なぜか婚約破棄されたけど、TS魔法で全部なんとかなりました

けいぜんともゆき/関村イムヤ

本編

 魔法がある世界に転生したら、やっぱり魔法を極めたいと思う。

 魔法がなかった世界の前世がある私がこの国に来たのも、この国が高度な魔法教育で有名だからだ。


「アドルフィーネ・ナ・ラグネル! 貴様との婚約は破棄する!!」


 ――だから、とある夜会でこの国の王子が私に向かってそう怒鳴りつけた時、私の口から出た音は「は?」の一言だけだった。


 この国の王子カラヴァン殿下は、怒りで爛々と青い目を光らせて、会場の中心から私を睨んでいる。


 その隣に不安そうに立ち、エスコートされているのは、私はあまりよく知らない女性だった。確か、半年前くらいに行儀見習いとして王妃殿下の女官に上がった公爵家のご令嬢だったか。


 彼らが立つのは距離にしておよそ5メートル先。会話って距離じゃないところから聞こえるように声を張り上げたせいで、会場中が「何事か」と静まり返ってこちらに視線を集めている。


 私はといえば、会場の中心からは少し離れたところでワイン片手に魔法学会員との会話を楽しんでいたのだが、急に名前を呼ばれたと思えば何を言い出すのだろうかこの王子。


「こ、婚約破棄?」


 意味が分からない、と思って呆然とそう聞き返すと、それをどう受け取ったのか知らないが、カラヴァン殿下は「そうだ!」と頷く。


「貴様のような性根の人間は未来の国母には相応しくない。このセレーナ嬢が言うには、貴様は一度も王妃教育の場である母上のサロンに来たこともなければ、教師からも逃げ回っているということではないか!」

「カラヴァン殿下、それは……」

「言い訳無用だ! いくら高度な魔法や教養を修めているとしても、我が国の王妃としての教育を投げ出す理由にはならない。宮廷に上がって半年で教師や母上に優秀と認められたセレーナ嬢の方が、よほど我が妃に相応しい!」


 えーっと。


 私はただ困惑するしかなかった。

 弁明さえさせて貰えない、つまり会話する気もないらしい王子をどうしたものかさっぱり分からず、助けを求めて周囲をぐるりと見回す。

 が、皆なぜか私から視線を逸らしてしまう。どうして。


「それに貴様、再三に渡り女官の仕事や勉強をするように促したセレーナ嬢の事も取り合わなかったそうだな? 毎度小馬鹿にしたような薄笑いを浮かべるだけで、碌に返事をするでもなく、さっさとその場から逃げるばかりだったというではないか」

