第二十九話 新たなる大問題

 帝宮に戻った私とガーゼルド様は、突然皇帝陛下に呼び出された。私は首を捻ったわよね。まだトパーズは見つかってないのに。催促かしら。


 内宮に入るには上位貴族でも何回か身体検査を受けなきゃいけないんだけど、皇族であるガーゼルド様と一緒ならフリーパスだ。


 ……の筈なんだけど今回は私だけ身体検査を求められた。私は首を傾げガーゼルド様は怒った。


「其方達もレルジェが私にとってどういう存在か知らない訳ではあるまい?」


 ガーゼルド様にこう言われた侍従と侍女は恐縮しながらもこう言った。


「皇帝陛下のご命令ですので私たちにもいかんとも……」


 皇帝陛下のご命令。それでは確かに逆らえない。たとえ甥であるガーゼルド様でもだ。ちょっと不穏な雰囲気になってきたわね。


 侍女による身体検査を受けたあと、私たちは内宮に入った。皇帝陛下との面会場所はいつも通り両陛下お気に入りのサロンだった。お二人とも寛いだ雰囲気で私たちを迎えて下さったけど、やや表情に固さが見られる気がしたわね。


 そして皇帝陛下は驚くべき事を仰ったのだ。


「トパーズの捜索は中止だ。探さなくても良い」


 え? 私とガーゼルド様は思わず顔を見合わせた。


「どういう事でしょう。もうすぐ有力な証言が得られる予定なのですが……」


 ガーゼルド様の探るような言葉に、皇帝陛下は首を横に振りながら応える。


「いや、もう良い。これ以上の捜索は不要だ」


 取り付く島もない。しかし事は皇族の重要な秘宝に関わる話の筈だけど。ガーゼルド様は納得がいかないような表情で皇帝陛下を見詰めていらっしゃる。その無言の圧に耐えかねたか、皇帝陛下がため息混じりに言った。


「レルジェと結婚したければ大人しくしておく事だ」


「どうしてその話が今出てくるのですか?」


 ガーゼルド様は訝ったが、私にはピンと来るものがあった。思わずポロッと漏らしてしまう。


「ルレジェンネ様に関わる話でしょうか」


 皇帝陛下を目付きを厳しくして私を睨んだ。さすがの迫力である。余計な事を言うなということだろう。


「どういう事なのだ?」


 勘の良いガーゼルド様でも気付けなかったらしい。まぁ、私は当事者だしね。薄々前から思っていた事でもある。私は目線で皇帝陛下に話して良いかと問い掛ける。


 陛下は不承不承という感じでむっつりと頷いた。御前を下がった後に私が話すのは止められないし、ガーゼルド様に釘を刺したい思いもあったのだろう。


 お許しを得て私はガーゼルド様に問い掛ける。


「トパーズが見つかったら、何が起こると思いますか?」


 ガーゼルド様は戸惑いながらも思案して言う。


「皇族の秘宝が見つかって万々歳というだけではないのか?」


「それだけですか? 私に関わる事がありますでしょう?」


 そこまで言えばガーゼルド様にもわかる。ああ、と手を打った。


「そうか。君がサイサージュ殿下とルレジェンネ様の隠された御子だと判明するな」


 そうなのだ。サイサージュ殿下とルレジェンネ様の御子は生まれてすぐに隠された。そしてその赤ん坊がどうやら状況証拠的に私であるようなのだ。実感は全然無いけどね。


 その証拠品が、サイサージュ殿下が御子に持たせた炎のトパーズなのである。非常に特徴のある石なので、もしも私が修道院に預けられた時に持っていた宝石がそのトパーズなのであれば、私がサイサージュ殿下の隠された御子である事はほぼ確定になる。


 つまりこの段階で皇帝陛下が炎のトパーズの捜索を中止させようというのは、私がサイサージュ殿下の御子であると確定する事を阻止したい、という事なのだろうね。


 ガーゼルド様は納得したようだけど、新たな疑問に首を傾げている。


「君がサイサージュ殿下の隠された御子だと確定すると何か不都合があるのか? 元々君はサイサージュ殿下の娘であると偽装する事になっていたではないか」


 そう。私はガーゼルド様と結婚するために、皇族相当の身分を手に入れる必要があり、そのために噂だけはあったサイサージュ殿下とルレジェンネ様の間に産まれた御子を偽装する事になっていた、


