千の歌

@melan

千歌は最後まで聴きたいようで、そうでなかった。聴いてしまったら、照明が落ちてしまったら、次はもう私の番だ。暗闇に包まれる部屋の中で、唯一ヒカリが輝かしく照らす柵一つ越えた先のステージに、もうまもなく、私は立つ。そう思うと、今流れるメロディーを聴こうとしても、『緊張』と『不安』の二文字が私の体を渦巻いて、できなかった。

程なくして拍手が湧き上がり、同時に喝采に部屋を押し出されるような感覚を覚えた。横を見ると、野田と水又がこっちを見ている。彼らの目は穏やかだった。

・・・何も言ってこない。仄かににやけたような顔をする野田が何を考えているのか、四年目の付き合いになる私でさえ全く分からない。

「そういう顔してる時ってさぁ、なに、思ってるの?」

「何言ったらいいか分からない、って思ってる」

にやけた顔を崩すことなくそう言った。

「次だら?」

水又に告げられ

「あぁーもぉ・・・緊張がヤバい」

言いたいだけだったが

「大丈夫だって」

「いやー、千歌なら絶対いい声でるら」

普段どうりのテンションで励ましてくれる二人。二人はどこかズレた変人だが、根は誠実なやつなのだ。幼稚園からの幼なじみで仲のいい二人には嫉妬さえ覚える。

「うーん、じゃあ、行くわ、じゃね」

二人に手を振って足早に小さな立見席を後にする。去り際に二人が何か言っていたかもしれないと思ったが、それを気にしている余裕はないと結論づけた。


ステージ横の小スペース、『楽屋』と言うには小さすぎる待機所で、メンバーの一人の染野が既にドラムの確認を始めていた。閉めた扉の内側には『少年よ、大志を抱くな!犬も歩けば棒に当たらない』とマジックで木製の面に書いてある。これだけでこのライブハウスの人柄だったりユーモアを説明できるのが凄い。

相変わらず染野を含め私以外のメンバーはあっけらかんとしている。もう一人、清水という青年がいる。長く伸ばした髪を結んでいる唯一無二のヘアスタイル。この二人は特に凄かった。ドラム、ベースの技術はもちろんのこと、他のバンドの曲中のリズムの乗り方だったり、一つ一つの音をしつこくオーナーに指示する姿、観客への挨拶まで、何から何まで私を未熟だと思わせる。私だって歌うことは好きだ。けれども彼らは、私とは根本的に違う音楽を愛しているように見えた。

他のメンバーは各々のパートの音を確認している最中だった。私もそれに倣って念入りに歌詞を確認する。歌詞を印刷した紙を貼り付けたノートをリュックサックから取り出す。慣れないジャンルの曲を受け入れるのは思ったより難しかった。ペットボトルの天然水をゴクリと飲み込む。

間違えてしまったらどうしよう。前を向いていられるだろうか。初めてのステージでバンド名『文月』に泥を塗る訳にはいかない。

「曲が流れ始めたら、僕と清水が先に入るからその次に来て。ギターの二人はその後ね」

「おっけー」

もう一度天然水を飲み込む。少し飲みすぎてしまったかな。

ノートを閉じ、脳内再生しながら最終確認を終えた。



ピピピピ・・・ピピピピ・・・ピピピピ・・・ピピピピ・・・

これは、登場曲冒頭、いや、幕開けの合図か。目を開くと、ステージはまだ暗くメンバーもここにいた。でもさっきまでとは違う表情を皆が浮かべていた。あぁ、ライブはもう始まっている。

唐突に、スネアドラムが、一打。そして曲調が変わる。

私の音楽が始まった。


染野が入場し客に一礼。次に清水、私も彼らに置いていかれまいとそれに続く。

ステージに立ち、衝撃が走る。

暑い。照明から熱を感じた。どれくらい人がいるのだろう。野田、水又、ライブハウスでお世話になっている方々、来場客。沢山いるということしか頭に入ってこない。どこを向けば良いか分からず、前の方の人達にしか焦点が合わない。

しかし・・・たちまち押し寄せるこの開放感はなんだ?直前まで感じていた『緊張』と『不安』は、目の前に広がる、景色と、仲間と、音と、ヒカリが追い抜いた。

振り返れば、当たり前のようにバンドメンバ―がいる。染野と清水と目を通わせ、頷く。多分私は笑っている。ここが、私の居場所なんだ。ここがきっと、いや、絶対私が輝ける場所なんだ。

