第7講義:欲望という電車(1951、エリア・カザン、アメリカ、122分)

 この映画はテネシー・ウィリアムの戯曲が元になっていて、一九四七年にブロードウェイで上演されました。当時、すでに有名俳優として認められていたヴィヴィアン・リーがぜひ主演でやりたいといって映画になりました。映画の話の前に、戯曲家テネシーの話をします。

 八歳のときに、父親の仕事の関係でミズーリ州セントルイスに引っ越し、特権階級だった南部の穏やかな暮らしから、工業都市のアパート暮らしに一変しました。新しい環境になかなかなじめず、友人もなく、家で過ごす日々が続きました。この異なる環境の変化とそれに苦悶する人々は、ウィリアムズの作品によく現れるモチーフであります。 いわれてみれば、ウィリアムズがブランチを演じていると想像すると、わたしはつい失笑してしまいました。いえ、笑ってる場合ではありません。でも笑っちゃいます。堪えきれずに笑っちゃうわたしは、不届き者でしょうか。そうかもしれません。

 ウィリアムズの家庭には問題が多かったのです。彼の姉ローズは恐らく彼に対するもっとも大きな影響を与えました。彼女は精神障害で精神病院のなかで生涯のほとんどを過ごし、両親は結局彼女に対するロボトミー手術を許可しました。ウィリアムズはこのことで両親を許さなかったでしょうし、愛する姉を救えなかった自分自身の罪の意識にも苦しみました。彼の作品の登場人物はしばしば家族に対する直接の抗議であると見られます。

 彼はゲイだったといわれています。ニューヨークの路上で三島由紀夫とばったり出会い、親交をもち、数回来日しています。ゲイはゲイを呼びます。でも三島由紀夫は結婚して子どもも作ってるじゃないか、そう反論する初心な声も聞きますが、世界は基本的に異性愛男性中心主義ですから、(ゲイであっても)女と結婚して子を持つことは男を一人前にするという言動もよく聞きますね。その言葉に洗脳されるのもしかたありません。洗脳されたくなければフェミニズム映画批評を研究しなさい(特にヒッチコック作品はこてんぱんにやられていました。今後ヒッチコックの作品はサブスクライブ配信では取り扱われないでしょう)。わたしのように好きな映画を観て突っ込みを入れるのもいいでしょう。「絶対騙されないぞ!」と疑いつつ抵抗しつつ涙滂沱で敗北することも多々あります。

 監督のエリア・カザンは『エデンの東(1955)』で有名です。ジェームス・ディーンが交通事故死したおかげでディーン神話が生まれ、ハリウッドの伝説になりました。日本でいえば赤木圭一郎ですかね。“和製ジェームス・ディーン”とのあだ名もありました。

 ジェームス・ディーンといえば、『クラッシュ(1996)』が連想されます。原作はJ・G・バラードの小説で、デビッド・クローネンバーグという超変態監督です(スナッフ・フィルムがテーマの『ヴィデオドローム(1983)』もそうでした。黒沢清『蛇の道(1998)』もスナッフ・フィルムがテーマで、もしかしたらパクりかもしれません)。モータリゼーションとエロティシズムの融合的退廃ムービー。過激な性描写やカーチェイスは群を抜いていて、交通事故フェチや歪な愛の形は問題作として話題となりました。ジェームス・ディーンはシルバーのポルシェ・550スパイダーでカリフォルニア州の州道を走行中、ショラム近郊にある州道46号線と41号線の東側の分岐点で、交差点を転回していたフォードに衝突しました。助手席に座っていた友人のウッタリックは車外に投げ出されて骨折、フォードの運転手も軽傷で済みましたが、ジェームズは車内に閉じ込められ、首の骨を含む複雑骨折、内臓損傷などでほぼ即死状態であったとされています。

 マリリン・モンローのようにアメリカのセックスシンボルとされていたキャサリン・マンスフィールドも交通事故で死にました。マンスフィールドは頭部に重度の外傷は負いましたが、彼女の首が切断されたという噂は偽りです。この都市伝説は警察の事故現場写真において、自動車の上部が実質的に切り裂かれており、ブロンドの髪の頭に似たものが砕かれたフロントガラスに絡みついていたことから生まれました。これがマンスフィールドが着けていたウィッグであったとも、彼女の実際の髪と頭皮でもあったとも信じられています。 死亡診断書は、マンスフィールドの直接の死因を「頭蓋骨が押しつぶされ、頭蓋と脳が分離した」と記しています。 彼女の死後、全米高速道路交通安全委員会は全ての大型トレーラーの下部にガード(鋼の管でできた強固なバー)を取りつけるよう要求しました。このバーはマンスフィールド・バーとしても知られています。

