超偏愛的映画論

コンタ

第1講義:カイロの紫のバラ(1985、ウッディ・アレン、アメリカ、83分)

 (アシスタントが教壇にノートPCを持ち込み、電源をつないでノートを開く。スピーカーからは音声読み上げソフト“棒読みちゃん”の声が聞こえる)


 みなさん、どうもはじめまして。初田権之助(はつたごんのすけ)と申します。戸籍上女性ですが、膣はありません。以上です。

 …と締めくくってしまいましたが続けます。もう少し自己紹介したいと思います。わたしは太宰賞作家でして、今年から牛丼大学天ぷら学科創作専攻でぜひ授業をしてほしいとオファーをいただきました。

 わたしは作家ですから創作論、平たく言えば小説の書きかたを教えたいんですけど、そもそもわたしが感銘を受けたのは日本の小説ではなく海外の映画や演劇でしたし、そもそも小説家を目指そうとしたのではなく、小説家になるほかなかったのでしかたなくこのような適当な感じで適当に生きてきてひょんなことから小説家になってしまいました。

 わたしはなぜ小説家になるほかなかったのかと申しますと、ちょうど40歳のとき脳梗塞になりまして、片麻痺と言語障害、高次脳機能障害と後遺症があり、再就職したかったんですけど大学卒業時にもともと就活をしませんでした。学生当時はアルバイト専門雑誌『フロムA』を読みながら適当に探していました。サークルの先輩が「放送作家になりたくてADになった」と聞き、「わたしもADになろっかな~」と、ついうっかり放送制作会社のアポを取り、卒業するまで連絡を取りませんでしたが、入社して社長に「うちに来るのは辞めたのかと思った」と笑いながら言われました。時代はバブル真っ盛りで、学生たちは売り手市場でしたし、「フリーター」という流行り言葉が登場したのもこのころでした。

 その会社はクソでした。低能集団でした。なので、年末のボーナスをもらって速攻辞めました。退社理由? 友だちに協力してもらい、実家の母親が深刻な病気で倒れたから介抱しなきゃいけないってことでした。友だちにはわたしの姉を演じてもらいました。大成功でした。こういうことは大噓つきじゃないと成功しません。


 話は飛びますが、コンドルズという日本のコンテンポラリー・ダンス・カンパニー主宰の近藤良平さんは、昔こうおっしゃいました。「僕の舞台を観たお客さんは、『サラリーマンやめてきました』とか言って突然カンパニーに加わってダンサーになるんですよ。なんていうんでしょうか、コンドルズを観たらダンスが感染するっていうか、観客でいられなくなるんです」。

 わたし一瞬、疑いました。かつてフォークブームがあって「ギターやったらモテる」っていう噂あったじゃないですか、アレと同じなんじゃないかって。みなさんもおわかりの通り、ギターはFで躓きます。みんなそうです。Fコードが押さえられなくてギターを挫折する人が続出しました。いまは動画で押さえかたを優しく教えてくれたりFコードの代用したりして、少しはギターができるようになったのかな? と思います。ところが同時に音楽制作ソフトで「ひとりバンド」をやったりする人がいるようですね。ギターもピアノもボーカルもやったことがない人でもカジュアルにできるような音楽制作ソフトがあるんですよ。でもひとりバンドが運命のようです。ポスト・コロナの時代ですから。


 おっと、また話が脱線してしまいました。でもダンスはどうか? ギターなしで、身ひとつで踊ってやろう、そんな野望があるかどうかはわかりませんが、「カッコイイダンスをすればモテる!」を超えて「ダンスが命!」になったコンドルズ犠牲者が続出してるような気がします。さっきサイトチェックしましたが、さほどメンバーは増えていません。やはりダンスでも挫折する人がいるようですね。わたしは戸籍上女性ですから、学生服ばかりのダンサーを観て「カッコイイ!」とか「オレもやってみよう!」とは思いませんが、男性にとってコンドルズの踊りが身近に感じられて魅力的だと思うと思います。どうせ「モテる=セックスし放題!=女とヤりまくり!」とかって短絡的な性的欲望がムクムクしたんでしょうね。ふん。

