故郷

初乃 至閉

故郷

子宮が恋しいことはおかしいことでしょうか

みな、故郷は町だといいます。僕の故郷は母の子宮だとおもいます。

そこからうまれ、10なんかげつの間そこで育ちました。

なのになぜ学校の先生やお友達は僕をおかしいというのでしょうか。

皆母の子宮から産道を通ってうまれてきます。

なのになぜ 気持ち悪い と言われてしまうのでしょうか

 ある日母の子宮に帰っていたところを父に見られてしまいました。

父は僕をとても叱ってきました。怖かったです。

なぜ父までもが僕を否定するのでしょうか。父も同じことをしているのに。

それ以降父とは会話をしなくなってしまいました。

 僕を肯定してくれるのは母だけです。

 父は僕が10歳のころおばあちゃんとお互い裸で触れ合っているところをふすまの間からかくれてみていました。

当時の僕にはそれがなにかがわかりませんでしたがそれを見るとなぜか無性に股間を何かにこすりたくなってきて手で股間を擦っていました。パンツの中になにかおしっこではない白い液体がでました。でも、それが、とっても気持ちがいいのです。

ある日母に汚れたパンツを見られてしまいました。隠さなきゃ、いけないことだ。と思っていた僕は焦りました。しかし母はぜんぶわかっていたようでした。「いけないことじゃないのよ」とははにいわれました。

僕の中で何かが壊されました。ぼくは母に抱き着き母の体をおもむろにさわりました。父がおばあちゃんを触っていたようにさわっていました。

母は「こうするのよ」と言って性行為をおしえてくれました。

その日から僕を肯定してくれるのは母だけです。僕の故郷は母の中、子宮なんだとその日から確信が生まれました。

僕は母と父の子供であり、母は僕の故郷であり恋人です。

母は父とおばあちゃんとの子供であり父と恋人です。でも、母と父が性行為をしているのを見たことがありません。

 

 僕は母との間に子供を授かった。

僕はその子供じゃないのになぜか母の子宮に帰れたんだと少し安心しました。


 僕は今高校生なので平日は毎日高校へ通います。先生にそのことをお話ししました。

先生は僕のことをすごく嫌な目で見てきました。それ以来先生とは話していませんがクラスメイトのかな子ちゃんにお話ししました。今度僕はお父さんになるんだ、おかあさんのなかにぼくがあるんだ。

かなこちゃんはわかってくれました。よかったね、うれしいね、と。

その日からかな子ちゃんと仲良くなりました。一緒におでかけしたり、

僕の家や、かな子ちゃんの家に行ったり。かな子ちゃんの家に行くといつもかな子ちゃんは

アソコの形をしたものをかな子ちゃんの中に入れたり出したりするのを見せてくれます。

僕はいつもそれを黙ってみていました。

 ある日の学校帰りいつものようにかな子ちゃんの部屋でみせてもらっていました。

かな子ちゃんは僕のアソコがいいと言いました。僕は意味が分かりませんでした。

かな子ちゃんは僕の母ではないので性行為をする理由が快楽しかないなと思ったのです。

僕はあの快楽は好きですが意味を考えてしまう人間です。母とする性行為には母の子宮の中に帰るというはっきりとした理由と快楽が理由です。しかしかな子ちゃんと性行為しても一つしかかないません。それなら自分でもアソコをこすれば気持ちよくなれる。と思い、かな子ちゃんに断りました。

かな子ちゃんは裸のまま泣き出しました。かな子ちゃんの家にはヘルパーさんとかな子ちゃんの父と母がいつもいます。かな子ちゃんの泣き声を聞いて三人ともかな子ちゃんの部屋に来てしまいました。部屋に入るなりかな子ちゃんの父は僕を殴りました。

10分くらいしたらヘルパーさんが助けてくれました。ずっと止めようとしてくれていたのですがかな子ちゃんの父はとても大きな人だったので女性のヘルパーさんには力が強かったのだと思います。僕は怖くなってかな子ちゃんの家からすぐに飛び出してしまいました。

あまり覚えていませんがかな子ちゃんの父は「おれのだおれのだ」とたくさん言っていたのは覚えています。

次の日学校に行くとかな子ちゃんは来ていませんでした。先生に聞くとしばらく来ないとのことでした。何週間たってもかな子ちゃんはきませんでした。でも、お手紙が一通来ました。「お母さんとだけ性行為をしてかな子としてくれないのはおかしい。」

