ざつだん部っ!(笑)

温泉たまご

『雑談部の日常』


 五月上旬。水曜日。放課後。


 凪咲汐音なぎさきしおんは、教室棟から部室棟へと続く渡り廊下を、一人つかつかと歩いていた。

 ガラス窓から覗く、中庭の景色。

 中央に立派に聳え立つのは、樹齢数十年はくだらない(らしい)ガジュマルの樹。

 その下に設置された木造のベンチには、今日も誰かしら座っている。

 この学校に通う生徒からしてみれば、ごく普通の、常通りの景色。

 けれど汐音にとっては、ようやく見慣れてきた景色。

 それでもまだちょっとだけ、新鮮味を感じてしまう景色。


 渡り廊下が終わると、目的地がやってくる。

 部室棟だ。


 部室棟に辿り着いた汐音は、迷うことなく階段を上り、三階へ。

 階段を左に曲がり、突き当りまでの道のりをどこか軽やかな足取りで歩いていく。

 やがて汐音は、一つの教室の前で立ち止まった。

 室名札には、こう記されている。


 ――『雑談部』。


 人としての最低限のマナーとして、コンコンとノックをしてから、


「お疲れー」


 そう口にして、汐音はがらりと扉を開けた。


「お疲れ様です、凪咲さん」


 入室すると、早速挨拶が飛んでくる。

 そこには、教室の中央にぽつんと置かれた長机の端に陣取った、一人の男子生徒がいた。

 やや目元までかかった黒髪を揺らす、制服姿の男子。

 髪の毛の隙間から覗く特徴的な青い瞳が、じっと汐音を見据えている。


 彼の名前は、三澄蒼央みすみあお


 ここ苗守高校『雑談部』の部長である。

 学年は、汐音と同じ二年生。


「お疲れ、三澄。……今日も勉強してたの?」


 蒼央の目の前で開きっぱなしにされていた国語の教科書に目をやりながら、汐音はナチュラルに向かいの席に腰かける。

 蒼央は首を横に振った。


「いえ、そういうわけじゃないです。何となく、手持ち無沙汰だったので」

「そう」

「はい」


 本当にただ開いていただけのようで、蒼央はぱたりと教科書を閉じると、特に思い入れもない様子でスクールバッグにしまっていた。


「それにしても、今日は随分と早いですね、凪咲さん」


 時刻は六限目終了から三分ほどしか経っていない。


「そういうあんたこそ、あたしより先に部室にいたじゃない」


 すると蒼央はへらりと笑い、


「まぁ僕は六限目の授業サボりましたからねー。体調不良という名目で」

「素行不良の間違いじゃないの、それ」

「そう、かもしれませんね」


 蒼央は悪びれる様子もなく、「不良」という響きに、どこかくすぐったそうに笑っていた。


「で、凪咲さんはなんでこんなに早く? いつもはもう少し遅いですよね?」

「今日は帰りのSHRショートホームルームが無かったのよ。だから六限が終わってすぐ部室に直行したってだけ。他に何か予定があったわけでもないしね」

「そうですか。……そんなに楽しみだったんですか? 部活」

「そうだって言ったらどうする?」


 揶揄うように言ってきた蒼央に、汐音は悪戯っぽい笑みで切り返してやる。

 すると、蒼央は真顔で言った。


「歓喜雀躍しますかね」

「素直か」


 他愛ない話に花を咲かせつつ、汐音は机に頬杖をつきながら、ふと呟く。


「そういえば今更も今更だけど、よくもまぁ雑談部なんて部活がまかり通ったわよねー」

「僕もそう思います」

「部長なのに?」

「部長なのに」


 汐音の言葉に、雑談部部長という立場でありながら同意を示してくる蒼央。

 だが実際、どうして雑談部なるただ放課後くっちゃべっているだけの部活が、むしろそれを主目的としている部活が学校側から正式に認められているのかが、汐音は未だに腑に落ちていない。

