第四話 一服刺られる毒
「『
「逃げろ! 今はただ逃げるんだ! 与鷹!」
クロの焦る声が、状況の危険度を理解させる。
「さっき見たように、あいつは生命エネルギーを熱エネルギーに変換し、炎上させる。生命である限りあの右腕に触られたら死だ!」
「逃げるって、他に方法はないのか⁉︎ ここで逃げても、ずっと追われ続ければいつかは見つかってしまう。手の内だってバレた! 」
「それでもだ! ボクの体の半分は焼死させられて、もう再生はしないんだ!」
腕に乗る子猫のクロと言い合う。
「仲間割れはよせよ。私がいるのに」
鉛がゆっくりと近づいてくる。
敵本人が焦らせないことによって、クロたちの判断を遅らせるためだ。
「言うことを聞かないとこうだぞ!」
クロが腕を噛む。
「……」
「……」
しかし、子猫の小さな歯ではチクリとする程度のものしかできなかった。
だが、その無力さが、無念さが、与鷹の心を動かした。
「……わかりました。逃げましょう」
エリアの出口に向かおうとしたとき----
『ずいぃーーーーん』
ベルトコンベアが動き出した。
扉が開き、
「カレー美味かった」「豚カツカレーもな」「働きたくねえ」「わかるわ」「俺は好きだぜ」「キモ」
お昼休憩から帰ってきた社員たちが、ぞろぞろと入ってきた。
「なっ、なに!」
「ハハハハハ。私が何の理由もなく、能力をあけっぴろげに紹介すると思ったか? あのときからコレを狙ってたんだよ!」
エリア中に鉛の高笑いが響く。
「あれ? 工場長だ」「ほんとだ、ご飯食べたかな?」「あの男は誰だ?」「工場長の顔、なんか傷ついてないか?」
「すうぅ〜」
深呼吸。
「その男を捕まえろお! 刃物を持っているぞお! 逃がすなあ--‼︎」
ほぼ絶叫に近い声が、社員たちの脳を捕らえる。
「刃物⁉︎」「強盗か⁉︎」「じゃあ、あの工場長の傷もあいつが⁉︎」「逃げようとしてるぜ」「人を殺してもおかしくないような凶悪な顔をしてる」
あっという間に逃亡経路を封じられた。
「どっ、どうするクロさん!?」
「前方の社員たち、後方の焼死男。こうなったらもう、あいつの言葉に乗るしかない」
クロは黄金となって変形を始める。
「言っておくが、形を変える程度しかできない。変形も遅いし、自分では動けないからな」
「わかった!」
与鷹の手には黄金の鋭い包丁が現れた。
「ごらぁぁァーーー! どけえぇ! 出口を開けろお! さもねえと刺し殺すぞ! 」
人殺しの形相で脅す。
モーゼが海を割るように、人混みが瞬く間に開く。
「すごいな! 今のはボクも怖かった」
「ありがうごさいます!」
人の間を通って、出口に向かおうと走る。
あと少しで脱出という距離に、勇者が現れる。
人混みの中から大男が、与鷹に向かってタックルをした。
与鷹は吹っ飛び。クロは床を滑って遠くへ。
「抑えろ!」
周りにいた男たちが与鷹を抑えつける。
「待ってくれ、あの男に殺されそうなんだ!」
与鷹が必死に説得を試みるが。
「黙れ!」「犯罪者!」「罪を償え!」「キモい」
全く持って取り合ってもらえなかった。
鉛がゆっくりと近づいて来た。
「やあ皆んな、よくやったね。大手柄だ」
そう言いながら、与鷹の前に跪く。
他の誰にも聞こえないような声で----
「残念だったね。この『右腕』はボクのものだ」
そう言う鉛の顔は醜く歪んでいた。
『右手』の手のひらで顔を掴む。
「ん----?」
掴んだのは顔ではなかった。
金色の、『何か』だった。
「何だコレは?」
社員たちの中から声が上がる。
「な、なあ。聞いてくれよ。さっきぶっ飛んでいった包丁が、ね、猫になって……」
「なに言ってんだお前?」
鉛は『金色の何か』を見つめる。
それはやはり猫以外の『何か』で、十五センチぐらいの、強いて言うならチョココロネに似た何かだった。
