第三章②
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食事を終えたタスクたちは、休む間もなく、出立の準備を始めた。ミュウキからの申し出は、一同にとって驚愕の出来事だった。それ故に、互いに口数は少ない。互いに腹を探っているわけではなかったが、誰かがその話題を切り出してくれないだろうかと、全員が思っていた。
当のミュウキは、昨夜、イロクから命令を受けたあと、寝る間も惜しんで身辺の整理をしたから、塔を出る準備はできていた。自分はこの塔の中で、これからもネイヨムとして任務をこなしていくのだと思っていたから、突然の下知に戸惑わなかったわけではない。むしろ、イロクの思惑を訝しみ、どうしてこのような事態になったのかと一番狼狽えているのは、ミュウキ自身であった。
それでも、エマティノスに所属する以上、イロクの命令は絶対であった。一晩かけて、ざわつく心を鎮め、ミュウキは与えられた任務を遂行しようと心に決めた。
焼暴士とともに、ヒノオ大陸の各地を巡るということは、それ即ち、常に死と隣り合わせで生きていかねばならぬということだ。焼暴士とラヨルがかち合えば、どんな場所でもそこは闘いの場となり得る。戦場に身を置く以上、自衛をしなければ死は免れない。
ミュウキに闘いの経験はなかった。衛兵として、武器を携行してはいたものの、それを使って人を殺めたこともない。タスクに矛先を向けたのも、単なる脅しのためであり、何なら加減を間違えて、彼を傷つけてしまった。幸い、彼の体には他の傷もあり、戦闘が重なったせいか、さほど気にもしていないようだが、ミュウキの心情が決して穏やかとは言えないのであった。
「じゃあ、準備は万全だな」
準備といっても、タスクたちは持ち物が極端に少なかった。焼暴士は、いつ何時でも戦闘に備えられるよう、臨戦体制を作っておかねばならない。彼らは、鍛え上げた武術と、ノーラの炎に対抗するための、自らの血液を武器としている。身につけるものも極力少なくしておかねばならないから、持ち物も最小限に留めておかねばならない。食べ物や飲み物など、生きるのに不可欠な物資は現地調達というのが原則であった。ヒノオ大陸には、このエマティノスの塔ほど大規模なものでないにしろ、いくつもの拠点がある。闘いに明け暮れる焼暴士やランロイたちを支援し、物資の調達を行い、時には彼らを弔う。それもまた、ネイヨムの責務であった。
「タスク、体は大丈夫か?」
「うん、ぐっすり眠れたし、どこも痛いところはない」
タスクはふんと胸を張る。リーレンの治癒の呪文の効果もあったが、彼が普段から鍛錬を怠ることなく、体力を維持してきたからだろう。昨日までの傷やダメージは、すっかり払拭されていた。腕や足、背筋を伸ばしてみても、違和感はない。これから何が待ち受けているのかはわからないけれど、今なら何だって乗り越えられそうな気分だった。
タスク、フィルト、リーレン、ヴェルチ、それにミュウキを加えた一行は、エマティノスの塔を地上まで降りて表に出た。タスクたちが倒したはずの、門番代わりの石像は、元の場所に鎮座している。塔の中に足を踏み入れてから、それほど時間は経っていなかったが、陽の光を浴びたのは、随分と久しぶりのような感覚におそわれた。
「おーい、お前ら!」
タスクが外の空気を吸って一息ついているとき、背後から誰かが呼び止める声がした。振り返ると、ネイヨムの男が小走りでこちらに近寄ってくるのが見えた。よく見ると、それはイロクの隣を陣取っていた衛兵のうちの一人であった。
「良かった、間に合った」
タスクたちに追いついた彼はそう言って、ぜえぜえと息を整えるのに、しばらく時間を使った。
「すまない……、イロク様より、言伝を授かっているため、それを伝えにきたんだ」
「ことづて?」
フィルトが聞き返す。衛兵は彼を一瞥したあと、ああと頷いて言葉を続けた。