 汐音が雑談部に入部してから、かれこれ一か月近くが経とうとしているというのに。


「まぁでもやっぱりこんな部活ですから、立ち上げに際して割と悶着はあったらしいですよ、学校側と。葉月先生曰く」

「でしょうね」


 そりゃあ揉めるだろう。

 なんせ部員である汐音にすら、その存在意義がわからないのだから。

 蒼央はぴんと人差し指を立てて、説明を始める。


「なんでも、放課後教室に居残ってお喋りをしている人たちとの違いを明確にすることが、部活動として認可が下りるか否かのキーポイントだったようで」

「で、その違いを明確に提示することができたから、今があるってことね」

「いえ、結局特に違いを見出すことはできなかったらしいです」

「できなかったんかい」


 これは予想外。


「じゃあどうして今、雑談部が存在してるわけ?」

「なんか色々あった結果、学校の雑務に積極的に協力する疑似生徒会みたいな組織としてなら、立ち上げを認めるって言われたみたいで」

「通りで時折雑用に駆り出されるわけね、あたしたちは」


 汐音はため息交じりについ先日の出来事を思い出す。

 今からちょうど二日前の月曜日。

 汐音たち雑談部は、なぜか園芸部が管理している花壇の雑草取りに精を出していた。

 学校指定のジャージを土汚れで装飾しながら黙々と雑草を引っこ抜き、雑談部の主目的であるはずの『雑談』に花を咲かせることもなく、ただ作業に没頭していた。


 あの日は、なんで自分たちがこんなことをやらされているのだろう、などとぼんやり思っていたものだが、どうやら蓋を開けてみれば、そういった活動もまた、雑談部の活動内容に含まれていたらしい。


 ……雑談部とは一体何なのだろうか。


 よくわからなくなる汐音だった。


「でも英断よね、学校側は。結果的に、使える労働力が増えたんだもの。流石、進学校の教師陣なだけあるわ」

「なんでちょっと上から目線なんですか?」


 ジト目でこちらを見ていた蒼央に、汐音はあっけらかんと言ってのける。


「だってあたし、ここの教師の大半より賢いもの」

「うわ……そういうこと、リアルで言う人っていたんですね」

「だって事実だもの。しょうがないじゃない。教師に聞くことなんて、今更特にないし」

「あると思いますけどねー、人としてのあり方とか」

「あたし、道徳の成績は毎年5だったんだけど……まだ何か?」

「でもそれって小学生の頃の話ですよね? 今やその頃の純粋さなんて露ほども残ってないのでは――」

「まだ何か?」

「いえ。流石は編入試験全教科満点の天才様は違うなーって思ってただけです」

「ふふん、そうでしょうそうでしょう。……なんてね」


 雑談部らしく適当な談笑に興じていると、コンコンとノックの音がした。

 直後、がらりと扉が開かれる。


「おっす」


 そこにいたのは、いかにもスポーツマンといった印象を受ける、顔立ちの整った長身の男子生徒――西銘真尋にしめまひろだった。

 学年は二人と同じ、二年生。

 つかつかと無造作に入室してくるその姿を認めるや否や、汐音は「げっ」と露骨に顔をしかめる。


「あたし、顔がいいだけの男って苦手なのよねー」

「おいおい、いきなり酷い言い草だな、凪咲」


 開口一番毒づかれ、真尋は困ったような微苦笑を浮かべる。

 そこに、


「そうですよ、凪咲さん! なんてこと言うんですか!」


 なぜか憤慨した蒼央が割って入ってくる。


「真尋くんは顔がいいだけじゃありません! ちゃんと運動もできます! というか、運動神経抜群です! 雑談部のくせに運動部の助っ人に駆り出されて、ほとんど部活に顔出してくれないくらいには!」

