第19話
アオイが昨日見かけた、船が大量に並んでいる沿岸付近の河原で、クレンは持ち前の大声を活かして、集まった巨人族、人間、そして川にいるウンディーネ族達に指示をしていく。他の場所で待機していたのか、巨人族の数は詰所で見た時よりもかなり多くなっており、クレンの五倍程の巨体が集まっている光景は圧巻であった。
「事前に説明してある通り!巨人族の皆さんには!船橋を所定の場所まで引っ張って行ってもらいます!そして!人間の皆さんには!各船橋間の連結と錨の投入をお願いします!それから!ウンディーネ族の皆さんには上流で遊んでてもらいます!それでは皆さん!怪我の無いように!」
各人がそれぞれ自分達の役割を果たすために持ち場に向かって行く。数百人の人間が連結された船に何人かごとに乗り込み、数十人の巨人族がそれらを一組ずつ、舳先に取り付けられた太い鎖を掴んで牽いていく。
「……ウンディーネ族の人達の役割は?確か遊んでくれって頼んでたわよね?」
自分の聞き間違いかと思い、アオイは隣にいるテクトに尋ねた。
「そのまんまだよ。彼女らが遊ぶと、そのすぐ下流は緩やかな水の流れになるんだ」
テクトの言葉を裏付けるように、作業現場付近の水の流れが緩やかになっていった。
「いい感じにかき混ぜられているからかな?よく分かっていないけど」
その理由を解明するのは学者の領分であり、街道保安局としてはその効果を有効に活用するだけだとテクトは言う。そういうものだと言われたら、アオイもそう思うしかなかった。
作業は順調に進んでいっているようだった。巨人族が胸の辺りまで川に浸かりながら、連結された船を、桟橋の様に突き出た石橋の横の辺りまで引っ張っていくと、その船に乗った人間達が錨を上流部に投げ込んでいく。そうした一組の船の隣に、同じようにもう一組の船が並べられると、それらを舷側に付けられた鎖で繋ぐ。それから、船間の固定部の上を、橋の桁の様な平らな屋根から屋根に板が渡され完全に連結する。連結が終わると、巨人族が船を引っ張る為に掴んでいた太い鎖を石柱に巻き付ける。これで一連の作業が終わったのか、その者達は引き揚げていき、次の船へと向かい、また同じ作業を始める。
そのような作業が河川の中央から始まっていき、そこから両岸へと伸びていく。その出来上がっていく速度は普通の橋の比ではない。
「船橋って言うんだよ。凄いでしょ?」
流れと水位の増減の激しいイルナ川では、生半可な強度の橋だとすぐに流されてしまう。そこでテクトの父は、このイルナ川に船橋を架けたのだという。船橋であるならば変動する水位に合わせて浮くので、例え数日間雨の降り注いだ後でも流されずにその形を保ち続ける。また、架橋も容易なため、壊れてもすぐに直せるらしかった。そう説明されている間にも橋はみるみる川岸へと近づいていっている。
「父さんが最初に架けた時には魔王と戦っていた頃だったから、人間だけでこの川に橋を架けたんだよ」
自慢気にテクトはそう言った。それから父に聞いたのであろうその時の苦労話を語り始めた。
「ふーん」
アオイは長くなりそうなテクトの語りを、楽な姿勢で聞く為、近くに積まれている大きな木材らしき物に腰を下ろした。メンは何度も聞かされたであろうに熱心にその話を聞いている。
人づてに聞かされる見知らぬ人間の苦労話が佳境に入った頃に、クレンがアオイ達の方にやってきた。どうやら橋が完成したようだった。
「局長!完了しました!橋、作業員共に異常ありません!」
「お疲れ様。それじゃあ跳ね橋を降ろして通行人を通そうか。……もう待ちきれないみたいだしね」
気が付けば、橋の入り口前に行列ができていた。今まで足止めを食らっていた人達なのであろう。その行列は昨日訪れた村まで続いていた。クレンが頷き、片手を上げた。それを合図として、跳ね橋は徐々に降りていった。
「橋の両側が跳ね橋なのは、浮き沈みする船橋に動きを合わせる為と、もう一つは船が通行できるようにする為なんだよね」
まだ聞いてもいない質問にテクトが答えた。まるで心が見透かされたようでアオイはいい気がしなかった。
跳ね橋が、船橋の桁の上に降りると、通行人達は順番を守りながら一斉に渡っていった。そんなに大勢渡って橋は大丈夫なのかとアオイは心配になったが、びくともしないさまを見て安心した。巨人族が無理やり渡らない限り沈みそうになかった。
橋を渡り始めた最初の集団が対岸へと行きついた時、上空から奇怪な鳴き声が響いた。
その声の主は、アオイどころかメンやクレンですら獲物と認識するであろう程の巨体を有する、飛翔型の魔物だった。大きな醜いカラスのような魔物が、外洋を行く大型帆船の帆よりも大きな翼をはためかせ、下流の方から、橋の上に大勢いる無防備な獲物目掛けて一直線に向かって来ている。
「早く助けないと!」
