第二部 異界編

ナギ

 さかいの世界。

 その少女の生まれた世界は、そんな風な名前で呼ばれていた。

 そして、少女自身の名はナギ

 誇り高き、半竜族はんりゅうぞくの娘だ。


 半竜族はその名の通り、半分が竜で、もう半分が人である種族だ。

 体のつくりは人間そっくりだが、全身が緑色の鱗で覆われており、頭部には小さな角が二本生えている。


 半竜族は、とある山の頂に集落をかまえていた。

 彼らは天をかける竜達を信仰しており、時折、赤い空にその影を見かけては、仕事の手を止めて祈りを捧げた。


 ナギはどんな時でも、双子のニアと一緒だった。

 ニアはおてんばなナギとは異なり大人しい性格だったが、二人はとても仲が良かった。

 母が畑仕事をする傍ら、幼い双子は草むらでじゃれあって遊んだ。


 まだ収穫時期ではない人面瓜じんめんうりツルをちぎってしまって母に怒られたり、ちょっかいをだした双頭の蛇に噛まれて、二人でワンワン泣いたりした。

 自分の作ってやった花冠を頭に乗せ、嬉しそうに笑うニアの顔を、ナギは今でも覚えている。






 それはナギが生まれてから、六度の季節が廻った年のことだった。

 ごく稀に、境の世界には〝夜〟が訪れる。

 山の中腹にある泉では、〝夜〟の間だけ七色に光る、美しい蛍の姿を見ることができた。

 その日、父、母、そしてナギとニアの四人は、蛍を見るため、泉に足を運んでいた。

 泉は若き日に、父が母に想いを伝えた思い出の場所とのことだった。


 やがて空が黒く染まり始め——あっという間に、世界は〝夜〟に覆われた。

 途端に恐ろしくなってすがりつくナギとニアを、母親が優しくあやした。


「大丈夫よ。ほら、ごらん」


 促されるままあたりに目をやると、暗闇に柔らかな明かりが灯りはじめた。

 蛍だった。


 赤、橙、黄、緑、青、藍、紫——無数の蛍が次々と色を変えながら、泉の上を飛び回る。


 それまでぐずっていたのが嘘のように、ナギとニアはそれぞれ感嘆の声を漏らした。

 それはとても美しく、幻想的な光景だった。






 しかし、幸せな時間は長くはつづかなった。


 ひっひっひっ——


 不吉な笑い声と共に、邪悪な気配があたりを包んだ。

 蛍達が発光と羽ばたきをやめ、一匹、また一匹と、泉に落ち始める。


「これは、一体……?」


 再び訪れた漆黒の闇の中、部族一の狩人であった父の声と、緊張からか微かに震えていた。

 

「一家団欒を邪魔して悪いねえ」


 すぐ近くから、老婆のひどくしゃがれた声が聴こえた。

 

「〝夜〟に贄を捧げた直後は、どうにも気分が昂っちまっていけない。ちょいとアタシと遊んでおくれよ」

「貴様、何者だ!?」


 父が腰の小刀を抜き放ったのが、気配でわかった。


 アタシかい、と老婆の声が笑う。

 途端——ボウ、と青い鬼火が宙に現れ、声の主の姿を照らした。


 黒猫を肩に乗せた、黒い襤褸ぼろを身に纏った老女だ。

 大きく見開かれた瞳には眼球が無く、空洞の中に漆黒の闇が広がっていた。


「周りからは、〝宵闇よいやみの魔女〟って呼ばれてるよ」






 ——結論から言えば。

 ナギはこの魔女の〝遊び〟によって、かけがえのない家族を一人残らず失うこととなる。

 こうして、彼女の物語が幕を開ける。

 血塗られた、復讐の物語が——……

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僕らの境界奇譚 阿炎快空 @aja915

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