 なので、私が本当にサイサージュ殿下の御子であっても何の問題もない。嘘が本当になるだけだ。ガーゼルド様がそう考えてもおかしくはない。しかし……。


「ガーゼルド様。嘘よりも都合の悪い真実というのはこの世にいくらでもあるものです」


 宝石の世界にも本物よりも価値のある偽物という奇妙なものが存在する。例えばモアサナイトという石は非常にダイヤモンドに似ているため、ダイヤモンドの偽物として扱われる事もあるが、実はモアサナイトの方が宝石としては希少なのである。


 ただ、モアサナイトは知名度が全然無く、見た目もダイヤモンドと似過ぎている。そのため希少価値では上回り、美しさでも硬度でも遜色ないにも関わらず「ダイヤモンドの偽物」扱いされてしまう不遇の石なのだ。


 ダイヤモンド扱いされた方が高価なので不心得者の宝石商人はモアサナイトをダイヤモンドとして流通させてしまう。たまにこれがバレて大変な事になる事がある。その際に「モアサナイトの方が実は希少でして」なんて言ってもお客様は納得してくれないだろう。


 偽物の筈が本物でした、ということが必ずしも歓迎される事態ではないという話である。私が本当にサイサージュ殿下の御子である事は、都合が悪いのだ。……皇帝陛下にとって。


 私は皇帝陛下を見てお伺いを立てる。これより先はかなり微妙な問題にまで私の推測が踏み込む事になるからだ。


「お話してもよろしいですか?」


 皇帝陛下は諦めたように首を横に振った。


「いや、私から説明しよう。ガーゼルド。私が其方にレルジェとの結婚を許したのは何のためだと思う?」


 ガーゼルド様は眉の間に皺を寄せてしまった。


「さぁ、皆目分かりません」


「其方に貸しを作るためだ。更に言えばグラメール公爵家に貸しを作っておきたかったのだ」


 ガーゼルド様は目を丸くした。


「グラメール公爵家は現在でさえ大権勢を誇っている。しかもルシベールが私の跡を継いで皇帝になった時、其方が大臣か大将軍になりルシベール第一の側近となって権勢を振るうことは確実だ」


 現皇帝陛下の妹が嫁ぎ、現公爵は現陛下の第一の側近。そして現陛下の甥であるガーゼルド様は次期皇帝陛下のルシベール様の大親友であり最側近。将来は皇帝府の重鎮間違いなし。


 つまり、現在の帝国はあまりにもグラメール公爵家に権限を集中させ過ぎてしまっていると言える。もちろんこれは血縁関係もあるけど、公爵閣下とガーゼルド様が有能だからであり、貴族の力関係を理由に公爵閣下やガーゼルド様を遠ざける事が帝国のためにならないからでもある。


 しかしながら、権力の集中は国家運営のためには不安定要素になりがちだ。皇族とはいえ臣下であるグラメール公爵家があまりにも強い権勢を持ってしまう事を危惧する意見は多いらしい。


 そして皇族であるからこその問題もある。


「あまりにもグラメール公爵家が権力を集めてしまうと、グラメール公爵家に皇帝の座を移してはどうか、という意見が出かねない」


 ガーゼルド様は真っ青な顔で反論なさった。


「そ、そんな事を我が家が企むなど思いもよらぬことです! 心外でございます!」


「分かっておる。グラメール公爵家の忠誠に疑いを抱いているわけではない。しかしそういう疑いを持つ者が出る可能性があることは否定できまい」


 ガーゼルド様がそんな事を企まなくても、グラメール公爵家を支持する者たちが勝手に画策する可能性もあるんだろうからね。


 もっと可能性の高い危惧としては、グラメール公爵家を危険視する貴族たちが連合して皇帝陛下にグラメール公爵の罷免を要求したり、クーデターや内戦を起こす事じゃないかしら。そんな事になったら皇帝陛下もグラメール公爵家を守り切れるか分からなくなるだろう。


