火駆闘戯

高谷 ゆうと

序章①

1 


 少年は、岩肌に身を削られながら、岩壁を滑り落ちていた。地面に接している皮膚という皮膚が摩擦に討ち負けて、擦りむけていく。腹が、胸が、腕が、膝が、表皮を剥がされ体が鮮血に染まっていった。

「ああああああああぁぁぁ!!!」

 激痛が、全身を駆け巡る。容赦のない痛みに、自然と叫び声が溢れ出る。少年、タスクの体は山から突出した岩に激突し、やがて中腹にある崖に、乱暴に投げ出され、動きが止まった。

「うぅ……」

 タスクの体は大の字となって、地面に倒れ伏した。仰向けになったのが救いで、顔をあげなくても周りの様子が見渡せる。今しがた、自分が落ちてきた岩肌には、血の筋が出来ている。

 死を覚悟した。今も、それとは隣り合わせだ。だが、生きている。それが風前のものであったとしても、タスクの意識はまだこの世に存在している。

 タスクが唯一身につけている純白の下衣は、土や血の色に染まり、ひどく汚れている。そこから伸びる足も、上肢も、戦闘や訓練の賜物でことごとく引き締まっているというのに、今は力が全く入らず、弛緩して、指の先ひとつも動かせないでいた。


「人の、子よ」

 声がした。それと同時に、タスクの頭のすぐ横に、何者かが立ったのが分かった。タスクは、目だけを動かして、その方向を見る。そして、身の毛もよだつ思いが、タスクの全身を襲った。

「主がこの、ラヨルの長まで辿り着いたことは、賞賛に値する。だが、いまの主独りでは、我には勝てぬ。己の非力を嘆くがよい」

 それは、声も形も、タスクよりも幼い子供の姿をしていた。黒い装束を身にまとい、フードの隙間から青い目を光らせている。時折吹きつける冷たい風に、裾がひらひらとはためいていた。

「マユル……ハァ……ハァ……イホミ……モトイニ……は……オレが……ぜった……がああっ!!!」

 タスクの目が見開かれる。装束の中から、小さな腕が伸びてきて、タスクの心臓の辺りの擦り傷を抉ったからだった。

「気安く、我が名を口にするな。弁えよ」

 ラヨルの長、マユルはそう言って、タスクの体から指を引き抜いた。

「主が妄言を宣うのは勝手だが、我を討たぬ限り、主らのもとにイホミ・モトイニが渡ることは無い。この仮初の姿である我にすら勝てぬ主には、到底成し得ぬ所業であろう」

 マユルは尚も冷たい目で、タスクを見下ろしていた。身体中の激痛に喘ぐタスクは、答えることなくただ荒い呼吸をして、必死で生をつなぎとめようとしていた。

「人の子よ。我はいつまでも主の相手をしているほど、寛容ではない。このまま此処に留まり、主が息絶えるのを見ているのも悦な事かも知れぬがな。我には主の同胞共を根絶やしにする責務がある。残り少ない最期の刻を、此処で堪能するがよい」

「ま、待て……」

 力を振り絞って、タスクは叫んだつもりだったが、その声はかすれ、空砲のように耳朶に響いただけだった。マユルは視界から消え、タスクは崖の上に、一人取り残される形となった。

 血を流しすぎた。横たわる身体の殆どが擦過傷に見舞われている。身体の痛覚の隅々に至るまで、いつもより過剰に反応しているかのようだった。風が肌を撫でるたびに、飛び上がりたいほどに痛むけれど、タスクは未だ、身動きのとれる状況ではなかった。

(あと少しだったのに……)

 霞む視界が、涙に滲む。痛みからくる涙ではない。もっと自分が強かったら……。あと少しこの拳があいつに届いていれば……。そんなたらればの後悔が、タスクの心を支配していく。


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