おそらく金髪で、何か赤いものをつけていて、薄い水色の瞳をした少女。


彼にもお礼をいいたい。

僕の背中をさすってくれた彼だ。

彼に関しては、肌が褐色で、黒髪だということしかわからない。

情報があるような、ないような……そもそも二人は知り合いだろうか?

多分、それは間違いないだろう。

詳しくは思い出せないけど、彼が彼女の名前を呼んでいたような気がする。


「あれ?」


記憶の中に引っかかりがあった。小さい小さい、小魚の骨のような。


でも、確かに感じる違和感。記憶の中に何かおかしな部分がある。

でも、それが自然であったかのように僕はその瞬間、違和感を感じていなかった。


「あ。」


今朝の光景を昔のビデオのように繰り返し繰り返し再生するうちにノイズが少しづつ鮮明になっていく。


そしてやっと、違和感のひっかかりにつまづいた。


「……なんで僕の名前、知ってたんだろう?」

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