第5話 好意的な意見と批判的な意見

 陛下から女子大構想の内諾を得た私達は、次の日に王立女学校へ行った。もともと授業もあるし、校長のアレクサンドラ先生にも女子大の相談をしたい。

 

「おはようございます、聖女様」

 すれちがう生徒たちが挨拶してくれる。今日は午前、午後、さらに夕方に一つずつ数学の授業をする。戦争のせいで長期にわたり授業ができなかったから、かなり無理な時間割になっている。私が講義し、フローラ、ヘレン、ネリスが補助として入る。さらに警備の女性騎士が二人はつくのでどうしても行列みたいになる。職員室を出るときいつも、医療ドラママニアのネリスが小声で言う。

「カラサワ教授の総回診が始まります」

 最初にネリスがそれを言ったときは「ザイゼン教授」だった。「私はザイゼン教授じゃない」と言ったら「カンザキ教授」になった。医学部でも大学病院でもないのだからと抗議すると「カラサワ教授」になった。私はもう諦めたというか、本当はカラサワと呼ばれるのが嬉しくて文句を言わなくなった。

 廊下を歩きながら、今日の警備に来てくれたカロリーナが、

「カラサワってなんですか?」

と聞いている。ネリスは、

「聖女様がお喜びになる呪文じゃ」

などと答えている。


 ま、間違ってないけど。

 

 午前の授業のあと、校長室に行く。アレクサンドラ先生は忙しいので、あらかじめ予約はとってある。


「聖女様、お忙しい中ありがとうございます」

 校長室を訪れると、本当に忙しい校長先生から逆に感謝されてしまった。

「あ、い、いえ、こちらこそありがとうございます」

 こういうとき上手に言えない私は、やっぱり政治向きではないと思う。

「で、今日のご用向きは?」

 先生に促され、私は用件を話し始めた。

「先生、現在女子教育は、女学校を卒業後は仕事について実務をこなしながら行われています。結論から申し上げますと、女子の高等教育機関、女子大をつくりたいのです」

「なるほど、聖女様はその入学希望者がいるとおもいますか?」

「はい、男子のようにはいきませんが、潜在的にはいると思います」

「その女子大、ですか、女子大の卒業生の進路は?」

「それについては女学校とは変わりません。ただ、より実力をつけた卒業生は実社会でより活躍できると思います」

「たとえば?」

「例えば法学部を作ります。女学校では主に普通学を学習しますが、実学は少しです。法務に詳しくなることにより女官としても指示を受けて動く立場から、指示を出す立場に立つものが増加すると思います」

「現状、それでもうまく行っているのではないですか?」

「実務をこなしながらの学習は、行っている実務だけに知識が偏りがちです。それでも出世はある程度はできるでしょうが、バランスのよい知識がないともっと上の立場に立ったとき、専門外のことがらについて正しい判断が難しくなるでしょう」

「聖女様から、男子の高等教育の学校に女子の入学者を受けれるよう働きかけるのはどうでしょうか」

「将来的には、女子大など無く、高等教育が共学化されるのも良いと思います。そもそも女子大の最終目標は、女性の地位向上ですから」

「正直に言います、花嫁修業のひとつ、と捉えられかねませんよ」

「それも大事です。たとえば外交官の妻が正確な歴史の認識をもち、法的知識もあるとなれば、夫の仕事を家事以外でも支えられるようになるでしょう。そもそも子を産むことは女性にしかできませんから、女性固有の能力を無視しての教育など、意味がありません」

 

 その後もアレクサンドラ先生はネチネチと文句をつけ続けた。

 アレクサンドラ先生らしからぬその言動に私はイライラしてきた。

「要は先生は、女子大など要らないとおっしゃりたいのですか」


 多分私の口調は、かなり強かったのだろうと思う。一番の味方になってくれそうな先生が、反対意見を、それも枝葉末節みたいなことをずっと言い続けたのだ。

 私は下を向いてしまった。くやしくて涙が出そうだ。


 左の袖が引っ張られた。ヘレンだと思う。

 顔を上げると、アレクサンドラ先生がおっしゃられた。

「この私が、卒業生の人生を見てきて、悔しい思いをしたことが無いとでもお思いですか?」

 優しい笑顔だった。でもそれは、強い笑顔だった。


 物理の偉大なる先人にアインシュタインがいる。相対性理論で有名な人だが、実は現代物理学の土台である量子論の構築にも偉大な功績を残した人でもある。例えば私の専門分野超伝導現象は、低温で電子が2つペアを作ってそれがボーズ・アインシュタイン凝縮をおこしたと考えることもできる。内容はともかく、こんなところにもその足跡を残している。


 そのアインシュタインは、ミクロの世界で粒子の存在が確率的になるという量子論がどうも感覚的にあわなかったらしい。もちろん当時の物理学者たちの多くもそうだったが、どう研究をすすめても量子論が正しいとしか言えなくなっていた。その風潮の中でアインシュタインは「神はサイコロを振らない」と言って、量子論を批判し続けた。しかしアインシュタインの批判は一つ一つ退けられ、結局は量子論をより強固なものにしてしまった。


 アレクサンドラ先生の優しく強い笑顔を見て、私はその故事を思い出していた。

 アレクサンドラ先生は、賛成だから、賛成だからこそ、想定される批判を片っ端から挙げているのだ。


 好意的な意見は元気をくれる。

 批判的な意見は、学問を強くしてくれる。


 学会の質疑応答などでいつも自分に言い聞かせてきたことだが、アレクサンドラ先生はそれを同時にやっていた。

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