Route 2.

成瀬哀

第1話囚われのあなた

 空き缶が中央に転がっている。電車の揺れに合わせてカラカラと音を立てて左右に転がるーー。


 最近そんな夢ばかり見る。どこに向かっている電車なのか、そもそも電車なのかも分からないし、あの場所に他の誰かがいるのかも分からない。ただ私に分かるのは、どこかで知ったはずの場所、という曖昧な情報だけだった。

 寝起きの不機嫌に登校という気怠さが混ざって、深い溜息が出る。元々学校なんて好きじゃなかったけど、この頃は余計に嫌になってしまった。

 トーストを齧るこのサクザクとした食感も背中をピリつかせて、飲んだオレンジジュースは喉を引っ掻いていくような感覚だった。この間まではそんなことなかったのに。ちゃんと美味しく食べられていたのに。

テレビを観ても、天気予報士の薄ら笑みが偽物にしか思えない。気になっていたはずの占いも、信じなくなっていた。

プツンとテレビを消して、音の消えた空間に終わり始めた夏を嘆いた蝉の声だけが響く。再び齧ったトーストは、蝉よりも不愉快な音を立てた。


 学校に着くと、それはそれで嫌な時間ばかりが待っている。休憩時間なんて三分で終わらせて、さっさと授業を終わらせて早く解放してくれればいいのに。

「ねえ、藍瑠ってば! 聞いてる?」

 努めて無視をしていたというのに、隣で実花が騒ぎ立てる。

おかげで普段は私を空気扱いで済ませるクラスメイトたちもこ

ちらを向いた。

「そんな大声出さなくても聞こえてるよ」

「じゃあ返事してよね! この休憩時間終わったら、すぐ決めなきゃいけないんだから。今度の体育祭での出場種目」

 くだらない。そんなことのために、わざわざ人を大声で呼ぶ必要はないのに。

「別に何だっていいってば。実花が好きなのを選んで」

「選びきれないから困ってるんじゃん! 徒競走は全力で走ってスッキリするし、ダンスなんて普段踊らない分楽しいし、大縄跳びはみんなでやった達成感があるし、二人三脚は藍瑠と一緒にでき……」

 どうやら実花は黒板に書かれている種目を列挙しなければ気が済まないらしい。どれに参加しようと、晒し者にしかならない事実に変わりはないし、参加するのがどの種目だろうと体育祭に対するモチベーションはさして変わらない。ましてや体育祭で勝って何かが変わるわけでもない。合唱コンクールと同じくらいどうでもいい、できれば参加したくない催しの一つだった。

 対するこの『友人』、実花は運動神経抜群で、バスケで決めるロングシュートはいつも拍手が上がる程。いくら全力を出しても「本気でやってない」としか思われない運動音痴の私とのモチベーションに天地の差があるのは、当然のことだった。

 キンコーンと始業のチャイムが鳴り渡り、開いていた扉をガラガラと引いて担任教師が教室へと入ってくる。

「結局決まらなかったじゃん!」と実花は拗ねると、自分の席へトコトコ帰って行った。

『友人』。果たしてその言葉が今の私たちの関係に当てはまる

とは、到底思えないけれど。


 空き缶が中央に二つ転がっている。飲み終わって潰したのか、少し凹んでひしゃげて。振動に合わせてゆらゆらと揺れていた。


 また、そんな夢を見た。

ふと開いた瞼の向こうに見えたのは自分の部屋ではなくて、どうやら電車の車内のようだった。

まだ最寄り駅に着いていなかったなんて。一晩は寝たような感覚でいたのに、どれだけ深い眠りに落ちていたんだろう。というより、もしかすると最寄駅を通り越して乗っているのではないだろうか。

