1. 18 ︎years ago
18 ︎years ago
***
真っ暗闇で、息を殺して微動だにせず、ただ待つ。
私が今いるのは、首都からは遠い、国境線の端に位置している補給基地。
さらに細かく言うと、衛生器材を保管している部屋、その窓際に置かれたコンテナボックスの中だった。
上段のコンテナボックスは底を抜き、下段の蓋部分は私一人が収まるサイズの穴を開けてある。二段重なっているように見える箱の中に、私は潜んでいる。
このコンテナボックスは、今日のための特別仕様品だ。
*
クィンザグア補給基地。
陸軍の狙撃部隊にいた私は、配置換えでこの基地へ異動となった。
ずっと戦争し続けている敵国との国境線にありながら、警備は他の拠点に比べれば手薄。
それには理由がある。
敵の部隊を、わざと警備を手薄にしている、この基地へ誘い出す。
敵と私たちが交戦している間、我が軍が別の地点から、敵国領土内へ侵入できる隙が生まれる。
だから、敢えてそうしているのだという。
この補給基地にいる連中は捨て駒扱いなんだ、と私の上官はあっけらかんと笑っていた。
いつも笑っていて、優しかった上官。
私が着任した時、こんな若いお嬢さんが来るところじゃないよ! と、ひどく狼狽していた。
上官は、敵国の軍に所属していたのにもかかわらず、十年前にこちらへ亡命してきた。
その経緯からスパイ扱いされたそうだ。
疑いが晴れても、こんな辺境の補給基地に追いやられた。
それでも、穏やかに過ごしている人だった。
周りに何を言われても、上官の胸には不変の誇りがあった。
上官の愛しい妻は、この国出身だった。
上官はその妻のために、全てを捨てて亡命した。
それだけが俺の人生で誇れることだ、と笑って言った上官。 そんな上官の人柄に、この基地のみんなは徐々に打ち解けていったそうだ。 戦時中の補給基地なのに、いつも誰かが笑っていて、歳や性別も関係なく、仲が良かった。
上官の人となりは、私がこれまで出会ってきた人間の中で、群を抜いて優しく、聡明だった。
いまや、彼なくしてこの基地はない、と言われるほどなのも頷ける。
先週、上官は死んだ。上官だけでなく、仲間18人も。
補給基地での作業中、白昼堂々と狙撃された。
上官が狙撃された瞬間を、誰も見ていなかった。
まるでお化けか幽霊に殺されたんじゃないかと思うほどに、周辺に、狙撃手が残した痕跡はなかった。その時点で、基地にいた人間はみんな察していた。こんな正確に、痕跡も残さずに狙撃できるのは誰か、見当がついていた。
今日、司令部から報告されたのは、この補給基地が襲撃対象になっているという情報。そして、上官を狙撃したと思われる敵国の狙撃手の名前だった。
敵国・リエハラシアに潜伏させている工作員は何十名といる。リエハラシアの政治家だって、一部は私たちの国と繋がっている。
その工作員から
『今日明日中に、クィンザクア補給基地占領計画が、特殊部隊「
『上官たちを撃ったのは、「六匹の猟犬」の狙撃手・
私は思わず唇を嚙み締めた。
それは、かつて私のいた狙撃部隊が、いつも目の色を変えて狙い続けた、宿敵の
*
司令部からの指示は二つ。
一つ目は、クィンザクア補給基地の死守。二つ目は、「六匹の猟犬」の壊滅。そして、誰も言葉にはしないけれど、三つ目の暗黙の了解がある。
「六匹の猟犬」に大損害を被らせるために、持久戦に持ち込み、死ぬ覚悟で戦い抜くこと。
私はコンテナボックスの中から、目を凝らして外の様子を伺う。
基地の背面には、いくつかの丘陵がある。その丘陵を目視できる部屋になっているのが、この衛生器材の保管部屋だった。
丘陵には木々が立ち並んでいて、私が敵ならば、ここに隠れて移動しながら、狙撃をするだろうと見立てた場所。
補給基地は、敵からの攻撃に備えた配置をしている。敵に狙われやすいように計算された、建物の構造と立地。しかし、内部は堅牢な守りに特化させた。
