探偵助手、転生する。
朱通 光
第1話 プロローグ
階段から落ちたときに感じたのは恐怖でも、激痛でもなかった。この世界とは違う世界、違う人間の記憶が走馬灯の様に流れてくる。
一寸の思考の末、私は自分が転生したのだと理解した。
前世の私は世界一治安のいい国、日本の首都、東京で探偵業をしていた。探偵と言ってもこぢんまりとしたテナントで少数の事務員と、私と先生とで営んでいた小さな会社である。
運営面積こそ狭いが知名度はそこそこのもので、なんとか黒字経営を継続させていた。ほとんど社長もとい先生のおかげであるが。
当の私はというと、資料整理やデスク周りの掃除などが主な業務内容で、先生に同行はするものの的外れな推理ばかりで反省の日々を送っていた。
探偵助手としてまずまずの成果をあげつつも頼りになる同僚たちと共に前向きに仕事に励んでいた私は、呆気なくも階段から転んで死んでしまったらしい。
階段で生を終え、階段で記憶を思い出すとは私は階段というものに縁があるのだろうか。
ともかく記憶を取り戻した私は、しゃがみ込んだまま呆然としているのだった。
「りさちゃん、大丈夫!?」
リビングから母が慌てた様子で駆け込んできた。私がうつ伏せになって動かないでいることを確認するとすぐに父を呼んで、私を寝室へと運び込む。
「怪我してない?いいえ、してるわよね。すぐ救急セットを持ってくるわ!」
「ひとまず患部を冷やした方がいいだろう。俺は冷やすものをとってくる」
二人が部屋を出ていくのを見送ると、ほっと一息つく。じんじんとした痛みが他人事のように感じる。記憶がある現在の私では、この世界の両親の年上になるのだろうか。両親の存在を温かく思う反面、少し気恥ずかしい気持ちが湧いた。
怪我については右足首の捻挫と左膝の打撲が見受けられた。応急処置を施した後、翌日病院に診察に行き、処方箋をもらい直近二週間は安静とのことで話はついた。
あれから二週間後、怪我の痛みも徐々に引いていき、完治も目前に迫った頃、私は普段通りの農作業に戻ることができた。
—————
前世の日本と比べると、この世界は全く異なる地形をしていた。その様相はスノードームの様な形をしている。
あの煌めく球体の中で独自の文化が発展しており、四つのドームがダイヤを描く様に位置している。中央にはこの四つの国を繋ぐ城が築かれていて、この世界の均衡を保っている。
私が住んでいるのは新緑の国。全面積の半分が森、残りは田畑や小さな商業エリアが存在しており、一言で表すと田舎というイメージを思い浮かべる。
新緑の国ではこの世界の野菜、果物のほぼ全てを栽培し輸出しているため食の要と言えるだろう。そのため、この国に持ち込む動植物には細心の注意が払われている。
「父さん、そろそろ収穫の時期だよね。道具とかそろそろ用意しとこうか」
「ああ、頼む。それにしても今年は不作かもな。状態の良いものが例年に比べて少ない」
父のぼやきを聞きつつ、前世を振り返る。探偵を生業にしようと意気込んではいたものの、結局は助手として人生を終えてしまった。
その事実にやるせなさを感じるが、こんなものかと納得している自分もいる。事務作業や整理整頓は得意なのに、肝心の推理能力が欠けている。よくいえば人並み、悪くいえば改善の余地ありと言ったところか。点と点を繋げることができないのは探偵として致命的だ。
やはり向いていない職業だったのかもしれない。両親にも安定した仕事につけと耳にタコができるほど言われたが、それを半ば家出する形で振り切った私。
夢は叶えられると本気で信じていたあの頃が、今日のことのように思い出せる。
しかし、今は文化も、技術も、何もかもが違う異世界にいる。死者は別世界に転生するものなのか、私が異端なのかは知らないが、幸運にも第二の人生を歩めることになった。
探偵業からは手を引いて、今世では悠々自適に暮らそう。きっとそれが私の性に合っているに違いない。
悔いといえば、最後に先生に日頃の感謝を伝えられなかったことだろうか。今更後悔しても、もう後の祭りだ。心の中だけでも感謝の意を伝えておこう。
先生、私はこの異世界で平和に暮らしていきます。先生もどうかお元気で。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます