第15話 ユリアの解雇

 国王ご夫妻との面談が終われば、いつものようにステファン第二王子と夕食である。私の1週間のハイライトだ。

「やあ、アン、今日も元気そうだね」

「うん、ステファンは?」

「うん、まあまあだね。暑い日はちょっとつらいな」

「暑いといえば、陛下にね、ヴァイスヴァルトの離宮に行くよう言われたわ」

「うん、僕も聞いてる。真夏でも涼しくて、いいとこだよ。森の中だから鳥のさえずりも聞こえてね」

「そうなんだ。なんか楽しみ」

「毎年離宮へ行くとね、あそこを思い出すんだ」

「あそこって?」

「かっぱのふるさと」

 ステファンは上高地のことを言っているのだろう。

 上高地には修二くんと二度行った。一度目は梅雨時に実験物理若手の学校の下見に行って、道路ががけ崩れになり帰れなくなった。二度目は実験物理若手の学校の本番で充実した日々だった。修二くんと過ごした北海道も美しかったが、上高地はまた別格だ。遠くには険しい山が見え、青い川や木々と素晴らしいコントラストだ。もしあんな場所で暮らせたら、寒冷地だし人里から離れているから生活していくだけでたいへんだろうけど、充実した日々を遅れそうだ。

 英語に”Full Life”という言葉があるらしい。アメリカのアラスカの森の中に暮らす人は、生きていくだけで力を尽くさなければいけないそうで、まさしく”Full Life”らしい。上高地も観光シーズンが終わればそういう生活になってしまうかもしれない。

 離宮だからそんなことはないだろうけれど、ステファンや仲間たちと自然に囲まれた休日をすごしたいものだ。


「アン、ごきげんだね」

「うん、ヴァイスヴァルト、早く行きたいな」

「アンは国境地帯で仕事らしいね。大変だと思うけど、僕は先にヴァイスヴァルトで待ってるよ」

「いいな。私、仕事頑張って早く行く」

「その間僕は、勉強頑張るよ」

「うん、資料は明日持ってく」

「なんだか楽しみなような、恐ろしいような……」


 明日、というのはステファン王子を含め、8人でゼミをやることにしていたのだ。

 私達8人は、ブラックホールを通ってこの世界にやってきた。この世界で生きてきてこの世界を愛している。だけどやっぱりもとの世界にもどって超電導の研究を続けたい。この世界でブラックホールの知識を持っているのはこの8人だけだから、帰る方法はこの8人で探るしかない。女子4人は女学校時代にみんなで勉強してきたから、基礎の量子論と特殊相対論くらいはなんとか勉強できた。だけどブラックホールの性質を探るには一般相対論が必要だし、女子は4人とも元の世界でそのような勉強は何もしていなかった。そういう知識をもっているのはフィリップ一人だけだし、フィリップが私達に合流できても1年もたっていないし、戦争のせいで勉強はあまりできていない。

 それが明日、やっと8人そろって勉強できるのだ。

 

 明けていよいよ初めて8人そろって勉強する日が来た。

 今日の予定は午前中は近衛騎士団で午後の勉強会のための資料作り、昼食は王宮で国王ご夫妻と会食、そのあとはステファン王子と勉強会だ。


 朝食時、ヴェローニカ様が話しかけてきた。

「アン様、ヘルムート殿の帰国が決まりました」

 私は心臓がドキッとした。ヘルムートは隣国ヴァルトラントの騎士であり、捕虜として第三騎士団で預かっている。そして第三騎士団のメイドユリアと恋仲になってしまった。

「それで、ユリアはどうなるのですか」

「ヘルムート殿は、向こうでご家族を説得して、その上でユリアを迎えたいと言っておりました」

「そうですか」

「それでですね、一旦ユリアを解雇することになりました」

「え?」

「ユリアには申し訳ないのですが、軍事機密に近い部分で働いているのはまずいでしょう。再就職先は私の方で責任を持つことになっています」

 私はヘレンを見た。もともと女官を目指していたヘレンは「女官はメイドの上位互換」と言っていろいろな仕事をユリアに教わっていたのだ。同じくメイドのウィルマとともに、ある意味ヘレンの師であり師弟関係は6年になる。

「私はユリアが幸せになれば、それが一番だと思います」

 ヘレンは気丈にも言い切った。でもその表情は寂しさに溢れていた。

 私はヘレンに気の利いたことを言ってあげたかった。でもなにを言っても表面的な慰めに過ぎない気がして、何も言えなかった。そういえば修二くんが札幌から東海村へ引っ越した日、のぞみと真美ちゃんは急にうちにやってきて、一緒に泣いてくれた。とくに何にも言ってくれなかったけど、二人は私の気持ちを共有してくれた。だから今は、ヘレンといっしょにいて、その寂しさを共有しよう。私自身も身の回りのことをずいぶんユリアに助けてもらったのだ。


 思い悩む私に比べ、ヘレンは強かった。

「私ね、ほんとにユリアには幸せになって欲しい。フローラ、お父さんの関係からいい就職先、ないかな?」

 前向きな発言に、フローラは直ぐに反応した。

「わかった。パパに手紙書く」

「ありがと」

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