 気になって辺りを見回した。車窓から見える景色はーー何もない。真っ暗だった。そしてもう一つ。

「誰もいない」

 いつも賑わっているはずの車内は誰一人として乗車客がいない。真っ暗な闇に囚われた電車の中で、煌々とその電灯の光を浴びるのは私ただ一人だった。

 なんだか少し不気味だ。少なくとも私はそう感じた。通学に使っている電車はトンネルや地下を通ることはないから、車外が真っ暗なのは夜であるということ。けれど、それにしては乗客がいないのは明らかにおかしい。夜なんていつもサラリーマンと呑んだくれで溢れているのに。

電車についているはずの電光掲示板も、鬱陶しい広告もまるでない。見れば見るほど違和感しか覚えないこの車内で、決定的におかしなことに気がついた。

「動いて、ない……」

 電車は揺れることもなく、音を上げることもなく、ただじっと静止していた。駅に着いているわけでも、移動中でもない。

 怖くなって、助けを呼ぼうとスマートフォンを手に取った。バキバキに割れて完璧に壊れている。いつこんなことになったんだろう。全く覚えてなかった。当然電源は入ることなく、仕方なしに私はそれをポケットに仕舞った。

 外がどうなっているのかは分からないけれど、この微妙に不気味な『電車』の中にいるのは、もっと怖かった。駅のプラットホームではない場所で電車を降りるのは、高低差もあって難しいかもしれないけれど、このままじっとしている気にもなれなかった。

 ドアに手を掛ける。もちろん、びくともしない。どこかにあるはずの非常用の手動操作ができる装置を探すと、ドアの近くに真黒なボタンを見つけた。

 非常用ボタンがこんな色なのかは分からないけど、ドアの近くにあるということは、きっと押せば何かが起きるのだろう。

押して開かなかったら、また別の方法を探せばいい。

「ボクはやめた方がいいと思うよ」

「ーーえ?」

 突然聞こえた声に振り返る。さっきまで乗客は私独りだったはずの車内には、少年が一人乗っていた。

「そのボタン、たぶんキミが考えているようなモノじゃないから」

 少年は椅子に座っていた。一番端のドアの近くーーそう、私がドアに向かって歩いた時に、絶対目に入る位置に。

「あなた、いつこれに乗ったの?」

「お姉ちゃんが乗る、少し前かな」

 彼は足をぶらぶらと揺らしてニコッと笑った。

「この車両にいたの? 他のじゃなくて」

「うん、ボクはずっとここに座ってたよ。お姉ちゃん、なかなかボクに気づいてくれなかったんだけどね」

 少年は揺らしていた足をピタリと止めると、私を見上げた。

「ボク、亜十夢って言うんだ。お姉ちゃんは?」

 私の不安を助長するとは知らず、亜十夢はニコッと微笑んだ。

「私は……気がついたらここにいたの。貴方に気づかなかったというより、貴方がいきなり現れたとしか思えないんだけど」

「何言ってるの? ボクはそんなデタラメじゃなくて、お姉ちゃんの名前を聞いているんだよ? なんで教えてくれないの?」

 ぷくりと頬を膨らませて膨れっ面をする。そんな少年の様子を見ていると、何故か余計に自分の名前を教えてはいけない気がした。

「名前を知っているかは問題じゃないから。私の名前を聞いたところで、私自身のことを知らなかったら、結局赤の他人なんだし。それなら名前も知る必要はないでしょ」

 亜十夢は頬を膨らませるのをやめると、ま、いいや、とだけ呟いた。

「それよりも、私より少し前に乗ったなら知ってる? この電車は今どうして止まっているのか、どこに行く途中なのか」

 少年は一瞬だけ不思議そうなに眉をかしげると、次には大きな声を上げて笑った。

「な、なによ」

 おかしな質問をしたわけではないのに、彼はまだふくふくと声を抑えて笑っている。笑い声と共に震えていた身体の動きが落ち着くと、ようやく彼は努めて平静を装い、質問に答えた。

「どこにも行かないよ」

 たぶん今度は私が不思議な顔をしているだろう。意味がわからなかった。表情から私の考えを汲み取ったのか、亜十夢は続けた。

「だってこれ、電車じゃないし」

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