 皇帝陛下の説明にガーゼルド様は硬い表情ながらも納得なさったようだ。


「……それで、いざという時の保険のために、平民のレルジェが偽装皇族として嫁ぐ事を許可したという訳ですか」


 万が一グラメール公爵家、ガーゼルド様が皇帝陛下や皇太子殿下に逆らった時に、この保険が生きてくるというわけだ。「ガーゼルドの妻は実は平民なのだ」とバラせば私とガーゼルド様の信用は失墜するだろうからね。


 それ以前に私が皇族を「偽装」している事は、実を言えば貴族たちの間では周知の事実であるらしい。そもそも話に無理があるからね。信じろという方が難しい。


 ガーゼルド様が私の色香に狂って、男爵令嬢を無理やり皇族に「偽装」し結婚するなどと無茶苦茶な事を言い出し、皇帝陛下も渋々これを承認した、という風に貴族界では思われているようなのだ。


 この事自体が既にガーゼルド様の弱みになっている。色恋のために権力を濫用したと見られているからで、これまで非の打ちどころのない完璧な貴公子だったガーゼルド様に初めて刻まれた大きな傷となっているのである。


 大きな傷と弱みをもったガーゼルド様は皇太子殿下が登極なさっても、絶対的な権力を持つ事は出来なくなっていると思われる。少なくとも皇太子殿下に取って代わる存在にはなれないだろう。この辺に皇帝陛下の狙いはあるんじゃないかしら。


「その通りだ。しかしな。もしもレルジェが本当に兄上の娘であったなら、この全てが覆る事になる」


「……なるほど……」


 ガーゼルド様は声に苦い物を滲ませながら頷いた。


 もしも私が本当にサイサージュ殿下の娘であると証明されたならどうなるか。


 まず、私は男爵令嬢ではなく皇兄の庶子となる。庶子なので皇位継承権は遥かに遠くなるけど、一応ある事はある事になる。つまり、私は正真正銘皇族になるのだ。


 そうなると、ガーゼルド様と私が結婚すると、皇族同士の結婚という事になる。ガーゼルド様は皇帝陛下の甥で、私が皇兄殿下の娘ということになればかなり皇統の血を色濃く持つ者同士での結婚という事になるわけだ。


 こうなると、皇帝陛下の正統な後継者である皇太子殿下の妻は侯爵令嬢のヴェリア様だから、もしも両夫婦の間に子が生まれた場合、皇統の血を引き継ぐ割合は、私とガーゼルド様の子供の方が高いという事になってしまう。


 皇太子殿下がヴェリア様を娶った際には反対意見も少なくなかった。色恋目的のために権力を濫用したと見られていたからだ。この非難を薄めるためにガーゼルド様にも同じような傷が必要だった訳なのよね。


 しかし私が皇族ならガーゼルド様には傷が出来ず、皇太子殿下には傷が残る事になる。もしもガーゼルド様と皇太子殿下が対立した場合、この傷が効いてくる可能性がある。


 つまり皇太子ご夫妻の子供よりも、私とガーゼルド様の子供の方が血統的に皇族に相応しいという理屈が出てくる可能性があるのだ。


 現在の皇太子殿下とガーゼルド様の結び付きを見れば荒唐無稽な話に思えるかもしれないけど、お二人の関係が生涯そのままとは限らないし、周囲が勝手に対立して煽り立てるかもしれない。


 そのような先々の事まで考えるのが政治というものであり、皇帝陛下のお仕事である。その事を理解すれば無用な疑いを掛けられたと怒る気にもなれない。


 ガーゼルド様も同じ気分だったのだろう。ちょっと呆れたようにも見える表情でいらっしゃったわね。


「……つまり、このままトパーズを見付けなければ、レルジェの立場は『偽装』皇族のままとなり、私にもレルジェにも弱みが残ると……。どうりでいないはずの皇兄の娘を偽装するなんていう突拍子もない計画に、あっさりご承認を下さった思いましたよ」


「許せ。ガーゼルドがこの娘を逃したら結婚をするまいと思ったのも理由だし、レルジェの事が気に入ったのも本当だ」


 まさか嘘が本当になってしまうなんて、そんなの予想出来る筈ないわよね。誰にも予想外の話だったのだ。


 しかしながらガーゼルド様に皇兄の娘を嫁がせるわけにはいかない。最後の手段として、皇帝陛下はトパーズの捜索を中止する事にしたのである。いわば、私とガーゼルド様の結婚と皇族の秘宝を引き換えにしたというわけで、可愛い甥のガーゼルド様の希望を叶えるための苦渋の決断だと言える。


