第32話
一週間前と言ったら、ちょうど滝沢が謹慎処分を言い渡された辺りだ。
俺と滝沢の親交が始まった頃でもある。
平和台駅辺りで目撃されたとの事だが、あの付近で一週間前くらいに滝沢と会った事は会っただろうか?
「あっ」
あの時だ。一つだけ思い当たる事があった。あれは、滝沢が携帯ショップから逃げてきて、俺に助けを求めてきた時だ。
確かに俺は一週間前、滝沢と会っていた。
「ふーん。やっぱり、思い当たる節があるんだ」
「まあな。たしかに一週間くらい前、俺と滝沢は平和台で会ったよ。でもな、……キスをしていたなんてことはありえない。俺と滝沢はそんな関係じゃないからな。なんせ滝沢は────」
慌てて言葉を停めた。もう少しで失言をするところだった。
「『なんせ滝沢は────』なによ?」
追い詰めるように陽川は俺側に一歩踏みこんだ。
ただせさえ陽川は圧が強いのに……少し心拍数が上昇したようで、緊張感を覚える。
「滝沢はあんなんだけど、美人の部類だろ。俺になんか興味ないさ。どちらかと言えば俺って、ブサイクだろ?」
言っていて少し悲しくなった。
自らを下げて、なんとか誤魔化す悲しさよ。
「桐生くんって自己評価低いんだね。そこまで蔑む程じゃないと思うよ。良くも悪くも普通。兎にも角にも普通。それが桐生くんよ。それ以上でもそれ以下でもないわ」
きっと陽川は俺に気を使ってくれた。卑下する姿を哀れんでくれたのだ。しかし、本人は褒めているつもりなのかもしれないが、それは決して褒め言葉ではない。
「まあ、あれだ。普通だったとしても滝沢は俺に興味なんてないさ。きっと、何かの見間違いだな」
「その言い分だと、滝沢さん側が桐生くんに興味を示せば事が起こるってことよね?」
「……まあ、そうなるな」
これって逆に陽川の確証バイアスを強めていないか?
口のうまさでは陽川の方が俺より一枚も二枚も上手だって事か。
このままでは、滝沢との偽の目撃情報が真実になってしまう。
考えろ。考えろ。なんか使えそうな心理学は無かったか……?
いやまて……そんな事をするまでもない。
逆を証明すれば良いだけじゃないか。
滝沢が、俺に興味がないのじゃなくて、俺が滝沢に興味がない事にすれば良いんだ。
「ってことは、滝沢さんとあなたが付き合っている事を認める訳ね?」
「それは違うって。なんせ俺が滝沢に対して恋愛感情を持っていないからな。むしろ滝沢の事を好きなやつなんていないだろ。俺だってそうさ」
「ふーん。そうなんだ」
理解してくれたのか、陽川は珍しくニコニコと笑いながら、そう言った。そして、続けてこうも言った。
「あなた最低ね。正直、私はエマの事もあったから滝沢さんの事はあまりよく思っていなかった。でも、桐生くんは、滝沢さんの弱みに付け込んで、良いようにしていたって訳ね。そんなあなたは反吐が出る程キライよ。少しはマシなやつかもって思った私がバカだったわ。もう私にもエマにも一切近寄らないで」
そこまでいい終えた陽川に笑顔なかった。
いつもより冷酷な、見たもの全てを凍らせてしまいそうな眼光。
そのまま俺の横を通り過ぎて行き、階段を降りていく。その途中、振り返らずに陽川は口を開いた。
「ちょっとむしゃくしゃしたことがあったから言い過ぎてしまったかもしれない。だけど、私は謝らない。だって、間違った事だとは思っていないから。あなたもよく考えたほうが良いわ。……彼はあなたに興味がないようだから」
陽川の方に近寄り、視線の向いている方を見ると、そこには滝沢の姿があった。
どうしたら良いのかわからない。オドオドとした様子だ。
その横を陽川が通り過ぎていき、俺と滝沢だけが残された。
今までの作戦が全て不意になってしまった瞬間だった。
滝沢にどう声をかけるべきか、思い浮かばなかった。
「──失敗しちゃったな……ってお前」
いつも表情の薄い滝沢の瞳からは涙が溢れていた。
いつもは岩肌のように崩れる事のない表情が歪んでいく。
「どうしたんだよ?」
そんな滝沢に手を差し伸べようとすると、滝沢は俺の手を振り払った。
滝沢が感情的になっているのを初めて見た。
なんで、滝沢が泣いているのか、理解出来なかった。
次の瞬間、滝沢は階下に向かって走り出した。
慌てて追いかけようとして、俺は転んだ。
転ぶのはいつもは滝沢の役目なのに。俺は派手に転んだ。それなのに滝沢は転ばなかった。
時代劇の切られ役みたいにゴロゴロと階段を転がって、下の踊り場で止まった。
体中痛くて、滝沢の事も、陽川の事も追いかける事は出来なかった。
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