第18話 ドラゴンが好きな人

 しかし、あの「で?」は何だったのだろうか。

 デッサンのモデルの話も済んでいないし、聞いておかなければ。

 龍郎に無理をさせまいと大股で歩いてみていた言ノ葉は、すぐに龍郎を追い抜かしてしまい、すごすごと元の歩幅に戻りながらたずねる。


「あの、無裏君」

 龍郎の黒い瞳が、再び言ノ葉を捉える。その視線はダイヤモンドすら切ってしまいそうに鋭くて、やはり少し怖い。

「さっき、『で?』って言ってたけど、何を言おうとしたの?」

 言語解読魔法を使っていればすぐに済んだ話だったのだが、平和な高校生活のためだ。仕方あるまい。


「言ノ葉さんの使った単語が分からなかった。『で』ナントカ」

「あ」

 なんだ、それだけのことか。

 それだけのことで、こんな遠回りを――。とは思うが、普通の人間関係というのは、そういうものなのかもしれない。


「『デ・ッ・サ・ン』だよ」

 言ノ葉にとっては身近な言葉を、彼女は一音ずつ、ゆっくり発音する。自分にとっての当たり前が、他の人にとっても同じとは限らないのだ。

「デッサンっていうのは、うちの美術部では、ものをじっくり観察して、細かいところまでうつす練習のこと。みんなにその物が伝わるような説得力のある絵――つまり、リアルだったり、その物の特徴を捉えたりしている絵って、本物を見て描いたことがないと、描けるようにならないからね」


 言ノ葉の知っている『デッサン』は普通、数時間かけて一つの対象を詳細に観察し、描くものだ。この辺りの学校では美術に特化した学科でもない限り、時間の制限から、通常の授業の時間にデッサンを教えることは少ないのだろう。言ノ葉も、これまでに普通の授業でデッサンをした記憶はない。

「なるほど」

 龍郎は顎を引いて頷き、前を向くと――。

「ドラゴンでデッサンの練習台になる件、了承した」


 って。

 ……って。

「いいの⁉」

 笑いと驚きが同時に爆発した言ノ葉はかえりながら、龍郎を見上げる。


「あの、デッサンって、何時間もかかるから、その間、モデルの人にはずっと同じポーズをとってもらうことになるんだけど……!」

 もちろん休憩時間は設けられているが、それでも、数十分間貧乏びんぼうゆすりもできずに同じ姿勢でつづけるというのは、簡単なことではない。

 しかし、それを聞いた龍郎は、やっぱり嫌だと首を振るでもなく、それでもいいと頷くでもなく――。


「時間は長ければ長いほどいい」

 そう断言するのであった。


 言ノ葉は、モデルになる時間が長ければ長いほどいいなどと言う人に初めて会ったので、何一つ言葉が出てこない。

 そんな言ノ葉よそに、龍郎は話を続ける。

「俺は、人間よりもドラゴンでいる方が楽なんだ。正式にドラゴンでいられる場があるなら、それ以上に嬉しいことはない。ずっと同じ体勢でいることも、ドラゴン状態で潜伏せんぷくするための訓練になる。そのうえ、美術部員たちの役に立てるんだろう」


「お、どぅ……」

 正式にドラゴン? 潜伏? 訓練? もう、意味が分からなくて変な声しか出ないが、ともかく、龍郎は快諾かいだくしてくれているらしい。

 あ。

 でも、それなら――。


「あ、あの、でも、もしかしたら、飛んでるところが見たいとか、走ってるところが見たいとか、そう言う子もいるかもしれない。みんな、やりたいことは色々だから……」

 防魔高校の中では部員数の少ない美術部では、その場で活動の詳細が決まることも多い。

「いいぞ」

 龍郎は、ごつい親指をぐっと立てている。

 …………。

 いいの⁉


「俺はドラゴンで飛ぶのも走るのも好きだ」

 ――つまり、やはり、快諾してくれるらしい。

「無裏君、ありがとう。ほんとに」

 言ノ葉はもう、ただただ感謝するしかない。

 あとは、龍郎と美術部の日程を調整して――。


「だが、俺でいいのか」

 龍郎はぐに、言ノ葉を見下ろしている。

「へ?」

 何故、龍郎はそんなことを言うのだろう。龍郎は数少ない、ドラゴンの魔力を持った人間なのに――。

 龍郎は言ノ葉から一瞬らすと、廊下の左側、開いていた二年N組の扉から、その教室の窓を見る。――巨大ガエル騒動があった校庭が見える窓だ。


「動物になる魔力が強い人の中には、本物の動物と同じものになる人も多くいるが、俺のドラゴンは、本物のドラゴンとは少し違う」

 龍郎は正面に視線を戻して歩き続けながら、淡々と説明する。

「俺の場合は、両親の遺伝子が混ざって、偶々たまたまドラゴンのようになっただけらしいんだ。どれだけ調べても、本物のドラゴンに、俺のような見た目をした種類はいなかった」


 確かに龍郎のドラゴンは、足の指が五本ではなく四本であることや、喉の両脇に不透明な宝石のような、丸くて大きなうろこがあること、最も羽毛の面積が多いと言われるドラゴンのハーバーリン種よりも羽毛が多いこと、口からだけでなく羽毛からも炎が出ることなど、一般的なドラゴンとは異なる点がいくつもある。


「それでも、ドラゴンを描く練習になるのか」

 龍郎は言ノ葉に向き直り、少しだけ首をかしげる。

 ――しかし、それについては、美術部の方で了解が取れている。

「大丈夫。練習では色んなものを描くことが大事だし、ドラゴンをじっくり観察できるっていうメリットの方が大きいの。それに――」

 これが、最も大切な点だ。

「無裏君のドラゴン、かっこいいし!」


 自分自身が対象に魅力を感じていなければ、対象の魅力を絵で表現することはできず、もちろん見る人に伝えることもできない。人に見せる予定のない練習の絵ではその限りではないのかもしれないが、龍郎のドラゴンはとかく、美術部の部員たちに大人気だったのだ。


「よく言われる」

 龍郎の低い声に、言ノ葉は怖くなって、思わず言語解読魔法を発動してしまう。

《みんなにかっこいいと言ってもらえて嬉しい》

 言ノ葉はその言葉を知って少し嬉しくなり、そして、少し後悔した。


 彼の目を見れば分かったことだ。

 言ノ葉に「かっこいい」と言われたとき、彼の目は、大好きな人にめいっぱいでてもらった子犬のそれのように、きらきらと純朴じゅんぼくな輝きを放った。


 言ノ葉はそれを、その時に、見逃みのがしたのだ。

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