牛談〜おそれをいだきて〜

阿炎快空

前編

 新天地開闢同盟しんてんちかいびゃくどうめい無明むみょう

 その組織は戦中、百八機関ひゃくはちきかんと呼ばれた研究機関に所属していた、三人の科学者達——通称・三脳髄さんのうずいによって統率されている。

 

 一人は、「あやかしの軍事利用」担当だった、八柳やつやなぎ冬志郎とうしろう


 一人は、「死者の蘇生」担当だった、御堂みどう影光かげみつ


 そして、最後の一人——

「呪術による暗殺及び大量虐殺」担当だった、百目鬼どうめき史子あやこである。






 男は、薄暗い廊下を歩いていた。

 等間隔で設置された裸電球が、その姿をぼんやりと照らし出す。


 まだ若いのに白い髪に、同じく白い女物の羽織。

 首筋に彫られた鶴の刺青に、それに重なる火傷痕。

 右腕には掌から肘にかけて、びっしりと包帯が巻かれている。

 無明幹部、七人岬しちにんみさきが一人——怪談師・蘇芳すおうである。


 蘇芳は目当ての部屋の前で歩みを止めると、静かに扉をノックした。


「百目鬼博士、失礼します」

「どうぞ、入って」


 声に促され、中に入る

 白い壁に囲まれた、殺風景な部屋だ。

 洋卓テーブルを挟んで長椅子ソファーが向かい合って配置されており、その奥には、書類の山に埋もれた事務用の机がある。

 部屋の主は、読んでいた資料を書類の山の天辺てっぺんに乗せると、蘇芳を見て微笑んだ。


「こんにちは、蘇芳君」


 白衣に、丸眼鏡。

 髪は三つ編みにしており、その顔は、「若さ」を通りこして「幼さ」すら感じさせる程の童顔である。

 初見の人間には、とても彼女が〝百八の魔女〟の異名で畏れられた狂科学者だとは信じられないであろう。


「あやかし集めは順調?」


 お陰様で、と頷く蘇芳に、百目鬼が続ける。


「サトリの妖怪を捕まえたんだって?」

「ええ、苦労しましたが、そのかいはありました」

「それは何より。八柳博士も興味津々だったわ」

「あの人は、あやかしにしか興味がありませんからね」

「ふふ、そうね」


 などと、挨拶がてら談笑していると。

 

 ——ドン。


 重いものを地面に置く音がして、事務机の更に奥——壁の端に設置されていた扉がゆっくりと開いた。

 

