序章⑥

「おう、すっかり良くなったな」

 タスクがべりべりと自らの体に巻かれている包帯を剥がすのを見ながら、フィルトは言った。体の傷はすっかり癒え、褐色の皮膚が元通りになっていた。

「フィルト、あの時、俺を助けてくれてありがとう」

「よせよ、照れるじゃねえか」

 あの時……、血まみれのタスクを崖の下で発見してから、すでに二ヶ月の時が経っていた。日が経つにつれ、タスクも動けるようになり、実戦形式の訓練にも参加するようになったが、激しい動きを繰り返したときは、どうしても傷口が開き、包帯が真っ赤に染まってしまうこともあった。それでもタスクは、体が鈍らないようにすることを最優先とし、傷の痛みに耐え忍ぶ日々を過ごしていたのだ。

「じゃあ、行くぞ」

「はい」

 タスクとフィルトはこの日、コトに呼び出されていた。なにやら重要な話があるらしく、目覚めたら訓練場に来いと、昨日から言われていたのだ。

 村は、すでに一日が始まっていた。朝陽は煌々と山の間から世界を照らし、村の女たちは各住居の軒先で、洗濯物をその朝陽に浴びさせるように干していた。とはいえ、焼暴士の住むこの村は、極端に洗濯物が少ない。イョウラの使い手である男たちが身にまとう衣服が、短い下衣とその下につける下着のみであるからだ。

「タスク兄ちゃん、フィルト兄ちゃん、おはよー!」

 村の広場では、無垢な子供たちが戯れている。タスクもフィルトも、彼らに向かって「おはよう」とにこやかに挨拶をした。

 和やかな光景は刹那のうちに過ぎ去り、訓練場に到着すると、二人は重苦しい緊張感に襲われた。

「おはようございます!」

 訓練場の入り口に、コトは立っていた。手を後ろ手に組み交わし、圧のある眼光を二人に投げつける。タスクたちは、ごくりと唾を飲み込んだ。

「貴様共の同胞を引接しよう」

 コトの隣には、少年が立っていた。タスクやフィルトの年齢と、それほど離れていないように見える。熟した麦のように鮮やかな色の短い髪。水色の眼。薄い灰色の下袴を身につけ、そこから裸足の足がのぞいている。両足首には緑色の数珠のようなものを身につけており、手首にも同様のものがはめられていた。上半身は、タスクやフィルトよりも浅黒い素肌に、下袴と同じ色の袖のない胴着を纏っていた。背には、自分の背丈よりも幾許か長い錫杖を背負っている。

「はじめまして! 僕はランロイのリーレンと申します。お二人の役に立てるよう、精一杯頑張ります! よろしくお願いします!」

 リーレンと名乗った少年は、自らの体を一歩前に踏み出し、タスクやフィルトに深々と頭を下げた。弾みで錫杖の遊環がじゃらじゃらと音をたてる。随分と礼儀正しい少年だと、タスクは思った。

 ランロイとは、職業の名前だ。戦闘補助に特化した呪術を身につけ、焼暴士とともに戦闘に参加する者たちの総称だ。その主な役割は、肉弾戦だけでは対処のしづらい戦闘をサポートし、さらに、闘いで負傷した焼暴士たちの身体の回復を行う。大抵の場合、闘い終えた焼暴士たちは、満身創痍の状態となる。それは、ノーラで生み出された炎が、人間の血液でしか消えないからだ。焼暴士とて、人間だ。いくらイョウラを極め、鍛え上げられたとしても、たくさんの血を流せば、その生命も、危機に瀕することとなる。瀕死に陥った焼暴士たちの意識をこの世に繋ぎ止めておくことが、ランロイの責務なのだ。ともすれば、戦闘の最中にも、ランロイによる治癒が必要になる状況もある。自らも危険の隣り合わせとなり、焼暴士たちを治療することになるため、自分も命の保証はない。仲間の焼暴士がいくらか守ってくれるとはいえ、最終的には自分の身は自分で守らねばならない。そのため、ランロイには、戦況を把握する優れた洞察力と、最低限の護身法は身につけておく必要があるのだ。

「ランロイを充てがわれるということは、つまり……」

「貴様共も、戦地に赴くということだ」

 フィルトに言葉を重ね、コトは淡々とそう言った。タスクが、ごくりと唾を飲み込む。

 五年。タスクがイョウラの修行を始めて、それだけの歳月が経過している。フィルトに至っては、八年だ。村での修行の日々は終わり、これから自分達は実際の戦地に赴くことになる。

 陽光が、タスクの背中をじりじりと焚く。その熱は体内には届かぬというのに、彼の心の中も同じように、じりじりと熱いものが込み上げてきた。

「旅立ちの時が来た。まずは明朝、村を発ち、ヒムの街を目指すのだ。そこで焼暴士の正式な登録を行う。そうすれば貴様共は、晴れて焼暴士の仲間入りとなる。必ずリーレンと共に村に出るのだ。ラヨルの者共が、いつどこで襲ってくるとも限らぬ。道中、戦闘になる可能性もあるということを肝に銘じておくがよい」

 コトはそれだけ言うと、二人の返事を待つことなく、踵を返した。

「あ、あの」

 フィルトが手を伸ばし、呼び止める。コトは立ち止まったが、背を向けたままであった。

「ありがとうございました!」

 しばらくの沈黙。タスクも慌てて「ありがとうございました」と、フィルトの横に並んだ。

「かつて、伴侶から貴様共の身柄を引き継いだとはいえ、二人はわしの最初で最後の弟子だ。これまで、幾多の修行に耐え抜き、ここまで育ったことを、誇りに思う。出藍の誉れ。貴様共なら、この村で最も優れた焼暴士となるであろう。わしはずっと、そう思っているぞ」

 コトは二人の姿を見ることなく、そう言い残し、やがて訓練場から姿を消した。タスクとフィルトは、その姿が見えなくなるまで、直立したまま見送っていた。

 それが二人の最後に見たコトの姿になろうとは、この時のタスクたちには知る由もなかった。

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