第38話 先輩とエルムルケン大森林の出口を突破せよ! part2

まるで誰かを待つかのように、

その狼は綺麗な姿勢で、

静かに座り込んでいた。


鋭く輝く六つの瞳が、

物憂げに周囲を見渡している。


たった一匹、

そこに佇んでいるだけで、

この森の支配者だと確信させる何かがあった。


「もしかして……」


声を震わせたのはエリスだった。

青ざめた表情で、

全身がわずかに震えている。


「シェスラオプトラス・ウルフ

 この森の最強モンスターの一角よ」


呟くようにそう告げる彼女の声には、

怯えと驚愕が混ざり合っていた。


「なんでアレがここにいるのよ……」


ライラも唇が震え、

握りしめた手には汗がにじむ。


彼女たちの胸に重くのしかかるのは、

逃げ場のない絶望感のみだ。


けれど、そんな恐怖に

おびえる彼女たちををよそに、

先輩が急に口を開いた。


「犬だ・・・。犬がいる

 犬はやっつけなきゃ

 犬は猫の敵だもんねニャンタ」


まるで呪文のように、

何度も「犬」という言葉を繰り返す先輩の姿に、

私は背筋に冷たいものを感じた。


いつもと様子が違う……

頬にじっとりと冷や汗がにじむ。


先輩の表情は険しく、

目つきがどこか危うい。

正直、ちょっと怖いくらいだ。


(いつもの…

いつもの先輩じゃないっすぅ!)


「ニャンタさん、

 先輩の様子が……

 すっごく変なんすけど……」


「ああ、それはな」


私の言葉に、

ニャンタは少し申し訳なさそうに、

深くため息をつき、話し始めた。


「実はな……俺が犬を見るたびに

 『失せろ』と威嚇してたのを、

 クルミが子供のころ何度も見てたんだよ」


「えっ?ニャンタさん、

 犬が嫌いだったんすか?」


猫は犬が苦手な場合が多いというが、

ニャンタも例に漏れないのだろうか。


だが、ニャンタが軽く肩をすくめ、

苦笑するその様子から、

何か過去の悪癖を思い出しているようだ。


「ほら、犬猫の仲って言うだろ。

 犬を見かけると

 ついガンを飛ばしちまうんだよ」


(それを言うなら『犬猿の仲』っすよ)


心の中でそうツッコみながらも、

猫族にとっては、

これが正解なのかもしれないと考え直す。


「それで、クルミも俺のことを真似して、

 犬を睨むようになっちまったんだよ。

 今じゃすっかり犬嫌いになっちまったぜ」


「えっええっ!?

 先輩の犬嫌いは

 ニャンタさんが原因じゃないっすか!」


「いわゆる刷り込みってやつだ。

 あいつ、変なことばかり

 俺の真似をするんだよな」


幼い頃に目にしたもの、

耳にしたことは子供にとって、

絶大な影響を及ぼすものだ。


大人が何気なく発した言葉や行動さえも

子供の純粋な心には深く刻み込まれ、

性格や習慣の一部となってしまうことがある。


子供は親の背中を見て育つ、

言い換えれば、

それは洗脳に近いほど強烈なものだ。


ニャンタが犬を嫌っている姿を見続けた先輩は、

きっと心の中で「犬は敵だ」と

思い込んでしまったのだろう。


ふと先輩の険しい表情に目がいって、

私は心の中で思わずツッコんだ。


(でも先輩……

 そんな目つきで睨んだら、

 犬どころか猫も逃げ出すと思うっすよ)


「プーププ(あの時の狼だ)」


このシェスラオプトラス・ウルフ

プルルとニャンタを美味しそうだと言って

襲ってきた個体と同じようだ。


「あいつ何しに来たんだ?

 ぶっ殺されたいのか

 ちょっと話してくる」


「えっニャンタさんの知り合いっすか?」


ニャンタは階段を下りていくと

狼は待ってましたと言わんばかりに

ゆっくりと立ち上がった。


「おはようございます

 今日はいい天気ですね


 この前は悪ふざけで

 襲ってしまい申し訳ありません」


「挨拶はいい

 若い衆が暴走する前に

 早く何しに来たか言え」


その言葉を聞き、、

オオカミは視線を古墳の頂上へと移した。


そこには、猫のようにフシューフシューと、

荒い息を吐き、充血した目で、

こちらを睨みつける人間の少女がいた。


(え?なにあれ怖い)


「いや、あなたの知り合いの人間が

 森から出られずお困りのようでしたので

 私の巣に招待しているのですよ


「俺の臭いで保護したのか?

 そいつら黒い服の男どもか?」


ニャンタの問いに、

オオカミは首を振って答えた。


「銀髪の女ですね

 なにぶん怯えるものですから

 困り果ててまして」


実は、この狼は以前、

八つ裂きにされて以降、

ニャンタの臭いをしっかりと覚えていた。


そして、その臭いがついていた、

暁の幻影団のメンバーである、

リア・グレイウィンドを森で保護していたのだ。


ニャンタが彼女たちにマーキングしたのは、

数日前のコテージでのことだった。


ソファで寝ていたライラたちを、

猫パンチで起こして回った、

あの時である。


後輩ちゃんは、

単に早く起こしたいからだと思っていたが、

実はそれは「匂い付け」をするためだったのだ。


それが結果として、

グールの攻撃などから、

彼女たちをを守ることに繋がっていた。


狼がわざわざここまでやってきたのも、

ニャンタの臭いをたどり、

仲間を引き取って欲しいと伝えるためである。


「あいつら森からまだ

 出てなかったのか」


「実は出入り口付近に

 新種のモンスターが巣くってまして

 私たちも手を焼いてるんですよ」


すると、オオカミは、

ニャンタの背後に目を向けた。

そこには、二人の人間が近づいてきていたからだ。


「あの、ニャンタさん

 止めたんすけど、

 先輩がどうしても行くって聞かなくて」


金髪の人間は怯えた様子でこちらを見つめ、

茶髪の方はなぜか敵意むき出しだ。


ニャンタと呼ばれる猫以上に、

関わってはいけない存在だと、

本能が告げていた。


そして、茶髪の人間は、

声を張り上げ、

勢いよく宣言した。


「犬はニャンタと和解せよ!

 降伏するなら、特別に見逃してやる

 どうする、ワンコ?」


「先輩なんで

 そんなに高圧的なんすか!?」


「おいクルミ安心しろ

 コイツは味方でもないが

 敵じゃねぇ」


ジェスチャーで伝えると

先輩はおとなしくニャンタに従った。


「ニャンタの知り合いなんだ

 運がよかったねワンコ」


「先輩?

 知り合いじゃなかったら

 どうしてたんすか!?」


目の前の茶髪の少女が一見、

ただの脆弱な人間に見えた。


だが、臭いでわかる。

彼女はただの人間ではない。


そもそも俺のような魔狼が、

人間に凝視されただけで恐怖を感じること

自体ありえないのだ。


(あの茶髪とは

目を合わせないようにしておこう

刺激しないのが一番だな)


「おいクルミに炊飯器!

 こいつの巣についていくぞ

 銀髪のやつがいるらしい」


「もしかして、リアさんのことっすか?

 森を目指していったはずなのに

 何かあったんすかね?」


リアの居場所は分かったものの、

カインたちの現在地はまだ掴めていない。

まずは合流して事情を確認たほうがいいっすね。


「私の領域は森の出口に近いので

 ついてきてください」


「わかったっす」


反射的に返事をしてしまった。

私、このオオカミの言葉がわかるっす。


ニャンタのときもそうだったけど、

会話できるかの基準が、

まったくわからない。


「人間と会話したのは初めてです

 あなたは私の言葉がわかるのですね」


「私もビックリっす

 とりあえず仲間を呼ぶので

 待っててほしいっす」


チラリと後ろを振り返ると、

ライラとエリスさんが階段の頂上から、

怯えた様子でこちらを伺っていた。


状況を伝えるため、

大きな声で叫びながら。

両手を大きく振った。


「リアさんがオオカミの巣に

 お邪魔してるらしいっすから

 一緒にいこうっす!」


二人の心配を払拭しようと、

にこりと笑みを浮かべる。


声を聞いた二人は、

恐る恐る階段を下り始めた。


「ねぇライラ、あのオオカミ……

 私たちが隙を見せたら

 食べるつもりなんじゃないの?」


「私たちを本気で襲うなら

 不意打ちを仕掛けてくるはずよ

 きっと大丈夫よ」


やがて、二人は石畳の階段を降り切り、

みんなが一か所に集まった。


ふと、オオカミが立ち上がり、

こちらを見据える。


「それじゃ案内たのむぜ」


小さくうなずくように一度頭を垂れ、

そのまま静かに背を向ける。


私たちは、彼の後を追いながら、

森の出口から少し逸れた道へと足を進める。

行く先には、狼の巣があるはずだ。


ひっそりとした小道を進む。

地面には厚い苔が広がり、

日光がまるで蜘蛛の糸のように道をなぞっていた。


土地勘があるオオカミの案内なら、

道に途中で迷うこともないだろう。


さらに、彼の存在のおかげで、

森に潜むモンスターたちも気配を感じてか、

近づいてくる気配はまったくなかった。


「うーん、やっぱり強いオーラがあると、

 他の魔物はおとなしくなるんすかね」


私たちは足場の悪い地面に、

足を取られそうになりながらも、

慎重に前へと進んでいく。


歩き始めてから数十分ほど経ったころ、

額に少し汗を浮かべつつ、

私はふと自分の体調に気づいた。


(あれ? 疲れてない?)


身体の疲労感はまったく感じない。

昨日は歩くだけでヘトヘトになっていたのに、

今日は不思議と元気いっぱいだ。


「後輩ちゃん、疲れてない?」


長時間歩いている私を気遣って、

先輩が心配そうに声をかけてくれた。


「全然バテてないっす!

