第20話 選べないもの

 ――まぶしい。

 言ノ葉は、ヒリヒリ痛む目をまたたかせつつ、鉛筆を置く。

 デッサンの開始から数時間が経過し、宇宙から直接そそぐ太陽光と、龍郎の尾に灯った炎の明かりが彼の大腿だいたいに並ぶ鱗に強く反射して、言ノ葉の目を直撃するようになっていた。


 防魔高校の生徒たちがこれだけ集まれば、この運動場内の天候を操ることくらいは容易だが、集中力の必要なデッサンと同時に天候操作魔法を使うとなると別だ。美術部ではこのデッサン会の開催が決定する前から、光源こうげんの位置や強さが変わりにくい室内の会場も探していたが、ドラゴンの巨体が収まるうえに、その全体を離れた位置から観察できるような場所は、この高校にはなかった。

 ――それに美術部員たちは皆、ドラゴンが自然の中でのびのびと生きている様子を見たがった。

 しかし、眩しいとはいっても、時間の制限だってあるのだから、何も描かずに待っているわけにはいかない。


 ――少し角度を変えれば、ましかもしれない。

 言ノ葉は、椅子やイーゼルをできる限り動かさないよう、そっと立ち上がり――。

 がさっ。

 気を付けていたはずなのに、足が引っかかって倒れたイーゼルが、第二運動場の地面に激突し、乾いた砂をわびしく巻き上げる。

 倒れたものも落ちたものも、ほとんどが木製なので、大した音は出なかったが、日曜日の静かな運動場には、そのわずかな音が銃声のように危なく響き渡る。


《せっかく集中してたのに、うるさいわね》

《自由度の高いではあるけど、他人に迷惑をかけるのはやめろよ》

《モデルさんは動かずに我慢してくれているのに、騒ぐなんて失礼だよ》


 飛んできた視線や、鉛筆を置く音からそんな言葉を読み取ってしまった言ノ葉は、慌てて言語解読魔法を解除して小声で何度も謝り、イーゼルを立て直して、落ちたものを拾い集める。

 ――だから、悪い癖は早く直したいのに。

 優しい先輩や友人たちの少しだけ厳しい部分を、わざわざ強調なんてしたくないのに。


 しかし、聞いてしまったものは取り消せない。

 道具を置き直した言ノ葉は、椅子の上でできる限り小さくなって、ドラゴンの身体の何とか見えている部分を観察しながら、デッサンを続ける――。


「何をしようとしていたんだ」

 人間に戻った龍郎が言ノ葉に声をかけてきたのは、夕方四時、第二運動場の使用時間を終えて片付けも済ませ、部室をねる第一美術室から、学校近くの学生寮へと帰る途中のことであった。


「何、って……?」

 言ノ葉はあれから、絵を描くことよりも言語解読魔法を発動しないことに集中していた。

「途中でどこかに行こうとしていただろう」

 しっかりした骨格と制服の帽子でほとんどが陰になっている顔には、いつもの通り表情がない。

「用事があったんじゃなかったのか」


「ああ、いいの」

 言ノ葉が笑ってみせると、龍郎はちょっと首をかしげて、何かきたげな目をする。

 ――やっぱり、見逃したくない。


「ちょっと眩しかったから、違う角度から見てみようと思っただけ。次のときに見るから、いいの」

 美術部員たちの熱意と龍郎の厚意により、龍郎を招いての活動は、少なくともあと二回やらせてもらうことになっている。今日やりきれなかったことは、そのときにやればいいのだ。


「なんだ」

 呟いた龍郎は、手ぶらだ。今日はただ、デッサン会のためだけに来てくれたらしい。――いや、違うか。ドラゴン状態での潜伏訓練もしに来たのか。

「言ってくれれば、火を消した」

 そう言う龍郎の目は、怒――っているわけではなさそうだ。

 ――やっぱり、こうして、きちんと顔を見て話せるようになりたい。


「……でも、モデルさんは動いたらダメだし、私がイーゼル倒しちゃって、みんな怒ってたし。無裏君に聞こえるような大声出したら、もっと迷惑だよ」

 言語解読魔法のことは、龍郎から言い出さない限り、そのままにしておこうと言ノ葉は思っていた。

 別に、はっきりとばらしたくないだとか、そういうことではない。

 言ノ葉はただ、自分の言語解読魔法が嫌いだった。


「助けが必要かと、気にかけている人もたくさんいた。一度は苛立いらだった人も、すぐに心配する視線を送っていた。言語解読魔法で聞いていなかったのか」

 龍郎と言ノ葉は、太い川をまたぐ大きな橋の上に来ていた。

 少し前に龍郎がこの下で顔面をぶつける練習をし、変異生物騒ぎになった橋だ。


「……やっぱり、気付いてたの?」

 質問に質問で返すのはおかしいと分かっているのに、言ノ葉は、そうしてしまった。

 ――それに、こんな質問では、また質問が返ってくるに違いないのに。こんなことを何度もやって、解の言いたいことははっきり言わないと伝わらないと、何度も叱られたのだ。


「言ノ葉さんならいつも、言語解読魔法を使っているだろ」

 ――返ってきたのは、そんなだった。

「どんな言葉が伝わってこようが、言いなりにならなければならないという決まりはない。俺も場合によっては、参考にするまでにとどめる」

 ということは、つまり――。


「……無裏君も、言語解読魔法、得意なの?」

「俺はドラゴンだからな」

 そうとだけ答えた龍郎は、何故か自信満々の様子に見える。

 一方で言ノ葉は、一瞬、色々なことを忘れてしまう。


「ドラゴンだと、なんで言語解読魔法が得意なの?」

 言ノ葉は、本物のドラゴンが言葉を理解するという話や、動物になるタイプの魔法が得意な人が言語解読魔法も得意であるという話など、聞いたことがない。

「俺のドラゴンは地面に寝そべってでもいない限り、耳の位置が高すぎて、地上にいる人の声がはっきり聞こえない。あとは、自分の羽音はおとや炎の音、鱗がこすれる音なんかもうるさい。言語解読魔法を使わないと、ドラゴンのときに人の話を聞くことはほぼ不可能だ」


 すっごい物理的な理由。

 そう思ったが、言ノ葉は納得する。

 確かに言ノ葉も、町に反響する町内放送の声や、遠くにいる人の声を聞き取ろうとするときには、言語解読魔法に頼ってしまう。


「あとは、俺の家族も全員動物だからな」

 龍郎は小股に橋の歩道を歩きながら、話を続ける。

 ――そういえば彼は、両親の遺伝子が合わさった結果、偶々ドラゴンになったのだと言っていた。


「実家では、互いに鳴き声や視線で会話をする。父さんと母さんは、テレパシー系の魔法を使う方法も考えたらしいが、赤ん坊には難易度が高すぎたようだ。それで、小さい頃から言語解読魔法を日常的に使っていて、きたえられた。――言ノ葉さんほどではないが」

 龍郎の目は、笑っている。


 それなのに。

 それなのに言ノ葉は、嬉しい気持ちになることができない。

 かといって、酷く嫌な気分になるわけでもない。

 ――言ノ葉にとっての言語解読魔法は、それほど単純な存在ではなかった。

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