「レルジェ。其方にとっては自分の両親を突き止めるチャンスだったとは思うが、ここはガーゼルドと結婚する事を優先してもらいたいのだ」


 ……ちょっと前までならそういう「ガーゼルド様の嫁になれ」という圧力を感じると気分がどうしても重くなったものだけど、いざとなればどうにでもなると悟った今の私には何の問題もない。


 それよりも私には気になる事があった。


「今更トパーズの捜索を中止しても、捜索の過程でお話を伺った方々の中には感付いた方もいると思いますけど……?」


「問題ない。証拠が無いからな。其方が兄上の子であると証明するトパーズが無ければデマであると処理出来る」


 それはちょっと危険な考え方だと思った。


「では逆にそのトパーズを見付け出して持って来た者が『自分はサイサージュ殿下の子である』と名乗ったらどうしますか?」


 皇帝陛下は虚を突かれたようなお顔をなさった。


「サイサージュ殿下のお子がトパーズを持っているという噂が広まれば、そう考える者が出てもおかしくはありません」


「その事は極秘とする。それではダメか?」


「人の口に戸は立てられぬもの。噂が出るのは避けられませんでしょう。もうトパーズ探しの事は社交界で噂になってるようですから」


 貴族は噂話が大好きだ。社交界の会話なんて八割はゴシップで占められているんだもの。トパーズの紛失理由は秘匿したとしても、紛失したままとなるとあらぬ噂の元になるかもしれない。


「やはりトパーズはきちんと発見して帝冠に戻し、盗み出されていたものを取り戻したとでも発表するのがようございましょう」


「しかしそうなると其方の身元が証明されてしまうぞ」


「そちらを誤魔化す方が難しくはございませんでしょう。私とトパーズは無関係ということにすればいいだけのこと」


 しかし皇帝陛下はうーむと唸ってしまった。ちらっとガーゼルド様を見た。それで私には分かった。


「他の者は誤魔化せても、グラメール公爵家の皆様は誤魔化せない、という事でございますか」


「控えよ。レルジェ」


 皇帝陛下のお言葉に私は頭を下げて口を噤む。しかしガーゼルド様には分かってしまっただろうね。


 つまり、グラメール公爵家、そしてガーゼルド様が、私がサイサージュ殿下の娘だと知っていれば、いざとなった時にそれを発表し、ルシベール殿下よりも優位に立ててしまう。その危険性があるという事だろう。


 馬鹿馬鹿しいほどの警戒心だけど、帝国でも古来より皇族の反乱は何度も起こった事であるらしい。絶対の信頼を置かれた大宰相の公爵が反乱を起こして、内戦で帝国が分裂する寸前まで行った事もあるそうだ。


 それを思えば皇帝陛下が過剰なまでにグラメール公爵家を、自分の甥であるガーゼルド様を警戒するのもやむを得ない事なのかもしれない。


 ただ、少し違和感がある。


 皇帝陛下がお話になった色々な理由には、なんだか無理矢理理由をひねり出したような、取って付けたような感じがあるのだ。


 手段と目的が逆みたいなのよね。私をサイサージュ殿下とルレジェンネ様の娘として認めないという目的のために、様々な問題を持ち出して来たんじゃないかと思える。


 一度は出した私とガーゼルド様の結婚許可を反故にするなんて、逆にガーゼルド様やグラメール公爵家との関係を悪化させかねない行為で、皇帝陛下がお話下さった懸念点と矛盾していると思う。


