第16話

 翌日、数日分の疲れと一晩分の睡眠不足によりアオイが目を覚ましたのは、太陽が一番高いところにある時間帯だった。開いた窓から差し込んだ、惰眠を貪る者を戒めるかのような強烈な光によって、無理やり起こされたのだ。目をこすりながら隣を見ると、同じ部屋に泊まっているメンの姿は無く、部屋を出る前に整のえたのであろう綺麗なベッドしかなかった。


 折角の休みだがこの村の規模は小さく、これといった特産品もない。何もすることが無いためアオイは木戸を閉め、もう一度寝ようとした。しかし、何度か寝返りを打ち、いくら眠りに落ちるのを待っても、日光に当たった体がそれを許さない。結局、一度大きく伸びをしてから、また木戸を開けた。


 朝食と昼食を兼ねた食事を取ろうと思い、アオイは村唯一の食堂へと足を運んだ。開いた席に案内されて注文を選んでいると、見知った顔の者が二人、入り口から入ってきた。


 二人は中で座っているアオイを見つけると、その席の両隣へ当たり前のように座った。


「今から朝ご飯?それともお昼ご飯?」


「……うるさいわね。休日だし何でもいいでしょ」


 アオイは店員に米を卵で包んだ料理を注文した。両隣にいたテクトとメンも同じのを頼んだ。メンは大盛りにしてもらっていた。


 料理の運ばれてくる間、テクトは明日からの旅程について話し始めた。


「このまま街道を進んで行くと陽が落ちる前に『イルナ川』のほとりに着く。そこにある橋の補修現場が次の目的地だよ」


 『イルナ川』は人間界を流れる川である。アルビオス山脈に端を発しその大きな川幅は人間界一とも言われている。


「まあ、君へのお礼がいつ頃になるかにもよるんだけどね」


 テクトがそう締めくくったところで料理が運ばれてきた。半熟に焼かれた綺麗な鶏卵の幕が、楕円型にまとめられた米の上に覆いかぶさっている。同じ料理がカウンター上の机に、三つ並べられる。その内の一つは倍近く大きい。


「いただきます」


 三人はタイミングを合わせたわけでも無いのに同時に食べ始めた。


「……ほう言えばふぁあ……リザード族がくれるお礼って何か知ってる?」


「食べ物を口に入れたまま喋らないで。……ってあんた何か知ってそうね」


 何がもらえるのか聞いたが、知らないならここで教えるのはもったいないとテクトは結局教えなかった。局の仕事に関する事なら聞かれなくとも答えるのにもかかわらず。


 食事を終えると、アオイは自分とメンの分の食事代を支払った。メンは遠慮していたが、道中何度も助けてくれたお礼だと言って押し通した。


 食堂を出た三人は思い思いの休日を過ごす為、別れていった。テクトは宿でゆっくりし、メンは村の近くで体を鍛えるのだという。アオイは少し悩んだ後、いつ頃思いついたか忘れた吟遊詩人としての成功計画を実行しようと思い、宿へ相棒である弦楽器を取りに戻った。


 部屋に戻り、壁に立てかけてあった相棒を背負った。人の集まる広場に行こうとアオイは部屋を出ようとしたが、目に入ったメンと自分のベッドの見栄えの差が気になったので、自分のベッドを、気持ち整えてから出た。


 宿を出て広場に着くと、そこで買い物帰りらしきアマラと会った。首元に掛けられた銀のネックレスが小さく輝きを放っている。


「お仕事ですか?」


 背中の相棒を見て、アマラはそう言った。


「ええ、そうです。良かったら聞いていきませんか?」


 近くの石造りの椅子に腰かけ、アオイは相棒を構え、その調子を確認するように軽く弦を弾く。相棒はいつも通りの安っぽい音色で応えてくれた。アマラが隣に腰掛けるとアオイは曲を奏で始めた。曲の名前は『乙女の想い』といい、町中で見かけただけの男性に思い焦がれる乙女の気持ちを歌った曲である。


 結婚を無事終えた今ならば、恋や悲恋などを避ける必要もない。アマラの家で話しをし続けて気づいたが、物語や伝説には恋愛沙汰に関する話が非常に多い。きっと恋や愛というものが太古の昔から人の感情に強く訴えて来たからだろう。


 曲が終わるとアマラは礼を言って去っていった。演奏料として、買い物袋から果物を二つ置いて行って。そういうつもりは無かったとアオイは断ろうとしたが、半ば押し切られる形となってそれを受け取る事になった。柔らかな物腰のわりに、アマラの押しは強かった。


 頂いた果物を頬張り、アオイが思い思いに演奏していると、通りかかった村人達が立ち止まり、曲を聞いていったかと思うと『投げ銭』を置いていく。その『投げ銭』は午前中の畑仕事で得たであろう農作物であった。特に『労働者の歌』のウケが特に良く、その一曲だけでアオイの足元には野菜の小山が出来ていた。


 アオイが貰った『投げ銭』は、夕暮れになると一人で持ち帰る事が難しい量に膨れ上がっていた。アオイは演奏を終えると、そこまで荷車を牽いていき、腐る前に消化できそうな分を載せる。