 入って来たのは、旧日本軍の軍服に身を包んだ大男だった。

 顔のあちこちには痛々しい縫い目があり、屈強な体格ながら、その肌は病的なまでに青白い。


 蘇芳と同じく、七人岬の一角を担う男——人造人間・六道りくどう


「博士……荷物と機材の移動、完了しました……」


 六道が、低い声でぼそぼそと告げる。


「ああ、有難う、六道君。悪かったわね、忙しいところこき使っちゃって。無明で一番力があるのは貴方だったから」

「いえ……」

「お茶でも飲んでく?」

「残念ですが……これから、御堂博士による検診がありますので……」

「ああ、そうだったわね。さがっていいわよ」

「失礼します……」


 六道は百目鬼に敬礼をすると、蘇芳のいる方向——出口に向かって歩き出した。


「やあ、六道。調子はどうだい?」


 にこやかに声をかける蘇芳であったが、


「……」


 六道は返事をせず、蘇芳の傍らを通り過ぎた。


「おいおい、無視かい?酷いなあ」


 あくまで冗談めかした口調でおどけてみせる蘇芳だったが、六道は扉の取手を握った状態で振り向くと、蘇芳をじろりと睨みつけた。


「……は、お前を信用していない……何を企み、この組織に身を置いている……?」

「心外だねえ。私は別に、何も企んでなんかいないよ」


 少しの沈黙の後、ふん、と鼻を鳴らし、六道は部屋を出ていった。


「ちょっとちょっと。幹部同士、仲良くしてよお?」


 苦笑する百目鬼に対し、肩を竦めながら蘇芳が答える。


「私は仲良くやりたいんですがねえ。しかし、〝我々〟か……あの噂は本当なんですか?」

「噂?」

「彼、人格が六つあるとか何とか」


 ああ、成程——と百目鬼が頷く。


「まあ、多重人格というよりは、六人分の魂の情報が混ざりあってる感じかなあ。六道君は、六つの死体を繋ぎ合わせて造られたから」

「ははあ。まるで西洋の、フランケンシュタインの怪物だ」

「元は六人とも、百八機関で肉体強化実験を受けた軍人だったんだけどね。実戦投入前に、日本が負けちゃって。で、みんなで一斉に割腹自殺しちゃったのよ」

「それはそれは。愛国心も極まれりだ」

「その死体を御堂博士が回収して、不死身の兵士として蘇らせたってわけ」


 御堂影光——人前では、常に防毒面ガスマスクを顔に装着している奇人だ。

 聞いた話では、幼い頃に事故で臨死体験をしたのがきっかけで、〝死後の世界〟に並々ならぬ関心を寄せるようになったのだという。


「しかし、六つもの人格を一つに纏めて、不具合は生じないのですか?」

「相当無理やりではあるけれど、驚異的な団結心で、奇跡的に纏まってる、って感じかな?一応、性格的には脳味噌の持ち主の影響が一番強くて、六人分の怨念を原動力に動いてるとか何とか——ま、詳しい話は御堂博士に聞いて。それより、本題だけれど。

「ああ、そうでした。で、僕は一体、何を運べば?」


 蘇芳の言葉に、百目鬼は可笑しそうに笑うと、


「あなたに肉体労働をさせるつもりはないわ。借りたいのは、こっちのほう」


 そう言って、自分の側頭部をトントン、と指で叩いた。


「ほう?無明の誇る三脳髄の一人である貴女に、私なんぞがお貸しできる知恵があるかどうか」

「それが、こいつはどうも貴方の領分でね」


 百目鬼は立ち上がると、長椅子にかけるよう蘇芳に促した。

 そして自らも、対面の長椅子へと座る。


「蘇芳君、『牛の首』って怪談、知ってる?」

「ふむ、『牛の首』ですか」


 顎をさすりながら、蘇芳が続ける。


「さて、どう答えたものか——『はい』とも言えるし、『いいえ』とも言えますね」






 牛の首。

 それは、古くから伝わる怪談の一つである。


 これを聞いたものは、恐怖のあまり身震いが止まらず、三日と経たずに死んでしまうか、発狂するかしてしまうという。

 怪談の作者は、多くの死者が出たことを悔いて仏門に入り、誰に乞われようと、二度とその話をすることはなかった。


 よって、今に伝わるのは「牛の首」という題名と、それが想像を絶する恐ろしい話であった、という噂のみである——……






「……——と、いうような言い伝えだったかと記憶していますが?」

「そう、その『牛の首』。釈迦に説法だったわね」

「私も風の噂で耳にした程度です。今言ったような概要は把握していますが、『牛の首』という怪談自体の詳しい内容は知りません。知っていたら、こうして生きてはいないですしね」


 でしょうね、と百目鬼が頷く。


「この言い伝えだけど——怪談師の貴方は、どう思う?」

「ま、野暮やぼを承知で言うのであれば——そもそも存在しないのでしょうね、そんな話は。『聞くと死んでしまう恐ろしい怪談がある』という、それ自体が創作だ。しかしその形骸けいがいのみが「内容を知りたい」という人々の好奇心によって、噂として流布され、広がり、増殖していく」

 

