3.

 

          *


 


 安宿の窓際から漏れる陽射しは、夕陽。昼間の陽射しとは、また違う眩しさが眼をく。

 柔らかいオレンジ色の光が居室を照らしている。

 

 ベッドの上に、荷物を適当にまとめた鞄一つを置いて、サイドテーブルの椅子に腰掛けていた。

 

 サイドテーブルに散らばったままのチョコレートを、並べ直す気にはなれなかった。

 そこに私は頬杖をついて、目を閉じている。



 安宿も悪いところばかりじゃない。

 階段を上る足音が筒抜けで、歩き方の癖や何人連れなのかも、手に取るようにわかる。

 靴音を聞いてわかるのは、革靴のレザーソールだということ。


 革靴の二人組の足音は、ドアの前で立ち止まった。すぐに、ドアノッカーを叩く音がした。


 閉じていた目を開けて、ドアに埋まった弾丸を、見つめる。

 ドアノブに外から手をかけられ、ガチャガチャと何度も上下された。

 この居室の簡素な錠前は、派手にガチャガチャしているうちに、簡単に外れてしまうはずだ。

 だから、拳銃ベレッタ92を構えて、鍵が壊れるのを待った。


 バン、と乱暴に扉が開く音と共に、見つめていたドアが消えた。引き金を引こうとする瞬間、思わず動きを止める。

 目に映ったのは、赤白ピンクの薔薇。

 

 薔薇が何本も入ったゴージャスな花束が、こちらに向かってひらひらと揺れていた。

 花束を見せびらかすように歩いてくるのは、おそろしく顔立ちの整った男だった。

 

 綺麗な顔をした男の人は、私の知っている中でも数人いる。

 でもこの男は、その中で一番、綺麗な顔をしている。

 

 美術の教科書で見た、中世美術の絵画や彫刻で見るような、人間の姿をしているのに人間離れした美しさ。

 その美しさは誰にも文句がつけられない――もう、不気味と呼んでもいいくらいの、完全すぎる美。

 

「はじめまして、ミシェル」

 私の前に花束を差し出して、笑顔で挨拶する。その言語はフランス語。

 グレーのスーツに、しっかり手入れされた焦茶色の革靴。腕時計は有名なブランドもの。ぱっと見、観光ではなくビジネスでやって来た風の出で立ち。

 

 薔薇より華やかな顔をした男は、私を知っていた。

 

 にっこり笑う男の後ろに、見るからに真面目そうな男が控えている。前にいる男より、ほんの少し歳上に見えた。

 

 この二人は、同じような背格好で同じ型のスーツを着て、同じ髪色の同じ髪型をしている。

 違うのは、顔と眼の色だけ。

 綺麗な顔の男は、エメラルドブルーの瞳。真面目そうな顔の男は、ダークグリーンの瞳。

 

 明らかに殺意があり、拳銃ハンドガンを携帯しているのは、花束を持った男ではなく、その後ろにいる男。

 

「どちらさま?」

 花束を差し出す男に笑いかけ、フランス語で尋ねる。

 私が銃口を向け続けているのを見て、真面目そうな顔の男は、眉間に皺を寄せた。この男は、私の一挙手一投足に警戒を払っている。

 

 私が最大限の注意を払うべきなのは、真面目そうな顔の男の方だ。

 

「僕の名前は、ヴァンサン・ブラック」

 花束を差し出した男は、やはりヴァンサン・ブラックだった。

 

 ヴァンサンには、敵意が見えない。

 いや、見せていたとしても、この笑顔の華やかさが、全部打ち消してしまえる。

 

 やりにくい相手。間違いなく。


 私は拳銃をサイドテーブルに置き、椅子から立ち上がった。

 ヴァンサンの手から、薔薇の花束を受け取る。

 

「隣にいるのは、ジェレミー・ブラック。僕の従弟いとこ護衛ボディーガードなんだ」

 ヴァンサンは、すぐ後ろにいるジェレミーを紹介した。

 

「よろしく」

 ジェレミーは私と目を合わせると、微笑んだ。笑うと、ヴァンサンと同じくらいの歳に見える。

 人並みに愛想があるんだ、と少し驚いてしまった。

 さっきまでの、真面目な顔の印象が強いからだと思う。

 

 従弟と聞いて、この二人がよく似ているのが納得できた。

 けれど、この二人は顔と眼の色以外、あまりに似すぎている。

 二卵性の双子と言われた方が、もっとしっくり、納得できた気がする。

 

「はじめまして」

 握手しようと、ジェレミーに手を差し出す。すると、

「仲良くしてね!」

 隣にいたヴァンサンが、先にその手を取った。それから、ジェレミーが握手する。


「こんな安宿じゃかわいそうだね」

 ヴァンサンは部屋全体を見回して、大袈裟に眉を下げてみせた。

 

硝子の塔グラス・タワーの部屋を取ってみようか。スイートが空いてたらいいけど」

 そう言ってきたのは、ジェレミーだった。

 こちらの返事など聞きもしないで、自身のスマートフォンを取り出すと、どこかに電話をかけ始めた。

 流れるような手際の良さに、悔しいけど惚れ惚れしてしまう。

 

「俺たちが泊まっている部屋よりグレードは下がるけど、一応セミスイートは一部屋空いてるって」

 ジェレミーは電話をつないだまま、私の眼を覗き込み、部屋を確保したと報告してくる。

 

「なんなら、僕とお部屋交換してもいいよ?」

 ヴァンサンはにっこりと微笑んだ。

 

「ノリが強引って言われません?」

 この二人、めちゃくちゃ強引な流れで、私をここから離そうとしている。

 

「もちろん、無理強いはしないけど」

 スイートルームを一室押さえたジェレミーは、通話を切りながら言う。

「せっかくこの島にいるなら、硝子の塔に一度くらい泊まってみてもいいと思うよ」

 

 ジェレミーの言葉を駄目押しするように、ヴァンサンは私の肩を軽く叩きながら言った。

「代金はウチが持つし! どう? ディナーは硝子の塔のフレンチにしよ!」

 

 最高級なスイートに泊まりたいわけじゃない。


 昨日の夜の、黒幕がわからない襲撃者。

 このタイミングで現れた、クルネキシアからの追跡者。

 新参の武器商人ながら、着実に勢力を伸ばしているヴァンサン・ブラック。


 何者かが介入していると思わせる、きな臭さ。


 尻尾を出してきたのは、この二人だったか。


 ヴァンサン・ブラックが、私ごときに何の用がある?

 


「ところで、何のためにわざわざ?」

 椅子に座り直して、花束をテーブルに置く。その花束を隠れ蓑に、自分の拳銃を回収した。

 

「ミシェルに会いたくて来た」

 ヴァンサンは私の向かいの席に座る。その椅子を引いて座らせたのは、ジェレミー。

 従弟弟同士ながら、ヴァンサンの方が立場が強そうだ。

 

「私に会いに?」

 今まで接点が一度でもあるならまだしも、一度も会ったことのない、こんないわくつきの相手に会いたいと言われる心当たりがない。

 

「ミシェルとミチル、どっちで呼んだ方がいい?」

「どちらでも」

 私にとって、呼び名なんて大した問題じゃない。

 

「じゃあミシェル、いきなりだけど、イヴァンの話していい?」

 夕陽を浴びたヴァンサンは、その佇まいだけで映画のワンシーンみたいだった。喋る動きに沿って揺れる髪が、綺麗な顔をさらに際立たせる。

 

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