 野菜を載せている最中、鍛錬が終わったのであろう、大量の汗をかいたメンが通りかかった。


「どうしたんですかこの野菜……?」


「……あたしの詩人としての価値の物質化ってところかしら?」


 金貨の山よりも、こっちの方が自分らしいのかもしれない。メンに積み込みを手伝ってもらい、残りは明日アマラの家に行った時に渡そうと思い、袋に入れて宿へと持ち帰った。


 


 翌朝。宿を引き払うとアオイ達はアマラの家へと向かった。野菜の入った大きな袋はメンが持ってくれている。


 扉の前に立つと、丁度扉が開いた。既視感のある光景だった。中から嬉しそうなアマラが出てきたのも含めて。だが、前回と違い、その笑顔はアオイを見て引っ込むことは無かった。


「お待ちしておりました。どうぞお入りください」


 身をかがめ、なんとか入り口をくぐろうとするメンから袋を受け取り、アオイはアマラにそれを渡した。


 こんなに受け取るわけにはいかないとアマラは断ろうとしていたが、


「私達が持って行っても腐らせちゃうだけなんで!」


 と言って渡した。なんだかこれも昨日見た感じがするとアオイは思った。


 そんなやり取りをしていると、ジェベルが奥から出てきた。手にはジェベルの体色と同じ赤茶色の服の様な物があった。ジェベルはアオイ達三人の顔を順番に、じっと見定めるように眺めていくと、観念したように愛妻に尋ねた。


「……アマラ。アオイさんはどの方かな?」


「真ん中にいる方ですよ。あなた」


 どうやら、ジェベルは単純に人の顔の判別が不得手のようだった。例え一昨日の晩が日中の明るさと同じだったとしても、ジェベルはアオイを判別する事が出来なかっただろう。


「そうか。失礼した。……それでアオイさん。これがお礼の品なのだが……」


 ジェベルが手に持っていた服の様な物を差し出してきた。アオイは鱗の様な模様が並んでいるそれを受け取る。手に触れてみて分かったが、それは模様では無く鱗そのものであった。どうやら家の中に飾ってあった大きな抜け殻で作られているらしい。


「いいなあ。リザード族の抜け殻製の物なんて金貨百枚でも買えない、というか見かける事すら稀な代物なのに」


 テクトが心底羨ましそうな声でそう言った。そう言われると、アオイは受け取る気にはならなかった。


「そ、そんな貴重な物頂けないです!」


 アオイは両手でそれを突き返したが、ジェベルもアマラもそれを受取ろうとはしなかった。寧ろ、アマラはアオイにそれを着るように言ってきた。その有無を言わさない声色にアオイは気圧され、従う。


 着てみて分かったが、渡されたそれはフード付きのポンチョだった。前後の裾がアオイの膝の辺りまで来ている。言われるままにその場でぐるりと一周すると、アマラは満足そうに頷いた。


「うん。ぴったりですね。旅をなさるアオイさんにはこういうのが似合いますね」


 言外に、アオイに渡す以外の事は出来ないという意味が込められているように感じられた。 


 「……いいんですか?私が頂いても」


「いいんだ。貴女は悲しみ打ちひしがれる妻を、初対面にも拘らず、献身的に元気づけてくれた」


 ジェベルの言葉に続けて、アマラはあの時アオイがいなければどうなっていたか分からなかったと言った。しかし、そんな精神状態に追い込んだのは、アオイの勘違いによるものもある。そんな理由で貰っていいのかとアオイは聞いた。


「それだけではありません。アオイさんは夫の貴重品に手を付けないまま、手紙と……それにこれを届けてくれました」


 アマラは、首元で小さく輝く銀のネックレスを少し持ち上げた。それは手紙や財布と共に届けた物だった。


 アマラが言うには、この村では結婚する時に銀のネックレスを相手に送る風習がある。もし送り届けてくれなかったら一生の思い出が台無しになっていただろうと言った。




「お気をつけて!」


 ジェベル夫妻の見送りを受けながら、アオイ達は次の目的地へと出発した。行く先にはまた街道が続いている。


 道すがら、テクトがリザード族の抜け殻が何故貴重なのかを話し始めた。その理由としては数年に一度の脱皮というその回数の少なさもある上に、抜け殻が破れる事なく脱皮する事がかなり難しいから、らしい。また、仮に綺麗な抜け殻が出来たとしても、リザード族はその有用性を知っており、やや鱗の薄い前面の胴体部分を保護する鎧としてや、丈夫な袋、その他様々な日用品に作り替え自分達で使用してしまうからという理由であるらしかった。


「鎧にすれば鋼鉄の鎧よりも硬く、防水性にも優れ、僅かながら防寒性能もある。ましてや竜人化している個体の物なら防火性能もあるかもね。……ねぇ、今度試させてくれない……?」


「……嫌よ」


 テクトの説明の通り、アオイが着ているポンチョには僅かながら防寒性能があるようで、荷車を牽いているとやや暑くなってきた。アオイは荷車を止めポンチョを脱いだ。その時、対向して来た旅人がアオイを凝視しながら通り過ぎていった。


「……言い忘れてたけど、人前ではあまり着ない方が良いよ、それ。人一人殺めてでも奪い取る価値のある代物だから」


 アオイはテクトの言葉に従い、これ以降人通りの多い街道では着ないようにしようと思った。脱いだポンチョは、荷車に貴重品を保管する場所が無い為、野菜の山に隠す事にした。


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