 どうも皇帝陛下以外の方の意思が今回のお話には反映されている気がするのだ。皇帝陛下に意向が及ぼせる方、ねぇ……。


 私はさっきから一言も発しない皇妃陛下を見る。妃陛下は少し暗い感じのお顔を俯かせている。


「妃陛下。妃陛下はどうお考えですか」


 私がお話を振ると、妃陛下は少し迷惑そうにも見える表情を浮かべた。


「どうもこうも、私の考えは陛下と一緒ですよ。レルジェ」


「私が妃陛下が慕う、ルレジェンネ様の娘だとしてもですか?」


 妃陛下は青い目を見開いた。妃陛下ともあろうものがこれほど動揺を露わにするのは珍しい。


「私がルレジェンネ様の娘だと公式に認められた上でガーゼルド様の元に嫁げば、ルレジェンネ様に公的な地位が与えられますね。次期公爵の義母という」


 現在、ルレジェンネ様は「亡くなった皇兄の愛妾」という扱いだ。これは一応は準皇族として扱われるけど、公的には何一つ認められていないという不分明な扱いである。


 そのせいで皇帝陛下は扱いに困り、帝都を追放して離宮に幽閉するような事をしているわけだ。


 しかしそれが私の母親、ガーゼルド様の義理の母という事になれば。これは立派に公的に認められた存在になる。皇兄の庶子の母親という事で準皇族としての地位は強化されるし、次期公爵の義母となればグラメール公爵家の保護下にも入ってくる。


 そうなればルレジェンネ様を幽閉しておく必要はなくなる訳である。帝都郊外の離宮から出して帝都に戻す事が可能になるだろう。


 皇妃陛下はルレジェンネ様の事を慕っておられるし、三公爵家の公妃様たちも同様だ。遠い離宮にまで頻繁に足を運んでいるとも聞いている。皇妃陛下にとってルレジェンネ様を離宮に幽閉している事は不本意な事だっただろう。


 私がもしもルレジェンネ様の娘だと公式に認められれば、ルレジェンネ様をお助けすることが可能になりますよ、と私は言っているのだ。


「待て! レルジェ!」


 皇帝陛下が口を挟んで来るけど、私は皇妃陛下から視線を外さない。妃陛下のご様子を観察する。今回のこのお話は、鍵になるのは皇帝陛下のご意向ではなく皇妃陛下のお考えだと思うのだ。


 皇妃陛下は無表情の仮面を被ってしばらく沈黙していたが。やがてふふっと笑った。


「さすがはレルジェね。宝石の記憶を読んだ訳ではないのよね?」


「そんな失礼な真似は致しません。推測でございます」


 皇妃陛下は笑って白状なさった。


「そうよ。トパーズの捜索を中止するよう陛下に進言したのは私よ。そして、貴女とガーゼルドは結婚させないつもり」


 ガーゼルド様は驚愕したご様子だったけど、私は驚かなかった。


 今日、私は内宮に入る時に身体検査をされた。これは私に与えられていた準皇族待遇が外された事を意味する。つまり私はガーゼルド様の婚約者待遇では既になくなっているのだ。


 でも、皇帝陛下はトパーズの捜索を中止すれば私とガーゼルド様の結婚を認めるつもりがあると仰った。陛下は私とガーゼルド様を結婚させたがっているのだ。ガーゼルド様がヘソを曲げて一生結婚しないなんて言い出しても困るからだろうね。


 しかし私とガーゼルド様の当面の婚約解消を、皇帝陛下は行わざるを得なかった。皇帝陛下に強く意見を主張し、陛下に不本意な選択をさせられる人物など一人しかいない。つまり皇妃陛下だ。


 その理由はおそらくルレジェンネ様である。


「つまり皇妃陛下はルレジェンネ様に帝都に戻ってきて欲しくないのですね?」


 慕っており、心配しているのは本当なのだろうけど、それ以上に皇妃陛下は……。


「ルレジェンネ様の事を恐れているから」


 皇妃陛下は苦笑して額に手を当て、首を横に振った。


「本当に。レージェを見ているよう。あの人も昔から異常に勘が良くて察しが良くて、全てを見透かすような目をして笑っていたものよ」


 皇妃陛下はフーッとため息を吐いた。


「貴女には分からないでしょうね。あの方と常に比べられる事の辛さを。私はあの方の代わりに皇妃になったのよ? そのせいで随分周りからは色々言われたものよ」


 頭は切れ、弁舌に優れ、人を惹きつける魅力を持ち、そして極めて美しい。いつも自信満々に社交界に君臨し、カーライル殿下の恋人として皇太子妃第一候補だったルレジェンネ様。


 それに比べて公爵家出身とはいえ年下のフローレン様はやや地味な存在で、ルレジェンネ様に憧れるファンの一人でしかなかった。


 それが皇族の力関係の問題でフローレン様が皇太子妃に選ばれた。名誉な事ではあったけど、ルレジェンネ様ならきっと素晴らしい皇太子妃になると思っていた周囲からは「繰り上がり皇太子妃」なんて言われてしまったそうだ。