「はぁ……」

「なんだその返事は!? 認めるというのか?」

「えぇ……?」


 ひたすら一方的にヒートアップしていく王子の話を聞いていても埒が開かなそうなので、その隣で黙って成り行きを見ている公爵令嬢へと視線を移す。


 言われてみれば、何回か声をかけられたような覚えがある。

 ただ人違いをされているのだろうと思って毎回適当に切り抜けていたのだが、それが良くなかったらしい。


「……まあ、捉え方によるとは思いますが、即座に挨拶をしてその場を辞していたのは事実です。宮廷儀礼に即した行動を致した筈ですが」

「開き直るのか? セレーナ嬢は我が国の大公家の姫君であるのだぞ。諌められておきながら、耳にも入れずに立ち去るなど、そのような態度は侮辱も甚だしい!」


 そんな事を言われても……。 


「あの、王子殿下。なにか誤解があると思うのですが」

「なにが誤解だ、この期に及んで――」

「まず私は、あなたと婚約してません」


 ボルテージをさらに上げようとする王子の声を遮るようにして、やっとその一言を捩じ込んだ。


 一瞬、あたりがシンと静まり返る。


「――は?」


 そこにポツリと一滴の雫を落とすように、今度は王子がその声を上げた。

 人は驚くとひとまずそれしか言えなくなるのかもしれない。


「私は、カラヴァン殿下とは、婚約など、しておりません」


 会場中にはっきりと聞こえるよう、それなりに大きな声で、一言一言区切って繰り返してやる。

 会場中から戸惑った気配が一斉にしたが、その気持ちを今一番感じているのは私だ。


「な……何を馬鹿なことを。貴様はラグネルの公女で、この宮廷に私の婚約者として滞在しているではないか」

「いえ、違います。私は遊学のため、外交特使としてこの王の宮廷への滞在許可を得ております」


 なぜそんな勘違いが起きたのだろう。というよりは、本当に勘違いなのだろうか。


 困惑するカラヴァン王子は、王の後継者としてはソツのないタイプだった筈だ。

 怒り任せに私を怒鳴りつけるという醜態を晒してはいるが、今夜の夜会はグライフェン国内貴族だけが集まる小規模な祝祭であり、本当に私が王子の婚約者であったのならば、国の威信を懸けて十分糾弾されるに足る態度と行いだったようにも思う。


「いや……いや、そんな筈がない。私は貴殿が来てからというもの、将来結婚するのだから、相応しい存在であれと誰からもずっと言われ続けていたのだぞ?」


 王子は素早く困惑を疑念に変えたようだった。

 ようやく対話をする気になったのか、声のトーンが下がり、こちらの様子を伺うような態度になる。そうすれば、会話は実にスムーズになった。


「それは、具体的にはどなたからでしょうか」

「まず父上と母上、それに教師達、父の廷臣や騎士達にもだ。これで婚約などしてないとは、一体どういう事なのだ?」

「どういうつもりかは、こちらが聞きたいですね。両陛下も承知した話だとは」


 あまりの事態に冷静になる王子とは反対に、起こっていたものの重篤さに怒りが湧く。


 してもいない婚約を吹聴するような工作を、国ぐるみでしていたという事か。

 友好国と思っていたのは我が国だけだったということか。


 婚姻の正式な打診を受けてもいないのに、外堀を埋められるなど、私への名誉の毀損であり、ラグネルへの侮辱でしかない。

 元から私は公国を離れずお姉様の直臣として働くと宮廷内で意思の統率が取れているから、それほどの瑕疵にはならない。だが、もし国外へ嫁ぐつもりであったならば、どこの国も縁談を取り合ってくれなくなるほどの蛮行なのだ。


 私と王子が信じられない思いで絶句していると、バタバタと慌ただしい物音がホールの外から聞こえてきた。

 扉をバンと無作法極まりない方法で開け放ち、駆け込んできたのはこの国の王と王妃だ。その視線はまっすぐこちらに注がれたから、騒ぎを聞きつけ急いでやってきたのだろう。


 その傍には我が国の大使の姿があって、私は片眉を吊り上げた。

 私、ひいては我が国への侮辱といえる行いがたった今暴露された最中に、なぜその立ち位置にいるのか。


「ア、アドルフィーネ公女……」


 息切れの合間に絞り出すように名を呼ばれた。「はい」と応じたものの、姿を現した3人全員、しばらくは碌に話のできそうもない状態だったので、私は目線だけを王子に戻した。

 いち早くそれに気付いたのは公爵令嬢で、彼女はそっと両親の醜態に気を取られたままの王子の袖を引いてくれる。


 こちらに顔ごと向けた王子は、先程までとは別人のような表情をしている。

 気遣わしげな、申し訳なさそうなそれに、まだ希望が絶たれた訳ではなさそうだな、と少しだけ私も冷静になれた。お互い自国を取り巻く状況を思えば、仲違いをしている場合ではないのだ。


 ……その、怒りと冷静さが同時に存在する状態が良くなかったのか、或いは良くなかったのか。

 ふと、私は自分が数年かけて開発研究していた魔法の事を思い出した。


 TS魔法。女を男に、男を女に、その性別を反転させる、トランセクシャル性転換魔法。


 身分制度が生活に根ざしたこの世界では、婚姻に起因する性別の悲喜交々は前世とは比べ物にならならないほど重い。

 それをどうにか根本的に変えられないかと、前世の記憶をフル活用して編み出したのがこの魔法である。


 魔法としてはすでに完成していて、世に広めるには臨床例となってくれる人を探すばかりの状態だ。

 そして今、私はまさに婚約を巡る男女の騒動の最中にいる。

 つまり、この魔法を世に出す最高の瞬間ではないだろうか?


