土運びのジウスドラ

狼二世

第1話 地球儀

 一直線に伸びる赤い絨毯。その上を、一メートルほどの金属の球体が転がり進んでいる。

 壁には等間隔に並ぶガス燈を模したライト。床と天井はシンプルな装飾の大理石――のように加工したカーボン。

自然界には存在しない、不自然なまでに整った空間。その中を、意思があるかのように真っすぐに転がっている。


 それを止める人間は、もう存在しない。

 この空間に響くのは球体が転がる音だけ。

 やがて、球体はとある物体の前でピタリと止まる。そこは円形の広場の入り口。真ん中には綺麗に磨かれた透明なケースが置かれている。

 外装の一部がスライドすると、中からカメラアイが二つ見えてくる。ぬいぐるみに付けられた瞳のように、黒く磨かれている。


「――状況確認」


 いかにも機械音声といった、色の無い声が響く。同時に上部の二か所、下部の二か所のパネルが開くと、伸縮性の腕と脚が出て来た。

 球体は器用に立ち上がる。丸い体に小さなカメラアイ。細いけれど手と足の部分だけは大きい四肢は、まるでマスコットのよう。

球体は、目の前の物体を確認する。綺麗に磨かれたショーケース。中にはあるのは、古びた地球儀。丸い体から生えた手で器用にケースを外すと、備え付けられた磨き布で丁寧に拭いていく。

 いつものルーチン、決められた仕事。機械にインプットされた、決められた動作。

 だけど、その日は少しだけ違った。


「ウル――」


 久方ぶりに届いた個体名が届いた瞬間、整備をしていたアームが止まる。


「お仕事中失礼しますよ」


 透き通る声が聞こえた。まるで造り物のような心地の良い声だった。

 その声色の主は、ただの『一つ』しか該当しない。


「やあ、久しぶりだね……ナンム」


 声の色が変わる。機械が出す無機質な音だと言うのに、名を呼ぶときに声が大きくなる。

 ウルは声に振り返る。そして、一瞬、固まった。前面に取り付けられ目のようなモニターが白黒に光る。拶と言うよりは、困惑と言う様子だった。


 機械の瞳にうつったのは、麦わら帽子と白いワンピース、ブロンドの髪を腰まで伸ばした絵に描いたような美少女。あまりにも出来過ぎた存在だった。


「いや、それはないよね。いくら端末を好きに作ることが出来るにしても、そんな西暦時代の妄想の集合体みたいな美少女の姿で来ることないよ」


「ふふ、これでも女神の名前を冠していますから」


 ノイズのような電子音。それは彼にとっての溜息だった。


「それならいっそ青と白のロリータ服で来るくらい開き直ったらよかったんじゃない」

「それはジャンルが違いますから」


 造り物の身体から、本物の笑い声が漏れる。

 声は建物を飛び出すと、その外に広がる街まで飛び出していく。

 作業中の球体の機械――ウルの同型機たちが立ち止った。二十世紀の日本を思わせる街並みを闊歩する機械たちは、声がどこから聞こえて来たのかカメラを凝らして確認する。

 見上げた先には人口の大地。その合間を透明な外壁越しに星も見えない宇宙が見える。


 ここは、地球より遥か離れた宇宙の海。かつて人が造り、人が消えていった宇宙船の中。


 人の造った機械と、人の真似事をした機械だけが残った墓標の中の光景。


 もう視認することも出来ない青い星を背に、鉄塊が虚無の海を往く。定期的な速度で回転する円筒からは『生きている』と主張するように光が漏れる。


 進む先は広大な宇宙。僅かに届く光の波だけを頼りに、すれ違うものもない世界を進んでいく。


 それは船。遺された何かを運ぶために造られた箱舟。


 広大な宇宙空間に解き放たれた金属の箱舟を、青い星に残った人は神話に準えて『ジウスドラ』と呼んだ。

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