令劉という男 後編

 怖い。


 それが明凜の率直な思いだった。

 なのに、体の芯がどうしてか熱い。

 塞いでいる口からは熱のこもった吐息が零れそうで、自分の体だというのにどうなっているのか理解出来なかった。


 戸惑うばかりの明凜の体を沿うように、令劉の硬く大きな手が流れ太ももに直接触れる。

 動きやすさを重視した黒装束は、脚と腕の素肌を晒すように出来ていた。


では動きづらいのは分かるが、このように足を晒すなど……触れてほしいと言っているようなものだ」

「っ~!」


 緩やかに内側を撫でられ、声が漏れそうになる。

 優しく触れてくる手に、ぞわぞわと嫌悪とは違う震えが立ち上がった。

 初めての感覚が恐ろしく、明凜は逃れようと身を捩る。

 だが、のし掛かられている脚は動かせず撫でる手からも逃れられない。


「んっんぁ」


 ついには自分のものとは思えない甘い声が口から漏れてしまい、羞恥に頬を染めた。


「可愛い声だ。もっと聞かせてくれ」


 熱い吐息と共に声をねだる唇は耳朶をみ、また新たな震えを明凜に与える。

 声を我慢しなければいけないというのに、責め立てるように触れる令劉の手や唇がそれをさせてくれない。


「あっ、んんぅ……」


(これは、色々な意味で本格的に不味い!)


 熱くなる身体と共に溶けそうになる思考の隅で、辛うじて残っている冷静な部分が訴えてくる。

 このまま翻弄されてしまえば正体が知られてしまう。

 それだけは絶対に避けなければならないというのに。


 しかも、先ほどから何やら硬いものが太ももに当たっている気がする。

 令劉の手に撫でられている方ではない。もう片方、彼の脚に挟まれるようにのし掛かられている方だ。


 まさかとしか思えない。

 それは、宦官が持っているはずのないものなのだから。


「その手をどけろ。声が聞きづらいし、口づけが出来ないではないか」

「ひぅっ!」


 弱い部分を撫でられ、悲鳴の様な声を上げてしまう。

 それでも、手を口から離す訳にはいかない。


(本当に、本当に不味い!)


 あり得ないことだったが、太ももに感じる硬いものが想像通りならこのまま純潔を奪われる状況だ。

 いくら誰もが一夜だけでもと望みそうな容姿の男でも、純潔はじめてをこのように突然奪われるなど御免被る。

 だが、どうにか抜け出そうと思考を巡らせようとするたびに熱を与えられて考えがまとまらない。


「やっ……だめぇ……っ」


 このままでは正体を知られてしまうという恐怖。男に組み敷かれ純潔を奪われる恐怖。知らぬ熱に翻弄される自分への恐怖。

 すべての恐怖に自然と涙が浮かんでしまう。

 それは閉じた目尻から、すぐにも雫となってこぼれ落ちた。

 だが、雫がしとねへと吸い込まれる前に硬い指が明凜の頬を拭う。

 柔らかい令劉の唇が、残る涙を吸うように目尻に触れる。

 思わぬ優しい仕草に思考が一瞬停止した。


「泣くな……お前を怖がらせたい訳ではないのだ……」


(え……?)


 変わらず熱が込められた声音だったが、そこに確かな情を感じた。

 確認したくてうっすら開いた目には、欲よりもいたわりの優しさを映した澄んだ空の色が見える。

 だが、涙で潤んだ目ではハッキリと見えた訳ではなく、幻のように揺らぐ様子に信じていいのかと惑う。


 そのとき、僅かに衣擦れの音が聞こえて房の外から控えめに声が掛けられた。


「令劉様、遅くに失礼致します。急ぎの知らせなのですが、起きていらっしゃいますか?」

「……起きている」


 途端に顰め面をした令劉は、呼びかけに応えながら臥床から降りるため身体を浮かせる。

 明凜はその隙を逃がさなかった。

 令劉の下から抜け出し、ハッとし引き留めようとする彼の腕をすり抜ける。

 人外と思えるほどの素早さを持つ令劉でも、不意の動きには対応出来なかった様だ。

 明凜は再び捕まることなく、出入り口とは反対側にある窓に身を乗り出す。


「あ……」


 待て、とでも続けようとしたのだろうか?

 だが、続く言葉を聞く前に明凜は逃げ出した。

 待つわけがない。捕らわれてしまったこと自体あってはならないことだったのだ。

 目の色も声も知られずに済んだのだから、早々に逃げるに限る。


 素早く紫水宮に逃げ帰りながら、明凜は今後一切あの房へは近づかない様にしようと決めた。

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