第八話「はじめての演劇?」

 そこから、それぞれの希望する部活を聞いて、簡単にグループ分けした結果、私とハヤトくん、そして馬頭さんの三人は演劇部に向かうことになった。

 よりにもよって、「天才子役」と呼ばれた私が演劇部に仮入部することになるとは、ね。

 一応、演技の勉強は事務所をクビになるまでずっと続けていた。だから、そこら辺の素人と比べれば、まだまだ上手な演技ができるはずだ。

 でも、下手に名演技を見せてしまっては、誰かが私の素性に気付いてしまうかもしれない。用心しないと。

 ――等と思ったのがフラグになったのかなんなのか、私はいきなりピンチを迎えることになった。


「はい! じゃあ、体験入部の一年生達は、さっき割り振った役になりきって、台本を読んでみて」

 演劇部の部長さんが、パンパンと手を叩きながら言った。

 私達一年生は、彼女の前に横並びになっている。それぞれの手の中には、演劇用の台本。

 言うまでもなく、これから体験入部に来た一年生だけで、台本の読み合わせをすることになってしまったのだ。

 最初は、先輩達が日々やってる発声練習やら柔軟体操やら、台本の読み合わせやらを見学しているだけだった。そして、その後に一年生からの質問タイムとなり……ハヤトくんがこんな質問をしたのだ。

『先輩、全くの演劇未経験でも、問題ありませんか?』

 って。

そうしたら部長さんが、「最初はみんな初心者だし、いきなり上手くできる人は少ないから大丈夫だよ。……そうだ、せっかくだからここにいる一年生で、実際に台本を読んでみようか」なんて、サービス精神を出してしまったものだから、さあ大変。

 私は久しぶりに台本というものを手に取り、演技することになってしまったわけだ。

 長年の習慣というのは恐ろしいもので、こうして台本を手にしただけで、私の中の「お芝居スイッチ」のようなものが既にオンになりかけていた。

 腐っても、私は元プロだ。お芝居に対する姿勢というものが、体に染みついてる。台本を手にすれば自然と背筋が伸びるし、台詞をハキハキと言えるように、足は自然と肩幅に開き、呼吸は腹式呼吸に切り替わってしまう。

 職業病ってやつだね。

 多分、このまま何も意識せずに台本を読んだら、私はそれはそれは見事な演技をしてしまうことだろう。初めて手にする台本だって、さっと目を通せば、表面上はそこそこの演技ができてしまう。私は何年もかけて、そういう自分を作り上げてきた。

 そしたら絶対に、私が芝居経験者だってことがバレてしまうだろう。それどころか、「桜井ユリカ」という名前から、「こども探偵みらいちゃん」のことを思い出してしまう人も出てくるかもしれない。

 ここは、慎重に事を運ばなければ……!


 台本は、とある高校演劇の一部を切り取ったものだった。

 前後の状況は全く分からず、私達は手元にある部分だけを参考に、それぞれのキャラクターを演じなければならない。

 あらすじは、概ねこんな感じ。

 久しぶりに再会した兄弟。それぞれに女性を連れていたが、なんとそちらの女性同士も姉妹であることが判明する。なんとなく運命的なものを感じた四人は、近くの喫茶店で落ち着いて話をすることにした――うん、分からん。

 高校の演劇というのは、自分達でオリジナルの話を書くこともあるらしいから、これもその類かな?

 少し話し合った結果、「兄」をハヤトくんが、兄の連れの女性(姉)を馬頭さんが、「弟」を私が、弟の連れの女性(妹)をもう一人の見学者の女の子が演じることになった。

「はい、じゃあ始め!」

 部長さんがパンッと手を叩いて、いよいよ私達のお芝居が始まった。


「この先にいい店があるんだ。きっと君も気に入ると思うよ。……うん? あれは……?」

 まずはハヤトくん演じる「兄」の台詞から。

 状況説明や登場人物の動きを説明する「ト書き」には、「兄、向こう側を眺めるような仕草」と書いてあるけど、台本の読み合わせの時はまだ動きは付けない。だから、ハヤトくんの視線は台本に注がれたままだ。

「ど、どうしたの? 誰か知り合いでもいたのかしら?」

 お次は馬頭さん。緊張しているから最初に少しつっかえたけど、棒読みではなくちゃんと演技になっている。少し意外だった。

 ちなみに、緊張しているのはお芝居をするからというよりも、一冊の台本をハヤトくんと共有しているからだったりする。

 台本、三冊しかなかったんだよね。だから、彼女にはハヤトくんと同じ台本を二人で読んでもらうことにした。肩と肩を寄せ合う形になってるから、そりゃ緊張するよね?

 ――っと、いけないいけない。次は私の番だった。人間観察をしてる場合じゃない。

 さて、ここで私が普通に演技をすると、多分大変なことになる。私は腐ってもプロで、他の三人どころか演劇部の先輩達よりも演技が上手い自信がある。

 どこかのどっきりテレビ番組じゃないんだから、体験入部の新入生がいきなりプロの演技を見せたら、大騒ぎになってしまうかもしれない。きっと、演劇部からは本格的に勧誘されるだろう。

 でも、私はそもそも演劇部に入るつもりはない。だって、むっちゃ目立つし……。

「……あれ? 兄さん! 兄さんじゃないか! 久しぶり、元気にしてた?」

 そこで私は、「演劇初心者の演技」をしながら乗り切ることにした。

 声量は抑えて。

 滑舌――しゃべりの滑らかさも控えめに。

 台詞にはギリギリ感情がこもっているかこもっていないかの棒読み寸前。

 もちろん、表情を作ったり身振り手振りを交えたりもせず、台本をガン見しながら台詞を読み上げた。

 周囲の反応は……大丈夫らしい。

 演劇部員の何人かは、「私も最初はああだったなぁ」みたいな、子を見守る母親みたいな表情で私達のことを見守っている。

 どうやら、上手くだませたらしい。

 

 こうして、私達の「初めてのお芝居」は問題なく進んでいった――。


   ***


「はい、おつかれさま~! みんな、初めてにしては良かったよ~」

 お芝居が一通り終わると、部長さんがまたパンッと手を叩いてから、私達一人一人をねぎらい始めた。ついでに、簡単なアドバイスまで添えてくれる。中々デキる人らしい。

(初めてにしては良かった、ね)

 確かに、ハヤトくんも馬頭さんも、もう一人の女の子も、初めての台本読み合わせにしてはとても上手だった。

 でも私は、「演劇の初心者の演技」を少々やりすぎたのか、演劇部の先輩達からは一番心配そうなまなざしを向けられていたと思う。

 「下手な演技、やりすぎれば、ただ、下手な演技」字余り。

 そんなことをぼんやりと考えている間に、部長さんが他の三人へのアドバイスを終えて、私のところへやってきた。

「う~ん、君の演技はなんというか、味があったねぇ」

「ははっ、私にはちょっと難しかったみたいです」

 あくまでも「初心者」の仮面をかぶり続ける。どうせ演劇部に来るのは今日だけなのだから、ここを乗り切ってしまえばいいのだ。

 ――なんて思った、その時。

「うん。次は、君の本気の演技が見たいな」

 部長さんが突然、私の耳元に口を寄せて、他の人に聞こえないようにささやいてきた。

 思わず、彼女の顔を見やる。

 近い。

 黒縁メガネの向こう側で光る大きな黒い瞳が、「待ってるよ」と言っているような気がした。

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