おれがおまえのモラトリアムとなれば

熊谷熊介

おまえがおれのモラトリアムなのか

 高校の卒業式が終わった。

 いまはみんな、思い思いに先生と話したり、友達と自撮りしたりとか、逆にすぐに帰って行ったりとか、カラオケ行ったりとか、それぞれの行動をとっている。校庭で勝手にドッジボールをやっているやつもいた。あれはすぐに怒られるだろうな、と、教室の窓越しに見つめる。おれともう一人の友達は、二人でクラスの喧騒から離れて、教室でつかの間のモラトリアムを享受していた。

 隣の席では友達が俯いて座っている。春の陽気に似合わないような雰囲気で、もう座ることも当分ないだろう椅子に、ただジックリと、ズンと、座り込んでいる。

「なあ」

「……」

「おれらも、自撮りとかしちゃう?」

 場を和ませようとしたが失敗した。ソイツはいまだ俯いたまま、ただ、床を見つめている。

「いやだなぁ……」

 ぽつんと言ったソイツ。

「俺ら、大人になるの?」

 顔が見えなかった。でも声は泣いていた。

「……ハタチまでは、大人じゃなくね」

 おれはそう言い返した。

「ああ、まあ、そっか。でも、どっちにしろ、俺らじゃねえよな。俺は、俺が、多分明日から大人になるんだよな」

 ソイツは悲し気にぼそぼそ喋った。

 ソイツは卒業後、就職が決まっていた。どこかはよく知らないけれど、しょせんは中小企業だと本人は数週間前に笑っていたはずだ。

 おれはなにを言っていいかわからずに、また、教室の窓越しに校庭を見た。そこでは、ドッジボールをやっていたやつらが怒られていた。ああやっぱり。いったこっちゃない。

「お前はいいな」

 ソイツが急に、床に言葉をぶつけるみたいに言った。いや、ぶつけるまでもなく、手を滑らせて落としてしまった、みたいな、そういう風にみえた。

 ソイツはすぐ、バッと顔を上げて、目をまんまるにしておれを見て、信じられないみたいな顔をしながら、口元を押さえた。

 おれは都内の私立大学へ進学を決めていた。

 ソイツの目を見つめ返す。しばらくして、ソイツが先に目を逸らした。

「ごめん」

 またソイツが俯いた。

「べつに、まあ、大丈夫だけど」

 出てきたのはそんな言葉だった。

 ソイツの家は貧乏で、たくさん兄弟がいて、とにかく金がいるらしかった。だからソイツは大学に行ける頭があるのに、わざわざ働く選択をしたのだった。在学中もバイト三昧だったくせにまだ働くらしい。

 それを勿体無いとも、当然とも、おれにはなにもわからなかった。正直、他人事だった。

 でも、ソイツは、独りたくさん心の中でウジャウジャしているんだろうと思うから、それを跳ね除けることはしたくなかった。友達として。人間として。

「大人になりたくない。ずっとこのまま、こうしてたい。ずっとファミレスで駄弁って飯食ってドリンクバーで豪遊してえ。放課後にカラオケとか、テスト勉強とか、ふざけた動画撮るとか、ぜんぶ、明日からなくなっちゃうんだ。俺は……」

 おれは黙って、相槌もせず、ただソイツの言葉を受け止める。

「体育とか、美術とか、音楽とか、なんか、ぜんぶ、もうできないんだ」

「……」

「学食も食べれない」

「……カレーうまかったよな」

「わかる」

 また沈黙。

 ソイツの体はちょっと震えてて、足が縮こまってて、拳を強く握っていた。なにかを我慢しているみたいだった。

 泣きたいのかと思ったけど、イマイチ、いまソイツがなにを思ってるのかわからない。多分、おれとソイツは立場が違い過ぎる。

 秒針が何周かして、おれは、やっと思いついた言葉を言った。

「おれ、大学行くから、まだ子供ってことだろ」

「……社会人が大人だから」

「じゃ、おれがおまえと一緒にガキになる」

「はあ?」

 ソイツが呆れた顔でおれを見る。おれは気にせず続ける。

「おれと遊んで、それこそ、おまえもおれも大人になってからでも、今までやってた子供の遊びやりゃいいじゃん。ファミレスでだらだらしてさ」

「はあ」

「大人になりたくないなら、ならなきゃいいでしょ」

「……ただの異常者だろ、そんなん」

 ソイツが自嘲する。おれは言い返す。

「おれらって大人になるために生きてるわけじゃねーし」

「そりゃあ、大人になるために生きてはないけど、でも少なくとも、大人になるって人間の義務だろ」

「おまえさー。頭かたすぎ。大人すぎ」

「は?」

「子供になる権利があってもいいじゃんべつに」

「なんだそれ」

「わかんねえや。なんか、適当」

 おれがそう締めくくれば、ソイツに足を蹴られた。いたい。ひどいやつだ。

「子供と大人の中間になれれば最高だよな」

「両方の性質を併せ持つ?」

「そうそう。てか、おまえ、いいかげんハンターハンター返せよ」

 おれが催促すれば、ソイツはぽけっとした顔をする。

「忘れてた」

 今度はおれがソイツの足を蹴った。これでイーブンだ。

 教室にやけに明るい夕日が差し込んでくる。校庭にはもう誰もいなかった。

「おまえは大人になるかもだけど、おれはまあ、あと何年かはたぶん、子供だから。おまえも大人疲れたら、連絡しろよ」

「なんだよ、大人疲れたらって」

「つまり、社会に疲れたら?」

「病院行けって感じだろそれ。なんか、どうでも良くなってきたわ。ぜんぶ。いい意味で」

 帰り支度をしながらぽつぽつくだらない会話を続ける。ソイツが穏やかな顔でおれの肩をトン、と拳で叩く。

「大学。がんばれよ」

「おー。おまえも会社ガンバ」

 しばらくして、ハンターハンターは一巻だけ返ってきた。

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おれがおまえのモラトリアムとなれば 熊谷熊介 @kumakumakumagumatarou

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