傘振り回し小僧

@medamaya666nui

傘振り回し小僧

「みんな、傘振り回し小僧って知ってる?」


青木先生が小学校一年生の私達に教壇から手を組んで話しかけた。


青木美穂先生は、40代の中堅の教師である。赤縁の眼鏡をかけて、髪は明るい茶色の短いパーマヘア、いつもデニムのスカートとジャケットのセットアップスタイルに、赤い大ぶりのウッドビーズネックレスをしていた。


青木先生の話を聞いて、皆、一様に小首を傾げるのを、私は一番後ろの席で見ていた。


「今、みなさんが雨の日の行き帰りに傘を振り回して遊ぶのを、たくさんのお母さんお父さんたちが目撃…見ています。あのね、傘をあまりに振り回すと、傘振り回し小僧になるのよ」


青木先生は一呼吸置いた。皆の反応を伺う気のようだったらしいが、一年生達は皆ポカンとした顔をしている。明らかに話を聞いていず、隣の席の子と話をしている子もいた。


「そこ、田端くんとや…山添くん、ちゃんと聞きなさい。えーと、傘振り回し小僧はね、あの、私の昔の小学校の友達がそうなったんだけど、傘を遊びで振り回しすぎて、ある日、立ったまま、そう立ちつくしたまま、一生傘を振り回すハメになっちゃったのよ」 


するとすかさず、優等生の遠藤アリカちゃんが手を挙げた。


「青木先生、そんな傘振り回し小僧なんて話、聞いたことありません」


そうだそうだ!ウソだそんなの!と、皆ヤジを青木先生に飛ばした。田端君と山添君もヤジに悪乗りしてた。青木先生は焦ったように付け加えた。


「本当よ!本当に傘振り回すと周りに危ないんだから!心もおかしくなって、私の友達だって…」


というと、一瞬パッと青木先生は手を口に当てた。私はこの動作が何故だかとても印象的だった。


青木先生はコホンと短く息をついた。


「とにかく、傘振り回し小僧にならないためにも、危ないので皆さん傘は振り回さないで。お願いします。先生からは以上です」


青木先生は教壇から降り、教師用の大きめの席に戻った。


その後、掃除を終わらせた後、私は一人で家に帰った。ちょうど雨上がりだったので、傘をぶらぶらさせていたが、傘振り回し小僧の話が頭をよぎり、傘を抱え持つようにして早足で歩いた。


すると、曲がり角で何か奇妙な人影が見えた。岩の上に誰か立っているように見える。私は下を向いて通りすぎようとしたが、ふと雨が足元に降り、私は咄嗟に空を見上げた。


空は曇り模様だった。それよりも、私の目に入った光景があまりに不気味すぎた。私はその光景に釘付けになった。


そこには40代くらいの男性が立っていた。男性は足と岩がくっついたかのように棒立ちしており、右手にはボロボロになった傘を持っていた。違う、振り回していた。


男性の目は夜空より真っ暗に落ちくぼんでいた。服は小学生の服のまま、体が大きくなったようで、裂けてボロボロだった。口は半開きで、歯がなかった。顔もこすけて汚れ、身体もガリガリに痩せて骨と皮になっていた。


それでも男性は傘を振り回していた。どこにそんな余力が残されているのか、わからないが、とにかくずっと傘を振り回していた。彼を見て私は確信した。


「傘振り回し小僧だあ!」


私は必死で通学路を走った。怖い怖い怖い。この感情だけが小さな胸に渦巻いていた…。


懐かしい話だ。あれは23年前の出来事だから、今生きていたら30代になっていただろう。青木先生はあれから病気がちになり、50歳の若さでこの世を去ったらしい。このことを私は成人式の飲み会で知った。