 この小説の主要な脇役であるボーンは、交通事故死した有名人の再現ショーを開催しています。「事故車で運転するのがオレの夢」と云うと、主人公のジェームスが「そんなのどこにでもあるさ」と突っ込み、「有名人のでないとダメだ。たとえば、カミュのフレセルベガー、ナサニエルウッドのステーションワゴン、グレース・ケリーのローバー」と返します。いまでいえば、パパラッチに追われて交通事故死したダイアナ妃の車種は何だったでしょうか。そうです、メルセデス・ベンツW140ですね。「オートバーンでも大丈夫」と云われたベンツ神話がもろくも崩れ去りました。

 交通事故フェチは秘密の会を開催しており(開催阻止しているのが警察ではなく運輸省というリアルさ)、有名人の交通事故死の現場を忠実に再現し、目撃してはお互いに興奮して性交に臨みます。それは男女でもOKですし、男同士でも女同士でもOKです。変態に性別は要りません。もしかしたら交通事故フェチは、生まれついた性的嗜好ではなく、ロリコン漫画やロリコンアニメをを繰り返し見せられる視聴者のように現実のロリコンが性犯罪を犯すという、交通事故を何回も再現したために生まれた性癖かもしれません。「人間の性慾は本能ではない。学習するものだ」と豪語した人類学者がいたそうです。わたしも同意します。

 最近、『ドント・ウォーリー・ダーリン(2022、オリヴィア・ワイルド、アメリカ)』を観ました。表面的には明るい家庭や色鮮やかな街並みがあるヴィクトリー・タウンなんですが、ちょっと気づいて掘り下げると不穏な空気が漂う「立ち入り禁止」区域があります。禁止なんかされたら誰だって立ち入っちゃうじゃないですか心理的に。「禁忌は破るためにある」。これはわたしが即席で作った名言です。いい言葉でしょ?

 ある日、隣人が赤い服の男たちに連れ去られたのを目撃したアリスは、それ以降、彼女の周りで頻繁に不気味な出来事が起きるようになります。次第に精神が乱れ、周囲からもおかしくなったと心配されるアリスでしたが、あることをきっかけにこの街に疑問を持ち始める――と、これは映画公式サイトにあるストーリーをコピペしました。

 わたしは最初、これは極秘任務という最終兵器を作っている夫たちがタウンに集まってきたのかもしれないと厨二病的な発想を抱いていましたが、話はより深刻でした。女と知り合った男が全部仕掛け、デートし、結婚し子どもを作って、このヴィクトリー・タウンにやってきました。夫婦たちの馴れ初めはすべて似たようなものでした。似たような家並みで暮らし、毎日似たような朝食を食べ、似たような車に夫たちが乗って出社する。その行先は、立ち入り禁止にされた「本部」です。「幸せな夫婦生活」のシナリオを作っているのはもちろん夫婦ですが、アリスは薬を打たれて記憶がない、わたしの人生は奪われた、働くことが好きだったのに、と訴えます。

 な~んだ、この街の秘密は男が女を騙して平凡な家庭生活をすることかー、と思いましたが、これ、みなさんにも覚えがあるかと思います。「結婚してお嫁さんになる」とか「赤ちゃんがほしい」とか、みなさん、誰にそう言わされていますか? それって本望でしょうか。誰かの夢を無意識に実現しようとしてません? 洗脳されてませんか? 映画では、全部男のせい、強烈な「女がほしい依存症」で稼ぎの悪い男が秘密組織に頼んで“完璧な”シナリオを実行します。

 結婚生活の恐怖は、主に妻が感じます。シャーロット・パーキンズ・ギルマン『黄色い壁紙』は短編ですが、ほんとうに怖い小説でした。本作は、一九世紀における女性の身体的健康・精神的健康との向き合い方を描写しており、アメリカのフェミニスト文学初期の重要な作品とされています。

 当時は、結婚したら専業主婦になるのが当たり前で、夫は稼ぎに毎日外に出て、妻は一日中誰とも話をせず、家事や掃除や洗濯にと、引きこもりと同じ生活です。毎日こんな生活をしていたら絶対にノイローゼになります。マイホームを建てたとか、夫の転勤についていったとか、妻の孤独が強くなる要素はたぶんにあります。出産したら、今度は「産後うつ」です。子どもが生まれたとたん、うつで死んでしまいます。前兆は「疲れやすい」「夏バテのように食欲がない」「考えたくない」。そして突発的に自殺。人生のなかで、女性が死に至る病気になることは多面にあります。ついでに言うと、DV夫のせいで殺害されても「産後うつ」のせいにされるのです。

 で結局、アリスは「本部」に行く途中で映画は終了します。想像するに、あの「本部」とは虚無なんじゃないのか? というのがわたしの憶測です。難しいことを云いますと、日常のさりげない「虚無」が「反復」し「真実」となり「幻想」となり「本質」となります。わからないですって? では「本質主義」と「構築主義」も勉強してください。これ以上はフェミニスト表象文学の難解な本をさくっと読んでくださいね。ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』はひじょうに難解ですが、究極的な「脱構築主義」だと思います。話がどんどん難しくなりますが、ここで方向転換します。

