狐の窓
星多みん
皆様は狐の窓と言うモノを知っているだろうか?
私は幼少の頃に祖父に教えられて、それを試した事がある。その当時は何か見えればいいなと、そんな簡単な好奇心から色々な場所で試していたと記憶している。
そんな少し変な幼少期が終えようとした時、小説家だった祖父が突然死んだ。原因は今も不明なのだが、親族は作家としての不健康極まりない生活が祟ったのだと口を揃えて納得すると、直ぐに莫大な遺産の相続の話に移っていた。
私はそんな浮いた空間が嫌で、色々な夢を見せてくれた祖父の部屋に籠っていた。祖父の部屋は、埃を被った万年筆に年季が入った机や空白や途中まで埋まった原稿用紙が至る所にあって、本棚に数冊の本が置いてある濃厚なインクと紙の匂いがする和室が目頭を熱くさせる。
私はその部屋で号泣しながら綺麗に整えられた文が書かれた原稿用紙を眺める。だが感情は長く残るものではなく無心に近い状態になると、私は祖父に教わった狐の窓を試していた。
最初は上手く出来ず指が無駄に疲れるだけだったが、数回していくと唐突に辺りが静寂に包まれて机にある万年筆が動くのを皮切りに朧げに空間が歪む。
「爺ちゃん?」
私は呼吸よりも先にそう聞くと、見慣れた背中はこちらをゆっくりと振り返る。
「おお、久しぶりやの。少しは大きくなったか?」
腹から出る力を貰える声に、見るだけで嬉しく優しい笑み。私は迷わずに祖父だと認識すると抱き着こうと見失わないように慎重に近寄るが、あと一寸の所で待てと止められる。
「今の俺はお前にはどう見えるんだ?」
私は数呼吸置いて落ち着くと注意深く祖父を観察する。
「不純物がほぼ無い硝子みたいな感じで、凝視しないと見失いそう」
所々詰まりながらの説明だったが、祖父にはそれで十分だったのだろう。低い唸り声を上げながら考え始める。
「そうか、俺から見たらお前との前には一つの窓があるんだよ。枠が指で出来た気味悪い窓の向こうにお前が見えるんだよ。だから不安だから近寄らんといてくれ」
祖父はそう言い終えると、作り笑顔を浮かべながら少し俯いて鼻を鳴らす。きっと泣いているのだろう。でも忠告を無視して近づいたら更に悲しませると思うと、動く足を止めるために私はその場で正座をする。
「ありがとう」
祖父はそう言うと私の目を見ていた。
「ところで、あいつらは俺が死んでどうしてた?」
「まぁ、悲しんでいる人はいなかったかな。薄情だよね」
私が気まずそうにそう言うと、祖父は太鼓のように豪快に笑う。
「そうだな、確かに薄情だなぁ。でも一応家族だし眉間に皺を作らんようにしないとな」
「でも私はとっても悲しいよ」
祖父はその言葉を聞くと少し驚いた顔をしたが、直ぐにいつも通りの顔に戻る。
「そう言えばお爺ちゃんって最後に書いた小説とないの?」
「いやぁ、死ぬ最後までは書けなかったよ」
「珍しいね。お爺ちゃんってずっと小説書いてる印象なのに」
「ああ、楽しめなかったんだよ。筆も重いし、何より展開が思いつかなくてな」
祖父は似合わない寂しい声色で言う。
「そっか……」
少しの間だけお互いの呼吸音だけが聞こえる気まずい空気感が流れると、祖父が何かに思い出したかのように口を開いた。
「今まで聞いてこなかったが、お前は小説を書きたいとかあるのか?」
私は少し考えたふりをして首を縦に振る。
「あるよ。だって爺ちゃんの背中かっこいいもん」
「そうかぁ、それは嬉しいな。けど小説を書くのは大変だぞ。自己否定の繰り返しに読んでもらえない悲しさ。お前は語彙が豊富だから無いとは思うけど添削後の絶望とかな。それでも書くのか?」
祖父は明るく昔を振り返りながら言うのだが、最後の問いかけはワザとらしい低い声で脅かす様に聞いてくる。
「うん。それでも書くよ。だって苦しいも辛いもの好きだからあるものだし」
私は出来る限り恥ずかしさを捨てると宣誓した。それがキッカケだったのか今まで聞こえなかった親戚たちの騒がしい音が聞こえ始めると、気がついたら祖父は背中を見せて煙のように消える。
とても幸せな時間だったな。そう思いつつ部屋を出ようとするのだが、キラっと机の上で何かが光る。
それを見た私は目頭をじんわりと熱くさせると、万年筆と『いつか読ませろ。添削してやる』って書かれた紙をポケットに入れる。
狐の窓 星多みん @hositamin
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