人々を助けるため、文字通り立ち上がったアオイの前にメンが立ち塞がった。
「ちょっと失礼します……」
というわけではなく、メンはさっきまでアオイが座っていた木材らしき物に用があったようだった。メンはそれを一つ持ち上げると、大急ぎで大きな機材を持って来たクレンに手渡した。クレンはアオイに言われた通り抑えた声量でメンに礼を言い、それを受け取った。
大きな機材には、巨大な弓の様な物が横向きに取り付けられており、クレンがその弦を全身の力を使って引き上げる動作をした事で、アオイはそれが巨大な弩であるという事が分かった。似た造りの攻城兵器よりも巨大な弩に、クレンはメンから受け取った物をつがえた。アオイが座っていた物はどうやらその弩専用の矢であるようだった。太さは自分の足ぐらいで長さは身長ぐらいだったと記憶している。
魔物はもう、すぐそこまで迫っていた。橋の上にいた人々は慌てふためき、その騒ぎで橋が揺れている。地上最強の巨人族も空にいる相手にはどうしようもない。抱えられるだけ人を抱え、地上へと避難させる事しか出来ていなかった。
その騒ぎがまるで別世界の出来事であるかのように、クレンはゆったりと弩を構えた。
狙いを定め、息を短く止める。その瞬間、鋭く乾いた音が
「お見事!」
少しの間、テクトの拍手とイルナ川のせせらぎのみが辺りに響いた。
流されていく魔物の死骸を見てようやく我に返ったのか、落ち着きを取り戻した通行人達は、また何事もなかったように橋を渡り始めた。
「僕たちもそろそろ――」
「――ちょっと待って」
アオイはテクトの口を抑えた。男女の良い雰囲気に水を差したくないからだった。今、メンとクレンは黙ってお互いを見つめ合っていた。
クレンはアオイのアドバイス通り自分から話していかなかった。メンが話し始めるのをじっと待っていた。対してメンは、苦手意識を持っている相手に中々話す事が出来ないようだった。
「……あの……良かったらこれ使ってください……」
ようやく喋り始めたメンが、恐る恐る差し出したのは、ハンカチだった。水しぶきで濡れているクレンを気遣っての事だろう。自分も濡れているのにも関わらず相手の方を気遣うのは、メンらしい優しさであった。
その差し出されたハンカチを受け取り、クレンは声を抑えて礼を言った。
「……ありがとう……ござい……ます」
心から溢れ出る気持ちのせいか、クレンは声と多弁を抑えるのに苦労しているようだった。
また二人は互いに無言になった。
アオイは、クレンと同部族であろう巨人族が数人、遠巻きに二人の様子を伺っているのに気づいた。彼らも将来の首長の恋の行く末が気になるのだろう。
「……あの……さっきのクレンさん……か……格好良かったです……」
メンがまた口を開いた。このまま良い流れが出来るのではないか。そうアオイが思った矢先、
「ありがとうございます!きっとメンさんが矢を運んでくれたおかげです!そうだ!これから出発なさるんですよね!?このお礼は今度会った時に――」
想い人に褒められて、湧き上がる思いが、抑えきれず大きな声量と言葉の奔流となって口から溢れたようだった。メンは逃げるようにクレンの元を離れ、アオイ達の方へと走ってきた。
アオイの口から大きな溜息が出てきた。巨人族も同じ気持ちなようで、同じく溜息を吐いたり空を仰ぎ見たりしている。
「それじゃあ。そろそろ行こうか」
テクトのその言葉に、アオイは力なく頷いた。
詰め所から荷車を移動させ、橋の袂まで来た時には、殆ど渡り切ったようで通行人はまばらだった。
「お気をつけて!メンさんもお元気で!今度食事でも行きましょう!……皆で!」
クレンの見送りを受けながら橋を渡っていく。船の上を通っているという事を忘れてしまいそうなぐらい揺れは無かった。
「結局、何の進展もさせる事が出来なかったわ……」
「そう?『ローマは一日にしてならず』っていうしね。少なくともメンちゃんがクレンと話す事が出来たのは大きな進展じゃない?」
最初の格言のような言葉の意味は分からなかったが、その後に続く言葉を聞いてアオイは考えを改めた。確かにテクトの言う通りであった。
「……なかなかいい事言うじゃない。ひょっとして……何か良い方法とかあるんじゃないの?」
テクトはかなり人の心を読む力に長けているのか、たまにアオイの心を見透かしたような言動をとる。それだけ人の心の機微が分かるという事ならば、何かいい案があるのかもしれないと思い、アオイはそう尋ねた。
ある、とテクトは言った。
「……夜中に裸で全力の取っ組み合いをすれば、それで全て上手くいくはずだよ」
「……あんた言う事時々おっさん臭いのよ……。しかも下品な方のね」
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