「能力を使っても燃えないということは、生物ではないはず……」
「『イモガイ』だよ」
与鷹が教える。
「もう、刺されてるぜ」
「刺されている?」
右手を見ると、透明な針が刺さっていた。
「は?」
「イモガイには、己に触れているものに『毒銛』と呼ばれる針を刺す生態を持っている。毒銛には強力な毒があり、ほんの少量で人を死に至らしめる毒だ。痛みが無いか? それは毒銛の鎮静作用だ。イモガイの毒に血清は無い。今すぐ『右腕』を切り落とせば助かるかもな? 手伝ってやるぞ、救急車も呼んでやる。なんでこんなに説明してやっているかわかるか? お前に深い絶望を味わってもらうためだよ。」
鉛は息を飲む。
「ここで豆知識だ。イモガイの別名は『
「うわあぁーーッ」
顔を恐怖に歪め、叫ぶ。
後ろにすっ転び、貝を落とす。
落ちた貝は、完全な黄金になり、やがて小さな黒猫になる。
「うまくいきましたね」
「『貝殻に生命エネルギーはないから燃やされない』。なんて、よく考えたし、イモガイだなんて、よく知ってたな」
「やることなくて暇なとき、『海の生き物図鑑』を読んで、覚えてたんです」
「そうか、やはりお前の人生は無意味じゃなかったな!」
「----ッ、はい!」
二人が談笑している間に鉛は----
「いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ------」
「さすがに脅しすぎましたかね?」
「確かにな、けど、お前の言った通りに鎮静作用を少し入れてただけで、死ぬほどの毒は入れていない。死ぬ心配はないはずだ。」
「そうですか」
「お前は意外と優しいな」
「これから腕を切断しますけどね」
二人は笑う。
「さてと、おりゃっ」
鉛の絶叫に気を取られていたため、拘束は簡単に解けた。
二人は鉛に歩み寄る。
「もう二度と魔法になんて頼るなよ。魔法なんて、この世にはあってはならないんだから」
そう言うながら、黄金の斧へ変形していくクロ。
「それってブーメランじゃないですか?」
「ボクはこの世のものじゃないからいいんだよ」
「は?」
「ああ、忘れてくれ」
クロは笑う。
そのとき、
「うわぁ⁉︎ 工場長が⁉︎」
後ろを振り向く。
鉛の全身が炎上していた。
「あいつもしかして。毒を燃やすために自分を、 毒が燃えても自分が死んじまうだろ‼︎」
「ど、どうすれば⁉︎」
「どうしようもない。『魔女の遺体』は燃えないと思うが……。あの炎はあいつの生命エネルギーを使ってる。次期に死ぬだろう」
「……そんな」
燃えながら絶叫する鉛を、ただ見つめるしかなかった。
「あまり自分を責めるなよ」
「責めません。けど、自分のせいじゃないとは思いません。多分、一生、この思いを背負わなかければいけないんだと思います」
「そうか……」
ドゴンッ
天井から破壊音。
ズドンッ
何かが着地する音。
『どうやら、先を越されていたようだ』
この世ならざる声が聞こえた。
声の主は、巫女服を着た長い白髪の少女だった。
『そこの一人と一匹がやったのか? ……そう構えるな、安心しろ、己が死んだことも理解できぬうちに殺してやるからな』
すでに与鷹は斧を構えていた。
全身から冷や汗が噴き出て、立つのがやっとというほど震えていた。
『ゲロを吐くぐらい怖がらなくてもいいじゃあないか。懐かしい故郷のことでも思い出していろ。その間に全てが終わるから』
どこまでも上から目線で、どこまでも無関心で、神様を相手にしてるのかと思える程の絶対的な上下関係。
「お、お前は『何だ』? 何をしに来た?」
『
与鷹は斧を振り下ろす。
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