 一日で体力ついたみたいっす」


人間には、適応能力というものがある。


ほんの一日前には苦痛だと感じていたことも、

いざ慣れてしまえば、

対処できるようになるのだ。


「汗かいてないし

 大丈夫そうだね

 疲れたらまたおんぶしてあげるね」


私は疲れてなくても運んでもらいたかったが、

先輩に甘えるのも悪いので

遠慮していくことにした。


「もうそろそろ

 私の領域に入ります」


そんな話をしていると、

目の前に奇妙な植物モンスターが現れた。


あたり一帯をうろつくその姿は、

どう見ても普通の植物ではなかった。


「後輩ちゃん

 見てあれ

 植物がたくさん歩いてるよ!」


先輩が指差した先には、

無数に生えたツタを足のように動かして、

地面を這い回る植物の群れがいる。


植物の中心には、

口のようなものが存在し、

そこには鋭いギザギザの歯が無数に並んでいる。


まるで歩く食虫植物だが、

おそらく虫だけでなく、

魔物すらも食いちぎりそうな見た目だ。


「なんか、気味悪いっすね」


この森で最強と名高いオオカミが、

私たちのすぐそばにいるのに、

なぜか植物たちは平然と動き回っている。


こっちの気配に気づけば、

身を潜めるか動きを止めるはずだ。

明らかに異様な光景だ。


ざっと見たところ、

植物同士で一定の間隔を保ちながら、

森の中をゆっくりと移動している。


何を目的に動いているのかは不明だが、

近づくのは危険としか思えない。


「後輩ちゃん、

 普通、植物って歩かないよね?」


「先輩、何言ってんすか?

 植物が歩いたらホラーっすよ」


「今までにも植物モンスターを

 討伐したことはあるけど、

 群れで行動するなんて話は聞いたことないわ」


確かにライラの言うとおり、

植物が集団行動をするなんて異常だ。

つまり、知恵があるということになる。


「ここ最近になって

 西側から繁殖しているようで

 今や森の出入り口は奴らの巣窟ですね」


「それじゃあ

 森の外に出られないじゃないっすか」


森の出入口の目印、赤い旗がある、

そこまでの道のりは崖になっていて、

自然にできた岩石の階段を上らなければならない


今の話を聞く限り、

どうやら、その崖下一帯が、

植物モンスターの領域と化しているらしい。


「邪魔なので片付けます

 あいつらの特徴を

 よく見ていてください」


オオカミはそう言うと、

一瞬で駆け出し、爪を振り下ろして、

植物モンスターの一体を豪快に切り裂いた。


驚く間もなく、

植物の体は真っ二つになり、

地面に崩れ落ちる。


ほかの植物モンスターたちがそれに気づき、

棘のついたツタを振り回して攻撃するが、

その動きはあまりにも遅い。


オオカミの素早い動きの前では無意味だった。

次々と爪による攻撃で切り裂かれ、

あっけなく倒れていく。


植物モンスターの中には、

頭の部分だけ動いている個体もいたが、

胴体はもはや再生する気配もなかった。


「植物を動かしている核は、

 頭部にあるようです。

 壊さない限り、いくらでも再生します」


そう言うと、

オオカミは再び地面に爪を叩きつけ、

残った植物の頭部を容赦なく潰した。


ぺちゃんこにされた頭部はもはや動かず、

静かに地面へ沈んでいく。


「……あれ?

 あの植物、意外と弱いんすね」


その場に倒れた植物モンスターを指さしながら、

私は不思議そうに首をかしげた。


見たところ、

手ごたえがなさそうに見えたからだ。


「厄介なのは、繁殖力の高さです

 今の個体なら、

 一日に数千体ほど増えていますよ」


「い、今なんて言ったっすか?

  一日に千体以上……?」


すでに頭の中で、

状況の深刻さを理解していた。


もし何もしなければ、

あっという間に、

森は植物モンスターの巣窟と化すだろう。


「後輩ちゃん!

 ゲームだと植物モンスターって

 親玉を倒せば全部消えるよね!」


「ゲームみたいに都合よく

 いけばいいんすけどね……」


そのまましばらく歩き、

森の出口から、

数キロ離れた地点にたどり着いた。


「この先が私の管理する領域になります」


その言葉を聞いて、

私は首をかしげた。


「あれオオカミの巣って

 聞いたんすけど

 なんでリスがいるんすか?」


高い木の枝に目を向けると、

私たちを監視するように、

巨大なリスがこちらを睨みつけていた。


普段見かけるリスとはまったく異なる、

異様な存在感を放っている。


しかも、その手には、

ゴツゴツとした石を握られていた。

投石されれば、痛いではすまないサイズだ。


「ギシャャャ!」


突如として、

リスの鋭い鳴き声が森全体に響き渡った。


それは単なる威嚇ではなく、

まるで何かを合図するような、

号令のように聞こえた。


しかし、シェスラオプトラス・ウルフは

リスの動きを見ても、

ただその場に立ち尽くしているだけだった。

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