 そしてルレジェンネ様はサイサージュ殿下のご愛妾に。フローレン様はサイサージュ殿下とルレジェンネ様が結婚しなくてホッとしたらしい。もしも皇兄妃となればフローレン様は一生ルレジェンネ様と比較され続けただろうからね。


 サイサージュ殿下がお亡くなりになった後、ルレジェンネ様が離宮に幽閉される事になった時、帝都からルレジェンネ様がいなくなる事に安堵したそうだ。


「あの方をお慕いしているのは本当よ。でも、もうあの方と比較されるのは御免被るわ。ましてあの方の娘である貴女がガーゼルドの妻となり、ルシベール夫婦が貴方たちと比較されるなんて耐えられない」


 自分が比較されるのみならず、皇位継承のライバルにもなり得るガーゼルド様と私が結婚して「ガーゼルド様ご夫妻の方が血統的にも能力的にも皇位に就くに相応しいのではないか?」なんて言われるのは耐え難いということだろう。


 ……お気持ちは非常によく分かるんだけどね。


 でも私にもガーゼルド様にも皇位への野心なんて全然なくて、皇太子殿下とヴェリア様には敬愛の念しかないんだけど。でもこういうのは皇妃陛下の気持ちの問題だからね。


 皇帝陛下を見ると、少しうんざりしたような表情をなさっていたわね。きっと皇妃陛下とはこの件について、というかルレジェンネ様とのご関係について色々と言い争いをなさったのだろう。


 なにしろ皇帝陛下にとってルレジェンネ様は元恋人で、兄の元愛妾。それだけでも扱いを持て余すような存在なのに、皇妃陛下もルレジェンネ様に憧れ、かつライバルとして恐れてもいるという複雑な関係だ。


 これに皇兄との間の庶子である私がガーゼルド様と結婚するとなると、グラメール公爵家との関係も絡んでより面倒くさくて複雑な話になってくる。なるほど、この事情を有耶無耶にするためなら皇族の秘宝の一つや二つが無くなろうと安いものなのかもしれないわね。


 皇妃陛下としてはトパーズのあるなしに関わらず、状況証拠的に私がルレジェンネ様の娘である事は間違いなさそうであるため、それだけでも私をガーゼルド様と結婚させたくはないのだそうだ。


 でもそれでは一度は婚約を認めた手前ガーゼルド様にもグラメール公爵家にも面目が立たないので「私がルレジェンネ様の娘ではない」ということを私やガーゼルド様が認めるなら、再び婚約を認めても良いという立場らしい。


 別に私もガーゼルド様も、私の血統には何のこだわりもないので、私がルレジェンネ様の娘ではない、という事を認める事には何の問題もない。


 しかし私たちがそう口に出したって皇妃陛下のご懸念は晴れないと思うのよね。結局は皇妃陛下の内心の問題だし。


 それにもっと大きな問題がある。


「その、トパーズのお話は皇太子ご夫妻の耳にもう入ってしまっております。一応はルレジェンネ様の事情は伏せてお話しましたけど、トパーズ捜索中止の理由は皇太子殿下にどう説明なさるおつもりですか?」


「「……」」


 両陛下は沈黙してしまったわよね。


 皇太子殿下に、両陛下のご懸念点を正直に伝えたなら、皇太子殿下はきっと激怒なさるだろうね。殿下は純粋にガーゼルド様を信頼なさっているし、私とガーゼルド様が結婚する事を祝福して下さっているから。


 皇太子殿下の地位を脅かしかねないから、私とガーゼルド様の結婚を認めない事にした、なんてあの皇太子殿下が納得するとは思えない。殿下はプライドが高いし若くて純粋でもある。両陛下の懸念は殿下の自尊心を大きく傷付けてしまうだろう。


 これでは正直に言う訳にはいかないわよね。皇太子殿下が怒って両陛下との関係が悪化すれば帝国の政情不安に繋がってしまう。そんな事は誰も望んでいないし許されない。


 皇帝陛下も皇妃陛下も、私もガーゼルド様も揃って頭を抱えてしまったわよね。


「実に厄介なことになったな」


 皇帝陛下のお言葉が全てを表していたのだった。


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