 ――そろそろ、あれこれ考えるのが面倒になってきたところもあった。私が男だったら、こんな騒動に巻き込まれることはそもそも無かった筈だ。


「えい」


 そういう訳で、私はその場で自分にTS魔法を掛けた。

 この魔法で最もよくできたと自負している点は、服や髪型などの装いも性別に沿って形を変えてくれるので、掛ける場所を選ばないというところだ。


「な、なにを!?」


 一瞬、魔法の煙で包まれた私に、そこかしこから戸惑いの声が上がる。社交の場での魔法の使用は自衛に限り許されるのだけど、まあ、これだって自衛のうちだろう。


 煙はすぐに晴れ、私は高くなった視線に瞬きをした。

 何度か実験した事は既にあるので、この変化には慣れている。


「……え、あ、アドルフィーネ公女?」


 呆然とした声が真っ先に王子から掛けられて、私は頷いた。


「ええ、そうです。こうすればこの話がこれ以上拗れることはないと思って、自分で開発した魔法を自分に掛けました」


 弟によく似た、低く滑らかな声が出る。


「この魔法はまだ開発途中で、解く方法はありません。私は男になりました。これで、カラヴァン王子との婚約などという話は、根本から無かったことになるでしょう」


 にっこりと笑って、都合のいい嘘を吐いた。もう何度も実験している通り、私は普通にこの魔法を解除できるが、解除は出来ないことにした方が都合がいい。


 一瞬ののち、夜会は阿鼻叫喚の有様となった。

 大半はこの婚約工作に関わっていると思しき連中の悲鳴だったが、実のところ、一番声量が大きかったのは私のすぐ後ろにいた魔法学会員達による歓声であったことは、気付かなかったことにした。





 その後の話。

 私はすぐにこの宮廷を辞して、ラグネルに帰る事にした。


 ここに残っていても絶対碌な事にならない。脱出は時間との勝負だ。

 国王陛下と王妃殿下からは釈明の場を持たせてくれと言伝があったが、聞かなかった事にする。荷造りを済ませ、侍従達と共に夜会から寝室へ引き上げた大使を強制回収して、夜半のうちに馬車に飛び乗った。


 なんのつもりか道中に刺客が追ってきたが、全てTSさせ、身体の感覚の違いに動けないところを突破した。

 土壇場で織り交ぜた嘘の説明はうまく効果を発揮したらしい。二度と元の性別に戻れないという思い込みに心底恐怖したようで、その後は誰も追ってこなかった。


 キナ臭さに即時脱出を選んだカンは当たっていたようで、ラグネルに戻って事情説明を済ませ、連れ帰った大使を尋問に掛ければ、裏情報が出るわ出るわ。


 グライフェンには、ラグネルを併合する野心があったらしい。

 公的には外交特使として城への滞在を許されていた筈だが、グライフェンの宮廷内では婚姻条件を調整中の王子の婚約者として迎え入れられた、という勝手な脚色がされていた。


 結婚による併合がダメとなれば力尽くでとなったのか、そのおよそ三ヶ月後、停戦協定を破っての侵攻が仕掛けられた。


 が、これも全て敵部隊をTSさせ、全く役に立たない状況にしてやった。

 こんな事もあろうかと、手の空いた時間を使ってTS魔法に広範囲化と射程強化をつけた改造を研究しておいたのだ。


 この世界の軍隊は全て男性で構成されているから、装備などもその筋力に合わせたものになっている。

 異性の身体に変わった直後の感覚の差は凄まじい。特に、男性の身体から女性の身体に転換した時は、何度も経験して分かっていて尚身体の頼りなさに毎回愕然としてしまうほどだ。


