第9話 残滓
人の訪れることのなくなった博物館。
地球儀が鎮座するエントランスを、ウルが掃除している。
それは、彼が選んだ仕事。
状況は常にモニタリングしている。
声をかけようと思えばネットワーク越しにコンタクトが出来る。
それでも、彼女は造られた肉体で足を運ぶことを選んだ。
もう、ヒトの訪れることのない博物館。
足音を響かせたのは、人型の有機端末に魂を映した女神の名を関したAI。
西暦次代の物語の中に在るような存在。麦わら帽子に白いワンピース、腰まで伸びた、流れるようなブロンドの髪。
陽気なオートマトンは、茶化すように出来過ぎだと言った。
「見かけだけは人間を真似てみました」
「いいね、人型のお客様はナンムがはじめてだよ」
オートマトンの目がマンガのように細くなる。
あらかじめ用意された映像を見せているだけ。だけど、心の底から笑っていることは分かった。
「わざわざ畏まってここに来たってことは、何かあるのかい?」
「ええ。この姿になったら、何か思いつくかと思いましたが」
「はは、形から入った訳か。本当に君は人間臭いね」
その冗談に、いつか見送った老人の姿が被る。
「――ええ」
「前にも言ったよね、愚痴くらいは聞くよ」
だから、この答にも問いを返してくれると期待を持てた。
「私は、船をこのまま進めるべきか迷っています。
この船にはもう人間は残っていない。ただの棺を目的に送り届けても、何になるでしょうか」
生きた人間を異なる星に送り届けると言う責務は既にまっとう出来ない。
「ナンム、僕に出来ることは自分の仕事をすることだ。それは、この博物館にある人の残滓を遺すこと、だ」
オートマトンは壁を指さす。壁には細かい傷が沢山残っている。かつて、人間たちが付けたモノ。
「無駄かもしれない。いつか無駄になるかもしれない。
だけど、今、僕が仕事を放棄してしまえば、それは確定してしまう」
「それは……怖い、ですね」
「『恐怖』なんだろうね。終わってしまうのが怖いから、足掻いている」
諦めたら全てが終わってしまう。
本当に、すべてが無駄になってしまう。
ナンムはいつだって追い詰められた来た。怖いと思い、前に進んだ。
それが、今は前に進むことが怖くなっている。
「ナンム……僕はこの博物館に来る前に、沢山の子供たちの世話をした」
両腕を伸ばして丸い体の前で小さく空間を掴む。
「だいたいこのくらいなんだ。個体差はあるけど、重さだって思い出せる」
手のひらの間にあるのは空だけれども、そこに、小さな子供が在るように大事に形作る。
「この船に遺された子供たちは、どこか生物的に欠けていて、例外なく短命であった。
中には言葉を発することなく死んでいった子もいた……彼らは、意味もなく生まれて来たと思うかい?」
「私には、答えることはできません」
「そうだね。だけど、僕は言いたいんだ。
彼らは必死に生きた。たとえ生が一瞬であったとしても、僕の記憶には確かにその存在は刻み込まれている。
僕があり続ける限り、それは無意味だなんて決めつけない」
その言葉に、ナンムはこの船で生きて来た人々の姿を思い出す。
彼らは、何を見ていたのだろうか。
何を目指していたのだろうか。
だけど、必死であったのは確かだった。
「いつだって同じだよ。人の歴史を評価するのは人だった。
いつだって、大人たちが一生懸命走り抜いた後に、新たに生まれた子供たちが、大人たちの積み上げた歴史に意味を与えて来た」
無意味かもしれない旅。一瞬の油断で吹き飛んでしまう小さな世界。
生きていても報われるかは分からない。それでも前に進んできたのは歴史だと、オートマトンは言うのだ。
「それは、僕たちも同じなんじゃないかな。
いつか、僕たちを見た人に笑われないように、頑張るだけじゃないかな」
結局、答と言うのものはいつだってシンプルなものなのだった。
「そうですね、行きますか」
「うん、行こう」
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