牛談〜おそれをいだきて〜
阿炎快空
前編
その組織は戦中、
一人は、「あやかしの軍事利用」担当だった、
一人は、「死者の蘇生」担当だった、
そして、最後の一人——
「呪術による暗殺及び大量虐殺」担当だった、
男は、薄暗い廊下を歩いていた。
等間隔で設置された裸電球が、その姿をぼんやりと照らし出す。
まだ若いのに白い髪に、同じく白い女物の羽織。
首筋に彫られた鶴の刺青に、それに重なる火傷痕。
右腕には掌から肘にかけて、びっしりと包帯が巻かれている。
無明幹部、
蘇芳は目当ての部屋の前で歩みを止めると、静かに扉をノックした。
「百目鬼博士、失礼します」
「どうぞ、入って」
声に促され、中に入る
白い壁に囲まれた、殺風景な部屋だ。
部屋の主は、読んでいた資料を書類の山の
「こんにちは、蘇芳君」
白衣に、丸眼鏡。
髪は三つ編みにしており、その顔は、「若さ」を通りこして「幼さ」すら感じさせる程の童顔である。
初見の人間には、とても彼女が〝百八の魔女〟の異名で畏れられた狂科学者だとは信じられないであろう。
「あやかし集めは順調?」
お陰様で、と頷く蘇芳に、百目鬼が続ける。
「サトリの妖怪を捕まえたんだって?」
「ええ、苦労しましたが、そのかいはありました」
「それは何より。八柳博士も興味津々だったわ」
「あの人は、あやかしにしか興味がありませんからね」
「ふふ、そうね」
などと、挨拶がてら談笑していると。
——ドン。
重いものを地面に置く音がして、事務机の更に奥——壁の端に設置されていた扉がゆっくりと開いた。
入って来たのは、旧日本軍の軍服に身を包んだ大男だった。
顔のあちこちには痛々しい縫い目があり、屈強な体格ながら、その肌は病的なまでに青白い。
蘇芳と同じく、七人岬の一角を担う男——人造人間・
「博士……荷物と機材の移動、完了しました……」
六道が、低い声でぼそぼそと告げる。
「ああ、有難う、六道君。悪かったわね、忙しいところこき使っちゃって。無明で一番力があるのは貴方だったから」
「いえ……」
「お茶でも飲んでく?」
「残念ですが……これから、御堂博士による検診がありますので……」
「ああ、そうだったわね。さがっていいわよ」
「失礼します……」
六道は百目鬼に敬礼をすると、蘇芳のいる方向——出口に向かって歩き出した。
「やあ、六道。調子はどうだい?」
にこやかに声をかける蘇芳であったが、
「……」
六道は返事をせず、蘇芳の傍らを通り過ぎた。
「おいおい、無視かい?酷いなあ」
あくまで冗談めかした口調でおどけてみせる蘇芳だったが、六道は扉の取手を握った状態で振り向くと、蘇芳をじろりと睨みつけた。
「……我々は、お前を信用していない……何を企み、この組織に身を置いている……?」
「心外だねえ。私は別に、何も企んでなんかいないよ」
少しの沈黙の後、ふん、と鼻を鳴らし、六道は部屋を出ていった。
「ちょっとちょっと。幹部同士、仲良くしてよお?」
苦笑する百目鬼に対し、肩を竦めながら蘇芳が答える。
「私は仲良くやりたいんですがねえ。しかし、〝我々〟か……あの噂は本当なんですか?」
「噂?」
「彼、人格が六つあるとか何とか」
ああ、成程——と百目鬼が頷く。
「まあ、多重人格というよりは、六人分の魂の情報が混ざりあってる感じかなあ。六道君は、六つの死体を繋ぎ合わせて造られたから」
「ははあ。まるで西洋の、フランケンシュタインの怪物だ」
「元は六人とも、百八機関で肉体強化実験を受けた軍人だったんだけどね。実戦投入前に、日本が負けちゃって。で、みんなで一斉に割腹自殺しちゃったのよ」
「それはそれは。愛国心も極まれりだ」
「その死体を御堂博士が回収して、不死身の兵士として蘇らせたってわけ」
御堂影光——人前では、常に
聞いた話では、幼い頃に事故で臨死体験をしたのがきっかけで、〝死後の世界〟に並々ならぬ関心を寄せるようになったのだという。
「しかし、六つもの人格を一つに纏めて、不具合は生じないのですか?」
「相当無理やりではあるけれど、驚異的な団結心で、奇跡的に纏まってる、って感じかな?一応、性格的には脳味噌の持ち主の影響が一番強くて、六人分の怨念を原動力に動いてるとか何とか——ま、詳しい話は御堂博士に聞いて。それより、本題だけれど。
「ああ、そうでした。で、僕は一体、何を運べば?」
蘇芳の言葉に、百目鬼は可笑しそうに笑うと、
「あなたに肉体労働をさせるつもりはないわ。借りたいのは、こっちのほう」
そう言って、自分の側頭部をトントン、と指で叩いた。
「ほう?無明の誇る三脳髄の一人である貴女に、私なんぞがお貸しできる知恵があるかどうか」
「それが、こいつはどうも貴方の領分でね」
百目鬼は立ち上がると、長椅子にかけるよう蘇芳に促した。