とだけかかれていました。かな子ちゃんは転校したそうです。

 やはり僕を肯定してくれるのは母だけです。

 それから高校を卒業と同時に子供が生まれました。子育ては初めてでよくわからなかったので母にまかせきりでした。僕はお仕事をして家を支えていました。父は僕たちの子供が生まれて数週間後におばあちゃんとどこかに消えました。あまり悲しくはありませんでした。家は僕と母と子供だけになり、僕はだんだんと子供が邪魔だと感じ始めました。子供とはあまり会話をしませんでした。

僕は母の中に帰りたかっただけなのに、僕が母の中に出したものは僕なのに僕ではない女の子が僕と同じように、子宮で育ち、産道を通り生まれてきたのが憎いです。

そう思うとこどもは邪魔で仕方がありませんでした。

今まで僕だけが母の中で育ち、産道を通って生まれたのにそれが特別じゃなくなってしまったことが憎くて仕方がありませんでした。

 その子が10歳の時、僕と母の性行為を見てきました。僕は

ああ、この子もきっと僕と同じように親である存在と性行為がしたいんだな

と直感しました。それと同時に僕はこの子と性行為すればもう一度母の子宮に帰れるのではないかと考えました。母の中で育ち産道を通り生まれて来た彼女の中は誰も育っていないし、通っていません。僕だけです。

その晩彼女と性行為をしました。母と違って小さく柔らかく、癖になりそうでした。

でも子供は痛い、と泣いていました。そんなことも気にせず僕は今まで味わったことのない快楽に支配されて無我夢中で性行為をしていました。

 そんな日々が何年も続き、彼女が16のとき子供を授かりました。娘は男の子を生みました。また、憎しみが生まれました。今まで娘の中に入れたのは僕だけだったのに。

娘の子宮で育ち産道を通り生まれてきた僕の息子が憎くて仕方なかった。娘の時よりも激しい憎しみが沸いていました。僕は男だともう一度子宮へ帰ることができないと思いました。

息子の子育ては娘にやらせました。僕はお仕事だから。仕方がないです。

 息子が10歳の時でした。僕は娘と息子が性行為をしているところを見てしまいました。

僕は激しく息子を𠮟りつけ、殴りました。

しかし後からたくさん考えました。彼にとって娘は故郷であると考えました。僕も同じことをしている。娘の子宮は僕の故郷ではなく息子の故郷でした。 


 子宮が恋しいのはおかしなことでしょうか。




それから息子とは口を利かなくなりました。息子と娘が性行為をするのは続いていたようです。僕は娘と性行為をし始めた時から母とはしなくなっていましたが、また、母に帰りました。やはり僕を肯定してくれるのは母だけのようです。

 息子が高校二年のころ娘は息子との子供を授かりました。

僕は息子に同じ憎しみを抱いてほしくありませんでした。

これが親心でしょうか。僕は息子のことを思っての行動をしました。

 息子を殺しました。初めてまともに見る息子の顔、体、ちゃんと成長していて僕はうれしい気持ちになりました。遺体は警察にばれないよう、家族みんなで食べてしまいました。

ハンバーグにしたり、カレーに入れたり、ステーキにしたり。

しばらくは肉料理の日々が続きました。一番ははじめて一人で肉を焼いて塩コショウで食べたのがうまく感じました。しっかりとした肉のうまみが伝わり息子が憎しみを持ってしまう前に殺してあげられたことへの喜びと初めて料理をしたことへの喜びが沸き、一人でたくさん焼いて食べてしまいました。


それから僕は警察に捕まりました。遺体の解体は娘にやらせたのですが、娘が息子の頭部分を残して自室の窓においていたそうで、通報されてしまいました。

何日か留置された後釈放されました。僕は重度の知的障害とのことでした。

でも僕は知っています。障害者であるのを理由に犯罪として認められないのは人間でない証拠であるということです。

それを認めたくありませんでした。僕は母と娘を残し、自殺しました。自分で自分を罰することが僕を人間と認める方法と思いました。



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故郷 初乃 至閉 @hatsunoshihei

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