笑い面

壱原 一

 

そのお面は疲れている人の許へ前触れなく出現します。疲れていて愛想笑いどころか表情さえ碌に浮かばなくなっている人の住まいへ全く唐突に出現します。


テーブル、シンク、ベッドの上、クローゼットや棚の中などに、以前からずっとあったような佇まいで何気なく置かれています。


薄くさらさらした清潔な白い色の軽いお面です。


お面の出現対象となる疲れている人の住まいは雑然としている場合が多いので、お面は概ね何かの下に隠れていたり、何かと何かの隙間に立て掛けられていたりします。


閉塞して重く澱んだ住まいの中で、唯一すっきりと清らかで輝くような白さが目を引くため、殆どの疲れている人が、雑多で不要な物品の小山から自然にお面を見付け出し「これは何だろう」と手に取ります。


そしてお面を見ます。


お面は春の道端にひっそり咲いたタンポポの如く素朴で明るい笑顔の中心に、鉄柱を突き刺して半周ほど右へ回転させたような造作をしています。


穏やかに弧を描く目や、控えめに口角を上げた口が、鼻梁の半ばを中心にまあるく線状に引き延ばされています。


珈琲に入れたミルクのかき混ぜ始めや、インターバル撮影した星空の軌道めいた有り様です。


一目みると少しどきっとします。


こんなに真っ白で綺麗で素敵な質感のお面を、どうしてこんなに不気味で奇妙な顔にしたのか理解し兼ねる気持ちにさせられます。


直感的な不可解に眉を顰め終える前に、お面の制作者が、正にその落差によって見る者へ衝撃を与えようと企てたのだと察します。


制作者の押しつけがましさ、まんまと陥れられた不本意から、制作者への反発と嫌悪を覚えます。


一定の余力のある人はこの時点で「くだらない」とお面を唾棄できます。


しかしお面の出現対象となる疲れている人は衝撃をいなす余力がない場合が多いので、受けた衝撃に呆然として不快な気分のままお面を凝視します。


同時に、そんなものは無いから考えるだけ無駄なのに、自分はこんな厭なお面を何処で手に入れたのか、どうして手に入れようとしたのか思い出そうとします。


存在しない記憶の探索に没頭するあまり体の制御が疎かになります。


目の前に呈示され続けている視覚刺激の強度に流されて、徐々にお面と同じ右回りへ顔を傾け始めます。


お面と同じ右回りに傾いてゆくと、お面本来の爽やかな笑顔が見えてくる予感がしてきます。


穏やかに弧を描いた目の黒々と大きく油膜のようにてらてらした瞳や、控えめに口角の上がった今にも喋り出しそうに薄く開いた唇を見詰めます。


目が合えばきっと心を晴れやかにしてくれるだろう明るく優しい笑顔にどうにか出会いたくて、もっと詳細に観察しようとお面と同じ右回りに傾けた顔をお面に近付けてゆきます。


鼻先がお面に触れそうなくらい顔を近付けてゆきます。


するとお面の旋回がぱっと巻き戻ってにっこりと笑みを深め仄かに息を吸い瞬きをします。


お面の出現対象となる疲れている人は、お面の出現対象となるくらい疲れ果てているので、それだけでとても嬉しくなってお面と同じ顔で笑い返します。


笑顔が伝染します。


閉塞して重く澱んだ住まいの中に、春の道端にひっそり咲いたタンポポの如く素朴で明るい笑顔が2つ満開に咲き誇ります。


このとき疲れている人とお面は完全に同調します。


お面は3呼吸分くらいの間この世のものとは思えない魅力的な笑顔を見せて、再びしゅっと元のように半周ほど右へ回転します。


お面の出現対象となるほど疲れ果てている完全に同調していた人も、つられてしゅっと回転します。


あの人のあんなに良い笑顔いつ振りだろうとしんみり見送られます。


お面なんて勿論みつかりません。



終.

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笑い面 壱原 一 @Hajime1HARA

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