 当然、戦闘前にそれが起これば、相手軍はパニックに陥る。総崩れになったグライフェンの兵士達を効果的に叩き、壊走させる事に成功した。


 時を同じくして、グライフェンからの密書が届いた。差出人はあのカラヴァン王子だ。

 彼はあの婚約破棄(?)騒動の直後、己の非を認め、自分の名による公的な謝罪文をラグネルへと送ってきていた。

 いくつかの条件と引き換えに和解は既に済んでおり、城に住んでいた頃よりむしろ相互に好感度が高いという不思議な関係に落ち着きつある。


 その王子が兵のいないうちにクーデターを起こすというのが、密書の内容だった。

 クーデター後の王政に力を貸してほしいという奥ゆかしい親善書に気をよくした我が国の評議会は、僅かな助力として一人の魔法使いを貸してやる事にした。


 私である。つまり、TS魔法の出番だ。


 クーデターの日、三年も過ごして勝手知ったるグライフェン王都に単騎で馬を走らせながら、敵側に回りそうな貴族や兵士を全部TSさせて回った。


 女の身になると碌に武器も持てず、サイズの合わない鎧を纏って動けない。何人かは魔法を使って抵抗を続けたが、数の力には抗えない。


 この頃には色々とTS魔法の臨床結果も出て、この魔法にはほとんど強制解呪の方法が無い、という事がはっきりしてきていた。

 これは私が前世知識をフル活用して、遺伝子情報から性ホルモンによる分化・形成の影響などを因果律により操作する、という魔法として作ったのが理由だろう。

 使われているどの理論も『この世界にはまだ早い』のような状態だったので、TS魔法の解呪どころか、その前段階にある分析・理解ですら、実質的に作った私以外は不可能というシロモノになってしまったのである。


 TS魔法の解呪方法を完成させた、と女に戻った私が大々的に喧伝すれば、なんでもするから元に戻してくれと泣きついてきた者達がそのままカラヴァン王子の兵として寝返る事になった。

 それは戦場から逃げ帰ったグライフェンの敗走兵達も同じで、クーデター側に戻れば性別を戻してもらえるという話を広めると、王子の勢力は一気に膨れ上がる。


 こうなれば、国王達には抵抗する術が無い。

 参戦しているのは私一人だが、私しか使えないTS魔法がこうも横行していれば、まだ後ろにラグネル公国が控えていると考えられ、早々に投降の白旗が上がる事になった。


 こうしてカラヴァン王子はグライフェン王として即位し、元国王陛下と王妃殿下は生涯蟄居刑となったそうだ。


 ラグネル公国とは、友軍として共に戦い、戦況に多大な貢献をしてくれた私との友誼の象徴として、これまで通りの停戦協定ではなく、同盟関係を結ぶ事になった。

 グライフェンと一つの国にまとまる気は無いが、仲良くしておきたいラグネルとしては、婚姻関係を抜きにした同盟は願ったり叶ったりといったところだ。


 同盟の宣誓式を盛大にやった後、続けてカラヴァン王は国内統制を重視するという宣言とともに、国内貴族である大公家の姫を妃に迎えた。

 セレーナというその女性は、見覚えがあるなと思ったら、あの婚約破棄騒動の際にカラヴァン王の横にいた人だ。


 二人の結婚式の客分として参列したところ、彼女は私を見つけ、ニコリと晴れやかに微笑んだ。

 意味ありげなその仕草に、思わず考え込んでしまう。

 そういえば、元国王陛下達の陰謀が露見する切っ掛けとなったあの婚約破棄騒動の発端は、彼女によるものだったか。


 邪推の域にはなるけれど、もしかするとそれが彼女の策略だったのかもしれない。


 宮廷中が私と王子の婚約をでっち上げている状況を利用し、当事者同士を敢えて一時的に対立させる事で、陰謀ごと徹底的に壊し尽くす。

 その後はカラヴァン王の気質とラグネル側の考えさえ理解していれば、彼が個人的にでもラグネルと和解を果たすことや、工作を行っていた国王達がラグネルに対して強引に動いた場合のクーデターの動きなどは予想も誘導も可能だった筈だ。


 となれば、私が「人違いかな?」で済ますことができる程度に何度か声を掛けてきた、その匙加減も計算のうちだったのか。


 真偽のほどは定かではないが、間違いなく人の心に聡い彼女に尊敬の意を込めて拍手を送る。




 ――そういう風に、婚約してない相手からの婚約破棄騒動はようやく決着した。


 私の婚約?

 別に何も決まってないが、別にどうでもいいことだ。

 領地を相続するでもなく、公国を継ぐ姉の補佐と魔法研究・教育に邁進できるように早々に道を固めた人生である。

 それに付き合ってくれる奇特な人がいれば、その人と結婚するくらいでいい。


 幸いにしてTS魔法のおかげで相手の性別は問わないのだから、のんびりと待っていてもなんとかなるだろう。

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なぜか婚約破棄されたけど、TS魔法で全部なんとかなりました けいぜんともゆき/関村イムヤ @keizentomoyuki

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