私の
私は夜の暗闇の中、鬱蒼とした木々の連なりに起こるはずの違和感を探して、必死に目を凝らしている。
この
日付が変わってから、もう三時間は経過していた。
しかし、「六匹の猟犬」が突撃してくる気配はなく、いつもと変わらない、平穏な夜で終わりそうな気がしてきていた。
あくびを必死で噛み殺し、肉眼で目前の景色を睨んでいた、なんの変哲もない一瞬。
正面で、何かが光ったのが確認できた。
基地のフェンスに取り付けた照明を、敵の狙撃銃についているスコープが、反射したのだろう。
やっと機会が巡ってきた、と確信できた。
私は光の発生した方向を特定し、引き金を引いた。その後、すぐにスコープのカバーを外して、撃った方向に広がる景色を確認する。
観測手が、隣にいる狙撃手の頭を下げさせようと、手を伸ばして押さえようとした。
だが、それよりも私の放った弾は速い。
スコープを破壊しながら突き進んだ弾丸は、狙撃手の眼から頭蓋を突き抜けていく。
スコープごと撃ち抜かれた狙撃手は、右眼から頭蓋骨を貫かれ、力無く地面に倒れていく。
観測手が狙撃手の体を跨いで、こちらを狙撃しようと構えた。
私はすぐにコンテナボックスの一段目までしゃがみ込んで、上段部分が撃ち抜かれる音を聞いた。
そのまま銃を構えていたら、確実に死んでいただろう、正確さ。
観測手こそが「梟」だったのだ。
幸い、保管部屋の非常口はすぐ隣にある。窓からは死角になる場所で、狙われるリスクは少ない。私は息を殺して、非常口のドアを開けて通路へ出る。
非常時でも電灯はつけず、暗いまま厳戒態勢を取る基地内。たまにすれ違う同僚と、一言二言話して、私は武器庫へ向かう。
あのコンテナボックスの中に銃を置きっぱなしにして、逃げ出す羽目になるとは予想外だった。
武器庫にあった狙撃銃を手にした私は、前線に戻る。
戻る道すがら、同僚の死体をいくつも見つけた。
心拍数が跳ね上がる。涙が込み上げてきて、唇をより一層強く噛み締めた。
こういう時が、一番危ない。
私は、狙撃ポイントになり得る地点を見渡せる部屋の、柱の影に隠れた。
カバーをしたままの狙撃銃を構え、「梟」が現れるのを待った。
しかし、「梟」の居場所は全く悟られずに、淡々と狙撃は続いた。私は「梟」を追うのは諦め、基地内に入り込んだ、「六匹の猟犬」メンバーを狙撃する方向へ切り替えた。
それでも、死なせたのは、先ほどの狙撃手の他に、もう一人。怪我をさせたのは二人。
残り何人いるか定かでないけれど、そこまでの損害は出なかったのでないか。
長いようにも、短いようにも思えた夜が明けた。
夜明けとともに、敵は撤退した。あまりにあっさりと、引き上げていった。
この戦いで犠牲になったのは36名。基地のそこかしこで、血溜まりができていた。
狙撃手を撃ち殺した後、すれ違って挨拶した同僚も死んでいた。
私は、この基地を守れなかった。
***
クィンザグア補給基地を防衛した英雄。
基地での戦闘結果は、瞬く間に司令部へ伝わった。結果として、クィンザグア補給基地の占拠は免れた
もう一つの目標であった「六匹の猟犬」壊滅は成せなかったものの、死者二名・怪我人二名は、良い結果として受け止められた。
私には勲章がつき、階級が上がった。
狙撃部隊が、また戻ってこいと声をかけてきた。
私は二つ返事で、狙撃部隊に戻った。
でも、私は何も得られなかった。
クィンザグアの上官や、死んでいった仲間たちは、もう戻ってこない。
何をもってしても埋められない空白は、私を蝕んだ。
私が欲しかったのは、上官や仲間たちと和気藹々と過ごす時間だったのだと知るのは、もっと後になってからだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます