1と1/4の四季

@yuhaito

第1話 あけぼの


 目の前には白と黒の世界が広がっている。雪が溶け、水を含んだ土は茶色というよりもはるかに黒に近かった。私たちはある民宿を目指して秋田行きの新幹線こまちで北上している。北へ北へと進むほど季節が春から冬に向かっている気分になる。赤や黄色に輝いていた葉が少しずつ落ち、枝だけの木々が冬を迎えるのではなく、先ほどまで見ていた鮮やかな緑が減り、足元はすっかり先ほどまでいた東京で見た春の装いを失っていた。この場所に居続けているのであれば、今見ているこの景色にもいずれ緑が増え始めるだろう。減り続ける緑を見る私たちは季節を遡っているようだった。


 大宮から盛岡までは間に仙台しかないから長く感じるのかなって思ったけど、秋田に入って駅が増えても全然時間の進み方変わんないじゃん。でも、ずーっと雪、山、川しかなかったけど、ちょっとだけ町っぽくなってきた。

「汽車に乗ったら窓から外を良く見よ。」

 民族学者の宮本常一のお父さんの言葉。だったかな。関東と違って、こっちの屋根はすごく斜めになってる。さっきは片方だけもっと急な家も何個かあった。雪の下は田んぼか畑かわかんないけどビニールハウスがないから田んぼなのかな。さっき気づいたけど(新幹線の)隣の駅なのに降りる人の服装全然違う。田沢湖だとアウトドア系の服装が多かったのに、十五分くらいしか離れてない隣の角館だと関東の観光客と同じような服装。私も前に一回だけ秋田に来た事があったけど、あの時は服装失敗だったなあ。東京出た時めっちゃ暑かったのに秋田着いたら寒すぎて。今回はその失敗を活かし(と言うよりも、一緒に来ている優太が秋田生まれだから、この時期に合わせた服を選んでもらったんだけどね)、寒い時に重ねられる厚手の上着を持って来た。


 優太との出会いは一昨年の旅行中だった。私は友人に誘われて出かけた旅行だったが、その旅先で友人の方が話しかけた。もう一度言っておく。友人の方が。だが、話してみると私の家とあまり離れていない事がわかった。それから友人を交えて東京で遊ぶ事が増え、いつの間にか二人で会うことが増えた。

 民宿へは一度優太の実家に寄って車を借りてから向かった。目的地に着くと民宿を営む矢本夫妻が出迎えてくれた。東京から秋田までは四時間。そこから在来線で優太の実家まで一時間かかり、民宿までは車で二時間以上かかったので到着した頃にはすでに暗くなり始めていた。

 この民宿の食事スタイルは特徴的である。旅人同士で食べてもよいし、民宿の夫婦と食べてもよい。優太の以前の宿泊を二人とも覚えていたらしく、今回は四人で夕食を食べた。

「ふきのとうの天ぷら美味しいですね。」

「私、この天ぷら好きです。たけのこですよね?」

 衣が薄く、カリッとしたたけのこの食感がよく、美味しかった。優太が美味しいって言うからふきのとうの天ぷらも期待して食べたけど苦かったからちょっと多めに天汁を付けた。

「今はまだ熊出ないんですか?ふきのとうならその辺にも生えてますけど、ゼンマイとか採りに山に入るのは結構危険なんじゃ。」

 以前から熊の目撃は秋田では珍しくなかったが、近年では人的被害も増えているとよく聞く。優太も車から野生の熊を見たことがあるらしい。

「この辺だと山に入らなくても熊はいるけど、ゼンマイなら小屋の裏の水路のとこに生えてるから明日の朝にでも見てみたら?私も熊は怖いからあんまり山には入りたくないのよ。」

「へー、そんな近くにもあるんですね。明日見てみよっか。」

 優太の誘いに私も頷く。

「この魚は何ですか?」

 私が聞いたところ、これはイワナだそうだ。人里離れた山を好み、全国にも数々の伝説がある。秋田では放流や盆魚=イワナの風習などもあり、山の暮らしに密着した川魚だとおじさんが教えてくれた。

「昔から世話になってる小林さんが持ってきてくれたんだよ。優太くんは前回来た時、ちょっと会ってるよね?」

「ビール二本持って来て、二本とも自分で飲んで帰って行った方ですよね。」

優太が答えると夫婦は声を出して笑った。きっとその夕食の時だけではなく、よくあることなのだろう。

「矢本さんってこの近くの出身じゃないって前に言ってましたけど、さっきのイワナの話みたいなのいっぱい知ってるじゃないですか。それってやっぱり勉強したんですか?」

 優太が尋ねるとおじさんは勉強ではないんだけどなあと言った。

「図書館に行けば当然いろんな本あるだろ?で、必ずその地域の特設コーナーみたいなのがどこに行ってもあるんだよ。なんにも関係ないの読むより、住んでる場所のこと読むのも面白いかなと思って読んだりしてるだけだよ。」

 優太と楽しそうに盛り上がるおじさんが羨ましかった。


「以前にも利用させていただいたんですけど。」

 森吉にある民泊・あけぼのに一本の電話がかかってきたのはちょうど一ヶ月前だった。

電話を取った時、すぐに優太くんだとわかった。声も話し方も以前より大人びたように感じたが、前回宿泊した時に私たち夫婦と優太くんはたくさんの話をした。だから、すぐにわかった。

 ここには様々な客が来る。一人客、友人同士、親子、夫婦。彼は私たちの民宿に興味を持ってくれた一人旅の青年だった。

「住所とか電話番号は前と変わってない?」

 妻が電話で話しているのが聞こえる。どうやら以前泊まってくれた人。中でも親しい人が泊まりに来てくれるようだ。

「優太くん、また泊まりにきてくれるって。」

 妻は嬉しそうに私に告げた。また、三人で夕食でも食べるかと聞くと今回は二人で来るらしい。

「お連れ様は女性ですって。」

 意外な答えに少し驚いたが、私も一緒になって彼の予約を嬉しく思った。


「今更だけど、何読んでるの?」

 私が風呂から上がると優太は茶色い単行本を開いていた。旅行に持って行くのにそれは大きくない?