「イロク様はこう仰った。『喫緊だ。直ちにリベジャリに向かうように。ただ、徒歩で行くには、あまりにも時間がかかりすぎる。ミュウキくんが、最善の方法を知っているだろう』」
リベジャリという地名が出たとき、リーレンがぴくりと反応した。
「おい、どういうことだよ」
「役に立てずすまないが、私はそれだけしか聞いていないんだ。ここで押し問答を続けるより、一刻も早くリベジャリに向かった方がいいんじゃないか」
ひどく狼狽した様子で、押し寄ってきたリーレンに向かって、衛兵は一歩後ずさって淡々とそう言った。
リーレンは部外者ではあったが、バリウの惨状を目の当たりにした。脳裏によぎったのは、自分の生まれ故郷であるリベジャリが、あれと同じような目に合ったのではないかという懸念だった。リーレンは矛先をミュウキに向ける。背負っている錫杖がジャラジャラを派手な音を立てるのも気にかけず、今度はミュウキに詰め寄った。
「おい! あいつが言った『最善の方法』ってなんだよ! さっさと教えやがれ!」
「まあまあ、一旦落ち着けよ」
ミュウキが苦笑しながら、リーレンを制す。タスクとフィルトはリーレンが暴れ出さないように、彼の傍に陣取った。ネイヨムの衛兵は、その隙に退散したようで、気がついたときにはすでにその場から姿を消していた。
「あんなことを言われたんだ、落ち着いてられるかよ」
リーレンはそう言いながらも、まだ理性は保っているようで、地面を足裏で蹴ることによって、やりようのない感情を発散させようとしていた。
「俺が半竜人だってことは、言ったよな? そのせいもあってか、俺には動物と意思の疎通ができる能力が備わっていてな。それに、俺の兄弟には、本物の竜がいる。そいつの背に乗って空を飛んでいけば、リベジャリまではそう時間もかからないだろう。多分、イロク様はそのことを教唆してるんだと思うぜ」
「えええええ!?」
ミュウキがあまりにもそんなこと、当たり前だろというような口ぶりなので、タスクは素っ頓狂な声を出した。
「すげえな、お前」
フィルトもうんうんと頷く。こんな事態じゃなければ、きっとリーレンも茶化すように感心しているのだろうけど、彼は険しい顔のまま「じゃあ、さっさとそうしろよ」とぶっきらぼうに言い放った。
「わかったよ。ちょっと待ってろ」
ミュウキはそう言って、首元に手をやり、甲冑の中に突っ込んだ。何やらもぞもぞと手を動かしていたが、やがて取り出したのは、指先ほどの大きさの笛だった。紐で首からぶら下げていたらしい。金属で出来た銀色の細長いそれは、甲高い短音を発し、合図や自分の居場所を知らせる役割を担っているものだった。
ミュウキはそれを口に咥えると、思いきり息を吐いた。すると、ピュウウウウと、耳をつんざくような甲高い音が鳴り響いた。あまりにけたたましい音だったので、ミュウキ以外の四人は思わず耳を塞いだくらいだ。
「よし、じゃあ、塔のてっぺんまで駆け上がるぞ」
ミュウキは笛を元の位置に戻しそう言うと、返事も待たずに地面を蹴った。
「あ、おい待てよ」
タスクが慌てて後に続く。残りの三人も顔を見合わせると、頷き合い、それに続いて駆け出した。
「なんで塔のてっぺんに行くんだよ!」
タスクがミュウキの背中に向けて言葉を放つ。エマティノスの塔の螺旋状の回廊を、五人は周りの目も憚らずに一気に通り抜けていく。
「おまえ、馬鹿か!? 竜なんかがいきなり地上に降り立ったら、みんなびっくりするじゃねえか!」
ミュウキの代わりに答えたのはリーレンだった。時間が少し経ったのと、ミュウキが迅速に行動に移してくれたことによって、心に余裕ができたようだった。
「……そっか。そりゃそうだ」
タスクは走る速度を緩めることなく、頷いた。何段もの階段を全速力で駆け上がっても、息が切れないのは、これまでの鍛錬の成果があらわれているのだろう。ただ、裏を返せば、この程度でへばっていては、焼暴士としては務まらないということだ。
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