「でね有希、青木先生が最期になんて言ったと思う?」


日高葉子が私に箸を指しながら言った。久々に会っても、クラスメイトだった葉子の大食い体質は治っていなかった。皿はもう60皿目だ。


「さ、さあ…」

「マサト君が来る…マサト君が来る…だってさ。誰よ、マサト君って」


あははと上を向きながら大声を出して笑った葉子の鼻からは、サイドメニューの鴨蕎麦の麺が若干飛び出していた。私は一瞬食べていた寿司を吹き出しそうになった。


「友達なんでしょ」


私は笑いたい気持ちをなんとか抑え、そう相槌を打った。


「ていうか有希、山添といつか会った?」

「え?あ、あの田端と一緒につるんでた奴」

「そうそう。あいつ、最近死んだらしいよ」

「ええ!?」

「いやマジでさ、あ、すいませーん」

注文していたサイドメニューが届いた。今度は味変したかったらしく、肉蕎麦になっていた。


「うんま!やっぱここ安くて量多くていいわあ〜」

「いやいや葉子さすがに食べ過ぎでしょ。てか、そんなことより山添死んだってホントの話…?」

「マジ。でもまた死因がわからないんだって」

「他のみんな…ほら、私達のクラスの奴らは知ってるの?」

「何が?」

「山添…君がし…亡くなったこと」

「え、もうみんなバラバラになったから無理じゃん」

「確かに。連絡取るのは難しくなったよね」

「難しいってか不可能。もう昔だからね」

私はサーモン寿司を口に入れた。


葉子が肘をつきながらニヤニヤしているのを私は気づいた。


「な…何見てんのよ」

「いやあ…一応口に入れられるもんなんだなあと思って」

「あんたの方が注文してるでしょうが!何言ってんのよ」

「もしかして、気づいてない?」

「え?」


私は周りを見回した。テーブルには既に100皿のっていた。


「いつの間に!こんなに私食べてたの!?嘘」

「嘘じゃない。あなたが注文したのは100皿」

「ひゃーどうしよう」

「片すから」

「私払うよ」

「何も持ってないのに何言ってるの。あんたは、はらわれるべき人なの。いいの、こういう時は甘えて」

「だって…」

「しつこいなあ…だからいつまでも…」


ピッと葉子は会計のボタンを押した。


「2人分だから大変なのに…」

「私にとっては1人分のようなもん。さあ、帰ろ帰ろ」


私は次の仕事があるから、と葉子はブレスレットをジャラジャラさせながら手を振った。私も手を振り、電柱時計を見た。23時だった。

「私はいつ帰れるのかなあ」


私は傘を持って道路沿いを進んだ。そしてあの場所に辿り着いた。


『やっと…来たね』


目の落ちくぼんだ骨と皮のマサトさんが、シワシワに乾いた手を伸ばした。


そこには、バラバラ死体にさせられた小学校1年生の皆がいた。


青木先生の話を聞いた後に、黒いフード姿の殺人鬼が教室に入り込み、15名中12名のクラスメイト(私と葉子と山添君以外)を傘に仕込んだナイフでバラバラに刺し殺したのだ。


青木先生はすぐに逃げ去り、力のない皆は殺人鬼にやられ放題だった。私と葉子と山添はロッカーの中に隠れ、何とか逃げられた。


私達は教室が静かになった後、そーっとロッカーから脱出し、バラバラになったクラスメイト達を掃き集めた。


私には何の感情もなかった。葉子以外とは一切喋ったことがなかったからだ。ただ、死体を集めてゴミ箱に捨てる行為を3人でしていた。山添君は吐いていた。葉子は泣いていた。先生方は誰もこなかった。全員先に殺されていたらしい。


先生の中で唯一残された青木先生は(逃げたのではなく、外に連絡しようとしていたらしい)それから罪悪感で精神を病み、頭がおかしくなったそうだ。私と葉子、山添も精神科に入院させられた。


私もそれからというもの、あの事件が忘れられず、毎晩傘を振り回す殺人鬼の夢を見た。


そのうち私は延々と腕を振り回すという重度の精神疾患となり、閉鎖病棟に隔離された。 


そしてある日、カーテンで首を括り、自殺してしまった。


しかし何故かまだ私は現世にいる。精神科から退院した葉子はやがて実家の神職を継ぎ、山添は土木関係の仕事についた。


私は葉子とチャンネルが合うらしく、よく回転寿司に行った。つまり葉子はバリバリの霊能力者だったわけだ。


そしてそんな葉子とも別れ、私は今マサトさんの元に向かっている。場所は殺人現場のあの教室だ。


『やっと…来たね』


目の落ちくぼんだ骨と皮のマサトさんが、乾いた手を伸ばした。後ろには土木作業員姿の山添君の幽霊も佇んでいた。


『私はあなたの手は握りません』


私はマサトさんの手を拒んだ。マサトさんの顔がみるみる鬼の形相になった。


『なん…だと…!』


『傘振り回し小僧のマサト、あなたは、私のクラスメイト達を殺した殺人鬼だ!』


私が傘をマサトに振りかざすと、バラバラになった腕や足が、マサトに絡みついた。マサトはガクリと腰を曲げた。そんなマサトを、生首となったクラスメイト達が囲んでいた。山添もそこにいた。


『や、やめろぉ』

マサトは傘を振り回した。しかし誰にもあたらない。マサトは骨と皮だがまだ生きている生身の人間。幽霊風情に負けてたまるかとの想いがあるようだった。


『傘振り小僧は骨皮になり

おめめは真っ暗くらに落ち込み

みんな殺してニコニコ笑い

わらしに囲まれ土の中』


私たちはマサトの周りを回り続けて歌った。マサトは尚傘を振り回したが、誰にも当たることはなく、すり抜けていった。


「助けてくれえええ」


傘振り回し小僧であり、殺人鬼のマサトは、ついに精魂尽き果て、ガクリと膝を立てて息絶えた。


教室の中で笑い声がいつまでも続いていた。


私はやっと帰ることができた。

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