「妙な説明口調なのが若干気になるが……とりあえず、なんかすまんな」

「あと真尋くんは僕の最愛の伴侶なので、あまり貶めないでいただきたい」

「そんなものになった覚えはねーよ」


 蒼央の突飛な言動に「相変わらずだな、蒼央は」と苦笑しつつ、真尋は蒼央の隣の席に着く。

 そんな真尋に、蒼央は視線を向けながら、


「っていうか真尋くん、今日は助っ人とか無いんですか?」

「いや、ないことはないんだがな……」

「だが?」


 真尋はどこかばつが悪そうに、ぽりぽりと後頭部を掻く。


「あー、その……なんだ。たまには俺も、雑談部に顔出しとかねーとって思ってな」


 すると蒼央が「はっ」としたような顔をして、


「……もしかして真尋くん、僕に会いに来てくれたんですか?」

「まぁ、それもある」

「……ぽっ」


 瞬時に頬を朱に染めた蒼央に、真尋は「きめぇー」と忌憚なく笑う。

 そんな二人の仲睦まじい様子をしばらく傍観していた汐音は、呆れた顔でくすりと微笑み、


「あんたたちは相変わらず、所かまわずイチャイチャするんだから」

「そりゃあそうですよ。ただでさえ会える機会が少ないんですから。TPOなんていちいち弁えてられません」

「そこは弁えろよ」と真尋。

「たとえ崖から落下中でも、僕は真尋くんとイチャイチャすると思います。というか、してみせます」

「お前肝座りすぎだろ。どうなってんだ神経」

「あー、でも、僕の部屋で二人きりの時はちょっと遠慮しちゃうかもですねー」

「どこで遠慮してんだよ。なんかTPOの感覚狂ってねぇか? お前だけ」


 久方ぶりのツッコミに疲弊したのか、「……はぁ」と深く嘆息する真尋。

 一方で蒼央はご満悦そうだった。


「つか、別にイチャイチャなんてしてねーよ、そもそも」


 その言葉に、「そんな……っ!」と蒼央が愕然とする。


「僕との関係は、ただの遊びだったって言うの⁉」

「なんでそういう話になるんだよ」

「最低な男ね。これだから顔がいい男ってのは」

「なんで凪咲まで乗るんだよ。勘弁してくれ……」


 真尋は額に手を当てて呻いていた。

 久々に部活に顔を出したというのに、この仕打ち。

 汐音は少しだけ彼に同情を抱くものの、しかし知ったこっちゃなかった。

 なぜなら彼は顔がいいから。

 汐音は顔がいい男がめっぽう苦手なのだ。


 と、そこに再び、コンコンとノックの音がする。


 今度のそれは、どこか控えめなものだった。

 室内の三人が一様に扉の方を見守る中、がらりと扉が開かれた。


「お、お疲れ様です」


 おずおずといった様子で一人の女子生徒が入室してくる。

 緩くウェーブのかかった茶髪を揺らす、全体的に色素が薄めの少女――安里紬季あさとつむぎだ。

 彼女も三人同様に、この高校に通う二年生。


「お疲れー、紬季ちゃん」

「は、はい。お疲れ様です、汐音さん」


 笑顔でひらひらと手を振った汐音に、紬季は照れたように視線を彷徨させながら応じる。


「お疲れ、安里」「お疲れ様です、安里さん」


 汐音に続いた真尋と蒼央にも、紬季はぺこりと小さく頭を下げた。


「お疲れ様です、西銘くん。……と、えーっと……三澄くん、でしたっけ?」

「なんで僕だけ曖昧なんですか。仮にも部長なんですけど」

「ふふ。冗談です」


 柔和な笑みを湛えた紬季は、緊張もほぐれた様子で汐音の隣の席に着く。

 そんな紬季に、


「あれ、紬季ちゃん。なんか今日、目の下のクマ濃くない? ……大丈夫?」

「あ、わかります?」


 その指摘に、紬季は困ったように微苦笑を浮かべながら、目袋を撫でた。


「実は昨日、夜遅くまで、その……命の削り合いに興じていたものですから」

「きっとゲームの話なのよね? そうなのよね?」


 すると紬季は哀愁を帯びた顔をして、


「だと、いいんですけどね……」

「なんでちょっと含み持たせちゃうわけ」

「これ以上は、わたしの口からはとても……」

「ねぇ、紬季ちゃん。あなた、雑談部に入ってからどんどんひょうきんになっていってない? 嫌よ、あたし。これ以上、三澄が増えるの」

「こら。失礼ですよ凪咲さん」


 不満げにむくれた蒼央が、ちょいちょいと割って入ってくる。


「僕はただ、いたって真面目に毎日を生きているだけだというのに」

「そんな実直に生きているような人が、貴重な新入部員相手にあんな態度を取るものかしら?」

「さぁて、何の話でしょうねー」


 しれーっとそっぽを向いて口笛を吹き始めた蒼央の代わりに、真尋が話題に食いついてくる。


「なに? 凪咲が入部するとき、蒼央となんかあったの?」

「わたしも詳しく知りたいです」


 紬季までもが乗っかってくる。

 二人からの好奇の視線にせっつかれ、汐音は観念したように嘆息すると、「そうねぇ……」と開口する。


「別に大したことじゃないんだけど、あれはあたしがこの学校に転校してきて、間もなくのことだったわ」


 四月上旬の、あの日を思い出しながら――……


「おい、なんか回想パート入りそうだぞ。蒼央、なんかエフェクトとか効果音とか用意しとけ」

「あいあいさー」

「じゃあわたしは特に理由もなくうっとりした顔してますね」




「あんたたちのせいで台無しよ! 何もかも!」



 ***

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