「遠野物語だよ。柳田國男の。」

 へー、旅行中もその分野か。本当に好きなんだなあ。電車の窓から外を見よってのを教えてくれたのも優太だった。教えてくれたって言うか、せっかく旅行なんだからスマホばっか見てないで外見ろよって言われたんだっけ。ぼーっと風景見るのは好きなんだけど、移動中はあまり気にしたことなかったんだよなあ。優太は大学で民俗学を勉強している。私には違いは分からないけど、文化人類学から民俗学に興味を持ったって前に言っていた。私がさっきおじさんを見て羨ましいと思ったのは、優太の好きな話題が私にはちんぷんかんぷんだから。

「遠野って岩手だよね。カッパとか出るところ?」

「そうそう。カッパで有名だよ。カッパ淵ってところにカッパの置物あるんだよ。あと、釣り竿みたいな棒にきゅうりが糸で繋いである。」

「カッパって釣れるの?」

「釣れるわけないよ。いないんだから。でもカッパ捕獲許可証ってのはあるよ。」

 秋田にはいないのかと聞くと凍死したと彼は答えたが、適当に言ったのか本当なのかは分からなかった。でも彼が言ったのだから本当に秋田のカッパは寒くて死んでしまったのだろう。

「秋田 カッパ 凍死」、これくらいは自分で調べてみよう。こっそりね。まじか、秋田市の四ツ小屋神明社ってとこで凍死したカッパのお墓を作って供養したって書いてる。優太にちょっとクイズでも出してみよう。

「じゃあ、問題!なんでそのカッパは凍死しちゃったのでしょう?」

「みんな南に行ったのに一匹だけ遊び続けてたからだよ。」

 何あっさり答えちゃってんの!あーあ、おじさんは勉強したわけじゃないって言ってたけど、私が優太とこの系統の話をするなら勉強が必要だな。

「そういえば矢本さんも秋田のこととかそういう民俗系のこと詳しかったよね。」

「多分、お客さんに結構質問されるんだと思うよ。それに民俗学の本読むとその土地の特徴がわかるから、民宿とか自家栽培するのに役立つのかもね。」


 優太は一つの例を教えてくれた。日本海に面した湾の話である。北から南に片道五キロメートルのその湾は夕方になると中心より北側は山に隠れて日陰になるので家を西日から守ってくれるのだそうだ。そこには漁港があり、魚を仕入れている。反対に南側は日の入りまで夕日が差したままになっている。こちら側は魚ではなく、海藻を取り扱うらしい。陽に当てて乾燥させるため、南側が適しているのだという。


「今朝、採ってきたばっけで作ったんだども。」

 正面に座った優太が蕗味噌ののったご飯を飲み込むとふきのとうだよと教えてくれた。私の表情からばっけが何なのかわからないことが伝わったらしい。昨日は天ぷらで食べたからわかったけど、ふきのとうの形じゃなくなっちゃったのとばっけっていう言葉では私には何のことなのか分からなかった。

 優太の茶碗に盛られた白米は居間に差し込んだ朝日でつやつや光っている。

白米をかき込んだ優太の口から出る白い息を見て、私は朝起きて廊下に出た時に吐いた息が白かったことを思い出した。さっきスマホで見たら天気予報では日中は十五度まで気温が上がるけど、最低気温は一桁だった。

「前に来た時と違って山菜が多くていかにも春って感じですね。」

 私たちにおばさんは前に泊まった時の朝食と何が違うのか説明してくれた。全ての献立を覚えているわけじゃないけど、だいたい季節ごとに決まっているんだって。

「二人ともよく眠れた?」

 おばさんの声に優太も私も「はい。」と答えた。でも、私はいつもと違う場所で寝るのあまり得意じゃないからちょっと早く起きちゃった。窓の外、すっごく綺麗だったなあ。夏とか、冬にも来たいな。


 民宿を後にするまで時間がある。昨晩、見るように勧められた山菜を見るために小屋の裏まで来た。朝日に照らされた雪は先ほど食べたご飯のように白く、眩しく輝いていた。雪は少しずつ溶け、一滴、また一滴と垂れる度に土を黒くしていく。そこには幾つかのゼンマイがあった。その瑞々しい緑は確実に春を感じさせた。

 昨日、数時間かけて春から冬へと季節を遡った私たち。夜が明けると、この場所で私たちは春へと近づいた。すっかり日が昇った空を見た時、なぜだかふと、窓から見た日の出前の空とその下に連なる山の境目を思い出した。そしてその紫色を瞼の裏に浮かべた私は思わず、心の中でつぶやいた。

「春はあけぼの」

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