 そんな構造まで含めて、『牛の首』という怪談なのでしょう——蘇芳は、そう言って笑った。


「それじゃあ、『牛の首』という題名については?」

「そうですね。人間の頭に、牛の体を持つ妖怪・くだんや、ギリシア神話の怪物・ミノタウロスなどを想起させますが——まあ、人々の関心を引くための、何か意味ありげな題名、という以上の意味はないかと」

「そうよねえ、やっぱり……」

「それが何か?」

「あったの」

「は?」

「実在したのよ、『牛の首』」


 百目鬼の表情は真剣そのものであった。

 どうやら、からかっているわけではないらしい——そう察した蘇芳は、自らも表情を引き締めた。


「……一体、どういう事です?」

「そうね、順を追って話しましょうか」


 そう言って、百目鬼が居住まいを正す。

 彼女が語ったのは、次のような内容であった——





 ——とある山奥に、古いお寺があってね。

 そこの蔵には、妖刀やら、曰くつきの掛け軸やら、とにかく多種多様な呪物が奉納ほうのうされている、って情報を得たの。


 で、うちの人間を向かわせて、それらを買い取りたい、って御坊さん達と交渉したんだけど——ごちゃごちゃ五月蠅うるさいから、結局皆殺しにしちゃった。


 まあ、いろいろと興味深い物はあったんだけど——その中に、お札がべたべた貼られた木箱に収められた書物があってね。

 その表紙には、こう記されていた——『牛の首』。


 まあ、「まさか」と思うわよね。ところが、うちの研究員が、その書物を読んだところ——

 そう、死んじゃったの。四人中三人がね。

 残りの一人は、今もぶつぶつ壁に向かって独り言を言い続けてるわ。


 死んだ三人?

 そうね——まず、その場で心臓麻痺を起こしたのが一人。

 次に、錯乱して硝子ガラスで首を掻き切ったのが一人。

 最後に、言い伝えの通りに、三日間震え続けた後、衰弱死したのが一人——そいつも殆ど正気を失ってたから、怪談の詳細は聞けなかったわ。


 何でも、一度読み出すと、周囲の静止も聞かずに、一心不乱に読み耽っちゃうらしくってねえ。

 で、その書物っていうのが——






「——これよ」


 百目鬼はそう言って長椅子から立ち上がると、机の引き出しから一冊の本を取り出した。

 古びた茶色の和綴じ本で、表紙には確かに、達筆な文字で『牛の首』と書かれている。

 にしても——


「……よく、そんなところに置けますね」


 呆れる蘇芳に対し、百目鬼は、


「んー?読まなきゃいいんでしょ?」


 と不思議そうな顔で答えた。


「まあ、そうですが……」

「で、どう思う、蘇芳君?」


 本を机に置き、百目鬼が再度尋ねる。


「改めて——怪談師としての意見を聞かせて」

「そうですね……」


 蘇芳は腕を組み、しばしの間目を瞑った。


 怪談を聴いた結果、死に至る。

 それ自体は、ない話ではないだろう。

 極度に怖がりで、心臓が弱い人間であれば、心臓麻痺などを起こす可能性は充分にある。

 気が触れるのも同様だ。

 だが——


 目を開け、蘇芳は答えた。


「——人間には好みというものがある。面白いと感じるもの、不快に思うもの、恐怖を抱くもの——皆、それぞれ違うはずです。万人が揃いも揃って、気が触れてしまう程の恐怖心に憑りつかれる怪談というのは、正直に言って——」

「成立が困難?」

「はい」


 そうよねえ、と百目鬼が溜息をつく。


「それはそうなんだけど——」

「事実、被害は出ている、と」


 成程。これは確かに、扱いに困る代物だ。

 解析しようにも、肝心の内容が読めないとあっては、いくら百目鬼といえど手も足も出まい。

 蘇芳が天井を睨み、一人考えをまとめていると、


「ねえ、蘇芳君。これは単に、好奇心から訊くんだけど」


 そう言って、百目鬼が机によりかかりながら、じいっと蘇芳を見つめた。


「例えば——怪談師の貴方が一番恐れるものって何?」

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