第5話
今日は、トカゲを香辛料で蒸したものを作ろう。正確にはトカゲではないが、それっぽいものは存外に美味しいのだ。調理のしようによっては、さらに美味しくなる。
街を歩き、シオは目当ての店を目指す。街並みは不思議なことに、たまに姿を変える。昨日通った道が消えたり、知らない道が突然現れたりする。生きているのだとガロは言った。この街は生きているのだから、姿が変わるのは当然のことなのだと。いつの間にかシオもそれを受け入れていた。むしろ知らない道を散策できるのは楽しかった。
今日も知らないうちに出来ていた道を抜けると、長い列の前に出た。先頭には一つの出店があり、白色の玉を山と積んでいる。リンゴのような見た目をしたこの果物が、実はガロの好物であることをシオは知っていた。あまり見かけない食材だから、これほど住民が並んでいるのだろう。買って帰ればきっとガロも喜ぶ。そう思い、シオは列の最後尾についた。
「やあやあ、シオ」
声を掛けられ、シオはもう少し間をおけばよかったと少し後悔した。後ろに並んだのは、相変わらず細い箒のようなチヅだった。この身体のどこに食べものが入るのか、甚だ不思議に思う。
相変わらずとりとめなく喋り続けるチヅに、シオは適当に相槌を打つ。隣人だから邪険にしすぎるのもいただけない。これを買ったらさっさと去ろう。そんなシオの腹積もりも知らず、チヅは「そういやあ、ガロはご執心だねえ」と言った。
「なにが?」
「おや、シオ、気付いてないのかい」
遠回しな言い草にシオが唇を突き出すと、チヅはその表情に満足したらしく「ひひひ」と嫌な笑い声を零した。
「ガロ、見かけたの」
「ちょいとそこでね。人狩りのやつとなにやら話し込んでたよ」
「えっ」
ひとかり、と呟く声が掠れる。
「人狩りとガロに、どういう関係があるの」
「さあ、それは知らないよ。けど、ガロが奴らといる姿はたまあに見かけるねえ」
何故。シオの頭に大きな疑問符が浮かぶ。どうしてガロが人狩りと一緒にいるのか。
「なにか企んででもいるのかねえ」
細い小枝のようなチヅの指先が、ちょいちょいとシオの肩をつついた。シオは慌てて列を詰め、チヅに問いかける。
「本当に、知らないの」
「むしろ、シオに聞こうと思ってたんだよ。あんたなら何か知ってるんじゃないかと思ったからね。ガロに聞いてもはぐらかされるんだから」
背中を冷えた汗が伝うのを感じた。ガロと人狩りに繋がりがある? もしかして、もしかして……。
浮かんだ想像を必死にシオは払った。ガロが自分を売るだなんて、あり得ない。だって、自分は非常食だ。ガロにとっては、ただの非常食なのだ。
そこまで困窮してねえよ。ガロの言葉を思い出す。もしかして、シオという元人間は、既にガロにとっての非常食ではなくなっていたのでは。いや、非常と言うのは食べると言う意味ではなく、食べるための金にするという意味だったのでは。
もうチヅの言葉は耳に入らなかった。違う話題へ相槌を打つことも忘れ、果物を買わないうちに、ふらふらと列から離れた。チヅこそが何かを企んでいるという想像には至らなかった。ただ話好きな化け物は、自分の興味のままに喋っただけだろう。
部屋に帰るべきか。帰っていつも通り食事を作って、ガロを迎えるべきなのか。覚束ない足取りで歩きながら、シオは考える。普段通りに振舞ったつもりでも、勘のいいガロはきっと自分の動揺に気付くだろう。その時、自分は食われてしまうのかもしれない。
次第に、シオの足取りはしっかりとしていった。
ガロになら食われてもいい。はっきりとそう思った。ガロの腹を満たす為ならば、惜しいものなんてなにもない。
買い物を済ませて、部屋に帰ろう。そう思いくるりと踵を返したシオの鼻先で、誰かが立ち止まった。
青く物々しい制服に、白い無表情の顔。シミもしわもなく、まるで面をつけているかのような、ただの目と鼻と口。双眸が自分を上からじっと見据えている。
半開きの口は動いていないのに、声だけが漏れた。
「人間だな」
それはチヅに聞いた通りの、人狩りの姿だった。
脱兎のごとくシオは駆け出し、その背を追って人狩りも走り出した。人間のにおいでバレたらしい。全速力でシオは街を駆け抜ける。化け物たちの合間を縫い、角を曲がり坂を下り階段を駆け上がり、がむしゃらに走る。
見知った道に、知らない路地ができていた。暗く見通しの悪いそこに飛び込み、誰かにぶつかった。
「ガロ!」
黒いコートに、嗅ぎ慣れた獣のにおい。目の前にいるのはガロだった。
「その、刀……」
薄闇の中で、ガロは刀を抜いていた。目を凝らすと、こちらに足を向けて誰かが倒れている。制服の青色に、赤い血がべっとりとついている。
ちっと舌打ちが聞こえたかと思うと、シオは宙に浮いていた。否、ガロに片腕で抱えられ、路地裏を走っていた。後方には、自分を追いかける人狩りが、もうそこまで来ている。
正面には塀が立ちはだかっている。しかしガロは地面を蹴った。右手の壁を蹴り、左手の壁を蹴り、軽々と塀を飛び越えた。そして着地すると、再び走り出す。ようやく足を止めて下ろされても、シオは少しの間目が回って立てなかった。
それでも地面に膝をつき、周囲を見渡す。街の知らない場所だ。住民の気配はなく、随分と暗い。灯り虫が数匹宙を舞い、ガロとシオの表情を闇の中に浮かべる。木々が茂り、足元の草の先がちくちくと身体を刺す。
「においでバレたんだな」
木の足元にしゃがんだままガロが呻くように言い、シオはこくりと頷いた。
「そこまであいつらが嗅ぎつけるとは思わなかったな」
「こんなに離れたら、もう追ってこないかな」
「いや」シオの希望をガロは一蹴する。「やつは人間のにおいだけでなく、おまえそのもののにおいを覚えたんだ。地獄の底まで追ってくるぞ」
そんな。シオは息を呑む。
「じゃあ、どこに逃げても捕まるってこと……?」
「そうだな」
無意識のうちに、シオは両手で顔を覆っていた。本物の化け物になりたいとこれほどまでに願ったことはない。捕まれば一体どうなるんだろう。やつらの仲間にされてしまうんだろうか。
「ガロは、どうして、あそこにいたの」
シオが囁くと、ガロは少しだけ黙って、血の付いた刃をコートで拭った。
「……俺は、やつらに用があるんだ」
「用って?」
それには答えず、ガロは続ける。
「短気なやつでな。俺を敵だと認識しやがったから、殺したんだ。だからおまえだけじゃねえ、あいつらにとって、俺も敵ってわけだ」
「ねえ、ガロ。ぼくを食べて」
顔から手を離し、シオはガロを見つめる。
「馬鹿言ってんじゃねえ」
「人狩りに捕まって連れていかれるぐらいなら、ここでガロに食べられたい。これで終わりにしたい」
遠くから足音が聞こえてくる。シオは両手を伸ばし、ガロのコートを掴んだ。ガロに終わらせてもらえるなら、本望だった。
だが、ガロはそっとシオの手に自分の手を乗せ、コートから引きはがした。
「シオ、おまえにこんな終わりは似合わねえよ」
鋭い爪をもつ大きな手を、軽くシオの頭に乗せる。
「俺たちは、出会わなけりゃよかったんだろうな」
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