第13話 再び情報の出しかたの難しさについて

 災害情報の出しかたはとても難しい。

 一つは、最初の回で書いたとおり、人間には「正常性バイアス」があるので、「危険です、災害から身を守る行動を取ってください」と言われても、「自分は絶対だいじょうぶだよ」と思って聞かない、という傾向がある。

 難しいところはもうひとつあると私は思っている。

 人間は、自分にとってネガティブな情報は聞くのが苦痛なので、何回か繰り返されると防衛反応が働いて、最初から聞かなくなってしまうのだ。


 「部下の叱り方研修」とかで、「同じことを何回も繰り返し言って部下を繰り返し叱っても、効果がない」という話をするのだそうだ。私はそういう研修は直接に受けたことがないのでよくわからないけど。

 それで、上司は「何度も言っているのにぜんぜん聴かない、しようがないやつだ。この部下は使えない」と思いこんでしまう(同年代の人からその種の愚痴をときどき聞きます)。部下のほうは「あの上司のオッサンまたはオバハン、いつも同じことばっかり言ってウルサイなあ。早くどっかに左遷されて消えてくれないかな」と思うだけで、仕事を改善しない。

 とても不幸で、企業にとっても業績が上がらないという事態になる。

 聴いてもらえてないと思うと「きーっ!」となって怒って、上司のほうは「これだけ怒っているのだから通用するだろう」と思っている。しかしじつはぜんぜん通用していない。

 部下は最初から聴いていないから。

 「上司のキイキイ言う声から早く逃れたい」としか考えなくなるから。


 いま五〇歳台ぐらい、もしかするともう少し下まで、世代的に「一回言って聴かなければ二回言おう、十回叱って聴かなければ二十回叱ろう、百回でダメなら二百回」とか、そういうのがあたりまえ、という社会で生きてきた。その結果、いま、会社のトップから中堅後半ぐらいの世代の身についているのがこの考えかたなので。

 困るんですけどねぇ。

 叱責を受ける側の立場を考えて、その行動を改めるにはどこをどう変えればいいか、を考えて動かないと効果がないのだけど、なんかね、そういう発想が苦手なんだよね。

 私も含めて、というのはすごく自覚しているから、あんまり言わないけど。


 ともかく、「聴きたくない情報」は、繰り返されるほど、聴かれなくなってしまう。

 災害の話もあんまり聴きたい話ではないので、情報を出す側が重要な情報だからと何度も何度も繰り返すと、情報の受け手はかえってその情報を心に入れないように遮断してしまうかも知れない。


 台風についても、重要だからといって同じ情報ばかり繰り返していると、やっぱりわかっていなくても「わかってるから、そんなの」という気分になって、聴かなくなってしまう。

 どうすればいいかというと、あまり思いつかない。

 防災の専門家でもない私が思いつくようなことならば、もうだれかが思いついて、もう実現してるよね。

 情報の出しかたを変えて、「前と同じ情報か」と思われなくする、という方法もある。ただ、災害のばあいは、出せる情報の内容が限られているときには、けっきょくそのやり方では限界がある。

 あとは、新しい情報があれば積極的に出して行くことだろう。「○○地方では災害の危険があります」と言われていても、「うちは○○地方だけど関係ないよ」と思っている人に、もっと地域を絞って「□□市の◇◇地区、△△という災害(たとえば土砂災害とか)の可能性が高くなりました」と言われると、自分が言われてるんだな、という切迫感が出て来るかも知れない。

 ここまでやっても、たとえば「うちは崩れそうな崖ないからいいや。崖はあるけどあそこは何十年も崩れてないからだいじょうぶだよ」と思ってしまったりするのが「正常性バイアス」なので……なかなか難しい。


 あと、今回の台風に関連して「切迫感がないなあ」と感じたのが「緊急安全確保」ということばだった。

 「避難指示」よりも切迫している状況で「発令」されるので、「さっき避難しなさいって言ったんだけど! 言ったんだけど! 言ったのに避難してないとしたらもう災害に巻きこまれてもしかたない状態だよ! もう災害起こってるかも知れないよ! もうこうなったら災害から逃れられなくても文句言えないよ! だから、ともかく災害に巻きこまれても被害がいちばん小さい状態にするように、ベストの努力で行動してね!!!」というのが「緊急安全確保」なんだけど。

 「緊急安全確保」と「避難指示」とどっちが切迫してると感じます?

 私は「緊急安全確保」が「発令」されました、と聞いても、災害対策の専門の人に安全を確保する指令が出たのか、と思って、他人ごととして聞き流してしまいそうだ。

 「安全確保緊急指令」のほうがいいかな?

 せめて「緊急安全確保指示」とか「緊急安全確保指令」とか言わないと、その切迫性が通じないと思うんだけど。

 避難関係のことばは見直しをやって現在のようになっているのだけど、「災害が起こりそうな状況で切迫感が伝わることばになっているか」という視点で再検討したほうがいいのではないか、と思っている。


 で。

 災害の被害を低減するには、やっぱり、月並みだけど、「ふだんから備えておく」というのがたいせつだと思う。「ふだんからの備え」が身近に感じられるとよいと思う。

 私のばあい、職場で、ヘルメットとか水とか非常食とかが入った防災袋が配られてから、台風対応も含めて「防災」が身近になった。「ああ、テレビでときどき流れる災害というのが起こったときにはこれを持って逃げるんだな」と思うと、災害のときには具体的にはこれをやるんだな、ということが、防災袋の持ち出し以外にもイメージできた。

 防災袋に入っていた非常食が職場全体で同時に賞味期限切れを迎えて、「これどうすんだよ?」みたいになったこともあったけどね。

 でも、具体的に「もの」があって、そこから災害のときの行動がイメージできた、ということの効果は大きかったと思う。


 あとは、防災情報に敏感に反応する人が、防災情報に無関心な人に声をかけられるような関係をふだんから作っておくことかな?

 それと、避難するのが苦痛なのはしかたないけれど、必要以上に苦痛だと感じさせないようにふだんからしておく必要があるのではないかと思う。

 たとえば、避難所が苦痛な場所だと思っていれば、「あんなところに避難するくらいならここで死ぬ!」と思い詰めてしまうかも知れない。避難所を快適にするといっても限界はあると思うけど、暖かくて(夏は涼しくて)、食事がちゃんとあって、衣食住に大きな不便を感じないというのは基本として、プライバシーが守られ、暴力におびえることもない、という環境を作って、みんなにそれを知ってもらうことが重要だと思う。

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