第2話
その瞬間、私ははっきりと嫌悪感を抱く。
そういう感情をマキシムが私に抱くようになったのはいつからか。
その度に増していく嫌悪感に気づきながらも、それを押さえ私は笑う。
「あら、お上手ですわね」
「なあ、そろそろ子供について考えてもいい……」
「そうですわね……」
そこで悩ませ気味に視線を落とすと、それだけでマキシムののどが鳴る。
それを目にした上で、私は告げた。
「魅力的なお誘いですが、今は手を離すことができなくて。……新しい商談のお話がありまして」
そう告げた瞬間、マキシムの目の情欲を別の感情が覆い尽くす。
いや、別の欲望というべきか。
「こ、公爵家との交渉に進展があったのか!」
その言葉に、私はにっこりと笑う。
それだけで伝わるように。
次の瞬間、マキシムの喜びが爆発した。
「さすが私の妻、豊穣の女神だ……! これで、私も……!」
そういって、独りでにぶつぶつとつぶやき始めたマキシムに、私はただ笑顔をむける。
その頭の中あったのは、豊穣の女神という私の社交界での呼び名だった。
仰々しい名前だが、その名前を聞く度に私は呆れそうになってしまう。
社交界ではまさしく女神のように扱われている私だが、その実その名前の由来がただの幸運でしかないことを私は知っていた。
故に私はその名前にあきれを隠すことができない。
その名前の由来たる事件が起きたのはよくある被害からだった。
マキシムの領地の北の方で冷害が起きたという。
その被害は大きく、決して軽視できることではなかった。
ただ、その地方は寒い場所で冷害が起きる場所だったのだが故に、マキシムはよくあることで片付けようとした。
だが、その地方の人間は冷静になれる訳がなかった。
何せ、命がかかっているのだから。
そもそもその土地はそれ以外にも問題があった。
……魔獣が溢れ出す、獣の森と接した辺境の土地であるという。
しかし、それさえマキシムは最低限の兵士をそちらに向かわせるだけで、ろくな対応をとることはなかった。
そう、元々その地方の人間達は何もしれくれないマキシムに怒りを抱いていた所に、冷害によってその怒りは増すことになり。
その地方の人間達の怒りを恐れたマキシムは一つの手段をとった。
……すなわち、私を責任者にすることで責任転嫁をするという。
それは今から考えてもお粗末な対処法だった。
私に責任をなすりつけようにも、最大責任者はマキシムだ。
それを考えれば、その地方スリラリアの人間の怒りが収まる訳がないのだ。
しかし、それを理解した上で私はあえて責任者となることを決意した。
それからは必死だった。
ずっと冷害に強い作物の品種改良に努め、何度も失敗した。
だが、その私の姿に徐々にスリラリアの人々が私の姿を認めてくれるようになってくれた。
そしてそれから程なく冷害に強い作物を発見することができ……。
全世界的な冷害が発生したのは、そんな時だった。
その時、私の見つけていた作物は最適で、冷害で多くの効果を発揮した。
それを私はほとんど賃金も得ずに選んだ貴族達に引き渡した。
豊穣の女神という私の名前は、その時の幸運によって私が呼ばれるようになった名前だった。
「本当によくやってくれたライラ!」
妄想の世界にいたマキシムが現実世界に戻ってきたのはそのときだった。
「あの時、お前にスリラリアを任せてよかった」
……スリラリアの作物が冷害に効果あると知った瞬間、その利権を奪おうとしてきたことをもう忘れたのか。
にこにこでそうのたまうマキシムに私は唾を吐きたくなる。
その作物の育て方を私の名前で特許にしていなければ、マキシムは間違いなく奪いにきていただろう。
作物の育て方を特許にするなど前代未聞の行為だったが、そうしておいてよかったとあのとき程思ったことはない。
「それにしても、こうして公爵閣下や王族にもこのドリュード家が覚えがよくなるとは……! あの時、無料で作物の育て方を教えるようにと指示した私を誉めたい!」
……最後の最後まで、最低限の賃金しか取らないことに反対していたことももう覚えていないのか。
どうしようもないマキシムに私は呆れを抑えるのに最大限の苦労をかける羽目になる。
しかし、それでも私は全神経をかけて笑顔を浮かべ、口を開いた。
「はい、それも全て旦那様のおかげです」
「そうだろう……! このかわいいやつめ!」
そういいながら、笑顔でマキシムは私の頬に手を伸ばしてくる。
その瞬間、体中の毛穴が逆立つような嫌悪感を覚えながら、それでも私は笑顔を保つ。
少なくとも、今はまだマキシムに私の内心を悟られる訳にはいかないのだから。
マキシムは私が自分のことを大好きでしかたないと思いこんでいるだろう。
そう、それでいいのだ。
だから、ドリュード家に私が尽くしている、そうマキシムは思いこんでいるだろう。
──私がドリュード家に貢献するのに、裏の目的があるということもしらずに。
「愛しております、旦那様」
全てを胸の内に押さえ込み、私はマキシムへとほほえんだ。
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