やがてスピーカーから流れる登場曲がフェードアウトしていき、ライブハウスに寸刻の静寂が訪れる。ここはフラフラするところではない。観客の視線が一点に集まりだす。

静寂を破ったのは

「改めまして、『文月』と申します。よろしくお願いします。」

染野だった。ドラムの席に着いたままアームマイクから挨拶を始めた。

「このバンドは、僕が、シューゲイザー、というジャンルが、凄い好きで、それをやりたくて結成したバンドです。」

それは言葉を吟味するように、淡々と続いた。

「誘いを受けてくれた友人、今はもう最高のメンバー、ですが、本当に感謝しています。このメンバーでライブができることを。」

それは彼の音楽への愛を語るように。

「僕たちも、そしてこの後に続くバンドの曲も、聴いて、音楽を、楽しんで、いく。楽しい一日になればいいなと、切に願います。」

染野がドラムスティックを三回鳴らす。ギターが前奏のメロディを奏で始める。清水のベースがそれを支える。

私は今どう見えているだろう。前を向いているだろうか。溢れるほどの楽しさを感じているが、それに身体が追いついているだろうか。緊張が声に出ないだろうか。

また、後悔してしまわないだろうか。

それぞれの奏でるメロデイが徐々に重なってゆく。

いや、誓ったんだ。もう絶対好きなことを中途半端にして終わらせたりなんかしないって。

失敗してもいい。

これはまだ、第一歩目に過ぎないのだから。

過去も、

明日も、

自分の弱さも、

今は何も気にするな。

マイクを握り、息を深く吸い込む。

最高の仲間と、

日常と、

音楽と、

私を。

全力で、楽しめ。



「ペットボトル片付けとくからねー?」

「あ、ありがとうございまーす」

夜の帳が降りた夏が網戸越しに見える。野田と水又も帰ってしまった。外からは今日出演した人達による談笑が始まっていた。中はこんなに静かになるものなのか。まだ蝉とスピーカーから流れる小さな音が名残惜しそうに響いている。

二人に聞いてみたところ、やはり私は緊張していたようだ。終始落ち着きがなく、声が小さい。淡々としているシューゲイザーというジャンルは私には難しいと改めて実感する。最近のポップソングのような突き抜けるような高い声で歌いたい気持ちももちろんある。ステージに立って『文月』でいたいから、シューゲイザーを歌っているのだ。

野田からは「いい顔してた」水又からは「他の人もボーカル良いね、って言ってた。自信もっていいってことじゃないか?」と。

今でも歌いきった後の満足感が喉から這い上がってくるように味わえる。歌うのに集中しすぎていて観客の動向はよく覚えてはいない。それでも、曲が終わった時に声をかけてくれたことは覚えている。紛れもなく私は、最高のバンドのメンバーだった。

談笑に混じりたかったので、とりあえず乾いたシャツに着替え、荷物をまとめてリュクサックに詰め込む。


「ねえ千歌ちゃん」

突然清奈に声をかけられた。ドアが開く音がしていたため驚きはしなかったが。私がライブハウスに通い始めてから友達になった別のバンドのドラマー少女である。

「今からみんなで花火やるんだ。来てよ!」

あぁ、今日はいい夏だ。


重い木製のドアを開けると皆既に各々の持ち場でわいわいとやっていた。市販の花火とポリバケツが、いかにも十代らしい夏を感じさせる。突然火を噴く手持ち花火に染野が叫び声を上げていた。

「清水のやつ勢い強くね?」

「ん、そうか」

「清水が持つと殺傷能力が高い」

当然やりたくなってきたので袋から三本くらいまとめてかっさらう。そして何となく清奈の横に座る。

「火移してもらっていい?」

「おーいいよー」

赤、緑、銀。皆様々な色を放っている。

「なんか千歌のやつ光り方違くない?」

「えーなにこれ、これはこれでなんか可愛いけど」

「それもそうだね」

バケツに落とすと、ジュツ、という音がして火が消えた。二本目を手に取る。次は上手く行きますように、と蝋燭に近づけた。

芒花火がシュッと燃え上がり、黄金色に輝いた。


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