 わたしがなぜコンドルズの話をしたのでしょうか。そうです、ダンスも小説も同じことです。ただし小説の書きかたは、わたしには教えられません。たとえばプロ野球にしても、毎日コツコツと練習することが重要です。がしかし、野球であれば何回何メートルダッシュするとか、1000本ノックするとか、うさぎ跳びで何周するとか(いまは膝がダメになるといいます)、具体的に野球が上手になる方法がありますが、小説の書きかた練習とはどういうメニューなんでしょうか? “こじらせ右翼”三島由紀夫は毎日午前中に原稿用紙50枚書いていたと聞いてますが、自殺した遠因は「書いても売れなくなってきたから」というものです。現代ならキーボードを早く打つ練習とかかな? 毎日データ保存を2ギガバイトにするとか? んなこたあない。

 ただわたしが言えるのは、面白い小説を読むことです。がしかし、わたしが「面白い!」と感じる小説はとても少ないです。通称「読まず嫌い」でしたから。

 嘘です。「食わず嫌い」と似た感じにしました。代わりに、わたしは中学生のころから詩集を読んで書いて、学生時代から映画を観続けました。なぜ詩なのかといいますと、詩は小説よりも短いからです。なぜ映画や演劇なのかと言いますと、あの長ったらしくて退屈な文章を読まずに済むからです。小説の代わりに映画や演劇が想像力の補完になるからです。Fコードもありません。

 ちなみに、映画は記録が残っているのに、演劇はそうではありません。後でもう一度話しますが、詩と演劇は寺山修司の作品群が印象に残っています。ただ、大田省吾「転形劇場」を観たとき「寺山修司に騙された!」って思いました。それくらい、大田省吾の「沈黙劇」は衝撃的でした(テラヤマ演劇では科白の云いまわし方が時代劇っぽく大仰な感じでした)。他にもタデウシュ・カントル『死の教室』もひじょうに素晴らしかったです。ポーランド語はさっぱりわかりませんでしたが、登場人物が全員狂人なんです。改めて前衛演劇が好きなんですね、わたし。前衛って意味、わかります? 英語ではアヴァンギャルド(avant-garde:前‐衛)って言います。元はフランス語ですけど。あ、やっぱり混乱しますよね?


 というわけで、これから映画をみなさんで観ようと思います。授業のタイトルに「超偏愛的」とありますが、この授業は仏教にたとえるなら大乗仏教(できる限り多くの衆生を救ってやろうという教え)ではなく、小乗仏教(数は少ないが必ずオレが解脱させてやるという教え)です。つまり、これはカルト(熱狂的信者)なのです。

 わたしが最初にカルトになった対象者は寺山修司です。当時わたしは詩集を読んでいましたが、寺山修司の詩集を借りていざ読もうとしたとき、テレビ朝日系列で『題名のない音楽会 追悼 寺山修司』とありました(当時は日曜の10時でした)。げっ、あいつ死んだんだ、と思いました。わたしは寺山修司に捕りつかれたのではなく、彼の死がわたしに捕りついたのです。

 それから大学で「寺山修司を哲学的に考察する」という論文を書きました。評価はBでしたが、担当教授の論文指導も受けず、孤独に論文を書き上げたのです。えらいでしょ? 誰かわたしを褒めて!

 卒業して、論文を書き上げたわたしは高尾霊園にバイクで行きました。寺山修司の命日は五月四日、修司忌です。彼の墓はお洒落にできていて、まだ書いていない本のページを開くという粋なデザインになっています。デザインはグラフィック・デザイナーの粟津潔です。彼も鬼籍に入りました。

 わたしが寺山修司を知ってちょうど一〇年になりました。彼のアングラ劇団「天井桟敷」の元役者・萩原朔美は「寺山修司を卒業するには、夢中だった時間の倍はかかる」と言っていました。わたしは彼に夢中になり一〇年が過ぎましたが、あと二〇年経たないと卒業できないのか、と思いました。でも、卒業できなくてもかまいません。萩原朔美とは違い、わたしはリアルの寺山修司を知らないのですから。

 寺山修司は短歌・俳句からスタートして、詩人・放送作家・戯曲家・演出家・映画監督・競馬&ボクシング評論家とさまざまな職業をやりますが、「僕の職業は寺山修司です」という有名な言葉があります(所ジョージも似たような言葉いってました)。大学時代、彼はネフローゼで入院します。「長くは生きられない」と横尾忠則に言いましたが、実際彼は四七歳で死にました。死因は肝硬変でした。

 彼が最後にした仕事は、やはり詩を書くことでした。「なつかしのわが家」という作品です。


昭和十年十二月十日に

ぼくは不完全な死体として生まれ

何十年かゝって

完全な死体となるのである

そのときが来たら

ぼくは思いあたるだろう

青森市浦町字橋本の

小さな陽あたりのいゝ家の庭で

外に向かって育ちすぎた桜の木が

内部から成長をはじめるときが来たことを


子供の頃、ぼくは

汽車の口真似が上手かった

ぼくは

世界の涯てが

自分自身の夢のなかにしかないことを

知っていたのだ


 さて、今回の授業が初回ですが、最初はコメディでいいだろうと、わたしは学生さんたちを舐めてかかっています。どうせおまいらには映画なんて高尚なものはわからんから適当に笑ってればいいんだよ、ふん、難しいことなんかおまいらにわかるもんか、と。

 本当にいいんでしょうか。本当にコメディでいいんですかね? わたしのDVDストックリストで年代順にソートすると『モンティパイソン ライフオブブライアン(1979)』と『カイロの紫のバラ(1985)』とがあります。でもわたしは「モンティ・パイソン」はみなさんにとってひじょうにわかりにくいコメディだと思います。何と言っても皮肉と風刺の国・イギリス製ですから。わたしのように高校時代から『モンティ・パイソン 空飛ぶサーカス』を観てシリ―ウォーク(バカ歩き)のおかしさをわかっていないと、このシリーズでは理解不可能だと思います。だってBBC制作のコメディ番組でしたから。日本風にいうと、NHKが『おれたちひょうきん族!』を制作したようなものです。…かえってわかりにくくなったかな?


 というわけで、『カイロの紫のバラ』を観ましょう。わたしはもともとウッディ・アレンが苦手でした。知人の映画マニアに「彼の映画で面白いのはどれ?」と聞くと、「断然『カイロの紫のバラ』だよ!」と熱く語ってきました。映画マニアの訴えはオミットして、さっそくDVDを借りて観ました。とても面白かったです。映画の冒頭とラストに世界的に有名なタップ・ダンサー、フレッド・アステアが登場し(ダンスの相手はジンジャー・ロジャースと思われます)、舞台を流れるようにダンスして踊る場面は、まさにエレガントでロマンテッィクです。

 映画の登場人物が、観客のいる現実世界に飛び出してくるという発想は、たとえば寺山修司の実験映画やスナッフ・フィルムのエログロ・ホラー『ヴィデオドローム(1983)』にもありますから、別に珍しいことではありません。特にコメディの形をとることは、日常が非日常に接続している、つまりマッチしていると思います。

 結局、ウッディ・アレンの苦手意識は払拭されませんでした。科白の冗長たるところとか、クッソうんざりします。はっきり言ってゴミです。でも『ブルー・ジャスミン(2013)』はついうっかり買ってしまいました。だってわたしの大好きなケイト・ブランシェットが主演でしたから! ケイトがうつ病患者の演技をして本当に素晴らしいと思いましたが、話が頭に入ってきません。ケイトだけがひじょうに素晴らしかった、という記憶のみで生き続けていこうと思います。

 ちょっとだけ、映画のネタバラシをします。主人公のセシリアは、無職の夫に暴力を振るわれながら『カイロの紫のバラ』という映画を何回も観ます。映画の世界は冒険的でロマンティックでゴージャスだからでしょうか、セシリアの辛い現実から逃避したいと思ったのです。

 わたしもしばしば映画に逃避します。平凡で退屈でありきたりな日常をブレイクスルーしたいと思ったからでしょう。でも無駄でした。そんなことは無駄だとウッディ・アレンも知っています。彼はコメディ・ドラマを作るためうつ病になったといいます。日本のギャグ漫画家もノイローゼになっているとよく聞きます。あずまひでおが代表です。ギャグ漫画を描こうとしてもなかなかネタが思いつかないからアルコール依存症になり、精神病院に入院したり肉体労働者になったりホームレスになったりして、ついに亡くなりました。『失踪日記』は傑作です。漫画のタッチがギャグテイストだから、そんなにシリアスにはならないんですよ。根が真面目なんでしょうね、きっと。


 また脱線しました。とにかく『カイロの紫のバラ』は面白いです。本来なら映画マニアの助けを借りたことがきっかけなんですが、ひねくれたわたしが素直に観たことも、とても素晴らしい。誰も褒めてくれないので自分で褒めます。わたし、えらい。わたし、すごい。それでは、どうぞ。


『死の教室』映画ヴァージョンもあったんですね。「Tadeusz Kantor dead class」で検索すると出てきます。わたしも観てみよっと。

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