【アップ】男山教会2023年7月16日礼拝説教/讃美歌とMynoteもあります

天川裕司

【アップ】男山教会2023年7月16日礼拝説教/讃美歌とMynoteもあります

【本日の礼拝メッセージ】

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=t4NKZbKzMD4&feature=youtu.be


【アメーバブログ】

聖書や讃美歌の内容などは、こちらのブログより閲覧できます。

ぜひお気軽にお立ち寄り下さい^^

https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12813148135.html



前奏

招詞 イザヤ書40章10,11節

頌 栄

たたえよ、主の民[こ改25]

開 会 祈祷

主 の 祈り(週報裏面)

十戒・祈祷(週報裏面)

子ども説教

子どもと親のカテキズム問44

「教会で養われる使命」

こどもさんびか

イエスさまがきょうかいを[改118(3節)]

牧会祈祷

讃 美 歌 187番

聖書

使徒言行録16章11~15節(新約P245)

詩編51編12~21節(旧約P885)

説 教

「主の開かれた心~命の福音を聞く時」

宮武輝彦

祈 祷

讃 美 歌 199番

みことばの交読文 

詩編28編6~9節

感謝のささげものと執り成しの祈祷

頌 栄 542番

祝 祷

報 告



讃美歌~♬


讃美歌187番(歌詞付)54年版「主よいのちのことばを」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=bSE7uWwnoEI


1.

主よ、いのちの ことばを

あたえたまえ、わが身に。

われはもとむ、ひたすら

主よりたまう みかてを。

2.

ガリラヤにて みかてを

わけたまいし わが主よ、

いまも、活ける ことばを

あたえたまえ ゆたかに。


讃美歌199番(歌詞付) 54年版「わがきみイエスよ」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=OSKXmUPjQpQ


1,

わが君イェスよ つみの身は、

くらきたびじに まよいしを、

くまなく照らす みめぐみの

ひかりをうくる うれしさよ。

2,

きみの血しおに すくわれし

われは今より ひとすじに

みあしのあとを したいつつ

みくにのみちを すすみゆかん。

3,

つみのこの身は いま死にて、

きみのいさおに よみがえり、

かみのしもべの かずにいる

きよきしるしの バプテスマ。

4,

うまれかわりし よろこびは、

なにになぞらえ たぐうべき。

わが身もたまも みなささげ、

み名をたたえて 日をすごさん。



2023年7月16日 礼拝説教 中心聖句


神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。

使徒言行録16章14節


しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を 神よ、あなたは侮られません。

詩編51編19節


はじめに

福音が語られ聞かれるところに、キリストの命とその御業が証しされる。

「わたしたちはトロアスから船出してサモトラケ島に直航し、翌日ネアポリスの港に着き」とは、あの幻(16章9節)をパウロが見たとき、すぐに、マケドニアへ向けて出発したことの船旅の経路を伝える。幻は、大勢のマケドニア人が助けを求めている印象を与えたが、実際は、パウロを歓迎する群衆はいない。「そこから、マケドニア州第一区の都市で、ローマの植民都市であるフィリピにいった。そして、この町に数日間滞在した」。数日の間、何の実りもなかった。「安息日に町の門を出て、祈りの場所があると思われる川岸に行った。そして、わたしたちもそこに座って、集まっていた婦人たちに話をした」。この時、伝道の手がかりは、ユダヤ人の集まる所。しかも川岸。静かに御言葉に聞くのに適した場所(習慣的に水も用いた)。ここで、一行の話を聞いたのは、「集まっていた婦人たち」であった。

「ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていた」。ここに、一つの婦人の名が伝えられる。リディアは多分、ユダヤ教への改宗者。神を畏れる信仰を与えられていた。ティアィラ市は、アジア州の町。ヨハネ黙示録2、3章にある7つの教会の一つ(2章18~29節)。この時、「主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた」。この「開く」という言葉は、主が、彼女の思いを内から開かれたこと。つまり、ただ、打ち解けて話し出した様なことではなく、主自ら、彼女に、ご自身の命を与えられたこと。新しい命は、ほんとうの回心によって現われる。そして、ほんとうの回心は、罪を心から悲しみ、救い主であり、主であるキリストに誠実に立ち帰っていくこと(ハイデルベルクコンペンディウム問52,53)。一回心者と一家族が、フィリピ教会の礎となった。使徒パウロは後にフィリピの教会に手紙を書き送り、キリストの日に備え、キリストにある生と死を証しし、天国の希望を伝え、「わたしが愛し、慕っている兄弟たち、わたしの喜びであり、冠である愛する人たち、このように主によってしっかりと立ちなさい」(フィリピ4章1節)と命じた。エボディア、シンティケという二人の婦人の名も認められる(同4章2節)。リディアも多分、婦人たちの交わりの中にいた。

「そして、彼女も家族の者も洗礼を受けた」。それは、ユダヤ教の儀式的洗礼ではなく、キリストの命を証しする固い誓い。最初アブラハムに命じられた割礼も家のもの全員(男子のみ)であった。今日、一兄弟・姉妹の救い即、全家族の救いに見えないかもしれない。しかし、少なくとも幼児洗礼において証しされるように、信仰によって、霊の家族とされる者たちは皆救われる。信仰による忍耐と従順を求めたい。

「そのとき、『私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ私の家に来てお泊りください』と言ってわたしたちを招待し、無理に承知させた」。リディアの施しは、主の賜物。パウロの話は、ただの教えにとどまらず、主の慈しみ深い愛を証しした。

おわりに

わたしたちのささげる礼拝の本質は、体面によっては取り繕えない。「神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊」であるから。「神よ、わたしの内に清い心を創造し」「主よ、わたしの唇を開いてください」との祈りを。日々、新たに捧げたい。



(Mynote)

二〇二三年七月一六日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。

(子供メッセージ)

『子供と親のカテキズム 問四四』

「教会の交わりの中で、養われる私達の使命は何ですか?」

「イエス様は教会に、全世界に出て行って福音を宣べ伝える事、困って居る人を助ける事、大地を大切に収める使命を与えられました。私達は神様の子供として、いつでもどこでもこの使命を果たします。」

多くの狼の中に小さな羊を送り出す様なもの。このエピソードを引用された。譬え弱く小さな福音伝道者でも、神様が護られる事により誰でも充分な福音活動をする事が出来、何も恐れる事は無く、その御計画は必ず達成される。

(公同礼拝)

『使徒行伝』(第一六章一一〜一五節)

『詩篇』(第五一篇一二〜二一節)

この『使徒行伝』の箇所は、あのルデヤが登場する場面である。ルデヤは紫布を売る商人で、神様が彼女の心を開き素直にしたので、彼女はパウロの語る事に耳を傾けた。そして救われ、「もし、私を主を信じる者とお思いでしたら、どうぞ、私の家に来て泊まって下さい」とパウロ達に言ったのである。これは聖霊を受け入れ、その聖霊を齎した人達への持て成しであろう。そしてこの全ての展開を御計画されたのは神様である。

クリスチャンでもノンクリスチャンでも、信仰に耳と心を傾けて、神様の御計画・御意志に添う姿勢で動いて行けば、その先の道は必ず無事に備えられ、その行動による成果・即ち神様の御計画は必ず達成される。

パウロが宣教活動(宣教旅行)に出た時、行った先の全ての人がキリストに依る救いを求め、パウロが来るのを心の底から待ち侘びて居た訳ではない。どちらかと言えばかなり険しく大変な道であり、パウロも共に旅した人達も「この先の自分達の在り方にかなり不安を覚えさせられる状況」に在った。