そして自らも、対面の長椅子へと座る。
「蘇芳君、『牛の首』って怪談、知ってる?」
「ふむ、『牛の首』ですか」
顎をさすりながら、蘇芳が続ける。
「さて、どう答えたものか——『はい』とも言えるし、『いいえ』とも言えますね」
牛の首。
それは、古くから伝わる怪談の一つである。
これを聞いたものは、恐怖のあまり身震いが止まらず、三日と経たずに死んでしまうか、発狂するかしてしまうという。
怪談の作者は、多くの死者が出たことを悔いて仏門に入り、誰に乞われようと、二度とその話をすることはなかった。
よって、今に伝わるのは「牛の首」という題名と、それが想像を絶する恐ろしい話であった、という噂のみである——……
「……——と、いうような言い伝えだったかと記憶していますが?」
「そう、その『牛の首』。釈迦に説法だったわね」
「私も風の噂で耳にした程度です。今言ったような概要は把握していますが、『牛の首』という怪談自体の詳しい内容は知りません。知っていたら、こうして生きてはいないですしね」
でしょうね、と百目鬼が頷く。
「この言い伝えだけど——怪談師の貴方は、どう思う?」
「ま、
そんな構造まで含めて、『牛の首』という怪談なのでしょう——蘇芳は、そう言って笑った。
「それじゃあ、『牛の首』という題名については?」
「そうですね。人間の頭に、牛の体を持つ妖怪・
「そうよねえ、やっぱり……」
「それが何か?」
「あったの」
「は?」
「実在したのよ、『牛の首』」
百目鬼の表情は真剣そのものであった。
どうやら、からかっているわけではないらしい——そう察した蘇芳は、自らも表情を引き締めた。
「……一体、どういう事です?」
「そうね、順を追って話しましょうか」
そう言って、百目鬼が居住まいを正す。
彼女が語ったのは、次のような内容であった——
——とある山奥に、古いお寺があってね。
そこの蔵には、妖刀やら、曰くつきの掛け軸やら、とにかく多種多様な呪物が
で、うちの人間を向かわせて、それらを買い取りたい、って御坊さん達と交渉したんだけど——ごちゃごちゃ
まあ、いろいろと興味深い物はあったんだけど——その中に、お札がべたべた貼られた木箱に収められた書物があってね。
その表紙には、こう記されていた——『牛の首』。
まあ、「まさか」と思うわよね。ところが、うちの研究員が、その書物を読んだところ——
そう、死んじゃったの。四人中三人がね。
残りの一人は、今もぶつぶつ壁に向かって独り言を言い続けてるわ。
死んだ三人?
そうね——まず、その場で心臓麻痺を起こしたのが一人。
次に、錯乱して
最後に、言い伝えの通りに、三日間震え続けた後、衰弱死したのが一人——そいつも殆ど正気を失ってたから、怪談の詳細は聞けなかったわ。
何でも、一度読み出すと、周囲の静止も聞かずに、一心不乱に読み耽っちゃうらしくってねえ。
で、その書物っていうのが——
「——これよ」
百目鬼はそう言って長椅子から立ち上がると、机の引き出しから一冊の本を取り出した。
古びた茶色の和綴じ本で、表紙には確かに、達筆な文字で『牛の首』と書かれている。
にしても——
「……よく、そんなところに置けますね」
呆れる蘇芳に対し、百目鬼は、
「んー?読まなきゃいいんでしょ?」
と不思議そうな顔で答えた。
「まあ、そうですが……」
「で、どう思う、蘇芳君?」
本を机に置き、百目鬼が再度尋ねる。
「改めて——怪談師としての意見を聞かせて」
「そうですね……」
蘇芳は腕を組み、しばしの間目を瞑った。
怪談を聴いた結果、死に至る。
それ自体は、ない話ではないだろう。
極度に怖がりで、心臓が弱い人間であれば、心臓麻痺などを起こす可能性は充分にある。
気が触れるのも同様だ。
だが——
目を開け、蘇芳は答えた。
「——人間には好みというものがある。面白いと感じるもの、不快に思うもの、恐怖を抱くもの——皆、それぞれ違うはずです。万人が揃いも揃って、気が触れてしまう程の恐怖心に憑りつかれる怪談というのは、正直に言って——」
「成立が困難?」
「はい」
そうよねえ、と百目鬼が溜息をつく。
「それはそうなんだけど——」
「事実、被害は出ている、と」
成程。これは確かに、扱いに困る代物だ。
解析しようにも、肝心の内容が読めないとあっては、いくら百目鬼といえど手も足も出まい。
蘇芳が天井を睨み、一人考えをまとめていると、
「ねえ、蘇芳君。これは単に、好奇心から訊くんだけど」
そう言って、百目鬼が机によりかかりながら、じいっと蘇芳を見つめた。
「例えば——怪談師の貴方が一番恐れるものって何?」
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