 精神病院が舞台となる映画はたくさんあります。『カッコーの巣の上で(1975)』は原作小説があり、時代的にベトナム戦争によるヒッピーの反権威主義によるものでしょう。閉鎖的な精神病棟に新しい風を吹かせる主演のマックマーフィーと厳格なラチェド婦長の闘いがあり、しまいにはマックマーフィーはロボトミー手術で廃人になります。個人vs組織の、個人の負けです。

『17歳のカルテ(1999)』もスザンナ・ケイセンの自伝小説『思春期病棟の少女たち』を原作としています。『シザー・ハンズ(1990)』のウィノナ・ライダーが製作総指揮と主演を務め、アンジェリーナ・ジョリーがワルい脇役を演じています。彼女はボーダーラインの役で、友人の患者が退院したのをこっぴどく罵り、翌日その友人は自殺しました。「自分は正しいか? それとも異常か?」は、この精神病院では永遠の命題です。どちらかというと、精神病のグラデーションが強い後者のほうがわたしは好きですね。

 ジョリーの映画人生はこれからスタートしますが、ウィノナはこの映画がピークでした。若いころはスレンダーな女優でしたが、五〇すぎたいまはガリガリの骸骨で、二〇〇一年、ビバリーヒルズで約五五〇〇ドルの商品を窃盗し逮捕されました。あちゃー。

 最初に戻りましょう。ヴィヴィアン・リーは映画で「精神を病んだ女」を演じますが、現実でも似たような状態が起こりました。彼女のような有名俳優は演劇や映画の批評に晒されて、ときに賞賛され、ときに酷評されます。どんなに有名であっても、今回の作品が賞賛されても、次回はそうはいきません。綱渡りのような危険な状態です。リーは夫である俳優のローレンス・オリヴィエの批評まで穢されると神経質になり、新聞や雑誌に載る批評に怯え、精神状態がより悪化しました。波はありましたが、「完全に、本当に完全に狂っていた」「事態は最悪だ。一九四八年あたりからどんどんおかしくなっていった」と語っています。

 一九六八年、オリヴィエとの結婚生活は完全に破綻し、一九六〇年、ふたりは正式に離婚しました。一九六七年五月、リーは結核が再発して回復しているように見えましたが、同年七月七日の夜に内縁の夫メリヴェールは舞台に出演するためにリーを残して自宅を出て、公演を終えたメリヴェールが帰宅した深夜にはすでにリーは寝室で眠りについていました。そして、およそ三〇分後に寝室に入ったメリヴェールが、床に崩れ落ちて死亡しているリーを発見しました。リーはおそらくトイレに行こうとしてベッドから起き上がったときに死亡したとみられ、その肺には大量の血がたまっていました。実に不思議な死にかたです。精神安定剤の常用も見られないので、おそらく精神そのものが彼女を蝕んでいたのでしょう。

 いっぽう、太宰治の心中は、ひじょうに情けないものでした。青森の大地主に生まれた彼はボンボンで、帝国大入学中に講義についていけなくなり小説家を目指しますが、なかなか芽が出ません。彼は故郷の芸者と籍を入れたいと主張します。しかし津島家は芸者との結婚に強く反対。大学を除籍になった十日後、カルモチンで心中するも彼が生き残ってしまいました。情けなや~。

 大学五年目になっていた太宰は、卒業できず仕送りを打ち切られることを考え、東京新聞の入社試験を受けますが不合格。三月一八日、鎌倉で首吊り自殺を図ります。四月、腹膜炎の手術を受けます。入院中に鎮痛剤パビナールの注射を受け、以後依存症となります。学費未納のため九月三〇日付で大学を除籍となりました。ね? 彼の人生って滑稽でしょう?

 で、彼の常習自殺は玉川上水での入水自殺で終了です。三八歳でした。大の大人ですし、本もいろいろ書いてるのに、情けない話です。ひとりで死ぬのは怖いから必ず愛人と一緒に心中しています。死ぬのはひとりなのにね。

『人間失格』を、わたしは二度読みました。一度目は国語の教科書で、真剣に深刻に読み、二度目は二〇代のころに読みました。な~んだ、太宰治って落語チックにコミカルに読めるじゃないか。太宰の小説は、まるで鏡のように読者の心を映します。不思議ですね。

 ちなみに二度読みしたのは夢野久作『ドグラ・マグラ』です。一度読了し、日をおいて二度読みました。以前、わたしの詩を朗読した講義がありましたね。最後のはドグラ・マグラでした。知ってましたか? ぜんっぜん知らなくて結構ですよ。うふふ…。

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