パウロ達一行はトロアスから船出して、サモトラケに先ず立ち寄り、その翌日にネアポリスに到着する。トロアスはエペソの北方に在り、黒海の裾に在りながらピリピに近い。今のトルコの最西端である。そのトロアスから船に乗り孤島のサモトラケへ行き、そこに一日滞在したあと翌日に、イタリアのローマから近いネアポリスまで行く事になる。この旅程だけでもかなりの距離で(当時にすれば)、その間、実際何が自分達に起こるか分からない。これは人間的な主観・感情の為す恐れに在り、その不安・恐怖・苦しさも全て人の間から生まれるものである。

今まで見えなかった事が見える様に成り、感じなかった事を感じる様に成れ、考えもしなかった(考える事が出来なかった)物事の成就を信じる様に成る事。信仰に生かされる上で大事はこの点に在る。この姿勢は信仰に依り生かされる姿勢に成り、その「見えなかった事が見える・感じなかった事を感じる・考えもしなかった(考える事が出来なかった)物事の成就を信じる」と言うのは神様の御計画に依り成される事に在り、神様の御力、聖霊の働きに依らねば絶対に成らない事である。

パウロ達には、その日に泊まる場所も与えられなかった状況である。そこでルデヤが現れて「私の家に来て泊まって下さい」と勧められた事はパウロ達にとってとても大きな恵みに在り、この恵みは神様から与えられ、既に用意されて居たものである。ステファノの事や様々な預言者に与えられた他人との交流に於ける人生、そして何よりイエス様の生涯を思えば、福音伝道者や預言者、そして誠の救い主さえ非難されたり傷付けられたりした事は本当で、イエス様はその果てに人々(多くの人間)の手と心により十字架に付けられ、当時の人々の間で葬られた(そしてイエス様はその三日後に復活された)。パウロ達にしてもこの宣教旅行で覚えた不安・恐怖は彼等が受けて来たものと全く同じで、もしかするとその場で捕えられ、処刑される危険性も確かに在った(実際、イエス様に従ったあの十二弟子達ユダを除く十一弟子は皆自分に与えられた使命を果たす上、時の権力者・群衆によって捕えられ極刑に処された者が殆どである)。またパウロも宣教中に一度捕えられて居る。時の権力者達は皆「この地を収める自分の権力と地位」をどうでも維持しその先も護ろうとする為、その邪魔になるものは悉く粛清する傾向が確かに在った。更に信仰に従順な者でも邪教により教えられ、その主義思想をその邪教に躾(しつ)けられた場合、自分達の信仰に沿わない者達を根底から憎み打ち消すべき対象として、同じく粛清せねばならぬ対象とする。その様な非難・暴力等が常に隣り合わせ・背中合わせの状況が、この福音宣教の道にはあったのだ。

ルデヤがこの時にこの場所で、この様に自分達の前に登場するとはパウロ達一行の誰もが知らず、想像も出来なかったろう。この未知の展開に神様の御計画・備えが在り、その事を疑わず、知る程の信仰の力を持つ事は文字通りに信仰の力に依るものに在り、その信仰の力を与えられて居るのは神様である。全ての人は神様から生まれて居り、信仰の心も初めから全ての人の内に備えられて居たからである。信仰に生かされる上でこそ、神様から与えられるその恵みと愛と備えが在る事を忘れては成らない。


【日本キリスト改革派 男山教会】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【最寄りの教会検索用】

https://www.rcj.gr.jp/



Table Café~


榎本保郎牧師 ミニ説教3 「与える生活を始めてみませんか」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=AhE0fnq9sMU


「わたしの目には、あなたは高価で尊い 23.イザヤ書」

THE DAILY with Arthur Hollands 2023/07/22

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=nWCjD7xUkmk


ハーベスト・タイム・ミニストリーズ

https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin?app=desktop


スペイン映画 「汚れなき悪戯」より「マルセリーノの歌」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=bqKFXlg1h6s


不思議のパルプンテ

https://www.youtube.com/@user-vh3fk4nl7i/videos

(お暇な時にぜひどうぞ(^^♪)

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